第47章

根津權現裏(第48話)

焚書刊行会

小説

7,118文字

芝公園にて凍死体で発見されるという最期をむかえた「破滅型の私小説作家」藤澤淸造の代表的長編の電子化テキスト

 それからだ。こんおかわずがたりに、ぜんみやのところへってきたてんまつかたしたのは。──
ぼく昨日きのうあさきるともなく、ちようけてみたんだ。そして、うえまつって、いろいろわけはなして、ぼくいそいでるんだから、一にちはやく、はなしのつくようにしんぱいしてもらいたいとって、こんこんたのんできたんだ。──たのみっぱなしにしていちゃっちゃ、になったららちがあくかわからないから、むこうではさぞ、うるさいやつだとおもっただろうが、とにかくぼくはまたたのみにってきたんだ。それからしばらくワイフとばなしをしていて、ひるめしそうになって、一ころだった、たのは。それからぼくは、ふとになって、とうようしんぽうしやってみたんだ。そして、ぐちって、きみしやきがないだろうか。じつぼくは、いままでのほうごとは、すこじようがあってしちゃったんだから、きがあったらぼく使つかってもらってくんないかとってたのんできたんだ。ぐちは、ひとしやものいてみよう。ほんのけいしきだけでいから、れきしよいてきたまえとうから、きゆうたのんで、きんじよからけいってきてもらって、それへいていてきたんだ。ぐちは、何方どっちみちへんぐにするからとっていたが、ぼくて、あるいてくると、またになったので、からでんしやびのって、みやのところへってみたんだ。──みちみちぼくは、きみいたらさぞおこることだろうとはおもったが、しかしぼくいったんそうとおもいたつと、もうってみなきゃじっとしちゃられなくなってくるんだ。こうなんだか、まるできものでもしたようなふうになってくるんだ。くらちゆうで、そうそうとおもったってなんだ。もうそうなると、ひとりでにっぱられてくようなふうになってくるんだから……」とうのだ。
 なにしろおかうところをいてはんだんしてみると、かれにはただかんじようあるのみで、じんせいらしいせいさえもっていないのだからまつわるいのだ。つまりかれは、こうしたいとちだけがあって、それはじっこうしていことかわるいことか、それをかんがえるこころはたらきがないのだからこまるのだ。で、わたしはもうくちくまいとおもっていたのだが、しかしそれをみみにすると、それからさきどうなったのか、それがになってきたから、
ぼくは、いたくちふさがらない。きみはまた、どうしたら、そんなしいになるんだい。」とっていてみたのだ。するとかれは、
「だってぼくは、ひとことかれからゆるすとうのをくまでは、どうもきてるになれないんだ。だから、ぼくはまたあやまりったんだ。──むこうではゆるしてはくれまいともおもったが、しかしぼくは、もう一おもったので、それでけていったんだ。」とうのだ。
「で、どうだったい。ゆるしてくれたかい。」とくと、
「いやゆるしてくれないんだ。くらことをつくしてあやまっても、いっこういてくれないんだ。」とうのだ。わたしそうぞうするように、またかれそうぞうしていたとうように、けっあいかわらずしっぱいおわったのだ。わたしとき、またいままでにもいたとうように、もうしやざいしにいわれのない所以ゆえんいてやろうかとおもったが、しかしあいは、それよりもあいなにかれはんざいじつを、おかしんぶんとうしよでもくわだてでもいるもののように、かいしているらしいとったおかことほうけいになったから、わたしはそれをかれいてみたのだ。
「いやね、ぼくがそうってくらあやまっても、彼奴きゃついっこういてくれないから、ぼくはなしのついでに、今日きようしんぶんているともだちのところへって、くちたのんできたんですとったんだ。そうだ。そして、ぼくときはなしをしながら、ふとこっていたげん稿こうようりだして、はなんだんだ。で、あとになってかんがえてみると、げん稿こうようが、けい彼奴きゃつにそうおもわせたんじゃないかとおもうんだが、そうしてると彼奴きゃつは、もうのようになっちゃったんだ。──ぼくなにもそううことはちよくせつ、あやまりにったこととはかんけいはないんだから、しゃべらなくなったってかったんだが、しかしぼくときまた、ちようまえうえまつのところへってきたことをはなしたときおなようなこころちから、それをちょっとしゃべったんだ。すると彼奴きゃついかりようったらないんだ。──『あいだぼくきみにそうったじゃないか。これっきりわないからって、ぼくはもうきみようがないんだから、かえってくれたまえ。──きみがそうったふうに、ゆうじんしんぶんしやればなによりじゃないか。ゆうじんはなして、きたきゃきなようにかせればいじゃないか。もうそれでたくさんじゃないか。なんだぜ、ぼくはこうえても、きみからしんぶんべんかせ使つかっておどかされたって、ぐとべそくほどまだもうろくはしていないんだから、きみおとこならくまでおとこらしくやるんだなあ。ぼくいったんきみっててきはつされたけんを、またきみって、それをまっさつしてもらうなんて、そんなけちなことをかんがえてるにんげんじゃないんだから、こうなったらきみも、ひとごころなんぞをいてみたりしてないで、せいせいどうどうこれをおおやけもんだいにしたらいじゃないか。ときぼくも、いさぎよほうていって、おおやけさばきをけようじゃないか。』とって、いかりようとったらないんだ。それから、こうもうんだ。──『きみかつせんぱいからりてきていたぶっぴんを、よんどころないひつようられたさいに、一それをゆうづうしたことはないか。たとえばそれをしちれたりして、きんさくしたことはないか。ぼくはないとはわさないつもりだ。とうのはだったっけ、きみはこれはゆうじんからりてるんだとっていた「ちよぎゆうぜんしゆう」を、しちれてくるんだとってたじゃないか。そうだ、なんでもそれはきみおりがないおりがないとっていたぶんだったから、たしかはるだったとおもう。きみすでにそうったことをしときながら、一めんにはきみは、ほとんどそれにるいしたことをぼくがすると、それをあばきたって、くまでつみらそうとするんだから、ぼくらしてもらいたいとおもうんだ。』とうと、一どきにどっとためなみだったふうに、またおいおいときだすのだ。ときわたしは、
「で、きみはまた、それでのうとうのかい。」と、なかほんに、なかにくにこううと、
「そうだ。ぼくぬんだ。んでいわけをするんだ。それよりほかに、みちがないじゃないか。」とって、かれはなおもきつづけるのだ。わたしはまたしばらく、だまってそれをていたが、もううえわたしちからではどうすることもないとおもったから、こんなかやけになって、
きみくらいわからずやもないじゃないか。なんのことはないきみは、まるでさびがたなでもって、にもあまるようなおおきないしりようだんしようとするんだ。そして、それがおもいどおりにかないと、おれぬんだ、おれぬんだとうのもどうぜんなんだから。そばているものたまらなくなるじゃないか。ぼくわすれば、みんなこれはきみだから、そんなれつかんがえもおこるんだ。つまりきみは、きこのんで、ぶんぶんいのちぼうろうとしてるんだ。」とってれいしようしてやった。またわたしは、
「もうぼくは、きみものにも、ほとほとあいがつきちゃった。もううえは、くちくのもいやになっちゃった。だからきみは、きみおもいどおりにふるうのだなあ。そうすればきみむだろうから。」ともって、いやならべてやった。しかし、わたしがそうっても、おかあいかわらずいていて、なんともわなかったから、さらわたしは、まえことつよめて、わばきみいのちきみのものなんだから、きみほうだいふるうんだなあ。ぼくはそうおもうよ。にたけりゃねばし。いやになったらきながらえてるんだなあ。」とって、んではほきだしてやった。すると、流石さすがおかたまらなくなったのだろう。きじゃくりながらだが、
きみはくじようだ。ほんとうきみれいこくだ。──そうたやすくねるくらいなら、ぼくきみのところへこんなはなしなんぞってくるものか。きみひとのことだとおもうから、そんなざんにんなこともえるんだ。」とったかとおもうと、あとはまたごえかわってしまった。ところで、いぐさがまたわたしあおってきた。だからわたしは、まるでさきんできたちようでもたたきおとすようにして、
「そんなわからないやつがあるもんか。──だって、きみいまがた、『ぼくぬんだ。ぼくぬんだ。』とったじゃないか。そして、これはかならずしも今日きようばかりじゃないんだ。あいだじゆうから、きみはくるたんびにも、くちぐせのようにそうってるじゃないか。ぼくはなからきみせつにははんたいなんだ。だからぼくぬのはせ。そして、なにとくべつ此方こちらからあしはこんでまで、あやまりにひつようはないことなんだから、そんなことにむやつもないもんだとってるじゃないか。するときみは、ぼくまえでは、じゃそうしようとってきながら、ぼくのところからかえると、ちようきみぼくのところへやってくると、いまったとおり『ぼくぬんだ。ぼくぬんだ。』とうのがくちぐせのように、でもきみは、あんなにかたぼくせとってるみやのところへけてくじゃないか。──みやのところへきみはあやまりにけてくじゃないか。そして、けっは、これまたでもはんしたように、きまってきよぜつされたうえに、さんざんはずかしめられて、いかえされてくるんじゃないか。そして、きみからえば、それがとうぜんぜんけつなんだから、えてそううのだろうが、いかえされてくると、またまたきみは、『ぼくぬんだ。ぼくぬんだ。』とうにきまってるんだ。きみとらえて、きみもんきりがたるからとって、ぼくまでがそれをして、きみどうように、ぬのはせ、ぬのはせとったってはじまらないじゃないか。とうのは、そううときみは、ぼくまえにいるあいだだけ、どうかんこうするようにっといて、ぼくのところをはなれるがさい、もううらっくりかえしてしまって、みやのところへおけあそばすんだからなあ。ぼくわせると、こんのことは、きみしやはんぶんにやってるんだろう。でなきゃきみは、いたずらにやってるに相違ちがいない。これがしようなら、こんなくだらないことは、たのまれたってやれることかい。もういいげんにしろい。」とって、わたしちようしてやった。がおかいてばかりいて、それにはべつになんともわなかった。ただわずかにくちにすることとったら、それは、
きみはくじようだ。きみひとのことだとおもって、そんなかっなことばかりってるんだ。」とくらいのものだった。──までっても、かれもんきりがたないのだ。わたしは、一ころすとまた一しゆうらいしてくるちようでもるように、それがしやくさわってくるのだ。かんだかわたしは、なおもそれをっかけて、ちのめさなければおさまってれなかった。
「もうくのはせやい。もっとはっきりして、はなしおうとうなら、はなしおうじゃないか。きみぼくを、かなりぶんかっにんげんで、にんのことにたいしては、じんどうじようたなきゃ、したがって、にはなんらのかいもないようにうが、しかしこうえてもぼくだって、ぼくしんうぬれてるほどえらいにんげんじゃないかもれないが、どうきみうほど、そんなれつにんげんでもないつもりだ。こんきみのことにいてだって、ぼくは、ぼくとしちゃるだけげんせいにものぞみ、きみためにも、ぼくとしちゃるだけのことをはかってやったつもりなんだ。ただきみはそれを、──ぼくうことを、ぼくまえにいるあいだだけ、ぜんこうていしてきながら、いっぼくまえからはなれると、またぜんぜんぼくけんうらって、せいはんたいこうどうるから、しまいにはぼくだって、ぜんきみたいしてはんかんってくるようになるんだ。──ぼくこんのことにたいしては、きみがそんなにやっになって、さわぎまわるにあたらないことは、はなからちゃんとってることなんだ。ひつようのないことはうまでもない。ところできみは、なかぼくせつれ、なかせつってうごかないけっとして、いくいくも、みやのところへったりなんかするから、一うえまつかんていさせたのだろうとかいされたり、また昨日きのう昨日きのうしんぶんりて、これをしやかいはっぴようしようとくわだててるのなどとじやすいってくるようなことになるんだ。そして、それもこれも、みんなきみが、ぼくがあれほどっちゃいけない、ひつようのないところだからとってるのもかずに、まるでこいびとにでもうようにしちゃけていくからいけないんだ。だが、もうぎちゃったことはかたがないが、もうこれからは二ふたたび、みやのところへくことだけはすんだなあ。るならみやのことは、だんぜんわすれてしまうんだなあ。それがなによりさいぜんほうほうだ。それをうちきみが、なおうえともにかさねて、みやのところへにっさんするようなら、今日きようかぎぼくは、だんぜんもんだいにはかんけいしないから、きみきみゆうこうどうるんだなあ。そうするよりほかかたがないじゃないか。」とうと、かれはそれからもしばらいていたが、やがて。
ぼくだってなにも、にたくてのうとうんじゃないんだ。──あいがあんまりわからなさぎるからだ。」とこううのだ。──うことがあいかわらずてっていなのだ。
「そうさ。だがあいわからないのは、なにいまにはじまったことじゃないじゃないか。わからずやにむかって、きみかいもとめるから、せずしてけっは、いたずらにきみ忿ふんまんもたらしてくることになるんじゃないか。だから、そんなかずのもんたたくことは、もうすんだなあ、そんなことをして、こぶしやぶるだけがじゃないか。ぼくたちはおたがいに、もっとはっきりぶんつかまなきゃうそだ。ひとうらみ、ひとのろまえに、もっともっと、ぶんぶんかためなきゃうそだ。」
 わたしかれことけてこうったのだ。あいだかれきやんできた。──きやんでしばらしやくりあげていた。それからかれは、
「そうだ。ぼくたちげんざいおよびらいは、ただそれあるのみだ。それをほかにして、ぼくたちしようがいかんがえることはない。まったきみとおり、にんげんのするごとなかで、もっとあるごとうのは、ろうすることだ。それに相違ちがいない。たとえば、もっとたのしかるべきこいにさえいくつうともってるんだ。ぼくいまになってはじめてったんだが、つうともなうあってこいはじめてたのしいんだ。てんからえば、ぼくこんけんして、かなりのつうめられたことも、けっしてぼくためにはなことじゃなかった。ぼくはこうして、おおきくっていくんだ。っていかなきゃならないんだ。」とって、これもまたれいってれいごとく、けんこうたるしめしてきた。がしかし、なんらぞくせいのない、わばくうちゆうろうかくのようなかれことには、わたしようしんわけにはいかなかった。おそらくはこれも、またれいってれいごとく、こんしゆうともつかず、せきばくともつかない、いっしゅあるあんかんじにおそわれた。なおそれでいてなのは、それがしかしんらいするにりないものだとおもいながらも、かれくちからはっせられるのをくと、いきどおりのためかわききっているわたしこころうるおされてくるのだ。
「そうさ。きみにさえなってくれれば、ぼくもうれしいんだ。そして、ぼくたちは、これからさきにも、まだまだどんなしんらつためしにわなきゃならないかもれないが、しかし、どんなつうまえにもぼくたちは、ぶんぶんころすなんてことだけはさなきゃいけない。それがいっとうきようたいだから。ぼくたちは、それがびようためか、またはなんにんかのにかかってころされるがいには、けっしてんじゃいけない。そして、ぼくたちさいいきゆるまでは、ろうろうたたかうだけのかくがなくちゃいけない。ぼくはそうおもうよ。くるしみをみかさねてったでなきゃ、ほんとうたのしいよろこびのはなかないものだ。ぼくいっしようつちたがやしておわるかくだ。」
まったかくがなくちゃいけない。ぼくもこれからはそうするつもりだ。だれこんのようなくだらないもんだいためぬもんか。そんなことは、かんがえただけでもなさけなくなる。ぼくたちは、ぶんせいちようはかるとともに、一めんにはまた、けんひとたちために、すこしでもいからこうふくになるようにこころけてつとめなきゃならない。ひとつのしゆだんとして、くまでせいあくとくなことをあらためなきゃいけない。てんからえば、ぼくかんけいしたこんのことなども、それはかぞえるにりないほどちっぽけなものにそうないが、しかし、それにしても、ぼくひとつのぜんをしたことになるんだとおもう。」
「そうだよ。それにちがいない。きみはたしかにいっぜんをしたんだ。だから、ぜんこうていするようなことはすんだなあ。もうこれからは、ころされたってみやのところへくことだけはすんだなあ。うるさくうようだが、るものならみやのことなどは、だんぜんわすれてしまうんだなあ。そして、一にちはやあたらしいかどくんだなあ。──ぼくし、きみこんみやのところへくのは、にんびいかそうとするもどうぜんで、ぼくあまりにだとおもう。」
だいじようだよ。もうぼくだって、んじゃったってきやしないから。それよかぼくはやくちをみつけて、いっしんほうごとをしなきゃならない。そして、たとえ一にちかんが三十ぷんでもいから、ぶんかんうものをべんきようするよ。そして、すこしでもはやぶんかためなきゃならない。べてはそれからのことだ。」
 わたしたちさいに、こうったかいをしあった。そして、ちょっとしようまわってからだった、おかかえっていったのは。それからずっときつづいてかれは、わたしのところへかおをださないのだ。がへきてわたしはまたこまってしまった。ちよういきせきながらまっしぐらけてきたものが、ふとえがたい一だいしようへきつかったときのようになってきた。とうのはほかでもない。これからさきわたしかれたいしてったたいいて、なんってかれあにはなしたらいか、それがわからなくなってきたからだ。それにはわたしよわってしまった。

2020年10月31日公開 (初出 日本図書出版 大正11年発行 単行本

作品集『根津權現裏』第48話 (全60話)

© 2020 焚書刊行会

読み終えたらレビューしてください

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


この作品にはまだレビューがありません。ぜひレビューを残してください。

破滅チャートとは

この機能は廃止予定です。

タグ

この投稿にはまだ誰もタグをつけていません。ぜひ最初のタグをつけてください!

タグをつける

タグ付け機能は会員限定です。ログインまたは新規登録をしてください。

作者がつけたタグ

私小説 純文学

"第47章"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る