第19章

根津權現裏(第20話)

焚書刊行会

小説

2,517文字

芝公園にて凍死体で発見されるという最期をむかえた「破滅型の私小説作家」藤澤淸造の代表的長編の電子化テキスト

「ああ、ごろべついたまないが、しかしへんなんだ。ると、なかいっぱいでもめられたようなふうになってきて、になってたまらないんだ。きみはどうだい。いのかい。」
 わたしは、みぎでもってひだりあしをひとさすりさすりながら、こうったものだ。
「なんだかこういけないんだ。まいにちなまりでもつめんだように、あたまおもくてよわってるんだ。」
 おかこころかおしかめてみせた。
「そうだ。からだのことをかんがえると、なおとかねしいや。かねはいれば、なにいてもぼくあしりようかるんだがなあ。さけおんなも、うえのことだ。」
まったくだ。ぼくかねしい。ままっちゃっといちゃ、しまいにはどんなうかもれない。」
きみのはどうなんだい。やっぱりぼくのみたいに、だんだんくさってくるのかい。」
「さあ、くさってくるとうのかなあ。なにしろぼくのは、つにしたがって、はななかふさがってくるんだ。そして、ときどきくさいくさいうみてくるんだ。いっとうこまるのは、そうなるとまるで、なべでもかぶったように、あたまおもく、うっとうしくなってきて、なににもなれなくなってくるんだ。あさなどは、きあがるにさえなれないんだからなあ。」とって、あたまゆうりながら、それにごろしらからたのまれて、しんがくほんやくをやってるんだが、それやこれやで、すこしもはかどらないんだ。すっかり、くさらしちゃった。」といおわるとおそろしいものにでもせまられたように、じてしまった。
「そいつあいけねえなあ。きみのはどうすればいんだ。またしゆじゆつをしなきゃいけないのかい。」
「そうらしいんだ。ところで、ぼくのはこんしたからって、きっなおるとはきまっていないんだからよわるんだ。」
「そいつあこまるなあ。ちようぼくおなじゃないか。ぼくのはどうわるくなったって、いのちかかわるようなことはないだろうが、しかし、かたあしられたがさいごうとうなくなっちまうからなあ。だい一いけなくなってくると、しゆじゆつしたいにも、るものはかねなんだから、それをかんがえると、あななかへでもはいるようなちがしてくるよ。」
まったかねしい。かみよ。れにかねあたえよ。しからずんばあたえよだ。」
 おかはこうって、ときにもかいかつそうにうちわらった。だがわたしには、それはくよりもかなしく、あわれにおもわれてならなかった。
「で、だんだんいけなくなってくると、またしたたんとうだいこくしくなりやしないか。」
「だって、いくしくたって、いまになっちゃようがないじゃないか。それよかぼくは、なまでしいよ。」
 わたしあしのことをかんがえると、みずなかへうちしずめられてくようなこころちがするように、おかはなのことをおもうと、なかしているようなちがするのだろう。なんでもかれうところにると、それはもうかれものごころづくころからなのだそうだ。みぎはなからときどきのうじゆうてくる。うえだんはながつまってきて、きゆうするのがくるしくなるのだそうだ。それがうてだんだんはげしくなってきたのだそうだ。そうくと、わたしかれったのは、十二三のころからだが、かれころからして、だんはなむばかりか、だんめんぜんあつまってくる、えないものでもきはらおうとするときのように、ふんふんってはならしていた。で、わたしたちかれに「はな」とみようをつけたのは、おもとしてかれがそうしたしゆうへきからきているのだ。
 ところでこれが、二十二三になると、くちじていては、ぜんきゆうがしづらくなってきたのだそうだ。そして、あたまえずまいなやまされどおしになってきたのだそうだ。しまいにえられなくなってきたところから、じんたのんでしようかいしてもらったせきじゆうびよういんっててもらったのだそうだ。ころかれは、わたししばべんげんかんばんをしていたように、かれもまたほんばしうえまつうのしよしよせいをしていたのだが、せきじゆうびよういんしんさつると、それはちくのうしようと、まんせいこうえんだとうことがわかって、けっそうほうとも、しゆじゆつをすることになったのだ。
 なんでもそれは、こうなかこうしたぶんを、はさみでもってせつじよしていて、いっぽうちくのうほうは、どうようこうなかから、のみわんよりは、むしきりったほうてきせつらしいものでもって、みぎじようがくとうほうあな穿うがって、こんなにやくえきをもって、あなからなかを、せんじようしたのだそうだ。そして、それからはまいにちびよういんがよいをして、ガーゼーのりかえとどうに、いっぽうちくのうしようほうせんじようするのだそうだ。
 わたしいまでもおぼえているのは、しゆじゆつまえはそうでもなかったが、しゆじゆつかれっていると、かれかんからはっさんするあくしゆうが、はないてくるのでへいこうしたことだ。いまいて、あくしゆうけいようしてえば、あくせいびようどくためらんっている✕✕✕✕(※オマ○コ)を、けているときのそれをおもわしめるようなのだ。まったくもってたまらないにおいだった。
 せきじゆうほうへは、かれはものの一げつばかりもかよっていただろうか。うちもうしてしまった。とうのは、かねかんとのかんけいじよう、そうしなければならなくなってきたのだ。──どうふうし、どうさしってみても、ほんばしからあざまでかようには、ほとんどぜんちゆうつぶぶれてしまうのだ。ところでかれは、一にちじゆうもっとひつようかんはとえば、それはぜんちゆうかぎられているとってもべんげんかんにいて、かたわらにっさんしなければならないのだから、しゆじんまえや、ほうばいまえぐとしようおこってくるのだ。
 それはよししゆじんほうばいほうでは、じようじようだから、いっさいそれをしようにんしていてくれるとしてからが、いっやといにんとしてのかれになると、三に一がさしてくるとうものだ。それと、りよういくらもからなかったとしても、びよういんまでは、とおへだっているだけに、まいにちおうふくでんしやちんるわけだ。もっともそれも、はんつきばかりもすると、かくじつかよえばいことになったようだけれども、とにかく、それやこれやで、ほうしてしまったのだ。そして、こんほんごくちようで、いんこうせんもんにやっているしやのところへかよいだしたのだ。ならば、とうかれのいたちようから、まいにちあるいてかよえるからだ。それに、ならかんじやかずからっても、ほとんどようしないとってもいくらいで、けばぐとかえってこられたからだ。かれでは、どうしたものかしゆとして、はななかでんでもってしようしやくしていたらしかった。

2020年10月3日公開 (初出 日本図書出版 大正11年発行 単行本

作品集『根津權現裏』第20話 (全60話)

© 2020 焚書刊行会

読み終えたらレビューしてください

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


この作品にはまだレビューがありません。ぜひレビューを残してください。

破滅チャートとは

この機能は廃止予定です。

タグ

この投稿にはまだ誰もタグをつけていません。ぜひ最初のタグをつけてください!

タグをつける

タグ付け機能は会員限定です。ログインまたは新規登録をしてください。

作者がつけたタグ

私小説 純文学

"第19章"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る