演技論

齋藤雅彦

小説

788文字

少なくとも日本においては、近代に入ってからも雨乞いを行う習慣がまだあった。

 くだらない。そんなもの、降ったとしても単なる偶然だと考えるのは現代人の典型。思考が硬直化している証拠である。

 雨乞いをすれば雨が降るという認識を、むかしの人はみんな持っていた。

 なぜなら、雨が降るまで続けるからだ。

 要するに雨乞いは、最後の手段だったのである。

 降るまで祈るのは大変だからね。

 雨音をきくのも飽きてきたのでテレビをつけると、ここ数年、若い女性から支持されているフリーアナウンサーの洗剤のCMのあとに、不動の地位を獲得しているであろう人気女優のカップ麺のCMが流れた。アナウンサーと女優。魅力は雲泥の差であった。どっちが雲かって? 無論、女優。

 この魅力の差は、単純に見た目の問題なのだろうか。それだけではない何かがあるような気がしてならない。

 ちょっと考えたらわかった。

 何かとは何か。

 演技力である。

 アナウンサーと女優では演技力に差がありすぎるのだ。

 演技の才能、経験のない者、浅い者の演技は、わざとらしく、滑稽である。

 ところで、女はみんな女優だという言葉がある。

 女であれば誰もがみな、生まれながらにして女優であるとするならば、演技の才能、経験のない女はいないということになる(浅い女はいる)。演じる気がなくともつい演じてしまうことこそが演技の才能であろう。したがって、下手でも才能があるとみなす。

 本当にモテる女は演技が上手い。

 見え見えの演技は痛い。あざとさは醜い。演技力の差が人気の差として表れる。

 下手な演技に騙される者も、もちろん少なくないことをつけ加えておく。

 いろんなことを考えてしまったせいか小腹が減ったので、ドラッグストアにカップ麺を買いに行くことにした。

 迷わず人気女優がCMやってるカップ麺をかごに入れ、ついでだと洗剤のコーナーを物色した。アナウンサーがCMやってるやつは、品切れになっていた。

2020年11月21日公開

© 2020 齋藤雅彦

読み終えたらレビューしてください

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


この作品にはまだレビューがありません。ぜひレビューを残してください。

破滅チャートとは

この機能は廃止予定です。

タグ

この投稿にはまだ誰もタグをつけていません。ぜひ最初のタグをつけてください!

タグをつける

タグ付け機能は会員限定です。ログインまたは新規登録をしてください。

作者がつけたタグ

純文学

"演技論"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る