第26章

根津權現裏(第27話)

焚書刊行会

小説

5,064文字

芝公園にて凍死体で発見されるという最期をむかえた「破滅型の私小説作家」藤澤淸造の代表的長編の電子化テキスト

 ところでてみると、にはひとつのぐうぜんがあって、それがどんなにわたしよろこばしてくれたかれない。わたしはいっていくと、ちようわたし宿しゆくしていたぶんからいるじよちゆうが、二かいからりてくるところだった。じよちゆうわたしると、
「どうぞ、おあがりくださいまし。」とうのだ。かのじよは、わたしなにしにきたのか、それをわたしかおるとどうみとってくれたのだ。わたしにはそれがうれしかった。
 あるせつには、わたしからだじゆうとなり、またみみとなりがちだったが、わたしはそれをいやがうえにもそばだててきすると、ちようにはだれもいないらしかった。四へんたいふういだあとのようにひっそりとしていた。わたしあいだを、まるでろうごくからもののようなこころちで、わばたすぶねにもすべきじよちゆうあといて、こんろうしやのように、またもうしやのようにしてあしとうつうなにいっさいわすれて、いきなりかいだんをのぼってった。そして、二かいあがってからだ。わたしじよちゆうに、
です。おかくんは。」とって、いたものだ。するとじよちゆうは、しようふくみながら、
「三がいですわ。」といながら、またかのじよさきにたって、かいだんをあがってった。のぼりつめると、ろうまっぐにった、きあたりのまえへくると、
おかさん、おきやくさまです。」と、それをなかむかってって、こんわたしほうへ、
「どうぞ、おはいりくださいまし。」とって、かのじよもときたほうかえっていった。
 とき
「どうぞ、おはいり。」とこえがしたが、わたしはもうそれがわたしみみへついてくるうちに、しようけてなかはいっていた。
 ときだい一にわたしについてきたのはおかあにだった。かれひろから、ただひとりのこされたように、さびしいかおをしているそれだった。だがしかし、わたしとき、それにとどめて、ひつぜんしなければならない、あいさつなどをしているゆうっていなかった。わたしは、ちようたくそうさくしゆっちようしているしんはんか、でなければ、はんにんたいむかっているけいじゆんのようなちになっていたから、それをはらいのけ、しのけても、なおさいすみからすみまわしてみなければならなかった。ところで、いくまわしてみても、おかたいらしいものはあたらないのだ。ただあるのは、かれしよしていた、いっとうおおがたやなぎごうふたとが、なかいっぱいずたずたにされたへんんで、へいれつされているくらいのものだった。わたしは、ぬすまれはしないかとおもわずらっていたそれが、にかせっしゆされてしまっているのにづいたときのように、めいじようしがたいきようがくにうたれてきた。
「どうしました。とくさんは。……」
 これが、ときわたしちながらったことだ。そうってからもわたしこころは、ぎすましたはりのようになって、ただひとすじおかたいをのみたんきゆうしていた。
 おかあには、わたしのそうったこときこえぬように、
しばらくでしたがいね。あんたはおたっしやで、なによりですがいね。」と、ほっこくうまれのかれが、くになまりのことでもって、きゆうかつじよするのだ。だがわたしはそれどころではなかった。
とくさんのたいをどうしました。」
 わたしは、じようあいのぞんで、そんなゆうちようれいなどをろうしているかれたいしやくだった。だから、あいいでったわたしことは、かれかられば、もとよりれいごくだったに相違ちがいない。うえわたしのそれは、うちゆるしようそうさをけて、かれむねへも、あいくちのようにするどひびいたことだろう。
「ええ、いろいろと、とくろうきてるうちは、おさんでしたがいね。ありがとうござんしたがいね。あれはさくいてしもうたがいね。」とって、ちょっとことり、「どうぞおき。」とって、かれにあったとんしてすすめてくれたりした。それから、「ばんちやですがいね。」とって、ちやれてくれたりした。そして、かれ調ちようかれたいは、うすわるいくらいれいせいであり、おちいているのだ。だがわたしは、いんしゆしたものは、きっがんめんへんをきたすか、でなければ、きゆうにおうかするように、かくしてもかくしきれないないしんつうさは、たいおいてかこと調ちよういてか、いっけんいちぶんしてわかるように、もっとはっきりがいめんあらわれていてもわけだとおもったので、わたしはかなりげんじゆうかんさつすることをおこたらなかったけれど、ついにそれらしいものはまらなかった。ただあるのは、がんめんあおじろさと、えずけいれんしているらしくえる、きんにくかすかなせんりつくらいのものだった。それがわたしにはあきたらなかった。あきたらなかったとえば、それはかれが、わたしいにこたえるにさきって、おかせいぜんけるわたしゆうしやするのをみみにしたときには、わたしぎやくじようちかいきどおりさえかんじた。そして、かなしいのは、さいしよおかあにたいしてはっしたそれが、しばらくすると、まるで玩具おもちやの「んでこい」をげたように、ぶんほうかえってきた。
 わたしおかばんねんうのか、すくなくともかれとおばかりぜんに、わたしかれたいしてったたいをかえりみたときには、えもりたいようなざんねんえられなくなってきた。ためわたしあたまは、たまのようになってきた。どうわたしは、それにしてもわたしに一おうつうもなくして、かれしてしまうなどとうのは、あまりにひとじよくしたしよぎようではあるまいかとおもった。しかしこれは、かれかたかたなので、がいぶんみえとをいのちのようにしているかれあににすれば、そうみにくたいを、にんにはれさせたくないとう一ねんから、えてそうったふうな、わたしからえばれいごくたいったに相違ちがいない。そうおもうと、いったんのようにえさかってきたわたしへいも、ちようきをしゆうにでもたれたようになってきた。
 それにしても、おかなるほうほうって、さつして退けたのだろう。わたしなによりもまえに、それをりたかった。わたしわざとんわきしやってすわると、
「ささ、かんかいね。あんた。」とって、おかあにはなおそれをすすめながら、わたしほうからはひだりになる、むこうのすみの三じやくゆかゆびさして、「あれがほねやがいね。」とうから、わたしゆびさされたほうをやると、なるほどには、白木綿しらゆうつつまれた、ほうよんすんぐらいまるこつつぼいてあった。それをときには、わたしひしむねをしめあげられるようなどうらんおぼえた。で、わたしは、
いったいとくさんは、どうしてんだんです。どくやくでもんだんですか。それとも剃刀かみそりでも使つかって、でもききったんですか。」とって、じっおかあにかおをみた。
びよういんんだのやがいね。──あかさかのうびよういんで、きゆうびようんだのやがいね。」
 おかあには、までもれいせいきわめているのだ。ことはしなどにも、じんそれらしい、つうえんこんさなどをむこともないのだ。それがわたしには、ますますしやくだった。
 じんにはべつきあかすひつようはなかろう。だがしかし、わたしには、しゆだんくらいはあきらかにしてくれてもかろうとおもうと、またえかかっていたわたしへいは、にわかあぶらそそがれたようになってきた。
「どうして、のうびよういんなんぞへはいったんです。そううところへ、だれれたんです。」
「ええ、あんたもってるやろうがいね。あのみやさんがれてくれたのやとうこっちゃがいね。さっきもあのひといっしよに、──あのひとほかに、もうひとはたけやまう、あのひとのおともだちと三にんれに、あんたのところへったがやがいね。」
 わたしはそれをいて、さっき宿やどおかみからわれたときには、おかあにいっしよにきたとれは、だれだれやらわからなかったそれが、ようやへきてひようかいした。それからわたしが、
「どうして、びよういんはいったんです。」とうと、
「ちょッこりのうわるいようやから、れたんだそうやがいね。」と、おかあには、きっぱりこたえるのだ。
「で、どうしてびよういんれたんです。だれびよういんってるものでもいるんですか。」
「なんでもみやさんのはなしにゃ、あこびよういんわかだいしようとは、だいがっこうからのおともだちじゃとうこっちゃがいね。わかだいしようたのんで、れたがやそうやがいね。」
「どうしたらまたみやさんに、とくさんのあたまわるいことがわかったんでしょう。」
「そりゃなんじゃそうやがいね」とってきて、でちょっとよどんだが、ぐとあとをつづけて、「ええ、なんじゃそうやがいね。とくあたまわるいとうもんやさかいに、ほいじゃ、びよういんはいって、なおしたらどうやとうことになったんだそうやがいね。」といおえたときに、かれがんめんには、ようやひとしのんで、みつはこんだときのような、いっしゅあんさといっしゅあんしんさがえてきた。
「で、どうしてんだんです。さつしたことはわかってますが、どんなほうほうんだんです。」
 わたししようそうは、かんだんけいちゆうとうじたようになってきた。わたしは、がられつするのをおそれながら、いっしんかれおうとうちうけていた。
「いや、ちがうがいね、そんなさつなんぞじゃないがいね。きゆうびようんだがやがいね。」
「いいえ、そりゃうそです。とくさんにかぎっては、きゆうびようなんぞで、わけがありませんや。さつしたんです。きっそうでしょう。」
「いや、そんなことないわいね。きゆうびようんだがやがいね。さきおとといでんぽうがきたから、わしゃてきたがやがいね。」
「いや、なんとっても、そりゃうそです。なるほど、びよういんはいったことや、あなたのところへ、でんぽうって、きゆうへんらしていったのはじつでしょう。しかし、いんびようだとうのは、そりゃうそです。さつしたにきまってます。そうじゃありませんか。なにもぼくにまで、そうぬすんだものでもかくすようにしなくたっていじゃありませんか。」と、わたしはこういながらまたじっかれがんめんとどめてみた。するとかれなかに、かすかながらいっしゅうんどうおこるのをみた。それはまばたきにまばたきではなかった。どうようどうようではなかった。なんとったらいだろう。いまてきせつけいようたないけれど、ってみれば、しんけんしようちあいちゆうに、あいものがんこうたれて、ひるときひようじよう、そうったようなものかれうちむことがた。だからわたしは、それにこころおどらしながら、「しようじきにそうってください。」とって、さらかれがんめんちゆうした。
「いや、そううことはないがいね。わしゃびよういんへいってみたが、ちっともかわったことがなかったがいね。」
 までくると、わたしはもうじっとしてれなくなってきた。わたしが、ときむちっていたなら、ようしやなくそれをかれひたいくわえたに相違ちがいない。しまたわたしが、ものおびびていたなら、それでもって、かれむなもとふかきさしたに相違ちがいない。しようには、かれめているわたしうえまぶたぜんこうしてくるとともに、わたしは、かたかたいしばられてきた。
「あなたがそうったふうに、までもびようだとおっしゃるならかたありませんが……そうです、あなたがそういはるなら、わたしとくさんのことをおはなししなきゃなりませんが……」とってくると、おかあには、それをさえぎるようにして、
「ほいじゃなにかいね。あんたにこころあたりでもあるのかいね。」とうのだ。
ろんありますとも。だいとくさんは、まえの四五にちうものは、まいにちぼくのところへそうだんにやってきたもんです。──さついてのそうだんってやってきたんです。」
 わたしがこうったときに、かれねむるようにじられた。そして、いたときには、わたしにはかすかながら、うちからなみだしぼりだされたようにおもえた。かれは、わたしがそううと、もうすっかり、あしのついているのがわかったのだろう。そして、すっかりかんねんしたのだろう。
「ああそうでしたかいね。だら(※いしかわけんほうげんほうおろか)なやっちゃわいね。びよういんくびってんだがやがいね。いやはや、ほんまにはなしにもなにもならんやっちゃがいね。わしゃもうはずかしうて、あんたにもかくしていたがやがいね。」とって、とうとうこくはくしてしまった。それをくとわたしは、ぶんもくてきたっして、それまでってきたおもを、いきなりげおろしたときのようなかんじがした。どうわたしが、ほっといきをついているすきねらってちかかってくるように、またわたしむねは、あらなわでもって、つよくつよくめあげられるような、せつなさいたましさをおぼえた。そして、スポンジのように、ちいさくなりまさっていくわたしこころうちへ、しやみにくようぼう姿たいが、まざまざとうつってきた。どうかれが、そうったふうな、みにくほうほうったことにたいして、またかぎりないはんかんかんじた。それとわたしいまいままで、ただ一かれおかが、しようふうかんないさつして退けたものだとのみおもいこんでいたぶんけいそつさにたいしては、えがたいちようさをおぼえた。さいに、かれがどうしたら、あのみやなどのかって、そんなびよういんなどへれたのか、それもふかもんになってのこされてきた。

2020年10月10日公開 (初出 日本図書出版 大正11年発行 単行本

作品集『根津權現裏』第27話 (全60話)

© 2020 焚書刊行会

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