第25章

根津權現裏(第26話)

焚書刊行会

小説

2,255文字

芝公園にて凍死体で発見されるという最期をむかえた「破滅型の私小説作家」藤澤淸造の代表的長編の電子化テキスト

 とにかくおかが、ちようめいえばせんになる、ぜんいただんさかうえぐうきよて、こんおいわけしようふうかんしたのは、そうったじようからなのだ。なるほどには、わたしたちそうぞうぜっした、いくみようにしてふくざつそんじたものかもれないが、しかしそれにしてもわたしには、なにも一にちはんあらそってまで、しかきゆうひっこししなければならないひつようみとめられない。そして、かれときすこしもそううことはそうしてはいなかっただろうけれど、じつしまいにいっしようじてしまわなければならなくなったのだから、わたしはそれがうらみなのだ。だがしかし、わたしうらみにえながらも、いっ退いてかんがえてみると、とうあいたるおかしかばねは、いま宿しゆくの一しつに、わたしっているのだ。いや、こうってはすこあたらない。とうのは、かれはもうしかばねになっているのだから、わたしっているわれがない。ただには、せいぜんかれためには、あまちからにもならなかったなかではあったが、とにかくかれあになるひとじようきようしてきて、いまわたしっているのだ。だからわたしは、なにいても、わたしかれとのこうじようつうじてつながるかれあにもといそがねばならないのだ。とどうわたしいくってもおなことだが、わたしわたし宿しゆくとのかんけいおもいいたると、わたしあしはひとりでにくぎづけにされたようになってくるのだ。それをからはげまして、だらだらざかをのぼってくると、にかわたしわきしたへ、めたいあせながれてきた。
 わたしっているかぎり、かんうえからって、宿しゆくしゆじんはもうていることだろう。それがまんいちまだきていて、ぐうぜんわたしげんかんかおわすようなことがあっても、こんかぎってはかれも、げんざいきているけんまえおそらくはわたしとらえて、それとりだすようなことはよもあるまい。わたしはそうおもい、そうあるようにとおもったときには、いままでについぞかんがえてみたこともないごんげんやしろほうりかえって、がっしようがんしたいようなちにさえなってきた。そして、をあげてると、はもうかどになるまえなのだ。わたしあめさびれて、しんとしているしつないとうが、ちかかっているたけがきしにそとれてくるのをると、またおかのことがおもわれてきた。とうのは、わたしたちがまだしようふうかんにいたころは、ともするとよるへやってきたことがあるからだ。で、ころおもいでを、それからそれとうているうちに、はたといまさらのようにおかがもうくなってしまったのだとおもうと、きつけられたように、わたしまえへ、かれがおうつってきた。はなはまだじゆくしない無花果いちじくるようにおもえたそれが、しばらくすると、じゆくしたレモンのようにかわってきた。そして、こころされたようになっていたかれふたつが、いかりとうらみにえながら、一だんたかそとびだしたうえに、げんけいとどめないばかりにかっとひらいて、四へんめんきつけなければかないように、じっくうめているのだ。それがまたわたしなみださそってくるのだ。わたしはそれがはっきりについてくればくるほど、さきいそがせられて、こうゆうにならないあしきずりながら、あるきだしたが、しかしいっいっしようふうかんちかづくにしたがって、わたしはまたぶんすぼらしいなりがになってきた。
 いまわたしっているのは、おかあにである。あになるひとは、わたしきようんでいるのだ。そして、わたしひとたいめんするのは、いくとせりになるかれない。だからわたしは、せめてなりくらいはひとなみととのえたうえいたかった。なにぶんあきさめもよいの、えとしたなかだけに、しやぜいたくこしらえでなくともいが、ることなら、めいせんあわせくらいをにつけて、おびいまのように、メリンスなどでなしに、わるくともちりめんぐらいのものをめたかった。そうおもうと、こんってきたいしざきのことがこころうかんできた。そうだ。ああったけんなどをったあとでなく、いしざきが、わたししんれてくれて、あいふるしでもい、またものめいせんでなく、綿わたものでもい、あわせの一まいめぐんでくれたなら、わたしいまこんなさびしいおもいはしなかっただろう。きっ宿やどかえってきたときに、それにえてきたに相違ちがいないとおもったりした。そして、かんがえなくともいことだが、こんあれからいしざきはどうしただろう。まともにたくただろうか。それともまたそとて、りあいのまちあいへいって、げいあいさかずきくちにしてはいやしないだろうかと、そううこともおもわれてきた。そして、いしざききかえわたしは、ろくろくまとうものもなく、こんこれから、さつてたゆうじんのところへけていくのだとおもうと、またわたしは、いきなりむこずねでもたたられたように、ひとりでにたちすくんでしまわなければならなくなってきた。
 さらにそれをはげまして、あるきだすたんそばると、わたしたずねていくしようふうかんほうれまがっているよこちようかどなのだ。いっぽうれば、いんなのだ。そして、からは、せんこうかいせんでもるように、こうだにすではなく、かみくほどのおとたずにちようんだようになっているのとはんたいに、みぎかどうちは、いっけんりようぶんして、たまきとミルクホールとをいとなんでいるのだ。ミルクホールのほうは、びしげなとうえいが、がらいぶしているほかえてものけはいもしなかったが、いっぽうたまつきからは、どくをかちあわしてでもいるような、たまおとれていた。わたしはそれをみみにしながら、まがって、きあたりのみぎになるしようふうかんまえへきたときは、もうちゆうだった。わたしは、ごくとびらでもしあけるようなちでもって、がらしあけて、はいっていった。

2020年10月9日公開 (初出 日本図書出版 大正11年発行 単行本

作品集『根津權現裏』第26話 (全45話)

© 2020 焚書刊行会

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