第20章

根津權現裏(第21話)

焚書刊行会

小説

1,253文字

芝公園にて凍死体で発見されるという最期をむかえた「破滅型の私小説作家」藤澤淸造の代表的長編の電子化テキスト

 あいだに、──せきじゆうびよういんしゆじゆつけてから、ほんごくちようしやかよっているあいだに、かれずいぶんかねのことでろうをしたものだ。なにぶんころの、わたしたちもらっていたきゆうきんなるものは、わずか二えんだったから、きようからそうきんでもあおげるものべつだが、きゆうきんだけでしのいでいるものいったんびようになったがさいかねためかされなければならなかった。そして、かれわたしは、まさにこうしやほうだった。
 なかにはしよって、たとえばじようだとか、とうしんせいしよなどちようする、いんあいには、うりさばきじよからいくぶんわりましきんれもするが、しかしそれは、ほどはんぼうなところでなければられないことだった。よしまた、しかはんぼうきわめて、ふくしゆうにゆうおおいところには、きっいくにんかのしよせい使つかわれているから、それをかくあたまわりてするになると、ひといくらにもならなくなるのだ。ところで、おかのいたしよは、何方どちらかとえばぼうほうだったが、しかしけっは、ろうどうかんのみがおおくて、りにはふくしゆうにゆうとぼしいくみだった。だからかれは、ころかんつうがくしていた、せいそくえいがっこうげつしやにさえわれがちなありさまで、さんざんひんめぬかれているところへ、こんはそうったしっぺいたたってきたのだから、かれうえにもまた、ひんかなければならなくなってきたのだ。
 で、かれせきじゆうびよういんかようようになるとどうに、せいそくえいがっこうやすむのはもとより、一まいっていたえをはじめ、しよせきしよせきは、ことごとほかてんじたり(※しちれしたり)またはばいきやくしてしまったのだ。またゆうじんゆうじんじんじんからも、それぞれに、りられるだけのものりてしまったのだ。さいかれは、四五ねんまえくしたちちかただったひとりのたんとうと、いっだいこくぞうまでりはらって、りようえねばならなくなったのだ。
 うちたんとうったのは、かれがまだせきじゆうびよういんかよっているころごとだった。──たんとううのは、だれさくになったものかおぼえていないが、それはしゆざやこしらえのもので、ふるよごれてはいたが、あおいとうめばちようした、あか綿めんふくろおさめられていた。それをかれは、とあるふるどうっていって、せたのだそうだ。するといたあんで、とてはなしにならないのだそうだ。それからまたとおりがけにおぼえのある、ふるどうふるどうを、かたぱしからあたってみたのだが、みないあわしたようにあんなのだそうだ。しまいにはかれも、かたなくなったところから、それを三えん五十せんってきてしまったのだそうだ。
まったしいや。とにかくぼくためには、またとにすることのないたんとうなんだ。それをわずかえん五十せんかねえなきゃならないんだからなあ。」
 かれあとで、わたしのところへきたときに、しみじみとそうって、しゆうたんしていた。おそらくはかれっては、それはぶんにくいてるにもひとしいものだっただろう。だからには、くにもかれないようなつうさがあったことだろう。そして、それからもなく、こんだいこくばんがきたのだ。なんでもそれは、ほんごくちようしやかようようになってからもなしだった。

2020年10月4日公開 (初出 日本図書出版 大正11年発行 単行本

作品集『根津權現裏』第21話 (全45話)

© 2020 焚書刊行会

読み終えたらレビューしてください

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


この作品にはまだレビューがありません。ぜひレビューを残してください。

破滅チャートとは

この機能は廃止予定です。

タグ

この投稿にはまだ誰もタグをつけていません。ぜひ最初のタグをつけてください!

タグをつける

タグ付け機能は会員限定です。ログインまたは新規登録をしてください。

作者がつけたタグ

私小説 純文学

"第20章"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る