ディンゴ・ブルー 3

ディンゴ・ブルー(第3話)

鈴木沢雉

小説

4,810文字

カリフォルニア州ロンポック連邦拘置所における北見誠司の接見メモ その3

僕と雄ちゃんは同じ病院でひと月違いに生まれました。

正確には月をまたいで十四日しか離れていません。もし僕がもう少し急いでこの世に生まれ出ていれば、長らく雄ちゃんに先輩風を吹かせられずに済んだかと思うと、子宮の中で呑気に過ごしていた過去の自分をつかまえて、どうしてお前はそうやっていつまでもヘソの緒に呼吸も栄養補給も頼りきりにして、いっこうに外へ出ていく気配がないのか。そんなに悠長ではあとで必ず後悔するぞと小一時間説教してやりたい気持ちでいっぱいになりますが、今となっては仕方がありません。

というわけで、雄ちゃんは僕に対して十四日ほど人生の先輩となりました。先輩後輩の関係は僕たちの生活の至るところに影響をあたえました。

例えば一緒に遊ぶときにどのゲームをやるか、どのマンガを読むかを決めるときには雄ちゃんに主導権がありました。遊び方の細かいところまで、雄ちゃんはいちいち口を出してきました。ゲームやマンガの所有権が雄ちゃんにあるのだからある意味当然でしたが、一方で僕にだって異論を挟む程度は許されるんじゃないだろうかと思うときはありました。雄ちゃんの言うことに反対こそできないにしても、せめて別の提案くらいはしてもよかったんじゃないかと今でも思ったりします。

でも僕はそうしませんでした。一つには半月の先輩である雄ちゃんに対する遠慮が、もう一つには僕のゲームやマンガへの執着のなさがありました。ゲームやマンガに限らず、遊び方全般について僕にはこだわりがまったくありませんでした。振り返ってみれば、それは僕が自由だったり達観していたからではなく、単に知識不足から遊び方を知らなかっただけなのだろうと思います。

雄ちゃんは僕より先輩だけのことはあって、遊び方をたくさん知っていました。新しく雑誌に連載され始めたマンガを僕に紹介するのもいつも雄ちゃんでした。雄ちゃんが教えてくれたマンガは話題作ばかりで、実際に読むと例外なく面白かったです。

テレビボードの引き出しいっぱいに並べられたゲームはどれ一つとっても面白い人気ゲームで、おかげで僕は自分では何ひとつ買わない、もとい買えないのに、当時流行ってたマンガやゲームはほとんど全部網羅していました。

 

ひとしきり雄ちゃんの部屋にあるマンガやゲームで遊んでそれに飽きてしまうと、雄ちゃんはイチの散歩に誘ってくるのが常でした。念のため断っておくと、イチは僕んちの犬でした。雄ちゃんは僕の所有に帰するもので遊ぶときさえ、主導権を発揮していました。

雄ちゃんちになくて僕んちにある数少ないもののひとつが、イチでした。イチの散歩中、雄ちゃんはリードからほとんど手を離そうとしませんでした。僕は内心忸怩たる思いでしたが、嬉しそうにイチを引っ張って広域農道を歩く雄ちゃんにリードを渡せともいえませんでした。雄ちゃんは雄ちゃんで、飼い主なら他の機会にいつでも散歩できるだろうから、今くらいは僕に譲れよという無言の圧力を加えてくるように感じました。僕はそういうわけで意気揚々とイチを引いて歩く雄ちゃんの後を手持ち無沙汰について歩く結果になり、これでは僕と雄ちゃんのどちらが飼い主なのか判りません。事情を知らない人からすればどう見ても雄ちゃんが飼い主だとしか思えなかったに違いありません。

始業式の日も、ゲームに飽きると雄ちゃんはイチの散歩に誘ってきました。僕たちは「間の一軒」の裏手をとおって僕んちに行くと、イチを連れて散歩に出ました。

散歩のコースは特に決まっていませんでした。あたりの道路や畦道をぐるっと回っただけでお終いにするときもあれば、近くを流れる川土手を遡って遠くまで歩くときもありました。極めつけは、時間があって天候も良い日に限られますが、近くの山に入るときで、ちょっとした探検でした。雑木林に覆われた低い山は近所の誰かの持ちものだったに違いありませんが、持ち主が誰かは知らないし興味もありませんでした。椎茸を栽培するほだ木がところどころに組まれているほかは特に管理されているという感じもせず、僕たちは勝手に山を探検しては秘密基地を作ったりアケビやグミの実を取って食べたりしていました。

山に入るときはイチのリードを外し、人もイヌも一緒にずんずん分け入っていきます。ただし獣道から大きくはずれてうろついたりはしません。道なき道の誘惑は確かに僕たちの冒険心を大いに刺激しました。獣道を逸れて雑木林の奥深くに突っ込んでいけばただの山道では得られない収穫がありそうでしたが、そのためにマムシに咬まれる危険を冒すわけにもいかなかったんです。

山からは、こんな人里近くにまで野生動物が下りてきました。イチを連れているときにサルと遭遇したときなんかは最高で、イチはサルたちをさかんに吠えたてて木の上に追い込んでしまいます。サルはなすすべもなく樹上から憎たらしげにイチを見ていますが、若く向こうっ気の強い柴犬の剣幕にどうすることもできず、ただ時々弱々しい鳴き声を送ってくるだけです。僕はそうやって、「犬猿の仲」という言葉の存在を知る前に、犬と猿との関係がどういうものか身をもって体験していたわけです。

聞けばサルを駆除するのにイヌを使って木の上に追い込み、猟銃で撃ち落とすというやり方もあるらしいんですね。イチも立派に猟犬の役目を果たせるってことですよ。そう思って一度だけ雄ちゃんのお父さんにイチは猟犬になれますかと訊いたことがあります。僕はてっきり雄ちゃんのお父さんはまんまる眼鏡の奥の目を細くしてああなれるとも、と請け合ってくれるものとばかり思っていましたが、意外にもお父さんは真面目な顔をして言いました。

「北見くん、猟犬はね、小さい頃から特別の訓練を受けているんだ。特に一番大切なのはね、銃を怖がることなんだよ」

僕には意味が分かりませんでした。いちいち銃を怖がっていたら、猟にならないんじゃないか。単純にそう思いました。だから雄ちゃんのお父さんにもそう訊いてみました。お父さんはまた目を細くして笑いました。

「猟犬は臆病なくらいが丁度いいんだよ。僕の言う臆病ってのは、慎重って意味だね。慎重な猟犬は銃を正しく恐れている。正しく恐れている犬は獲物を追っていても射撃の邪魔になるような場所には動かないし、かといって獲物に向けられた銃声には驚かない。自分にとって危険かそうじゃないかをちゃんと知った上で恐れるべきものは恐れる、それが猟犬の資質ってやつだね」

僕はシシツというやつがイヌの身体のどこにあるのか分からなかったけれども、雄ちゃんのお父さんが言うのなら確かにどこかに存在するのだろう、と納得しました。イチは果たしてそのシシツをもっているんでしょうか。猟師の人に聞けば分かるんでしょうか。それ以来、誰か本職の猟師さんのところにイチを連れて行ってイチが猟犬に向いているかどうか見立ててもらうのが、僕の願望のひとつになりました。

 

さて、浅田についても少し話しておきましょうか。

浅田は僕が好きだった女の子です。一年生のときからずっと同じクラスで、特に目立つ子ではありませんでしたが、後から聞いたところによると男子からの人気は結構高かったようです。色白ですっとした外見と、知的でもの静かな雰囲気がミステリアスだったからでしょうかね。正直なところを言えば、僕もそんな浅田の高潔な感じが好きでした。

でも愚かにも浅田を好きなのは自分だけだと思ってたんですね。彼女の良さが解るのは僕だけだ、という根拠のない思い込みがあったんです。後日、浅田が学年でも五本の指に入るくらいモテていたと知ったときはショックでした。いえ、ライバルが多いと知ったからじゃなくて、自分の趣味が平凡だと判ったからです。

浅田が初めて僕の妄想に登場したのが正確にいつだったかは覚えていません。覚えている限りで一番最初の印象的な登場シーンは、確か運動会の練習中でした。

 

グラウンドに整列して、入場行進とか体操とか競技の段取りとか、繰り返し練習するのは人によってはかなりの苦痛だと思いますよね。僕もそうでした。

だから辛くなってくるとすぐいつもの妄想に逃げ込みます。

児童たちが並んでいると、上空から爆音が聞こえてきます。ヘリでしょうか。最初は空に浮かんだ黒い点にしか過ぎなかったのが、みるみるうちに学校の方へと近づいてきます。はじめは意に介せず団体行動の説明を続けていたやじさんも、さすがにおかしいと思ったのか話すのをやめてヘリの飛んでくる方を見やります。

ヘリは三機編隊でした。グラウンドの方に近づきながら、ロープを垂らしているのが見えます。ヘリの中から、迷彩服を着て武装した男たちがロープにつかまって出てくるのが地上にいても見えるくらいに接近すると、ローターがつくる猛烈な風でグラウンドの土は巻き上げられました。児童たちは土埃が砂つぶてになって顔や腕や脚を打つのに耐えきれず、みな顔を覆ってしゃがみ込みます。僕もそれに倣いながら浅田の位置を確認しました。浅田は僕の左斜め後方十メートルくらいの場所にいました。

やじさんが壇上からヘリに向かって、あっちにいけみたいなことを叫びながら手を振っています。やじさんの声はヘリのエンジン音とローターの風切り音にかき消されてまったく聞こえません。次の瞬間でした。ヘリの機銃から放たれた無数の弾丸がやじさんを演壇ごと木っ端微塵にしてしまいました。二十ミリ口径くらいでしょうか。掃射のあとにはちりとりで掃き取った廊下のゴミみたいな屑しか残っていません。

あんなのにやられたらひとたまりもない、と思った僕はすぐにみんなに向かって叫びました。

「校舎の中に逃げろ!」

でも僕の声は隣の児童にさえも届きません。僕はすぐに身を起こし、手で頭をかばいながら浅田のところへ駆け寄りました。

「逃げるんだ」

僕が浅田の手を引いて校舎の方へ走りだすと、ヘリからロープを伝って降下した男たちがグラウンド上に散開するのが見えました。男たちは周囲の児童を次々に撃ち殺しながら隊列を整えています。その無駄のない動きは、僕たちが付け焼き刃で身につけようとしている集団行動に比べたら雲泥の差でした。グラウンドはあっという間に制圧されてしまいます。

僕は辛うじて浅田を連れてグラウンドから校舎に逃げ込みました。他にも何人かの児童と教職員が難を逃れて、屋内にいました。しかし武装した男たちがやってきたらすぐにやられてしまうでしょう。僕たちは校舎の中でいちばん堅牢だと思われる音楽室に逃げ込み、入口に即席バリケードを築きました。なんで音楽室が堅牢かって? 防音構造になっているからですよ。少なくとも他の教室よりかはまし程度の話です。

僕は音楽室の巨大なスピーカーにつながったアンプを見つけ、電源を入れて出力を最大にしておきました。手にはCDのリモコンを持って浅田と一緒にグランドピアノの陰に隠れました。

音楽室もすぐに見つかってしまいます。僕たちは入口の扉から、あるいは中庭に面した窓から集中砲火を浴びます。グランドピアノは僕と浅田を銃撃から守ってくれました。やがて男たちが銃撃を止め、音楽室を制圧しようと入ってきた瞬間を狙って、僕はCDの再生ボタンを押しました。

スピーカーが破裂する爆音とともに男たちは吹っ飛びました。

 

あ、そろそろ三十分ですね。

それでは今日のところはここまでってことで。

記者さん、次回の接見までに宿題を出していいですか。はい、宿題なんて偉そうですね。じゃ僕に教えてください。テロの定義ってなんでしょうか。僕をテロリストと呼ぶ人もいれば、いいや、あんなのはテロリストなんかじゃないっていう人もいます。だから皆さんテロの定義が一致してないのかなって。だから記者さんなりの、テロの定義ってのを聞いてみたいんです。

よろしくお願いします。

2020年10月29日公開

作品集『ディンゴ・ブルー』第3話 (全8話)

© 2020 鈴木沢雉

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