第31章

根津權現裏(第32話)

焚書刊行会

小説

3,040文字

芝公園にて凍死体で発見されるという最期をむかえた「破滅型の私小説作家」藤澤淸造の代表的長編の電子化テキスト

「それからどうしたんです。」
「ほいから、使づかいさんがびっくりして、みなのとこへらせにったがやそうやがいね。みんなもびっくりして、やってきてると、そうわけなもんやから、いそいでとくをおろして、わかだいしようあらためてみたんだそうやがいね。──わかだいしよういんちようさんも、たてものちがうけれど、おなびよういんなかまっているがやがいね。とくがいなくなると、びよういんほうからったもんやさかいに、ふたともきてきたがやそうやがいね。わかだいしようがおろしてあらためてみると、まだからだぬくがあるのやそうやがいね。そいになのは、とくがどうにもなっとらんのやそうやがいね。──くびってぬのは、みんなふえつぶれてぬのやそうやがとくのはどうにもなっとらんのやそうやがいね。わかだいしよううにゃ、とくくびをくくったまどからしたほうまでのあいだが、三じやくか四じやくらいしかないもんやから、とくまっぐにしたへさがられんもんやさかいに、おびくびへあてると、よこほうよこだおれになったらしいのやがいね。そやさかいに、みぎほうへだけ、──とくみぎほうたおれていたそうやが、おびほうへだけあたっていて、ちっともふえはどうにもなっとらんがやそうやがいね。ほれに、とくがいなくなってから、そうしてつけるまでに、せいぜいはんかんってるかたないくらいだったから、これならだいじようだろうからとって、ぐにじんこうきゆうとかうのをやってみたんだそうやが、それをくらやっても、だちゃかん(※いしかわけんほうげん。どうにもならん。)がやそうやがいね。とうどうそれっきりになってしもうたがやそうやがいね。ほんまにだらなやっちゃわいね。」
 わたしときおそろしいものまえにでもたように、じっうなれていたから、おかあにがどんなひようじようをしていたかわからなかった。しかしわたしには、あのみずれたすいしやすいしやきしるようなとおうか。しくは、あまおもいながら、かいぬししつべんたつされて、むねくようなさかのぼってあしなみるような調ちようなかに、かれえがたいあいと、こうかいと、つうとにめさいなまれているこころちを、はっきりむことがた。ときわたしはまた、ぜんしんせつこうでもちかけられたようにおもった。それはほかでもない。おかなるもののさについてだ。
 うものは、おかあにうようなほうほうにおいておこなわれるものかどうか。それはわたしにはわからない。はたしてそれは、いんこうなんこつぜんしくはこうじようなんこつだけをかいはいしなければいけないものなのか。それとも、たんゆうけいどうみやくだけをあっぱくしただけでもくてきたっすることのるものか。または、おかのように、いっぽうあっぱくしただけでもなおすることのるものかどうか、それはいっさいせいがくわたしにはわからない。ただわたしは、それがほうめんがくしきぞうけいともにあさからぬふくいんちようが、ようだいうたがいをって、いろいろおうきゆうあてこころみたとおかあにだんとおしてそうぞうされるおかなるものは、、いくぶんうところのしようどうのそれにているからだ。つまり、これがつうじんなら、にくたいてきけるげきが、ちよくせつげんいんにならないていのものも、あるとくしゆじん、──ようするにそれは、とくしゆたいしつしやなのだそうだが、そうったにんげんは、それをまっしようしんけいけるけっしんぞうきゆうなどのげんしようていしてきて、またはしんじようたいおちいることがあるのだそうだ。ひとつは、とくしゆじんが、せいしんてきになるかんどうけたあいつうじんよりはきようはんのうはつげんしてきて、ぜんしやどうようじようたいおちいることがあるとうそれにているからだ。
 いまこれをおかてはめてみると、わたしにはどうやらかれこうしやほうらしくおもわれる。かれすでに、のうびよういんれられていたのだ。かれにゆういんするまでに、なるしんさつはいったものか、それはわたしにはわからない。したがってかれびようじようは、どのていまですすんでいたか、それもわたしにはそうぞうだにつかないが、しかし、もうにゆういんしていたとてんからえば、しようかれせいしんじようをきたしていたものに相違ちがいない。かれくわだてて、ぶんおびいて、それを便べんじよれんまどへかけて、それにってことをすいこうするさいに、とうぜんしやけなければならないしようがいをもけていなかったとすれば、には、なんらかのあるとくしゆようおこなわれていたことがかんがえられてくる。わたしはそれを、かれせんしんねがっていたてんしたいとおもう。つまりかれは、ひたすらをのみしんがんしていたところへ、よしそれはけいげきだったにしろ、それがかれそくめんかんじられてきたときに、かれいまこそ、ぶんしんがんじようじゆするときがきたのだとかくしんしたに相違ちがいない。かくしんが、しようどうげんいんひとつになっている、せいしんてきにあるかんどうけたあいうんぬんうのにがいとうするのだとおもう。どうに、かれしんがんうえかくしんときに、かれたいしつはまた、つうからとくしゆのものにへんしてきて、それがせずしてかれもくてきすいこうせしめたのだとおもう。でなければ、かれたいしつなるものは、これよりまえうところのとくしゆたいしつだったに相違ちがいない。
 それにしてもなのは、どうしたらかれは、ときそうしんがんおこしたのだろう。いや、しんがんすいこういたのだろう。それは、かれせいしんじようをきたしてきたてんからはじまったのだろうか。それとも、そうしんがんいだいたところからせいしんじようをきたしたけっが、ついして退けるようなことになったのだろうか。いまになってかんがえてみると、かれわたしのところへ、さつそうだんにきたときからして、すでにもうかれせいしんじようたいは、もんだいちゆうのものだったかもれない。だがしかし、それにしては、かれしきあまりにめいかくだった。おそらくこれは、それよりあとしくは、わたしのところへそうだんおうらいしているうちに、つまりかれは、いくみやのところへしやざいけても、あいいっこうにそれをれてくれないところから、ますますしよぎようみだしたけっが、かれせいしんじようをきたさせてきたのではなかろうか。とはおもうがたしかことさらわからない。わからないだけにわたしうたがいはなおしてくる。ちようそれは、ほがらかなはるそらける雲雀ひばりのように、たかたかわたしかいって、とおくもなかえていってしまうのにている。そして、わたしこころは、せつあしみすべらかして、ふかふかふちなかちこんでときのような、あんきようとが一どきあつまってくるのだ。わたしいくぐって、おかあにに、
「それからびよういんでは、みやさんのところへらせたんですか。」とってみた。
「そうやちゅうことやがいね。よるきあけに、使つかいのものらせにったがやそうやがいね。ほいから、みやさんがきてから、けいさつほうへもらしてったがやそうやがいね。」
 おかあには、そうっているあいだも、もうたまらないようなふうだった。
「あなたがびよういんらしたときには、とくさんはどうしていました。」
「わしがいたときにゃ、もうかんおけれて、したいっとうすみほういてあったがいね。」
「で、あなたはで、とくさんのたいをごらんになったんですね。」
「ええ、そうやわいね。」
 わたしときおかあにが、おかがおあいたいしたときむねうちおもいやると、わたしむねもまたそうじようしだして、きよせきしようとつするようなかんじがしてきた。それからわたしには、おかあにから、おかがおえさるのをおもうと、こんかれみみへ、せきばくさをの一てんあつめたもののように、かげかなしくひびきわたるそうかまどとびらじられるおととともにかれおとうとがおぜんおこなわれた、かんふたかいへいするひびきまで、わたしまくつらぬいてきた。

2020年10月15日公開 (初出 日本図書出版 大正11年発行 単行本

作品集『根津權現裏』第32話 (全60話)

© 2020 焚書刊行会

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