第48章

根津權現裏(第49話)

焚書刊行会

小説

2,399文字

芝公園にて凍死体で発見されるという最期をむかえた「破滅型の私小説作家」藤澤淸造の代表的長編の電子化テキスト

 おかわたしのところへなくなってからのことを、にもはなすことになると、いきおわたしは、わたししようふうかんとのかんけいを、つまり、わたししようふうかんに二ひやくえんちか宿しゆくりようとどこおりがあることをはなさなければならない。しこれをしようりやくするとなるとわたしには、それからさきのことにいては、ほとんどひとことせつめいなくなる。えば、それからさきわたしが、ただのひとおかわなかったばかりか、あとかれがどうしていたか、いっさいしようそくさえもらなかったとうものは、とどこおっている宿しゆくりようがあったからだ。をどうはなしけたらいかとおもってわたしまよった。
 なるほどこれは、うごかしがたいじつなのだから、のままはなしてしまえとえば、それはずいぶんはなしてもい。がただこまるのは、いったんこれをぶんくちからもらしたがさいいまがたおかあにが、おか宿しゆくりようはんげんさせたいとったのにたいして、「ぼくならばそうはしない。とうのは、それはぜんはらうのがとうぜんだから。」とうようなのことをったそれをこんこそぎ、れとで、まっしようするもどうようなことになってくるからだ。まったわたしこまってしまった。
 がしかし、おちいてかんがえてみると、わたししようふうかんたいして、そうったをしたとうのも、みなことおこりは、むにまれぬじようために、そうったかんけいのこしたので、なにわたしきこのんでくわだてたことではない。ましてわたしせいしん(※したごころ)あり、あくあってしとげたことではろんない。しようには、いまに、またげんざいにも、どんなにためこころなやましていたか、またいるかれない。わたしに、いくばくかのかねしよしているなら、とはわずいまいまでも、ぐとはらってやってもいのだ。だからいまがたおかあにはんたいしてったことは、なにもそれが、わたしがいものうべきせきにんだからとかんがえでももってったものではない。しんじつを、すくなくともには、なんらあくらしいあくふくんでいないことを、ことさらげかくしてひつようがない。しそれがずべきことであるなら、わたしまでもじてみせよう。しそうしなければならないものなら、はくじつわたしだいどうって、えてぶんから、あかしをしてもい。こうわたしおもったので、わたししずかかたりだした。ろんときは、くらこころでそれをしずめようとおもっても、わたしちいさいむねは、たいふうけたいけみずのように、はげしくなみっていた。
ぼくはどうしたのかとおもって、それからまいにちあんじていました。だがぼくは、こりゃきっとくさんはまいにちごとくちつけてあるくんだろうとおもってたんです。それでぼくのところへくるひまがないんだろう。それにいまになると、あいだじゆうのことが、すこきまわるくもあるするところから、やってこないんだろうとおもってたんです。がしかし、かんがえてみると、いまはなしたように、まえにも一、まるで一にちかおをみせなかったことがありましたから、これはまたひよっとしたら、ちようときのように、ひるごとをみつけてあるくとしても、またよるきっみやさんのところへけていっちゃ、あやまってるんじゃないかもれないとおもわれてくるんです。そして、みやさんからおどかされると、またれいって、『ぼくぬんだ。ぼくぬんだ。』とったふうかんがえにちてきて、それからはまいにち宿しゆくの三がいで、つまり、で、いてるのじゃないかともおもわれてるんです。で、ぼくはそうおもうと、になってきてたまらないもんですから、ぐにけつけてこようとおもったんです……」とってくると、流石さすがわたしくちはひとりでにつかえてきた。がしかし、しよせんそうしてはれないあいだったから、わたしはじをしのんで、おもいきってあとをつづけた。──
「がわたしには、ちょっとんちへはたくともれないがあるんです。──はじわなきゃとおらないとかいますから、それもこれもみんなおはなしますが、じつぼくは、んちにぜんいたとき宿しゆくりようが、ひやくえんちかのこってるんです。ですから、それのかたをつけるまでは、ちょっとしきいまたげないってったようなかんけいがあるんです。これはとくさんもってることなんです。ああ、そうそう。さっきのがみですね。あのがみがそれなんです。そうったわけですから、ぼくぐにもけつけたいとおもったんですが、それがいまったようなわけず、なきゃけいになるってったくつなんです。で、でしたっけ、ぼくだかへったときに、でんりて、んちへけて、とくさんのよういてみたことがありました。ときわたし調ちようは、ひとばいはやくちなもんですから、それをかくめに、わざかんったどんみたいなふうにして、たらせいって、それとなくいてみたんです。ときたのは、さっきぼくあんないしてくれたあのじよちゆうでした。ところで、あのじよちゆううところにると、とくさんは二三にちあとにおけになったきり、まだ、おかえりになりませんとうんです。それにはよわっちゃいました。すっかり、たのみのつなれたようなもんですからね。──いったいってるんだろう。二三にちまえたっきりとえば、にどうしてるんだろうとおもったけれど、さて、にいるのかいっこうけんとうがつきません。それからぼくしかしたら、ぼくたちともだちのところでもまわってやしないかとおもったもんですから、それからそれと、こころあたりのともだちのところをいてみましたけれど、みんならない。ぼくのところへはやってこないよとうんですから、ぼくはなおとになってきたんです。がいまになってみると、もうときとくさんは、みやさんのうちってたんです。そして、いまあなたがおはなしになってようなふうになってたんです。」とってくると、わたしまるものでもいこんで、むねくような、きゆうさかでものぼってきたようになっているのだ。──ろんなかからけてむねめんきりでもかれたようにあせばんでいた。それにねつびようでもんでいるときのように、やけにくちなかかわいてきた。

2020年11月1日公開 (初出 日本図書出版 大正11年発行 単行本

作品集『根津權現裏』第49話 (全60話)

© 2020 焚書刊行会

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