第18章

根津權現裏(第19話)

焚書刊行会

小説

2,501文字

芝公園にて凍死体で発見されるという最期をむかえた「破滅型の私小説作家」藤澤淸造の代表的長編の電子化テキスト

 そのはなしが一だんらくつくと、わたしたちせずしてかねはなしをしった。くまでびんぼうにんまれついているわたしたちは、さいは、そうったふうになりちだった。
 わたしはそれにつけても、かねしいとうと、これにはおかどうかんだった。わたしかねがあったら、おんないにきたいとうと、おかおんなよりきにしよせきいたいとうのだ。そして、うえあそびにけるならってもいとうのだ。わたしくまでそれにははんたいだった。おそらくはかれも、いくらかのかねがあるなら、きっふさのところへけるに相違ちがいない。そして、しよせきたいするのはからかえってきてからに相違ちがいない。わたしはそうおもったので、それをおかうと、かれは、
「ううん、ぼくきみとはちがうよ。」とって、ごとこれをはんぱつするのだ。だがわたしは、くまでそううことはしんじられなかった。
「じゃきみは、うえもうふさつぼねわないつもりなのかい。それとも、うのにはべつもとらないのかい。」とうと、かれは、そくあたまよこってみせた。
「そりゃるものはるさ。おかげぼくは、っていたほんほんは、かたぱしからなくなしてしまった。なかには、ひとからりていたものもあるんだが、それもみんな、いっしよあずけてしまった。」とうのだ。
「じゃきみは、げんざいけいけんからしたって、なにぼくせつてるがものはないじゃないか。ええ、きみよろしくかねったら、それでもってふさつぼねうんだなあ。ふさつぼねいやだとうなら、しんつけてもいじゃないか。とにかくおんなて、おんなため使つかってしまうのだなあ。ほんつくえも、それはみんなうえでのことだ。」
「ううん、ぼくきみとははんたいだ。」
 かねしいてんでは、きよくりよくどうかんかれも、いては、なんとしてもわたしはんたいなのだ。ところでわたしは、いまいくらかのかねがあるとしたら、だい一にたんものってくる。それをものたてる。それから、おびじゆばんぼうなどをってきて、ひととおなりをととのえたうえおんないにきたいのだ。うえになおゆうがあれば、ときわたししよせきいたい。そして、おこたっているえいをやりはじめてもい。それはわたしだって、なければならないことはいくらもある。だがわたしは、いずれをはじめるよりもさきにしたいのは、おんなうことだ。わたしおんなって、ぶんしよしているせいりよくしようもうしてみたい。そして、じんがあればこんはそれをもりって、ふたたせいりよくかいふくすることがれば、ときこそはしんけんほかごとかりたい。でなければわたしは、あのふたをもしとばしてまで、たぎりにたぎりっているびんるようなせいよくしようどうられながら、なおれいぜんほかごとくなどとうことはとうていない。だからわたしは、なにいてもず、せいよくもんだいかいけつはしらねばならないのだ。ることなら、わたしひとおんなて、それとけっこんしてもい。わたしに、それそうとうさんがあったなら、いまのようなさびしいおもいはしなかっただろう。ときわたしはもう、あのさきいっしよになっていたに相違ちがいない。そうおもうと、わたしぶんいのちけても、なおせつしゆしなければならなかった。
 で、わたしたちのことにいて、ざんあらそっていたが、しかしそれはぐとちぎえになってしまった。とうのは、わたしたちもんだいにしているようなかねは、になったらわたしたちつかまれるものかわからないからだ。つまり、わたしたちげんざいとりあつかっているのは、
いくらかのかねがあったら、どうしてそれをしよぶんするか。」とていもんだいだとうことにづいたからだ。だがしかし、わたしたちへきても、なおかねはなしめなかった。あいいでおこってきたもんだいは、では、わたしたちかねにするには、なるほうほうったらいかともんだいだった。ところで、もんだいへくると、わたしたちあたまは、あのかめこうのようにかたくなってしまった。そして、わたしたちくちは、まるであのさかなのようになってしまった。
 なるほどかねほうほういくらもあるが、しかしそれはみな、それそうとうほんようすることばかりだ。ところでわたしたちは、ほんのことはもとよりそれにかわろうりよくさえもっていないから、あらゆるほうほうほうほうみなぜつぼうだった。それをなおかんがえるとうことは、かいじようでもってわたろうとするもどうようだった。
 でまたわたしもんだいにしたのは、わたしたちゆいいつほんにしなければならない、のうりよくやしなうには、なるほうほうっていかとうことだった。だがこれは、「ようべんきようにあり。」とひとこときていたが、べんきようをするにも、やはりさきつものはかねだった。はやはなしが、一さつしよせきうにも、一ぺーじえいどくほんおそわるのにも、かねたないことにはどうすることもない。だから、いよいよまでくると、わたしたちてきじゆうおちいったようになってしまわなければならなかった。ちようそれは、かつしかかっているじゆもくを、かくかくたるれつじつもとさらしながら、なおせいとうとするようなものだった。わたしとき、「かねがないばっかりに、ちようにもられず。」とってたんそくしためいじんさいとうりよくことおもいだされもしてきた。そして、なようだが、まずしくわたしんでくれたのことがおもわれてきた。おそらくはこれは、おかわたしどうようだっただろう。──みたるものあたえられたるゆうって、おもうのねんをもうばわれがちなのとはんたいに、まずしいものてるつうは、しばしばしんじようおもかげ宿やどして、げんふんえんこんいられるものだからだ。
「『わいそうございだ』。どうでのろわれているんだからかたがないや。まあ、きゆうのおもつになってやるんだなあ。そして、いよいよとなったら、ごうとうさつじんでもはたらくのよ。ほかようがないや。」
 しまいにわたしはこうって、にしていたバットをうと、それをばちなかげこんだ。そして、すわりなおすはずみに、ちょっとくれた浴衣ゆかたうわまえを、あしせていると、
「そりゃそうと、きみあしはどうだい。いたまないかい。」とおかうのだ。──かれは、わたし浴衣ゆかたくれたのをなおすひまに、わたししゆじゆつけたあとが、ひだりがわうえめんに、らくいんでもしたようになっているのをたのだろう。わたしはそうわれると、またいきなり、こおりなかけられたようなちになってきた。

2020年10月2日公開 (初出 日本図書出版 大正11年発行 単行本

作品集『根津權現裏』第19話 (全58話)

© 2020 焚書刊行会

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