白い円

応募作品

松下能太郎

小説

2,196文字

合評会2020年11月応募作品。闇の町を歩く。

毛皮で縁取られたフードをかぶりながら闇の町を歩く。白い灯りが寒々と足元を照らしている。人影はない。どうやらここは俺の知らない町のようだ。見渡すかぎり知らない建物でそれは知らないというより見たことのない造形のものばかりだった。ふいにこちらに近づく足音が聞こえたと思い後ろを振り向いたが誰もいない。艶めかしい猫がセンターラインを横切るのが見えた。その猫の尻尾は真上に光る円を指しながらジャンプしてそのまま空中に留まった。浮遊する猫がカラダをくねらせてこちらを見た。その瞳が刃物のようにキラリと光った。「あなたよ夢は必ず叶うんだ」猫の瞳はそう語っていた。青い火花を散らしながら尻尾だけを残して猫は消えた。瞬間、俺は均衡感覚を失い地面に倒れ込んだ。吹く風は冷たく辺りは凍てつくほどに静寂だ。残った猫の尻尾を掴み取ると再び歩き出した。そもそもどうして俺はこんな町を歩いているのだろうか。目的を忘れているようなハナから目的なぞなかったような己をどこかに置き忘れている。突然、前方から叫び声が聞こえてきた。「どうか私を見捨てないでください。どうかお願いします」寒空の下、背広を着た男が土下座をしていた。男の目の前にはカーブミラーがあるだけだ。「生き返るのではなく生まれ変わりたいのです。あなたなら分かってくれるでしょう?」よく見ると男の背広はボロボロで見るに堪えないほど汚れていた。結露しているカーブミラーには「オレハココ」という文字が書かれてあった。顔を上げた男は立ち上がるとカーブミラー越しの俺に言った。「あなたよ夢は必ず叶うんだ」男の目に眼球はなくブロッコリーのようなフサフサしたものが突き刺さっていた。恐ろしくなって逃げ出した。男の容姿に恐れを抱いたのではない。夢という言葉が恐ろしかったのだ。俺は力いっぱい走った。男は野犬のように追いかけてきた。ヘアッ、ヘアッという男の息遣いがすぐ耳元で聞こえたと思ったら途端に遠ざかっていった。走るのをやめ立ち止まり振り返ると男の姿はなく代わりにサイレンを鳴らさない救急車がすぐ目の前に停まっていた。運転席側のウィンドウがひらいた。そこから惰性と決別した風情の右手が現れた。右手はおもむろに銃の形をつくるとその銃口を俺の心臓に当てた。「あなたよ夢は必ず叶うんだ」右手の銃はそう叫んでいた。瞬間、俺はめまいを起こし地面に倒れ込んだ。打ちつけた後頭部の痛さより得体の知れない悲しみが込み上げてきた。ずっと握っていた猫の尻尾がひとりでに歩き出した。「ガンバレ、ガンバレ」猫の尻尾は何度もそう言いながらその場を去っていった。いつの間にか救急車も右手の銃もどこかに消えていた。その時、突拍子もなく無性に米を研ぎたいと思った。別に空腹ではなかった。研いだあとの米はドブに捨ててもよかった。ただ無性に米を研ぎたかった。いますぐ米を。ひたすら米を。あまりの突拍子のなさにバカバカしくなり、バカバカしすぎるあまり切なくなり涙があふれてきた。シャッ、シャッ、シャッと呟きながらどうにも涙が止まらなかった。爪は硬い地面を削り続けた。ふいに上空から風が吹いてきた。ハッとした。それは瑞々しい木陰に降り注ぐ蝉の声に駆ける少年たちの汗にすべての夏にふれて過ぎ去った風だった。その風の中にどこかの国の若い娘たちの歌声が紛れていた。ミントキャンディーのようなその歌声は夕焼けに染まりゆくバオバブの樹のことを歌っていた。その樹の下では村の子供たちがお互いの顔に泥をつけながら無邪気に笑っている。その子供たちに交じって昔の俺が一緒に笑っていた。「そろそろおうちに帰ろうね」風があやすようにささやいた。「源泉の故郷へ帰ろうね」その風に導かれるままに歩き出し、気づくと小高い丘の上に立っていた。辺りを包んでいた闇は驚くほどの速度で明るみ出し、目の前の景色はすべて白く光り放っていた。光の海だ。とても眩しかった。「おかえり」光の海が歓迎するように微笑んだ。俺はそれに応えるようにその白い光の海に飛び込んだ。目の前にはシャボン玉のような玉が無数にたゆたっている。そのうちのひとつの中に入り込むと瞬く間に密度の濃い安らかさに包まれた。やわらかくやさしい水の音がする。カラダは綿のように軽く真っ白な宇宙をただよっているようでその膜の中の温度は心地よく春の眠りに浸っているようだ。あらゆる雑念が消えていく。魂は清らかにあらわれていく。ただひたすら真っ白に向かっていく。まろみのある潮の香りが脳内にあふれて止まらない。裏切りも憎悪も乱れもないそれがどんなものだったのかさえ忘れてしまうほどの安寧の世界。ここは奇跡以上に奇跡で楽園以上に楽園だった。時の経過がよく分からない。ずっとここにいたいと願ったが、まわりの白さよりずっと強い光を放つ円が現れた時、いい知れぬ思いが込み上げてきた。それが悲しみであると気づいた途端この安寧の世界は間もなく終わりを迎えるのだと悟った。今まさにここにあるすべてのものがその白い円に吸い込まれようとしている。白い円との距離がどんどん近くなる。すぐそこまで来ている。それまでカラダを包んでいた膜は破られ眩しすぎるその白さは異常なほど高温で烙印を押されているみたいにカラダの至る所が激しく痛んだ。ついに白い円に完全に飲みこまれた時、どうにも訳が分からず口から火をふき出すほどに泣き喚いた。

2020年11月15日公開

© 2020 松下能太郎

これはの応募作品です。
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"白い円"へのコメント 11

  • 投稿者 | 2020-11-15 21:20

    ノスタルジーって「思い出したい思い出」ではないでしょうか?この亜悪品はよくできてるが、ノスタルジーという題には合わない。

  • 投稿者 | 2020-11-18 20:54

    著者の見た夢や昔の記憶に対する郷愁、そしてそれらのコラージュのような感じを受けたことが一つ。
    もう一つは「安寧の世界」から「白い円」に飲み込まれて「泣き喚いた」という箇所が胎内から出てくるイメージを示していて、前半部は胎内で胎児がもがく壮大な比喩、というような感じでしょうか。

  • 投稿者 | 2020-11-19 07:39

    夢以外でどう収めるのかなって思って読んでましたけど、そのまま終わって、なんか安心したというか。ほっとしました。なんかわからないんですけど。
    あと、米を研ぎたいという感情はわかるんですよね。あそこだけ、わかるわー。ってなりました。米研ぎたいよね。わかるわー。

  • 投稿者 | 2020-11-19 11:45

    米は研ぎたくなりました。あと目がブロッコリーの人が耳元で息を感じる距離で追いかけてくるのはめちゃくちゃ怖いです。夢に出そうです。
    全体的に将来の夢が行き詰まってる時に見る悪夢みたいで良かったです。小林TKGさんも仰ってますが、醒めなくて良かったと思いました。その方がこの世界観が壊れないので。
    私は「考えるな感じろ」系の小説だと思って読みました。子供の頃なんだかよく分からないけどトンネルが怖い、みたいな理屈ではない感覚を想起しました。

  • 投稿者 | 2020-11-19 21:01

    いろんなことに疲れて嫌になった時に見る悪夢のようだと思いました。一見、脈絡がなさそうですが、どうしようもない疲労感や恐怖感を感じました。「夢は必ず叶う」というのも呪いの言葉にしか聞こえなくて。
    辛い生を逆行して生誕にたどり着いたのでしょうか?暖かみがあり希望が湧いてくる終わり方でした。この人が救われるといいのに。

  • 投稿者 | 2020-11-20 15:49

    雰囲気小説、とでもいうのでしょうか。そんなジャンルがあるのかどうか知りませんけど。言葉のイメージが先走って独り歩きすることで読み手に何らかの感慨をもよおさせる。私の場合は何かを掴みかけたら次の一文でまたはぐらかされる、という繰り返しで、最後は「なんかよくわからんかった」という印象で終わってしまいました。

  • 投稿者 | 2020-11-20 23:33

    作者の常連ヒロイン「なつめ」の登場しない冬の物語。宙に浮いたり消えたりする猫は、まるで不思議の国でアリスを導くチェシャ猫のようだ。死後の世界から転生に至るまでの輪廻の過程を描いた話だと解釈すれば、「白い円」は新しい生への入り口であるだけでなく、輪廻のサイクルそのものを象徴するモティーフでもあるだろう。

  • 投稿者 | 2020-11-21 23:34

    壮大な詩として読みました。わたしも猫に応援されたいです。

  • 編集者 | 2020-11-22 01:50

    夢とも走馬灯とも言える話だが、仮にこれが出産前の胎児の夢ないし転生の物語だとしたら、こんな夢を見ながら行く来世とは何だろうなと思った。

  • 投稿者 | 2020-11-22 15:56

    浮かんでは消え、浮かんで繰り返し進んでゆく文章が素敵でした。読んだ後、不思議となんだったかよくわからない感覚のみが残り、まさに夢を見た気分でした。

  • 投稿者 | 2020-11-22 16:20

    夢日記ってたまに書くときがあって、何かもの凄く印象に残る夢はたまに見るんですが、大体文字興しすると大概意味不明のままになっちゃうんですが、もの凄く丹念に綴られた夢だなと。

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