もう此處まできて考えてみると、私が今の今まで、それとばかり思いこんでいたように、岡田は決して、對宮部の事件の爲に自裁したのではない。彼が縊死する前に、もう彼の精神に異狀をきたしていたのも、それは決して、彼が年來の宿疾のせいでもない。一に其のきたる所以、根ざすところは、皆これ彼が貧乏だったからだ。だから、其の點から云えば、彼は飽くまで自殺したのではなく、まさしく彼は貧乏の手にかかって、敢えなくも殺されていったのだ。
そうと分ると私は、今度は宮部に對しても、大いに忸怩たらざるを得なくなってきた。なるほど宮部が岡田に對して取った態度は、決して稱揚すべきものではなかった。それは皆彼が無意識にそうしたのではあろうが、少くとも彼は、岡田の死を助成するに與って力あったことだけは些かの疑いもないことだ。そして、それは飽くまで消極的意味において行われたのだ。と云うのは、其の時宮部が、即座に岡田の謝罪を容れてやったとしてからが、一方彼の疾患が全治しない限り、彼は屹度外にそれらしい問題を捉えてきて、其の爲にまた自殺してしまっただろうから、それを知らずに、私はただ一圖に、宮部を當の加害者だとのみ思いこんでいただけに、今まで私は、餘すなく彼の鈍感さを擧げ、彼の狹量さを鳴らして、彼を罵倒していたのが恥かしくなってきた。
今若し、全然事實を顛倒して、一も二もなく岡田を殺害したものは宮部だとする。宮部が自から手を下して、岡田の首を縊ったものだと云うなら、同時に私は、其の下から岡田の足を引っぱったことになるのだ、そうではなかろうか。其處に何ら一片の保護を與うるでもなく、やすやすと惡魔にも比すべき者の手へ渡してやったのは此の私だから、いよいよ決算する日になると、それまでに私が宮部へ加えていた非難の半ばは、當然此の私自身が負わねばならないことになってくるのだ。それが私には恐ろしかった。
それにしても、どうしたら私に、此處へくるまで、岡田に就いて微塵それと気づかなかったのだろう。現に彼は、縊死する前に前後四回も私のところへやってきているのだ。そして、其の時の彼の言行が、かなり常軌を逸していたのは能く分っていた。それでいて私は、微塵それが彼の異狀ある精神狀態からきていることに氣づかなかったのだから、考えてみると、もう私は、自分の腹をも切りさきたいほど腹立だしく(※はらだたしく)なってくるのだ。
若しあの場合、私がそれと知ったからとて、直接私は自分の力ではどうすることも出來なかったに相違ない。だがしかし、私は其の時それと悟ることが出來たら、私は出來得る限りの方法を講じて、彼を病院へ入れるようにしてやるのだった。そして、今少し嚴重に看守をしていたなら、彼だって何も今度のように自殺しなくとも好かったのだ。其處で彼は、徐ろに疾患の治療をしながら、靜養に靜養を重ねたなら、みごと健康を回復することが出來ないことでもなかっただろう。それを思うと、私は溜らなくなってくる。
無知の悲哀、そして無知が生んだる一種の殺人罪、其の恐ろしい罪惡を、誰彼と人を咎めるまでもなく、もう私自身がそれを犯しているのだ。今の今まで、私は聲を大きくして、辨難攻撃して措かなかった宮部の轍を、此の私も踏んでいるのだ。此の償いは、何に依ったら出來るのだろう。岡田のことは、今更幾くら悔んだところでもう返らないことだ。だからせめて此の上は、舊に倍する細心の注意をして、二度と再びこう云った悔いは殘さないようにしよう。そして、其の手段の一つとして、今後は生理學や解剖學、それに病理學の一班位は學ぶことにしたいものだと考えてくると、今度はまた私自身の脚のことが氣になってきた。
そうだ。これも決して人ごとではない。今私の病勢は、どの點まで進んできているのだろうか。それと、一體此の疾患は、如何なる原因からしてきているのだろうか。これは、相次いで發生してくる黴菌の關係から、こう云った風に宿疾になってくるのだろうか。若しそうだとすれば、それはどんな性質の黴菌なのだろう。それを根本から撲滅する方法はないものだろうかと思ってくると、私は何を措いても金が欲しくなってきた。──先ず其の病理を取りしらべる上からも、また取りしらべてみて、其の治療が分ってからも、必要なのは金だ。金がなければ、私も岡田の生涯を見るように、空しく手をつかねて、不具廢疾になるのを待っていなければならない。それにつけても、欲しいものは金だ。これがなければ、一本のバットだって口にすることが出來ないのだ。況んや、自分の煩っている疾患の病理を取りしらべたり、治療法を講じたりした上に、延いては他人の爲に、一般生理學や解剖學、それに、病理學などを知ることが出來ようかと思うと、私は涯しもない曠野の中に、ただ一人行きくれてしまったような氣持ちになってきた。
それにつけても、ただ欲しいのは金だ。金さえあれば、こんな悲しい思いはしなくとも好いのだ。そうだ、金さえあれば、立ちどころに晝夜を顛倒することも出來るのだ。吉凶禍福も、意のままにして退けることが出來るのだ。と思えば思うほど、今度はまた其の苦痛、其の悲哀の爲に、あたら一生を闇から闇に葬っていった岡田のことが偲ばれてきた。──貧しい者の象徴のような岡田の一生が偲ばれてきて、私はもう其處に、凝と坐っていられなくなってきた。もう私には、それまで覺えていた、疲勞などは問題ではなかった。ただ私は、無知無慙な自分の顏を、岡田の兄の前に、曝らしているに堪えられなくなってきた。私は一刻も早くもう其の坐を外して、外へ出たくてならなかった。外へ出て、自分一人になって、そして、もっと深く深く岡田のことを考えてみたかった。其の上で私は、自分の無知さ加減、また其の無知が生んだ罪の前に、懺悔の淚をながしたかった。だから此の間における私の心持ちは、丁度火をかけられた蛇のように輾轉反側していた。と其處へ、
「いや、わしゃそう思うがいね。情けないやっちゃわいね。──大の男が、おいおいと手放しに泣くなんて、そんなだらくさいことはないがいね。」と云う岡田の兄の言葉に出會した。──半ば獨語のように云って、嗟歎しているそれに出會した。それを耳にすると、私はいよいよ其處にい坐っている譯に行かなくなってきた。無論其の時は、流石の私も、正面から其處へ言葉を重ねて、更に强く自說を主張しようと云うような氣持ちなどはなかった。それはもう灰のようになって廃れて頽れていた。それでいて剛情な私は、一つは其の場の行きがかり上、全部自分の說を取りけして、反對に相手のそれを全部肯定しようと云う氣持ちにもなれなかった。もう私は、土俵の外へ踏みはずしているとは思いながらも、
「どうも僕にはそうは思えませんね。──ひょっとしたら、そうです、ひょっとしたらそうかも知れませんが……」と云うような、我れながら曖昧至極なことを云って、それを打っちゃろうとした。そして、表面は憎く憎くしいまでに落着き拂ってこうは云ったものの、其の癖内心は、今にも窒息しそうになっていた。そして、腋の下へ、ぽたりぽたりと氷柱の尖から落ちる雫のような汗の流れるのを覺えた。そして、私は其の時すかさず、
「あなたは、直ぐお歸りですか。」と云って聞いてみた。無論これは、私がはっきり意識して云ったのに相違ないが、しかし、此處で話頭を一轉して、其の隙につけこんで、逃げてしまおうと云う心のたくらみは、掩うべくもなく、其の機微の間に現われていた。第一それは、餘りに急であり、從って其の調子の何處かには、隱しても匿しきれない急迫さを持っていた。だから私は、心で自然に踊りあがる胸をおさえながら、凝と相手の顏色をみていた。すると岡田の兄は、
「ええ、もう用も濟んだから、明日…」と云いかけて、ちょっと間を持って、「明後日あたり歸ろうかと思うがいね。」と云うさまが、案外に無造作なのだ。其處には、私の意中を計っているらしいところなどは微塵も見られなかった。それがうれしかったと云えばうれしかったが、同時に私は、内に自分の卑怯さ狡猾さに對して、無限の苛責を感じなければならなかった。そして、一度弓弦をきって離れたる陰謀の征矢(※戦場の矢)は、行きつくところまで行かなければならなかった。
「で、明日此處を出て、それから、何處へ行らっしゃるんです。」
「ええ、武田の弟さんのところへ行こうと思うとるがいね。──あの人は、下谷竹町の五番地にいるがいね。」
「そうですか。そいじゃ僕は、また明日、武田さんのお宅の方へお尋ねすることにしましょう。あなたはお差支ありませんか。」
「わしゃ好いわいね。いるわいね。あんたがきてくださりゃ、わしゃ待っとるがいね。何處かで酒でも飮んではなそうかいね。」
それを聞くと、私は流石は岡田の兄だと思った。それは、酒を呼んで談じようと云うことは、何もひとり岡田の兄のみに限られたことではないが、此の場合私には、それが如何にも岡田の兄にふさわしく思われた。そして、それがまた、私をして、飮酒癖と云うのかそれとも愛飮家と云うのか知らないが、とにかく折にふれ、機に乘じて酒を呼ぶことを忘れなかった、岡田のことを思わせもした。
「じゃ僕は今夜はこれで失禮します。」と云って挨拶すると、
「そうかいね。お歸りかいね。」と云って、まじまじと私の顏を見ながら、「こう云う風に蒲團もないので、寢て貰うちゅう譯にも行かん始末やがいね。ほんまに濟まんこっちゃがいね。」と云ってから、また言葉をついで、「ああ、そうやがいね。どうやいね。あんたが入るようなもんがあったら、持っていかんかいね。みんな古い雜誌ばかりのようやけど。」と云いながら立って、其處に積み重ねられてあった雜誌の一山と、三省堂から發行した、「模範英和辭典」一部とを、私の前へ持ってきてくれた。
「じゃ、遠慮なく、頂いて行きます。德さんの形見ですから。」と云って、私は其の中から、文章世界と、早稲田文學との増刊を各二部宛と、外に「模範英和辭典」とを選りわけてから、「そいじゃ、これだけ頂いて行きます。」と云うと、
「あとは入らんかいね。わしには用のないもんやさかいに。」と云って、なおも私に勸めてくれた。
「ありがとうござんす。外は雨が降ってますし、それに僕は、脚が惡いししますから、これだけ頂いていきます。」と云うと、
「ああ、そうかいね。さっきからすっかり忘れてしもうて、ついお尋ねもしなんだが、あんたの脚はどうやいね。」と、私の脚の方へ目を注ぎながら、こう云って見舞ってくれた。
「ええ、ありがとうござんす。此の頃またいけないんです。──何時でも、時候の變りめには屹度いけないんですが、今度はまた少しいけないんです。」
私は其の時、心持ち左の脚を持ちあげるようにして、膝の上からかけて、ずっと下の方を撫でおろしてみた。そして、また寂しくなってきた。
「そりゃどうもいかんこっちゃがいね。わしゃちよっこりも知らんもんやさかいに、聞きもせんでしたが、ほいならさっきから、膝を崩して貰うたら好かったがいね。だから、わしゃそう云うたがいね。ほんまに濟まんこっちゃったがいね。」
岡田の兄は、如何にも気の毒そうに、しみじみとこう云うのだ。
「いいえ、なあに、たいしたこたあないんです。」とこう云ってから私は低頭して、「では失禮いたします。明日またお目にかかります。」と挨拶して、別れを告げることにした。実は私はこれより前に、岡田の葬儀のことに就いて、彼に計ってみることに気づいていたのだが、何分にも其の時は、もう其處に坐っていると云うことは、私には能く話に聞く地獄の針の席に坐っているも同然だったから、それもこれも、委細のことは皆次回に讓って、とにかく歸ってくることにしたのだ。
それとも一つは、本來なら私は此處で言葉を改めて、岡田の兄に對して岡田の死を悼み、また彼の心を慰めてやろうかとも思ったが、しかし其の時は何か知らそう云った風な言葉は、ちょっと私の唇にのぼらなかった。恐らくこれは、ともするとそう云った言葉なるものは、態とらしく附燒刄になる虞のあるのを私は能く知っていたから、それを恐れる心持ちが、自然私の口を噤ませてきたのではなかろうか。どうやら私にはそう思われる。
で、私がそう云って兩手を突いて、低頭して、それから貰った雜誌や辭書を片手にして立ちあがると、同樣に岡田の兄もそれに酬いてから、
「いろいろと、ありがとうござんしたがいね。あんたのお蔭さんで、すっかり事わけが分ったがいね。ほんまにありがたいこっちゃったがいね。それに雨の中を、脚の惡いのにきて貰うて、ほんまにお氣の毒なこっちゃったがいね。なんの愛想ものうてお氣の毒やったがいね。」と云って、漸く立ちあがった。そして、私の後から跟いて出てきた。
「いや、分ってますから、あなたは休んでください。」
私は、三階の階段の下り口へくると、立ちどまって、岡田の兄の見送りを謝絶した。だが岡田の兄は、
「好いわいね。わしも下まで行くわいね。」と云って、立ちさろうとはしないのだ。私は仕方がないから、足元に氣をつけながら、時には一段一段拾うようにしておりてきた。──そうしておりながらも、最前此處をのぼってきた時の勢いを思いだした時には、それが遠く幾年か前の、そうだ、私がまだ脚を病まない前の出來ごとか何かのように思われもした。
「そいじゃ失禮いたします。お休みください。」
やがて私は土間へおり立つと、今度は雜誌と辭典とを懷中して、片手に狐色をした麥藁帽子を、片手に破れ蛇の目を持って、こう云って挨拶すると、
「お休み。」と云ってそれを受けて、「いろいろありがとうござんしたがいね。」と、其の後へ附けてくわえたりした。
私は其の間に、其處の突きあたりの柱にかかっている時計を偸みみてみた。すると丁度長短針が、三時のところに重なり合っていた。それを見て取ると私は、
「さよなら、お休みなさい。」とまた挨拶をして、「ああ、それから、僕が明日お尋ねするのは、日暮れになるだろうと思いますから、そのお積りでいてください。」と、危く私は云いわすれようとした訪問時間のことを思いついたので、それを此處で斷っておくことにした。
「ええ、好いともいね。わしゃ待っとるから、きてくれんかいね。」
それを私は耳にしながら、そっと其處の硝子戶を開けて外へ出てきた時には、本當に放たれた者のみに許されている安意さを痛感した。──無論其處には、岡田の兄の眼前から放たれた喜びがあったのは云うまでもないが、しかし其の時の私には、なお其の外にも一つ私を喜ばしてくれるものを持っていた。と云うのはなんだと云えば、それは、私がそれまで案じわずらっていた、其處の主人との間に、なんらいざこざもなく、首尾好く其處を拔けでてきたうれしさがあったからだ。──私は土間へおり立ってからも、どんなに宿の者の動靜が氣になったか知れなかった。それと、岡田の兄と一緒に、階段をおりてくる間にも私は一足每に、どんなに其の音響が氣遣われたか知れなかった。私には、針を刺すようにそれが私の胸へ響きわたってくる時には、丁度今にも追手の手に摑まえられでもする時のような不安さを覺えた。ところで、それもこれも無事に通過してきたのだから、私は其處の大地へ口づけしたいようなうれしさを痛感したのだ。
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