ディンゴ・ブルー 4

ディンゴ・ブルー(第4話)

鈴木 沢雉

小説

5,527文字

カリフォルニア州ロンポック連邦拘置所における北見誠司の接見メモ その4

学期始めのゴタゴタがやっと落ち着いて、校庭の桜が濃い緑の葉をどんどん茂らせていました。

新しい教室にもなんとか慣れてきた頃、僕は寝耳に水の知らせを聞きました。雄ちゃんちがゴールデンウィークにアメリカ旅行へ行くっていうんです。僕はそれを姉ちゃんづてに聞きました。なぜ姉ちゃん経由かというと、旅行のことを知った松丸さんが大家さんに話したんです。大家さんというのは松丸さんの住んでいるアパートを含めてそこら中にある賃貸物件の経営者で結構な資産家だったんです。いわゆる地主さんといえばいいんでしょうか。その経営者の娘が姉ちゃんの中学校の同級生だったってわけです。

率直に言って不本意でした。

だって、アメリカ旅行なんて一大イベントを、雄ちゃん本人からじゃなくて人づてに聞かされたのはなんだか僕が軽んじられたような気がするじゃないですか。

僕は雄ちゃんに問い質そうとしました。学校で雄ちゃんを捕まえる機会を探していましたが、雄ちゃんが同じクラスの連中と遊んでいたり、先生に呼び出されて用事を言いつけられていたり、僕の気が乗らなかったりでなかなか雄ちゃんに声をかけるチャンスに恵まれませんでした。

一週間くらい経ってからでしょうか、その日は朝から溶けた鉛のような重苦しい雨が降っていて、毛虫に食い散らかされて穴だらけの桜の葉を叩いて不規則なリズムを刻んでいました。

「このグラフを見て気づいたことがある人はいますか」

僕のクラスの担任は緒方おがたという頭の禿げた男の先生で、やはり前の学年のときから持ち上がりでした。半数くらいの児童が手を挙げました。

「じゃ、浅田くん」

浅田が返事をして立ち上がりました。野花が降りしきる雨をものともせず、すっくと伸びてその花弁を開くようでした。

「交通事故は二〇〇四年からずっと減り続けています」

グラフを見れば誰にだって明らかでした。でも、そんな判りきった言葉でさえ、浅田の口から出ると心地良い音楽のようでした。僕は脊髄をゴム手袋をはめた両手でもって引っ張られるような感覚に身震いしました。

僕は眼前の机に目を落としました。学年始めでまだ折りぐせのついていない社会の教科書がひらかれて、大きな見出しとともに偉い先生たちが寄ってたかって考え出した名文が並べられています。

とりわけその中の一節を、僕は暗記するまで繰り返し読みました。今でも一字一句、はっきりと覚えています。

 

一、安全なくらし

わたしたちが社会を便利にしていく一方で、そのくらしをささえる道具がきけんをもたらすこともあります。たとえば自動車や電気・ガスはくらしを便利にしてきましたが、交通事故や火事で毎年おおくの人が命をおとしたり、ざいさんを失ったりしています。また、人がおおく集まる都市でははんざいがおきたり、テロ(注)にねらわれたりすることもあります。

わたしたちがくらす社会はいろいろなせいどやしくみによって安心してくらせるように工夫されています。ここではそういったせいどやしくみにどんなものがあるか、みていきましょう。

 

記者さん、僕が出した宿題、覚えていますか。そうです。テロの定義です。ふんふん、なるほど。さすが記者さんですね。教科書の模範解答のような定義です。僕たちの教科書でも、テロの部分につけられた脚注を読むとこう記されていました。

 

(注)ぼう力やはかいなどのきょうふをあたえる方法で、自分たちの要求をとおそうとしたりなにかを主ちょうしたりすること。テロリズム。

 

この定義に従えば、僕の妄想で学校を破壊したり教職員や児童を無差別殺戮する連中はテロリストではありませんね。彼らは暴力や破壊は行いますが、何かを主張したり要求したりはしません。そもそも、こんな片田舎の小学校を襲撃する意味なんてどこにもないじゃないですか。

じゃあ彼らの目的はなんでしょうね。僕は、体育館やグラウンドや教室を危機に陥れつつ僕を生き延びさせ、さらに僕が浅田を救うという状況をお膳立てすることだと思います。浅田を助ければたくさんのものが手に入ります。浅田自身からの感謝、彼女の気持ち、身体──感謝のキスをしてくれるかも知れません。周囲からの尊敬。あいつすげえなというみんなの眼差し。大変勇敢だったと緒方先生や他の大人たちに感心されるでしょう。浅田の両親からは娘を助けてくれてありがとう、是非娘と付き合ってくれないかと言われるかも知れません。いやあ当たり前のことをしただけです、と頭を掻いて謙遜するところまで僕はありありと想像しました。ちなみに浅田の両親には会ったことがありませんし、顔も知りません。

いつからそんな妄想を始めたのかははっきりと覚えていません。気づけば僕は体育館の集会中でも教室での授業中でも、あるいは学校への行き帰りの道すがらでも、いつでもどこでもそれをやるようになっていました。襲撃の方法は様々で、襲撃者の人数ややり方もその時々によって違っていましたが、いつも変わらないことがひとつだけありました。僕と浅田は必ず生き残るんです。二人のどちらか、または両方が怪我をすることはありますが、多くの場合は軽傷で、行動を妨げることはありません。襲撃者がどんなに苛烈な攻撃を行っても、不思議とそれは僕と浅田の命を奪うことはなく、僕はひたすら浅田を守っていればよかったんです。襲撃が終わったあとには、浅田を守りきったという成果に対する報酬が待っていますから、僕はただ襲撃をやり過ごして報酬を得ればよかったんです。

「ご都合主義だね」

僕が妄想の話をすると、雄ちゃんは言ったものです。都合がいいというのはわかりますが、主義とはなんでしょう。僕は自分の妄想に主義とか主張めいたものをもったことがありません。襲撃を生き残ることに主義や主張があるとすれば、それは死にたくないという気持ちでしょうか。銃を正しく恐れることが猟犬のシシツだという雄ちゃんのお父さんの言葉を思い出しました。

でも冷静になって考えてみれば、何もない田舎の小学校を本気で攻撃する理由なんてありませんから、襲撃の存在自体が僕の主張なのでしょう。こんなことがあったらいいな、こんなことが起こるべきだ、こうなるに違いない。きっと、雄ちゃんの言うとおり、僕を夢想に縛りつけているのは中二病ってやつなんでしょう。妄想の中で英雄的行為の見返りを受けようとする僕はただのイタイ奴でしかありません。小五病の感染と発症おめでとう、と僕はひとり祝いました。

気づけば社会の授業はあと五分を残すばかりとなっていました。教室の窓から外を眺めやると、重ったるい雨がグラウンドに茶色い水溜まりをつくって、しょんぼりしたようにしなだれる桜の樹をぼんやりと映していました。

 

放課後、下駄箱の前で雄ちゃんと一緒になりました。特に雄ちゃんと待ち合わせて帰ることはないんですが、こうして下校時間が重なったら二軒隣に住んでいるのだから一緒に帰るのが自然でした。雨は上がっていましたが、通学路はまだ生ぬるい水溜まりであちこち水没していました。

「アメリカ行くんだって?」

歩きはじめるなり僕は単刀直入に訊きました。雄ちゃんは手に持った傘で足許の水溜まりをつつきました。茶色い鏡のような水面が水銀色と苔色のまだら模様に変わり、遅れて滑らかな波紋が広がりました。

「知ってたんだ。そろそろ言おうかと思ってたんだけど」

「そろそろ話してくれると思ってたよ」

別に、旅行の話を僕にしなかったことで雄ちゃんを責める気はありませんでした。雄ちゃんには黙秘権があるし、僕が他人の家族旅行の予定をいちいち知らされる必然性はもとよりありませんから。

「うん、お父さんの大学時代の友達がカリフォルニアに住んでて」

当時はカリフォルニアがアメリカのどこにあるのかも知りませんでしたが、とにかく東大の友達っていうくらいだからすごいんだろうな、くらいには思いました。

「お父さんは僕が生まれる前に一度だけ行ったことがあるらしいんだけど」

僕たちはひどくゆっくりと、家路をたどりました。雨の降ったせいで空気はむせるように密度を増していて、呼吸さえ苦しく感じました。

「今度の日曜、雄ちゃんちに遊びに行ってもいい?」

なぜ突然にそんなことを言い出したのか、僕は自分でも解りませんでした。ただ後で考えてみるとかなりそれらしい理由に思い当たりました。ゴールデンウィークに雄ちゃんがいないとなると、しばらくはマンガもゲームもお預けになります。雄ちゃんのいるうちにできるだけ遊んでおこうという算段でした。

「日曜はパスポートを取りに行かないといけないんだ」

「そうなの」

うん、と雄ちゃんは頷きました。何か悪いことでもしているかのような態度に、僕は不信感を抱きました。

「お父さんかお母さんが取りに行けないの?」

「いいや、パスポートを受け取るときは、本人がいないといけないんだって。大輝ひろきのぶんも」

三歳の弟の名を呼ぶとき、口をもごもごさせてあまりはっきりと喋らないのが雄ちゃんの癖でした。

「生まれたての赤ちゃんや寝たきりのおじいちゃんでも、取りに行くのは本人じゃないとだめなんだって」

へえ、と僕は感心したように言って傘を水溜まりに突き刺しました。パスポートの発行窓口に生まれたての赤ちゃんや寝たきりのおじいちゃんが並ばなきゃいけない理由より、生まれたての赤ちゃんや寝たきりのおじいちゃんがパスポートを必要とする理由の方が気になりました。

「アメリカって、危なくないの?」僕は一番気になっていたことを訊きました。

「うーん、どうかな」雄ちゃんは大きな水溜まりを飛び越えました。「カリフォルニアはそうでもないみたいだけど」

「だって誰でも銃を持てるし、そこら辺の店で銃を売ってるんでしょ」

「誰でもってわけじゃないよ。犯罪歴とか調べるみたいだし」

「でも乱射事件よく起きてるじゃん」

「そうだね」雄ちゃんはしばらく考え込んでいて、「問題は銃を持てるかどうかじゃなくて、それを使う人がどうかって話じゃないかな。日本だって許可があれば銃を持てるし、うちの店みたいに『そこら辺の店で』売ってるわけじゃん。たまにお父さんの大学時代の知り合いとかが都会から来たときに、うちみたいに個人の店で銃を売ってるのを見て驚くよね。でも田舎にはシカを撃ったりイノシシを撃ったりして生計を立てている人がいるんだから、うちみたいな店は一種のインフラみたいなもんさ」

「インフラって?」

「道路とか橋とか、電気とか水道とか、生活するのに必要なものだよ。それを扱ってるのが個人の店かどうかなんてあまり関係ないよ。むしろ僕は個人が顔見知りを相手に商売してる方が安心じゃないかと思うけどね。逆にさ、大きな組織が不特定多数の客を相手に武器を捌いてる、って聞いたらどう思う?」

「なんかやばそう」

「やおね。やばさのレベルが違う。僕はアメリカ全体が一つの大きな組織なんだと思うよ。組織が大量の銃を持っていて、組織の中でそれを売り買いしたり、盗んだり、強奪したり、横流ししたりして、どんどんやばい奴の手に渡っていく。乱射事件が起きるたびに銃規制をしようって議論になるけど、歴代の大統領も議会もそこんとこだけには手を付けられなかった。なんでだと思う?」

「さあ」

「手を付けたら、そいつが真っ先に銃で狙われるからさ」

「まさか」

「いや真面目な話」雄ちゃんは何となく周囲を確認するような素振りをみせました。「『怒れる白人男性』って言葉を知ってる?」

「いんや、なにそれ」

僕は素で知らなかったので先を促しました。

「どこの国でもリベラル──少数派の権利を守りましょうとか、金持ちから金を取って貧乏人に配りましょうとかいう人たちの勢力が強くなってくると、それに反発する人たちが勢いづいてくるんだよ。当たり前だよね。それまで特権をもっていたり経済的に恵まれてたりしてた人たちはその利益──キトクケンエキっていうんだけど、それを手放したくないもんね。で、アメリカでは主に白人男性がそういうことをするんだ。キトクケンエキを有色人種や女性などに奪われて、そのことを根に持っている人たちさ。乱射事件の犯人って、だいたい白人男性だろ」

そう言われればそんなイメージあるかな、くらいの認識しか僕にはありませんでした。

「人種差別的な発言をしたり強いアメリカをもう一度、みたいな威勢のいいスローガンを掲げて出てきた大統領候補が当選したのも、そういう『怒れる白人男性』の怨念みたいなもののせいだって言われているよ。彼らにとって武器を持つ自由を奪われることは両腕をもがれるようなものだから、もしそんなことを言い出す政治家がいたら銃で撃ってでも止めさせようとしても、僕は不思議じゃないと思う」

「それじゃテロじゃないか」僕は覚えたての言葉を使いました。

「そうだね」

僕たちは雄ちゃんちの前に到着しました。一緒に帰るときはいつもここでバイバイします。

「今言ったことはお父さんや公文の先生の受け売りだから、本当のところはわからない。アメリカへ行って、自分で確かめてこようと思う」

雄ちゃんはすごいな、と僕は思いました。やっぱり頭がいいし、頭がいいのにはきちんとした理由があるんです。

結局、雄ちゃんちに遊びに行く機会がないままゴールデンウィークに突入しました。雄ちゃんがカリフォルニアへ行っている間、僕はイチの散歩をしたりたまったアニメの録画を観たりしました。しまった、と僕は思いました。雄ちゃんが留守の間ゲーム機を借りておけばよかったと気づいたんです。そうすれば連休中にDINGO BLUEでもなんでも好きなゲームができたかもしれないのに。

2020年11月2日公開

作品集『ディンゴ・ブルー』第4話 (全7話)

© 2020 鈴木 沢雉

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