岡田は其の大黑だけは、恩があればあるだけに、また、恨みがあればあるだけに、命に變えても、終生秘藏して置こうと思っていたそれも、萬止むを得ない事情から、今度はそれを持って、以前一度歩いたことのある、古道具屋へ見せて廻ったのだそうだ。するとこれはまた、短刀よりも一層下直なのだそうだ。一等の高直と云うのは、二圓ぽっきりなのだそうだ。
「ああ、泣きたくなっちゃった。どう考えたって、僅か二圓位の端た金と換えられるもんか。よくせき困ればこそ、假りにも大黑を賣ろうと云うのだ。それが二圓だと云うんだからなあ。」
其の時彼は、こう云って慨歎していた。
「僕はこんな思いをする位なら、──こんな情けない、厭な思いをする位なら、一層のこと、賣った短刀でもって、腹を切って死んじゃった方が增しだった。」と云ってからまた考えて、「だがしかし、まだ死ぬ氣にはなれないし……」と云って、深い溜息をしていた。──息を吐くような深い溜息をしていた。
岡田は、二圓だと云う大黑には、まだまだ未練があって、手放す氣にはなれなかったのだ。と云うのは外でもない。それは靑銅で出來た、一握位の大きさの物だったが、これを手にしてみると、其の形體の割りには、どう賴まれたところで、迚も信じられない程の重量があるのだ。で、彼はそれを何處から聞いてきたのか知らないが、これはひよっとすると、腹中に黄金を呑んでいるせいではなかろうかと云われていたので、かたがたもって、二圓や三圓の金と換える氣はなかったものらしい。
だがしかし、一方にはそれとともに、金の必要が迫ってくる。幾くら考えても、他にはこれと云って、取るべき策がない。仕方ないところから、今度は賴みにならないそれを賴みにして、彼の主人に事情をあかして哀願してみたのだそうだ。すると主人は、それを五圓に換えてやろうと云うのだそうだ。そして、若しこれが入用の時には、五圓の金と引換えに何時でも返してやろうと云う條件づきでもって、それを金にしてくれたのだそうだ。私のところへ、岡田は其の話を齎してきて、
「金高は不足だが、しかしこれは賣ったのではないから安心だ。父の形見を、みんな失くしてしまっちゃっちゃ、なんだか申し譯のないような氣がするからなあ。」と云って、此の時ばかりは、さもうれしそうにしていた。しかし、其の金も、日ならずしてなくなってしまったことは云うまでもない。
で、これは單に私一個の想像なのだが、其の間に彼は、今更のように父のことを思いだして、其處に深く自分のことを考えさせられたことだろう。──若し自分にも、遺產らしい遺產があったら、こうまで寂しい、辛苦な思いはしなかっただろう。それに、第一は病氣のことだ。自分に持って生れたような此の病氣さえなかったなら、こんな悲しい思いはしないのだ。病氣故に治療する費用を得るにも、幾多人の知らない苦勞をしなければならないのだ。父が唯一の遺產とも云うべき短刀と大黑とは、金に換えてみたところで、僅かに八圓五十錢にしかならないのだ。そして、一方病氣の方はと云えば、それは今後なおどれだけの費用を要するか分らない。そればかりか、自分の志している學業が、其の爲に、どんなに妨げられるか知れない。こう思うと、もう此の世に生を享けたことからして、恨めしくなってきたことだろう。幼にして母を失った彼には、母の思いでなどは、幾くら持とうと願ったところで、それは許されないのが當然だが、寂しさの餘にふと母を求めて、其の面影も得られないもどかしさに煽られた心は、自然に父の方へ歸って行ったことだろう。そして、其處にはまた、時時私にも話したことのある、父の疎暴亂行さを思いだしたことだろう。ある時は、彼に與うる食を惜しみ、ある時は、汚れた一枚の着物を奪い、またある時は、餘りの悲しさ恐ろしさに、歔欷嗚咽しながら、雛罌粟のように打ちふるえている彼を捉えて、怒れるままに、降りしきる雪の巷へ突きだして、なおも酒杯を手から離そうともしなかった父のことが、それかそれと、あの影燈籠を見るように、彼の心へ映ってきたことだろう。そして、自分と同じ憂き目をみた兄や姉のことを考えて、それらと現在の自分との關係に思いおよぶと、さらにさらに、我が身の果敢なさに泣かされたことだろう。それも其の筈である。一人の姉は、薄給な巡査の妻であり、一人の兄は、貧しい荒物屋を營んでいるのだからだ。そして、此の兄は早くから家出をしていただけに、今では彼や彼の姉とは、兄弟とは名のみで、まるで他人のような關係になっているのだ。私は屹度そうだと思う。彼は一面には、父の遺して行ってくれた短刀や大黑に對して、かなりの執着を感じながらも、他の一面には、現在に於ける兄弟の不和なる所以も、皆根ざすところは父の憫れな性格からきているのだと思うと、其處に綿綿として盡きない恨みを覺えたことだろう。少くとも私はそう思う。それは曩にも云ったように、富たる者は、與えられたる餘裕に依って、父母の名を思うの念をも奪われがちなのとは反對に、貧しい者の持てる苦痛は、しばしば其の心情に父母の面影を宿して、其處に憤怒や怨恨を强いられるものだからだ。
其の後も彼は、百方工夫して、醫者へだけは通っていたが、しかし、それもそう長くは續かなかった。幸せと其の中には、患部の方も幾分怠ってきたので、彼も醫者通いを一時中止してしまった。それからざっと三年と云う時間が經っているのだから、惡くなってくるのは、寧ろ當然かも知れない。そして、それは當然なだけに、彼はまた其の治療を講ずる用意をしなければならないのだ。彼はそれを思い、今なお舊の如く貧しい自分のことを考えると、丁度針のついていない釣竿を渡されて、釣魚方を命ぜられたような氣持ちがすることだろう。そして、此の點は私とても同樣だ。私も自分の脚のことを思うと、雪中裸體の儘で、千里の路を徒歩させられるような氣持ちする。だから此の日も、私達は話が一度互の宿疾のことに及ぶと、もうすっかり氣も心も失ってしまって、語るところは悲しい愚痴ばかりだった。そして、岡田の歸っていったのは、もうかれこれ四時を廻ってからだった。外はまだ、燒きつくような太陽の光りで、樹木も屋根瓦も、また庭も路も、皆苦しそうに喘ぎあえぎしていた。其の間を蝉の聲のみが、誇りがに鳴きしきっていた。
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