環境がどうあれ、いつの時代も一定数自死を選ぶ人たちはいる。遺伝的疾患のようなもの。ただそれだけのことだ。

齋藤雅彦

小説

1,595文字

 夜明け前、スーツ姿の男が一人、波打ちぎわを歩いている。

 

 

 

 カーテンを開け、ふと見下ろすと、向かいのマンションのベランダに、ビキニ姿の女が横たわっているのが見えた。

 あんな所で日焼けか。よほど見栄を張りたいのか、それともちょっとでも白くなると不安になってしまうという病的な褐色肌志向なのか。いずれにしてもくだらない。

 と思いカーテンを閉めてから。そんなことを思ってしまった自分を恥じた。

 非難や嘲笑は動揺の表れだ。カール・ヒルティーも言っている。動揺は何の表れか。無知の表れだ。

 こんなふうについ他者を嘲笑し、遠ざけてしまうのは子ども時代に友だちを作らなかったせいである。子ども時代に友だちづき合いをしておかないと対人関係スキルが養われない。対人関係スキルとは何か。知による、他者に対する忍耐強さだ。

 再びカーテンを開け、女をながめた。二の腕に瘢痕文身があった。瘢痕文身とは何か。自傷行為である。

 自傷とは、攻撃性が内側に向いたものとされるが、傷ついた身体を他者の目にさらすことにより威嚇効果が得られるわけだから自分だけでなく間接的に他者を攻撃することにもなる。実体は外向きの攻撃性の表れなのだろうとわたしは考えている。

 女と目が合った。女がクールな視線をわたしに向け、手招きした。

 わたしは窓を開け、身を乗り出し、ベランダめがけてダイブする場面をイメージした。

 

 

 

 いい店ありますよ、と部下に耳打ちされてから数時間後、わたしは自宅とは反対方向の電車に揺られていた。

 目当ての雑居ビルはすぐに見つかった。近代的なビル群のなかで、さびれた外観がひときわ目立っていたからだ。

 エレベーターの扉が開くと、キャミソール姿の女がピンク色の照明に照らされ立っていた。直接部屋に出るとは思っていなかったのでやや面くらったが、すぐに気を取り直した。のん気に面くらっている場合ではない。神経を研ぎ澄まして料金ぶん堪能しなくては。

「予約した鈴木です」

 こくりと女はうなずき、ジェスチャーでついて来るよううながした。童顔に爆乳、ずん胴、デカ尻。日本人男性の六割はそそられるであろうと思われるタイプだ。

 通されたのはリノリウム床の、高度経済成長期に流行ったようなダイニングキッチンだった。ばかでかい食器棚の中央にブラウン管のテレビが納まっていた。映るのだろうか。単なる飾りか。女にきこうとしたが、すでに調理を始めていた。話しかけて集中力を削ぐのは愚だ。

 きっちり十分で料理が運ばれてきた。飴色のスープ、ちぢれ麺、正真正銘のインスタントラーメンだった。

 我を忘れてスープ一滴残さずたいらげ、余韻にひたっていると、缶コーヒーを渡された。渡されたはいいが、どうやって開けるのかわからなかった。女は察したらしく、手を伸ばし、開けてくれた。口のなかで転がし、鼻から息を抜き、香りをじっくり味わってから食道に流し込んだ。至福のひとときだった。

 缶コーヒーを飲み干してから女に、「あのテレビは映るの?」ときいた。女は何も言わず、曖昧な笑みを浮かべた。

「日本語わかる?」

 女は首を振った。

 目的は達成したのだ。長居してもしょうがない。わたしは会計してくれるようジェスチャーで示した。すると、「ありがとうございます。八万二千円になります」と元気のいい声がどこからかきこえた。テレビだった。ブラウン管に萌え系のキャラクターが浮かび上がるのと同時に女は目を閉じ、固まってしまった。わたしは戸惑い、女と萌えキャラを見比べた。

「その女は他律型ロボットです。指示を出していたのはこのわたくし。ラーメンはお口に合いましたでしょうか」

「ああ、もちろん」

 ぼそりとわたしはこたえた。

 

 

 

 海水と砂が革靴に侵入したタイミングで男は沖に足を向ける。姿が見えなくなるまでに、それほど時間はかからない。

2020年11月21日公開

© 2020 齋藤雅彦

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