第51章

根津權現裏(第52話)

焚書刊行会

小説

4,166文字

芝公園にて凍死体で発見されるという最期をむかえた「破滅型の私小説作家」藤澤淸造の代表的長編の電子化テキスト

うことがすこわからなくなってきましたが、つまりこうなんです。──あるのこと、あのひとのところへ、ごろからりしてるものが、ひとりのかたなちこんできて、ぶんいまこまってるんだから、これをってもらえないかとってきたとするんです。ところであのひとは、かつおとこいくらかのかねしてやったことがあるので、むこうからやってきたのをさいわいに、へんきやくほうさいそくするとします。するといっぽうは、いままでにひきのばしたごうさをびたうえに、今日きようかたなっていただきたい。ぶんかっいぐさですが、しこれをいとっていただけるなら、なかからきっはいしやくしたかねかえすからとって、いろいろとってきたかたなせつめいをするとします。いてみると、なかなか、せつめいほうほうたくみなのにかんしんしたところから、ぶんあいぞうしてるかたないくりかりだしてきて、ためしにそれをかんていさせてみると、あなどりがたいかんしきってることがわかってきたので、いまさらかんぷくさせられちゃったんです。ときにあのひとは、あいがこれほどのがんしきってるんだから、きっおとこかたな使ようほうにもつうじてるのだろう。しそうだとすると、けんにんげんだ。こうにんげんかしきんさいそくをしたり、または、ってくれろとかたなことわりなどすると、ぐとぶんってかかってきて、しまいにはぶんざんさつしちまいはしないだろうか。きっそうするにちがいないとおもいこむと、たまらなくあんになってきたので、そっとじんいつけて、それとこうばんしようったえさせたんです。するとへ、おまわりがやってきて、おとここういんしようとすると、此方こちらなになにやらすこしもわけわからないもんですから、一おうこばんでもみましたが、おまわりのほうではしようしないもんですから、かたなくかれてっちまうとったふうなんです。なるほどには、それをうたがえばうたがえないこともない、いちかんけいしくはれんらくがないわけでもありませんから、それをそうふうそうぞうするのは、ろんあのひとゆうそうありませんが、しかしために、いっぜんりようにんげんを、おそろしいけんもとに、かんけんわたしてやるとてんからいますと、あのひとときおこしたそうぞうなるものは、どうしてもしようだとはうけれなくなってきます。ちようそれとおなことです。こんとくさんのことは。で、こうおそろしいみにくいことが、どうしておこってきたのかといますと、ぼくはこれは、あのひとろうにんでないこと、じんかくらしいじんかくっていないせいからだとおもいますね。いかえると、あのひとあまりおぼっちゃんだとてんからきてるんだとおもいますね。いくってもおなことですが、ぼくはそうだとおもいますね。ところで、けんたいしていたときは、あのひとくまでしゆじんでした。またしゆじんだったから、そうったふうに、ままで、そして、とくそうぞうおこしたんでしょうが、もうけんんでしまうと、ぜんあのひとしゆじんじゃなくなっちゃいます。ですからこんはんたいに、おきやくのようなこころちになって、しずかおちいていままでのことをかんがえてくると、ぶんいたらなかったこと、おもいちがいをしていたことが、はっきりしてくるだろうとおもいます。ことにそれとわかってくるとあのひとは、しんがくしやだけに、それとおもったことのすじみちがはっきりしてきて、たまらなくなってくるだろうとおもいます。そうじゃありませんか。なんのことはない、それはちよういままでどうどうみせっていたいんしよくてんしゆじんが、一ちようなにかのちがいからさんしたけっいっけんぞくものたちみなしようとしてるもどうぜんだからです。しくは、いままでけんつとめていたものが、ふとしたことからごうとうさつじんざいおかして、とうとうこうしゆだいじようたせられることになったもどうぜんだからです。そうなると流石さすがにあのひとだって、いまさらぶんおかしたつみのほどがおそろしくなってきて、ぶんじゆくさ、ぶんとくさのまえに、なみだながすことだろうとおもいます。そして、かなしいことですが、の一てんにおいて、このたびとくさんのんでったことも、けっしてじゃなかったとおもいます。」といおえると、ぐとそれをけておかあにが、
「あんたのはなしをおきすると、がくもんてもんも、あんがいつまらんもんやがいね。」とって、ふかかんたんためいきとをいっしよらしてきた。にはかれは、いままでもうしんっていた、がくもんたいするめいいっそうされたようなようなのだから、いまさらわたしは、かれどんかんげんおどろかされてきた。
「いいえ、それはちがいます。がくもんうものは、ぼくたちっては、くちにすることもないほどたいせつなものなんです。ちようそれは、わるものが、しやにかかってるようなものなんです。──ただそれをぼくたちおさめるときには、ぼくならばぼくうものを、ふかたがやしてかからなきゃなんです。でないと、せつかくおろしたがくもんたねも、はなもつけずにくさってしまうおそれがあるからです。よしまたはなをつけても、それはいたってちっぽけなはなで、いてもかなくとも、おなようなものになっちゃいます。すではながそうったふうですから、じつのことはうまでもありません。で、ぶんふかたがやすとうことは、ぶんしんが、あらゆるきっきようふくいて、ほんとうろうをしかからなきゃいけないとうことなんです。でないと、くらせんもんがくけんさんつとめても、もともとひとは、にんげんとしちゃれつとうてますから、やがてけんて、いざこれからまなんだところのものを、じっさいおうようしようとしても、それがどうもうまくりっかないからこまっちまいます。はやはなしが、いまになんらのろうらしいろうもしたことのないひとがくせいがあって、がくせいがくしゆぎようするとします。そして、だいがくえたときせいせきゆうとうなら、そつぎようじっけんきゆうおどろくほどしんねっしんだとします。そして、ひとはやがてぶんしんかいぎようすることになるとします。ところでです。ひとはそうったふうに、せんもんしきしゆわんは、まことおどろくべきものがあっても、ろうらしいろうをしていないだけに、ほんとうにおいて、かんじやつのみちわきまえていません。ですからひとは、おおくのあいぶんしんさつするかんじやかんじやは、みなことごとざいさんていかぎられていて、いっさいびんぼうにんあいにしないとうことになってきます。つまり、ろうらしいろうをしてないひとへいとして、びんぼうにんいっさいびようにはかからないものだとったふうたいることになってきます。それをぼくうんです。そして、これはまた、じようにむずかしいもんだいです。とうのは、がくもんをするひとものは、かくてきようられもすればつくることもるものですが、いっぽうろうをしたがるにんげんろうってぶんしんみがこうとにんげんはそうはいないからです。いないし、またこれはいても、そうたやすくがくしきのあるひとつくるようにつくわけにはいかないからです。ですからいまのところはみなことわざう『ろんみのろんらず』で、がくもんはあっても、ほんとうにんげんらしいにんげんがいないんです。──『ろうにんげんつくもとである。』しくは、『ろうをしないにんげんは、ほんとうにんげんではない。』ぼくはこういたいとおもうんです。」とったときには、わたしはじめて、とにかくのいよいよろうおぼえてきた。だから、もういらでえることにしようとおもった。するとへまたおかあにが、
もっともやわいね。ええ、ほいでわかったわいね。そいにちがわんわいね。」とって、にも、わたしいたことが、かいされたようにったかとおもうと、あとっかけて、「そいにしてもだらなのはとくやわいね。そんなあんた、いらんことばかりしゃべるからあかんわいね。──ひとわるいことをしたら、ぬふりをしとれやいがやがいね。ほれを、べらべらと、ほんりみたいにれてあるくから、そうだらなめにうがやがいね。なるほど、みやさんもわるいわいね。あんたのうように、ろうのないひとやさかいに。ほれといっしよに、わしゃとくほうけいわるいとおもうわいね。」とうのだ。わたしは、いよいよかえろうとおもった。うえにいては、よるけてもれても、あいのないかされなければならないとおもった。それとわたしは、くらわたしくちっぱくしていてやっても、あとからあとからと、かれきっつみぶんおとうとほうせたがるから、それがたまらなくしやくだった。──なるほどそれもりようにっては、ひとつはにくしんかんけいから、かれえてぶんおとうとおとすのかもれないが、とにかくわたしには、それがしやくだった。だからわたしはまたよるけたらば、あらためてうことにするとも、こんはもうこれでかえることにしようとおもっていると、またかれはこううのだ。──
「ほれにわしゃ、そうおもうわいね。──とくぶんのしゃべってあるいたことをかんがえてみてわるいことをしたとおもうたときにゃ、もうれてたんじゃないかとおもうわいね。だから、みやさんとこへあやまりにったり、またあんたのとこへきて、のことをはなしたときにゃもうすっかりちがっていたがやがいね。でなきゃあんた、そんなだらくさいことはんわいね。わけてもあんたのとこへきて、だいおとこが、おいおいいたり吠えたりして、ほんなつまらんことでぬなんておこすとほうがないがいね。なんちゅうだらなやっちゃろいね。わしゃはずかしゅうてはずかしゅうて、けんかおけもんがいね。」
 かれに、えがたい一だいじよくくわえられたようなふうなのだ。そして、それはさいほかにしては、そそぐことのないもののようなふうなのだ。
「いや、ぼくはそうはおもいません。なるほど、そりゃおとこぴきが、こえはなってくのはすこへんです。それから、このたびのことをそうまでんで、のうなどとうのも、すこしどうかしてますが、しかし、ぼくってるかぎりでは、それをほかにしてはべつにこれとって、かわったところがありませんでした。だい一、うことが、──とくさんがこんけんためぬなんてうのをほかにしては、すこしもだんとはかわっちゃいませんでした。」とわたしはそれをけてこうったものの、ときばかりはどうしたものか、おかあにったことが、じやけんなほどみごとわたしはいをつらぬいきた。わたしは一、いきなりぶんあたまたたきわられたようになってきた。そして、わたしようやくそれからはなたれて、ぶんしきりかえしてくるとどうに、ちようかたときばなすことのないちようほうなものを、かできわすれてきたのをおもいだしたときのようなちがしてきた。

2020年11月4日公開 (初出 日本図書出版 大正11年発行 単行本

作品集『根津權現裏』第52話 (全60話)

© 2020 焚書刊行会

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