これはまた其の翌日のことだ。
私は何處からか人聲がしたと思ったので、其の時目が覺めた。すると、
「おい、起きないか。」と云う聲が、はっきり私の耳についてきた。見ると、それは岡田なのだ。岡田は、私の部屋の入口のところに突ったっているのだ。
「うるさいなあ。なんだよ。」
私はこう云って、また掻卷きを引っかけて、床返りをした。
私は昨夜岡田のところから歸えると、先ず夕飯を食ってきて、それから、彼から借りてきた「早稻田文學」を繰ってみた。だが皆つまらないものばかりだった。これと云って、讀んで見ようと思うようなものは、殆んど一つもなかったと云っても好いくらいだった。それから、私はまた、讀みさしていたシェンキーウィツの「二人畵工」を取って讀んでみた。
私は其の時は、第十一章から讀みだしたのだが、それを讀んでいると、私には累累たる墓石ばかりが見えてきて、心は無闇と冷くなってきた。私には、ウラデックの贏ちえたような幸福は、夢想だにすることが出來なかった。性の狷介さ、趣味の偏狹さ、そして、容易に他人を信ずることの出來ない點では、私は飽くまでアンテックに似ている。そう思って私は自分をかえりみた時には、泣くにも泣かれないような氣持ちになってきた。
また私は、其の夜は不思議と、自分の脚のことが氣になってならなかった。私の過去二十四年間は、貧苦と病苦とに織りなされた上を、血と淚とで塗りかためられていた。だから私には、敎育らしい敎育も與えられていなかった。と云っても好かった。反對に私には貧しき者が當然負わなければならない、猜疑、嫉妬のみが、多分に加えられていた。恐らくは今後も、それがいやが上にも加えられて行くだろう。そして、それから生れる不義不德の爲に、終いに私は、肉を割かれ骨を刻まれて、果敢なくなって行かなければならないかも知れない。しかしそれまでは、私は微塵自分自身を害ってはならない。最後の最後まで、私は自分の手で自分を守って行かなければならない。それにしても必要なのは健康だ。四肢五體の中、どの一點もおろそかにしてはならない。こう思えば思うほど、私は呪われたような脚のことが氣になってならなかった。其の一點では、アンテックの不遇な生活も、なお私には羨ましかった。だから私は、「二人畵工」の第十三章を讀みおえた時には、沼津へ轉地して、肺患を療養している大野木を思いだした。そして、彼のところへ私は私の寂しさを訴えて、手紙を書いたりした。がしかし、私の心はそれに依って、少しも慰められはしなかった。反對に私は、とにかく彼は不治の疾患に惱まされながらも、轉地療養の出來る身分だと思うと、其處にまたかなりの嫉妬を覺えた。
すると今度は、其處へ押しよせてくる蚊の群の煩わしさに堪えられなくなってきた。それから私は、損料(※レンタル)蚊帳をつるして、其の中へ電氣を引っこんで、次の第十四章から讀みはじめた。そして、其の次の第十五章の終りから、第十六章全部を讀んでいる中に、私はまた、どんなに寂しく味氣ない思いに攻められたか知れない。それが期せずして、私の心を岡田の方へ引いていった。そうだ、今頃は屹度岡田は、それこそ身に一物を蔽うなくして同樣の姿態をしたかの女を掻きいだきながら、明けやすき此の夜の果敢なさを歎いているだろうと思うと、私は燃ゆるような性の衝動を覺えた。そして、それを滿たす手段として幾度から不自然な方法を强いられたか知れない。其の時若し私に、私の持ちえた誇りがなかったなら、私は安んじて、其の卑しい方法を採ったに相違ない。
私は其處で、一旦伏せた目を開けて、再び「二人畵工」の頁の上へ注いだ。私は第十七章から、終りの第二十三章までの七章を讀んだが、卷を掩うた時には、私の胸は索莫其のもののようになってきた。と云うのは外でもない。人生の幸福者たるウラデックの友人たるオストリンスキイが、多年の戀成って、其の相手たるヘレナ夫人と結婚したばかりか、私はそれまでは、不幸不遇な點において、私の分身のように思っていたアンテックまで、以前ウラデックの戀人だった女を得て、これも結婚してしまったからだ。
私はそれを讀みおえた時には、もう外で雀の聲が聞えていた。其の聲がまた私に、遠い昔を思いださせてきた。それは、私が夜每夜每、骨髓炎が化膿する苦痛に堪えられなくなって、ある時は、寧ろ絕息するの安きを思いながら、只管に時の經過をのみ待っていた當時のことだ。それを思いだした時には、とにかく私は、其の苦痛から脫れていることを思って、それに依って僅に自分を慰めることが出來た。だから私は、岡田に起されるまでには、まだ幾時間も寢てはいなかった。其處を不意に起されたので、私はうれしくなかったのだ。
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