第30章

根津權現裏(第31話)

焚書刊行会

小説

2,900文字

芝公園にて凍死体で発見されるという最期をむかえた「破滅型の私小説作家」藤澤淸造の代表的長編の電子化テキスト

 それから、わたしたちしばらだまっていた。
 あいだにもわたしは、またおかあにから、おかわたしのところへそうだんにきたことのないようかれはせぬかとかんがえにおどかされた。だからわたしは、わたしほうからくちって、せんせいするにくはないとおもったから、
いったいとくさんは、どうしてんでいたんでしょう。──びよういんに、どうしてんでいたんでしょう。」といてみた。
 おかあには、ものでもつぶしたようなかおをしていたが、
いまうたとおり、とくいていたかんさんがろうると、とくあとっかけるようにして、ぶんてしもうたもんだとえるがいね。びよういんほうでは、かわりのかんさんがいそいでやってくると、とくえないから、さあさわぎがちあがったのやそうやがいね。」とって、ちょっとことったが、かれはなしをしながらも、おかちが憎にくまれてならなかっただろう。またうなれていきをした。
「それから、とくさんはったんです。」
「ええ、ほいから、かんさんがそううて、みならしたもんですさかい、さあさわぎやがいね。みんなでけして、あっちこっちさがしまわったんだそうやけれど、いっこうわからんのやそうやがいね。しまいに使づかいさんが、しよう便べんをしたくなってきて、かんしよ(※便べんじよ)へってみたら、とくくびっているんだそうやがいね。ほんまにだらなやっちゃわいね。」
便べんじよって、便べんじよんでいたんです。」
 わたしはこういながらもちゆうしんおかためなさけなくなってきた。くまでさつにんろんじやたるわたしにあっては、かれさつするとうことからしてあきたらない。だがしかし、にはまた、わたしなどのかかわらないじようがあり、ゆうしようじて、えてさつして退けなければならないとなればもうかたがない。ようものにんするよりほかはない。ただわたしからえば、ほかくべきうしなって、ついのがれるよりほかには、もうなんらのしゆだんほうほうきてしまって、いよいよときには、せめてしよほうほうだけは、るだけきよいさぎよくありたいとおもう。ところでおかはとえば、わたしたちもっと憎にくみいやしんでいるえらぶとうにいたっては、わたしかれためかなしくなった。そればかりかかれは、しよはとえば、もっとじようびよういん便べんじよでこれをおこなうのだから、わたしつぶされてくるのだ。わたしわすれば、かれいやしさにいやしさをくわえ、みにくさにみにくさをかさねて、なおてんとしてずるいろなしとったふうなのだから、わたしきたくなるのだ。
 それはかれわすれば、どくさつしたくともどくやくえず、じゆうさつしたくとも、じゆうるいにすることはなかった。そして、かっぷくしたくとも、かっぷくするにひつようものは、いっさいぶんからとおざけられていて、どうすることもなかったとうだろうけれど、わたしにしてみれば、そうしたらさつなどはすことだ。すことがなければ、ようるまで、一ちゆうすることだ。それをかれは、きゆうようしたとはえ、しかしゆうしゆうかさねてんでくのだから、わたしかれためうところをらないのだ。そして、これはかれが、かつわたしのところへさつそうだんにきたさいに、くれぐれわたしかれむかって、ねがっていたことだけに、わたしは一だんかなしくなってくるのだ。
びよういんかんしよは、かんしよみっつもよっつもあるところやがいね。ひだりほうまどがついていて、にまた、ふといたけってあるがいね。わしもあすこのわかだいしようれられてせてもろうたがいね。とくまどたけへ、ぶんおびしばりつけて、それへくびったんだそうやがいね。」
くびるしたとおびは、くろメリンスのおびじゃありませんか。」
「さあ、どうやろいね。わしゃおびなかったがいね。」
 おかめていたおびえば、それはくろメリンスのそれにそうない。ちようわたしめているのとどういつのもので、これはふたいっしよってきたものなのだ。わたしはなしいているうちに、おびかれどうたいはなれて、れんまどげかけられるせつには、それがいっりょうとうへびしてくるさまが、まざまざとそうぞうされてきた。そして、それがかれくびかるとどうに、ふかぎすましたはくぎんぞうがんしたようなひからし、ふたつくちからは、えんほそいとのようなしたきながら、へびのみにゆるされたちから、それはゆるくしてしかきゆうに、つよくしてうすだんりよくせいんだそれをもって、るみるうちに、かれめあげてくるさまが、はっきりわたしこころからまりついてきた。
 またかれが、そうしてぜっそくするせつに、かれあたまへのぼってきたものはなんだろうとうこともおもわれてきた。──まえなんそうねんがあろう。しあるとすれば、それはせいかつだつしたるよろこびがあるばかりだとものがあるかもれない。そうわれてみれば、あるいはそうかもれない。だがしかし、いまいままでそれがどんなにしんだったにしろ、つうだったにしろ、とにかく二十六ねんかんうものをきてきたかれにあって、なおぜんぜんなんらのおもいでもないものだとはしんじられない。だからわたしは、では、それはあるものだ。なければならぬものだとていしたい。そして、それをそれまでしたしくしていたにんげんのことだとしてかんがえてみたい。あいはたして、だれかれあたまへのぼってきたことだろう。それはかれか。わたしはそうはおもわない。ではかれあにか。これもそうではあるまい。それではかれが、いままさにみずからかねばならなくなったけんとうしやたるみやだろうか。これもおそらくはあたらないだろう。それではだれだろう。そうだ、おなけんかんけいしやたる、あのしらだろうか。それとも、もっとしんこうっていたわたしだろうか。ふたつながらどうもそうだとはおもえない。ではだれだろう。ああ、そうだ。それはきっあのふさ相違ちがいない。そうだ。ふさだ。ふさいったんれとりすててしまったものでいながら、しかもそれが、べてのものわすれてしまったかれしんとうに、あえかにも(※よわよわしく)いとしずかえあがってきて、かれさいさいまで、さびしくもまたはなやかにりかがやいたことだろう。そして、かれぜっそくのちまでも、なお一まつじんたもっていたことだろうとおもうと、あやしくわたしむねみだれてきた。
 またおもう。おなおもいはおかあににもなかっただろうか。ろんかれには、わたしのようにおびへんや、らないだけに、ふさなどはおもいもつかなかっただろうが、しかしかれにはまた、わたしなどのおもらない、にくしんしやとしてのつうがあり、かいこんがあり、またいくしゆうたんがあったことだろう。そうおもうとわたしはもう、そのときかれかおせいするにしのびなかった。そればかりか、いっさいおかいてのせつも、もういらでそうかとさえおもった。これじように、かれくるしめ、かれなやましてまで、なおはなしすすめるとうことは、あまりにいたましいことにおもえたからだ。だがしかし、ものじゆんじよじよう、それはとてないそうだんだった。それに、一めんにはそうったこころちがあるとともに、ほかの一めんには、なおなお、にくほねいてまでも、いっさいあますなく、おかいてりたいとう、れいこくこおりにもすべき、ざんにんこころちがはたらいていた。それがまではこんできたりよくけて、またのように、さきさきへとはしらねばならなかった。

2020年10月14日公開 (初出 日本図書出版 大正11年発行 単行本

作品集『根津權現裏』第31話 (全60話)

© 2020 焚書刊行会

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