Dingo

ディンゴ・ブルー 1

ディンゴ・ブルー(第1話)

鈴木 沢雉

小説

4,799文字

カリフォルニア州ロンポック連邦拘置所における北見誠司の接見メモ その1

外は雨なんですね。どうして分かるかって? ええ、あなたの服が濡れてるし、それでなくても田舎育ちなんで、雨の匂いというか、そういうのがわかるんです。

はい、僕が北見誠司きたみせいじです。思ってたんと違いました? 拘置所に来てからいろんな人が会いに来ましたが、みんな想像とは違うって言います。ほとんどはあなたのようなマスコミの人か、大学の研究者とかですね。おかしなもので、僕が今までこうして面と向かって話したことのある人なんて家族と学校以外じゃ、両手で数えられる人数に毛の生えたようなもんでしょう。ところがここ何か月かで次から次に。みんな僕の話を聞きたがります。

生まれてから十九年のあいだ、僕の話を聞いてくれる人なんか誰もいなかったのに、この手の平返しはなんでしょうね。

まあ、それはいいです。記者さんは僕の生い立ちを知りたいんでしたっけ。ご承知のとおり、事件についてとか動機とかはまだ裁判中なので話しちゃいけないって言われてます。本当は面会で日本語を喋るのもダメなんですけど、あまりに日本のマスコミの人が多くて、僕だけ特別扱いになったみたいです。その代わり会話は全部録音されてるそうなので、気をつけてくださいね。

あと、一回の面会は三十分までです。これ結構シビアに切られるので気を悪くしないでください。ってなんで僕が刑務官のフォローしなくちゃいけないんですかね。まあでも他の人もみんな三十分なんで、そこをなあなあにすると際限がなくなるからでしょうね。

刑務官はみんないい人ですよ。ここは連邦の拘置所なんで処遇は割といい方なんじゃないかな。僕も実際に収監されるまでプリズンとジェイルの違いなんて気にしたことなかったくらいなんで、本当になにもかもが初めてなんですけど、州立拘置所なんかはもっと劣悪なんだそうです。

 

そうそう、生い立ちでしたよね。さっきも言ったとおり、田舎育ちです。岐阜羽島ってとこなんですけど、街中じゃなくてちょっとはずれんとこに家がありました。新幹線の駅があるといっても、都会、つまり名古屋とか大阪とか東京ですね、そういう大都市に出ていく人にとって便利なだけで、若い人は減って寂れていく一方です。

家族は父と母と姉が一人。父は携帯ショップの店員をしていました。家は一軒家ですけど借家でした。父の収入じゃ持ち家を買うためのローンは組めなかったようです。

父の実家は山県市っていう山奥の方にありました。岐阜羽島もじゅうぶん田舎ですけど、山県はさらにレベルが違って、まわりは本当に山と川と谷と岩と、わずかばかりの家と田んぼしかない山村でした。少し川を下ったところでは鵜飼なんかもやってました。小さい頃は毎年盆と正月には父に連れられて遊びに行ってたんですが、じいちゃんが亡くなった後は足が遠のいていました。じいちゃんが亡くなってからはばあちゃんが一人で住んでました。ばあちゃんの旧姓は高井たかいといって、じいちゃんと同じ山県の人でした。ばあちゃんのじいちゃん、つまり僕の曾々じいちゃんは陸軍の軍人さんだったそうです。ばあちゃんの叔父にあたる人も海軍で大尉にまでなった人です。この話をすると、僕が先祖の仇討ちでメリケンに一泡吹かせたんじゃないかって言う人もいるんですけどとんでもない。僕はアメリカにもアメリカ人にもなんの恨みもないし、曾々じいちゃんもばあちゃんの叔父さんも、別にアメリカが憎かったわけではないと思います。みんな貧乏だから仕方なく軍人になったんですよ。当時は軍人になれば学費はタダでしたからね。僕だってそのくらいは知ってます。

 

学校の成績は中くらいだったと思います。思いますっていうのは、通信簿の評価じゃ全体の中で自分がどのくらいの成績なのかはわからないんです。記者さんの頃はどうか知りませんけど、僕のときはとにかく絶対評価にしましょうってんで、文科省も教育委員会も学校も先生もみんな躍起になってましたからね。金科玉条のように絶対評価、絶対評価ってそれはもう強迫観念に襲われたか新興宗教に入れあげたみたいに大人たちはみんな唱えていました。

もし僕の通信簿の中に真実があるとすればただ一つ、先生のコメント欄に「落ち着きがなく集中力に欠ける」と毎年のように書かれていましたね。まったく否定できないです。

全校集会ってあるでしょう? 児童全員が体育館やグラウンドに集められて整列して、ひたすら先生の訓話なんかを聞くやつです。僕は本当に苦手でね、いつも他のことを考えてやり過ごしていたんです。

たとえばこんな調子です。

 

僕たちは体育館に整列しています。

体育館の中を見まわすと、一階と二階の壁沿い、それから天井に明かり採りの窓があります。壁づたいの窓には頑丈そうな鉄の格子が嵌められていて出入りは難しそうです。侵入するなら天井の採光窓からロープか何かを使って降下するか、でなければ正面入口の大きな扉から堂々と入ってくるしかないですね。

僕はなるべく頭を動かさないように、侵入口と建物の構造それに先生や児童の配置を確認して脳内で見取り図をつくります。

──狙ってくるとしたらやはり上からか。

と、確信めいたものが僕の肚のなかにできあがります。セオリーどおりなら、上から攻撃した方が位置エネルギーのぶん有利だからです。

問題はタイミングです。襲撃者はこっちの都合なんか考えちゃくれない。突入するとすれば教職員と児童全員がなにか一つの物事に意識を集中しているときでしょう。となればやはり校長先生の挨拶しかないと僕はおもいました。

「それでは、あー、これから、第一学期の始業式を始めます。気をつけ、礼。校歌斉唱」

ふだん児童たちから「やじさん」と呼ばれている六年の学級担任が進行役でした。そのあだ名の由来については、やじさんきたさんの話が教科書に載っていて、挿絵のやじさんが先生の顔そっくりだったので誰ともなくやじさんと呼び始めた、というまことしやかな説を、同じ学校の卒業生である姉ちゃんから聞いたことがあります。

口パクで校歌をうたい終えると、校長先生が壇上にあがりました。不思議と僕は緊張していませんでした。来たるべき襲撃に対して、自分だけは生き残ることができるという根拠のない自信がありました。僕がいる場所は児童の列の左寄り、五年生の列の前方でした。クラス自体は前の学年から持ち上がりだったので周囲の面々は三学期の終わりと変わってません。背の順に並ぶと僕が前から七番目になるのも、隣に並んだ女子の列の前から四番目、つまり僕の右斜め前方に浅田あさだの姿があるのも、春休み前と同じでした。

校長先生が話しだすとすぐに襲撃は始まりました。採光窓が一斉に割られる女子の悲鳴のような音と同時に、僕は浅田を後ろから抱きかかえ、体育館の前方にむかって身を低くしながら走るんです。ステージの下にある倉庫スペースに飛び込むと体操マットの陰に隠れて襲撃をやり過ごします。あたりは襲撃者の放った弾丸で阿鼻叫喚の地獄です。児童も教職員もみんな見境なく鉛の弾の餌食になっています。跳弾した弾が体育館の床材や壁をめくれあがらせ、僕たちの隠れているマットにも着弾します。マットは弾丸を受け止めて黴臭い埃を舞いあがらせるけど、分厚い繊維の束は破片を阻んで僕たちを守ってくれます。傍らで浅田が恐怖に身を固くして頭を抱えています。僕は彼女にそっと手をまわしてかばうようにしました。

襲撃が終わると、あとに残ったのはわずかばかりの生存者、すっかり破壊された建物、そして累々と折れ重なる凄惨な死体の山です。その中には同じクラスのゆうちゃんの屍も、やじさんのものもありました。僕はよろける浅田の身体を支えながらステージ下から這いだします──

と、ここまでは僕の妄想です。現実には校長先生の挨拶が続いています。

「……でありますから、みなさん新しい気持ちでこの一年をスタートしましょう」

校長先生の挨拶が終わると、やじさんはひときわ高い声で号令しました。

「礼!」

僕ははっとして、右斜め前方の浅田をみました。浅田の後ろ姿はいつもと変わらず野花のように可憐でした。浅田にみとれるあまり、思わず礼をしそこなった僕の頭は、みんなの垂れた頭のなかから高く抜きんでました。

 

「怒られた」

と、僕は放課後、教室のうしろのほうにある雄ちゃんの席で事の次第を話しました。雄ちゃんは「当然だ」と薄笑いを浮かべます。

「そりゃ礼をしない北見が悪い」雄ちゃんの言うことはもっともでした。「校長先生の話を全部聞けとは言わないけどさ、話の終わりくらいになったらだいたいわかるだろ。そしたら礼の号令があるに決まってるんだから、待ち構えてないと」

言わんとすることはわかりますよ。そんな器用な芸当ができればやじさんの号令を聞き逃したりはしない。でも雄ちゃんに言わせれば、できて当然だというのです。

僕は、始業式の日には使いもしない筆箱や連絡帳を雄ちゃんがランドセルに放り込むのを見ていました。雄ちゃんのランドセルは黒基調だけど蓋の部分と調整ベルトが濃い赤褐色でなかなか高級感がありました。僕は自分のランドセルを目立たないように背負いました。目立たないようにといっても、お母さんがメルカリで買った新古品のランドセルは全体が安いペンキを塗ったような水色で、どうやってもカラスの群れに混じったドバトのように目についてしまうんです。

学校からの帰り道、僕は始業式の間ずっと空想していたことを、こと細かに話しました。ただ、浅田に関するくだりについては慎重に触れないようにしました。

「あれだ、中二病ってやつだな」

雄ちゃんは薄ら笑いをさらに平たく引き伸ばして言いました。

「中二病?」

「中学二年生、だから十三、四歳くらいの男子がよくかかる病気ってことさ。誇大妄想とか空想と現実が区別できなかったりとか、要するにイタイ奴のこと」

「だけど僕たちは中二じゃなくて小五だし、そのコダイモウソウって……なに?」

雄ちゃんはしばしば僕の知らない言葉をつかって話します。本人にその気はないらしいのですが、すごく嫌味に聞こえるのでできればやめてほしいと思っていました。おそらくは、東大卒のお父さんとか通ってる公文式の塾とか、そういうところから仕入れた知識なのでしょう。東大卒の父親をもたず公文式にも通っていない僕が、なんだか劣った人間にみえることが無性に悔しかった。

当時大人たちが大好きだった絶対評価というやつでは、それでも、僕と雄ちゃんの成績はさして変わらないのでした。雄ちゃんが頑張れば五がつき、僕がちょっとだけ頑張れば四です。逆に、もしそんなことがあればの話ですが、僕がめちゃくちゃ頑張って五をとったり、雄ちゃんがさぼって四をもらうこともあるのが絶対評価です。

でもそんな通信簿になんの意味があるでしょう。残酷なまでに平等な数字は、僕と雄ちゃんとの間にある歴然とした差をかえって際立たせる効果しかないんです。それだったらむしろ、僕がどうあがいたって雄ちゃんには遠く及ばないという身も蓋もない事実を相対評価で示してもらったほうがまだしもでした。

僕がいいたいことは、たとえ環境面での優位を差し引いたとしても、やっぱり雄ちゃんの頭のよさは認めざるをえないってことです。だって、テストなんかいつも百点なのに雄ちゃんがとりたてて勉強に時間を割いているのをみたことがないんですから。

「中二病って言葉ができたのは僕たちが生まれる何年も前の話だよ。そういうものってどんどん低年齢化してるから、今の僕たちにあてはまっても不思議じゃない」

「そう、テイネンレイカしてるの」

「そうだよ」

結局、よくわからなかった。よくわからなかったので僕は話題を変えました。

「今日は塾あるの?」

「ないよ」

じゃ遊びに行っていい? と訊くと雄ちゃんはひらひらと左手だけでOKの返事をしました。

2020年10月20日公開

作品集『ディンゴ・ブルー』第1話 (全5話)

© 2020 鈴木 沢雉

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