それから私達は、墓地を出て、初音町の交番のところまで、元きた路を取ってかえすと、其處から左へ折れ、眞島町からあかじ坂をおろして、根津の大通りへ出てきた。そして、其處から八重垣町へ入って、根津權現の境内を拔けて、其處の裏門のところで別れたのだ。
路路私達は、また話を元へかえして、貧しい互の身の上を嗟歎しあった。また話が、私達の性慾問題に飛んで、其處には、私の爲にさきの名が、岡田の爲にはふさの名が數えられもした。岡田は其の時、──ふさの名が數えられると、彼は擦りちがう女と云う女に對して、甚く心置かれるもののように、目をひからしていた。殊にそれが、横丁のあるところへくると、一段と烈しさを加えるもののようだった。そして、根津權現の正門の傍へきた頃だった。岡田は今後の生活に就いて、私に相談を持ちかけてきた。
「こんなことを云ってはなんだが……、本當は、僕の口からこんなことは君には云えた義理じゃないんだが……」と彼は前置きをして、「僕はこれから暫く、自炊したいと思うのだ。で、君も、君が云う通り、下宿に間借りをしているのが不便なら、僕と一緒に自炊をしないか。尤も、僕は當分收入も一定しないから、そうなったら君に迷惑をかけ勝ちになるだろうとは思うが、此處暫くのところを君も我慢して、僕を助けてくんないか。」と云うのだ。──
「僕は今までに、幾くら君が困っているのを見ていても、何一つして、君の手助けをしようともしなかったが。そして、今度は僕が、君の力を借りようと云うんだから、本當に濟まないが、──こんなことは本當なら、僕の口から云われた義理じゃないんだが、當分のところ一つ面倒みてくんないか。賴むよ。君……」とも云うのだった。
全く私は其の時、なんだかこう岡田から嘗められているような氣持ちのしないこともなかった。それと、私がそれを喜ばなかったも一つの理由は、飽くまで自分の貧しいことと、飽くまで自分の無能なことだった。事實私は、私一個の生活さえも保證しかねていた矢先だったから、無職無收入な彼と、少くとも、其の時はそう云った彼とともに、共同生活を始めると云うことは、私には迚も出來ない相談だった。だから本來なら私は、一議に及ばずそう云う相談は拒絕するのだった。がしかし、私が出來ない相談だと云うことを熟知しながらも、其の時の彼が窮狀を思うと、そう素氣なくそれを一蹴しさる氣持ちにはなれなかった。それに、彼がそう云った相談を持ちかけてきたと云ったからとて、何もそれが、今日や明日から始まるとか、始めなければならないとか云うのではなかったから、私は委細のことは後で語ることにしても、遅くはないと思ったので、其の場では、
「好いとも、そうしようじゃないか。」と云って、快諾してしまった。
「濟まないが、そうしようじゃないか。賴むよ。」
岡田は、幾分安心したような調子で、こう云うのだ。
私はどうで、いざと云う土壇場へくれば、拒絕してしまう積りだったから、それ以上深く其の話に觸れることは躊躇させられた。──私は默っていた。
やがて裏門を出ると、
「じゃ、失敬するよ。」と岡田が云うのだ。
「どうだい。僕のところへ寄らないか。」
私はまた此處で、心にもないことを云ってしまった。だが岡田は、
「ありがとう。いや、僕は失敬するよ。」と云うのだ。──「僕は一旦宿へ歸って、それから、仕事を見つけに出掛けなきゃならないから。」と云うのだ。其處で私もそれに同意して、
「今後は決して、どんなことがあっても、宮部のところへ行くことだけは止すんだなあ。若し寂しくなったら、何時なん時でも構わないから、僕のところへやってきたまえ。そうじゃないか。僕に云わせると君は今、何よりも先に、新たに仕事を見つけなきゃならない人間だ。だから君は、此の際宮部や白井達のところへ行ってる隙なんぞない筈だ。それを忘れちゃけないぜ。」と、堅くまたそれを繰りかえして、私は別れてきたのだ。
此處でちょっと斷っておかなければならないのは、私達が私の宿を出て、谷中の墓地を一週して、根津權現裏で別れたことは、特に岡田の兄に語る必要のないことだけに、私は態と秘めて語らなかったことだ。其の癖私は、此の日のことを、──岡田が三回目に私のところへやってきた時のことを語っていた時には、一切のことを語らなかっただけに餘計と、それが强く私の頭へのぼってきて、どんなに私を苦しめたか知れなかった。──私は其の時取った私の態度、──別れ際に取った私の態度を思いみた時には、恐ろしくなってきた。
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