意識とは幻である

齋藤雅彦

小説

1,118文字

バクテリアにも意識がある。バクテリアが集合することで高度な意識ができる。(ワンチョリカンガジ大学生物学講座)

 

 

 

 

 

 むかし、言語を担当している脳の領域は、もっぱら運動のために使われていた。

 まず、脳に運動のもととなる信号が生じ、それが手足に伝わることで運動に至るわけだが、その信号を手足を動かしたりするなどの運動に使わず、喉を使った音声に変換したのが言語の始まりである。首から下の運動として出力されていたものが、音声として出力されたわけだ。

 ブーバ・キキテストというのがあるが、言葉のもとは運動だと考えれば納得であろう。運動機能は誰でもほぼ共通しているから言語の共有、言語によって思いを伝えられるようになるまでには、それほど時間がかからなかったのではないか。

 言語を獲得した人類は意識を持つようになった。獲得する以前の人類には無意識しかなかった。なぜなら意識とは思考だからである。言語なくして思考はない。意識とは言語化の産物なのだ。

 意識は無意識の補助装置にすぎないという説がある。その説に反論するつもりはない。ただ意識が無意識に及ぼしている影響は小さくはないと思ってはいる。

 ふと思ったのだが、意識は無意識の補助装置にすぎないという説を否定しても、それを否定しているのは無意識だとしたら、意識の無意識に対する勝利を意味することにならないか。

 ならない。

 久しぶりに人の声をきいた。

 わたしは天使だ。

 じゃあ、俺は死んだんだな。

 そうだ。

 俺が死んだら、世界の治安は誰が守るんだ。

 君は十分活躍したよ。当分世界は平和さ。……幸せな人生だったかね?

 幸福とは、痴呆である。

 誰の言葉だっけ?

 俺の言葉だ……批判も多かったが、全力を尽くした。

 わざわざ批判する人がいるということは、それだけ多くの人が見てるということだ。多くの人が見てるということは、公平なジャッジメントをする人もちゃんと一定数いるということ。君のような超人はもう現れないだろう。両親にありがとうだな。

 俺の両親は、俺を捨てた。感謝なんてできるか。

 君の能力は、先祖代々の遺伝子の集大成だ。先祖の人間性なんてどうでもいいじゃないか。わたしだったら遺伝子をめぐり合わせてくれた両親に素直に感謝するね。

 そろそろ行こうか。

 気が早いな。まだいいじゃないか。地上に降りるのは久しぶりでね。もう少しこの世を見物したい。

 見るべきものなんてない。あるのは人工知能だけだ。さっさと連れてってくれ。俺はもう戦い疲れたんだ。

 人類のたった一人の生き残りになってから百年。いったい君は何と戦っていたんだ?

 孤独。

 だろうね。

 俺の人生って、何だったのかな。

「プログラムだ」

 人工知能が言った。

2020年11月12日公開

© 2020 齋藤雅彦

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