第24章

根津權現裏(第25話)

焚書刊行会

小説

2,017文字

芝公園にて凍死体で発見されるという最期をむかえた「破滅型の私小説作家」藤澤淸造の代表的長編の電子化テキスト

 みちみちわたしたちは、いろいろのはなしをした。ろんにはおんなはなしもあった。また、れいってれいごとく、かねはなしもあった。それから、はや宿しゆくりなどをして、ちいさくともいからいっけんいえはいって、じよちゆうひとやとうようにしたいとうこともはなしった。そして、けっきよくざんおこたらずにべんきようして、ひたすらのうりよくやしなわねばならないとうことにちていった。ろんでも、べんきようするにはがくる。ところでがくっていないたがいうえいてたんったが、しかしいまいたずらにそれをのみたんそくしているときではない。うえいくぶんでもあたえられているぶんしつくだされているぼうたねを、だんりよくりようってよういくして、すんはやはなかせるようにしなければならないとうことを、ちようりうせてくあるふんまつでもきあつめるようなふうに、かたりあったりした。
 わたしそうぞうするところ、かれはこうはなしをしながらも、えずぶんってくるような、おんなあしおとみみにしたことだろう。そして、それがえんきんするたびに、こころあんあんとが、たがいあいこうさくしてきたことだろう。また、はるかなるこうへきたかとおもえば、ぐとうごきもならないような、きようあいな一しつかんきんされているようなかんじが、かれきようちゆうおうらいしたことだろう。さらかれは、いっでもさきとうそうしようとねがいながらも、ほかの一めんには、いまいまかとおっのかかるのをもうけるようなおもいにめられもしたことだろう。わたしはそれを、まるであきそらのように、せいどんはかりがたいかれなかることができた。
 またわたしは、それらのことをおもうにつけて、こもごもいたるのをおぼえた。──うれしいとおもったのは、とにかくかれが、いよいよふさはなれるのをたしかにしたてんからだ。それはちようたおしたてきしゆへ、とどめのしたときのようだった。そして、かなしいとうのは一めんにそうこころちがありながらも、なおかれつながるわたしゆうじようが、うしなわれるこいからこんかれせきばくさ、それにともなしんさをおもてんにかかってあったのだ。そうだ。まえこころちを、てきしゆとどめをしたときかいかんにたとえるなら、これはあとせまりくるいっしゅあいせきじようていた。そして、かれわたしい、ともにこんになったら、滿まんぞくなるこいわなくともい、いくぶんこころやすんじて、ひとおんなたいすることがるようになるのかとおもうと、わたしせきたんなかへでも、められてゆくようなちになってきた。
「まあかたがないや。なんのことはない。あのだいかいせんほうこくでもつつもりでやってみるんだなあ。じんしようさんはなくとも、うえは、けるところまでってみるんだなあ。」
 わたしはこんなこともってみた。そして、わたしたちほうらいちようと、おいわけ宿しゆくを四五けんてまわった。しかし、これとって、めるにるほどのは、ひとつもあたらなかった。それからまた、一二けんてみたが、やはりまえどうようだった。たまに、ならかろうとおもくわしていてみると、りようきんがくなのにおどろかされて、むなしくきあげてこなければならなかった。うちもうかんは三まわってきたので、わたしおかつきっていることがなくなってきた。で、わたしは、
「もう一にちばそうじゃないか。きみはさっき、ふくやくだのちゆうしやだのとって、ふさとのかんけいびようにたとえたけれども、なにもそれが、すんあらそってまで、しゆじゆつしなきゃならないような、そんなきゆうせいなものでもなかろうじゃないか。なにしろぼくはこれから、たかはかのところへかなきゃならないんだから、どうだい。はもう一ゆっくりさがそうじゃないか。」とうと、おかはなかなかしようしないのだ。
きみからえばそうかもれないさ。だがぼくにすれば、そんなのんきなことをっちゃれないんだ。ぼくちよういまもうちようえんみだしているようなものなんだ。だから、なにいても、今日きよううちしゆじゆつをしてしまわなきゃ、いのちにもかかわろうとうもんだ。きみくならってくれたまえな。ぼくひとりでつけるから。」とってかないのだ。なるほどわたしは、そうとおもいたったおかこころちをしはかってみると、かれがそううのもはないとはおもったものの、どうにそれをかれのように、もうちようえんにたとえて、一にちはんかんあらそってまで、てんきよしなければならないほど、そうきんきゆうもんだいだとはおもわれなかった。ただわたしは、かれのことは、かれこのむにまかせてけとおもった。
「じゃそうしたまえ。ぼくしつけいするよ。」とって、わかれてきたのはこうとうがっこうせいもんまえだった。それからわたしは、三ちようまでこなければまだでんしやのなかったぶんだったから、まであるいてきて、でんしやることにしたが、かんがえてみると、これからさきのことは、いっさいかたひつようのないことだ。いやほんとうは、までもはなひつようはなかったのだ。ただわたしは、かれふさり、ふさわかれて、しようふうかんすことになったまでのけいべれば、それでもうかったのだ。それからさきのことは、さっきおかしんったとおりなのだから、もうわたしは、おくじようおくするがものはないのだ。

2020年10月8日公開 (初出 日本図書出版 大正11年発行 単行本

作品集『根津權現裏』第25話 (全60話)

© 2020 焚書刊行会

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