岡田の兄は、それまでは、
「ああ、そうかいね。」と云ったり、または私が、彼に同意を求めるようにする時には、「御尤も。」と云ったりして、如何にも神妙に聞きいっていたが、此處へきて私が言葉を途切らすと、
「そう云う譯かいね。ほんまにだらなやっちゃわいね。これもみんな、自分でそんなことを、しゃべって歩くから惡いのやわいね。」と、ひときわ聲を落して咏歎した。其處には弟の仕打ちに對して、幾くら悔んでも悔みつくせず、幾くら恨んでも恨みつくせない悲しみが、目も廻るように烈しく渦卷立っているのが、私にもはっきり讀むことが出來た。だがしかし、此處に云った彼の非難に就いては、私は前にも一度私の考えを述べた通り、私はそれを爾く卑しみ憎む氣にはなれなかったので、此處には別に何とも云わずにいた。ただ其の間にも、私にはそう云った風なくだらない問題の爲に、空しく一命を賭してしまった岡田のことが、如何にも哀れに感じられてならなかった。
其處へ岡田の兄がまた、
「それに宮部さんも宮部さんやがいね。そうやないかいね。何もそんなに、自分から氣を廻して、德を苛めないでも好かろうがいね。あの人もえらい學者やと云うがいね……」と云って深い溜息とともに、胸に溢れる不平を洩らしてきた。それを耳にすると、結ぼれていた私の胸も開いてきた。また、口も輕く開いてきた。
「私もそう思います。がしかし、あの人は根がおぼっちゃんで、少しも苦勞らしい苦勞もせずに、云わば心太を突きだすように大學を押しだされてきたんでしょうから、今度のような事件にぶつかると、いきなり腰をぬかしてしまうのは、寧ろ當然かも知れませんね。一體に世間の人達は、學士だとか博士だとか云う肩書きさえあれば、さもえらそうな人間のように思っていますが、何時までもそう云った風な一種の迷信を抱いているから、水の中から火の玉が飛びだすようなことになるんです……」と云ってきて、私がちょっと息をついでいると、
「御尤もですわいね。」と云って、其處へ岡田の兄が割りこんできた。ところで、此處の「御尤もですわいね。」と云うのは、決して彼が、私の說を肯定したところから云ったのでないことは、私にもはっきり分っていた。──彼は、私の說の妥當如何などは、到底理解出來得べくもないことだ。だから彼は、それに賛否を表する爲にこう云ったのではなくて、ただ形式上、云わば話の合いの手として、一種のおざなりにそれを云ったに過ぎないのだ。がしかし、それを受ける私の身になると、──それは飽くまで一種のおざなりに過ぎなかろうとも、それがどんなにうれしかったか知れなかった。
私は今度の事件に對する宮部の態度に就いては、衷心大に慊らないものがあったから、私ははなから、私と岡田との交渉顚末を語った後には、口を新にして、彼の不德さ、彼の鈍感さを數えて、思いきり彼を罵倒してやる考えだった。丁度其處へ、岡田の兄が話の口火を點じてくれたから、渡りに舟でもって、いよいよ火蓋を切ってはなったのだ。すると今度はとにもかくにも、其の聞き手たる岡田の兄から私は、表面だけでも私の説に同意する言葉を得たから、それに依ってなお一段と勇氣の加わるのを覺えた。で、私は直ぐと後追っかけて、
「そうじゃありませんか。人間が大學で二年三年學んで、それで一個優秀な人間になれるなら、もう此の世に苦勞の必要がなくなりますからね。それもです。其の學校が本當に、根本から人間を拵えるのを目的として、それぞれの學課を授けているならまだしもですが、あの人の卒えてきた大學と云うところは、一切そう云うことを拔きにして、ただ各自學生の志望する一科目だけを專門に敎えるところですから溜りません。──恐らくは大學では、そう云った學課は、小學から中學、中學から高等學校を經てくる中に授けてある筈だ。それに、學生は皆それぞれの家庭において、それぞれの父母から、そう云った倫理敎育は受けてる筈だと云う考えから、敢えて敎授しようとはしないのでしょうが、事實は無遠慮にこれを裏切ってるから、憫れになりまさあね。其の実證は即ち宮部さんです。あの人をみれば、一等能く此の間の消息が分ります……」と云ってくると、岡田の兄は、また其處へ首を突っこんで、
「そりゃそうやがいね。」と云うのだ。私は此處へくると、もうそう云う岡田の兄の賛否如何などは問題ではなかった。ただ私は、忌憚なく私の信ずるところを語るのに急だった。だから、それに押っかぶせるようにして、
「若しも大學と云うところが、本當の意味において、人間を拵えるところなら、つまり本當に人間に人格を授けるところなら、第一宮部さんは、幾くら必要があり、幾くら困ったからと云っても、他から委托されてる金員を私するような、そんな不德なことはしない筈ですからね。ところで、それは背に腹は變えられないと云ったような理由があって、萬萬不德なことだとは知りながらも、止むに止まれず目を瞑って、一時それを融通したのだと云うなら、これは其の情狀を酌量して、今暫く不問に附しときましょう。ですが、許しがたいのは、其の事實を知り、そして、誤ってそれを他に口外した者が、後に自分の不德さを自覺すると、もうあの人の下に駈けつけて行って、只管に謝罪してるのに、それに耳も貸さなかったことです。實に言語道斷じゃありませんか……」と云うと、私は一時に亢奮して、胸も押しつぶされるようになってきた。だから、此處の終りの方の言葉も、──「實に言語道斷」以下が、風に打たれている蜻蛉の羽根のようになってきた。其の時私は、これではいけないと思った。其處で氣を締めて、「考えて御覽なさい。自分が現に、德さん同樣に、いやそれ以上の責苦を負うてるんじゃありませんか。それをあの人は容れようとはしないんですからね。と云うのも、あの人が本當に出來ていないからです。あの人が、本當に苦勞らしい苦勞をしていないからです。それも其の筈です。──苦學力行した者を卑しみ憎んで、獨り自から高しとのみ思ってるんですから、無理もないと云えばそうも云えますが、同時に宮部と云う人は、此の世における最も卑しい、最も醜い人間だと云うことを遺憾なく曝露したことにもなります。私は何もあの人に、過分な要求をしようたあ思いません。ただ德さんがあやまりに行った時に、ただ一言、『許す』とさえ云ってくれれば、それで好かったんです。そうさえ云ってくれれば、恐らくは德さんだって、死ななかっただろうと思います。それをあの人は拒絕して容れなかったばかりか、終いには、德さんが話のついでにした新聞のことや、植松さんのことまで邪推し曲解して、德さんを罵詈讒謗しておかないんですから、情けなくなるじゃありませんか。私に云わせると、德さんを腦病院へ監禁して、そして、これを腦病院の便所で殺した者は誰でもありません。それは實にあの人です。あの人が、自から手をくだして、殺したも同然です……」と云ってくると、私はまた火を飮んだ時のようになってきた。──口中は砂を含んだように乾いてきた。そして、瞼も熱くなって、今にも淚が落ちそうになってきた。それを私は凝と堪えていた。無論其の間は口も利けなかった。が其の中にも、落ちてきそうになる淚を、落してはならないと思うので、それを飮んでいるのに、どんなに氣を遣ったか知れない。終いには仕方なくなってきて、それとなく出もせぬ鼻を啜ったりした。そして、一つはそれを紛かす上から、また直ぐと後を續けねばならなかった。
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