第14章

根津權現裏(第15話)

焚書刊行会

小説

5,538文字

芝公園にて凍死体で発見されるという最期をむかえた「破滅型の私小説作家」藤澤淸造の代表的長編の電子化テキスト

 それから、四五にちしてからだ。わたしうえしよかんへ、なに調しらべものにったかえりに、なかはしのところへってみたことがある。
 せつがらけっぱなしになっているなかはしうちはいってくと、なかはしちやっくりかえっていたから、わたしは、
せんしつけいした。」とうと、かれわたしのくるのをもうけていたように、
「ところでたいへんだ。──きみはもうってるかもれないが……」とうのだ。
「なんだい。たいへんだとうのは。」
 わたしもちょっとめんらったかたちで、こううと、
はなふさとのことさ。」とうのだ。
はなふさととうと……」
 わたしは、はなおかしてうのだとうことはわかっていたが、いっぽうふさうのはだれだったかわからなかった。だからわたしは、そうってきかえしたのだが、かれへんとうっているあいだに、わたしあたまなかへ、いくにんかのおんなとおっていった。それは、だれわけでもないのだがとにかくいくにんかのおんなはしりぬけていった。うちわたしは、それらのおんなを、るだけみにくものにしてようとおもっていた。ところへなかはしが、
「ほら、あいだばんはなていたじよちゆうがいただろう。あれなんだよ。」とこううのだ。それとわかると、わたしかすかながらに、いっしゅおちきをかんじてきた。だからこんは、もかるがると、
「それがどうしたんだい。」とって、わらってみた。
きみらないのかい。なんでもふたは、あれからたいへんなんだそうだ。──はなまいばんしかけていっちゃ、ふさつぼねめさいなんでいるんだそうだ。」
いことをやがるな。ふさつぼねたあ。で、どうしてきみはそれをってるんだい。」
「そいつや、こうなんだ。──昨日きのうだったか一昨日おとといだったか、ぼくのとこのやつがいてきたんだ。それに今日きようだ。今日きようまえに、ほら、もうひとふとったじよちゆうがいただろう。あれがやってきて、のこらずしゃべっていたよ。──昨日きのうぎには、ごんげんうらで、あいびきをしたとかしないとかうんだ。」
「そいつやはつみみだ。おどろいたな。くせやっこさんは、まいにちぼくのところへきてるんだがなあ。」
「きていたって、きみぼくには、なんぼなんでも、ちょっと彼奴きやつ(※あいつ)のくちから、いだしにくいやな。」
「そりゃそうかもれないが、とにかくごうがいもんだなあ。やっこさんが、づきにっさんするなんてことは。」
「『こいあんほかなりけり』だ。」
「と臺詞せりふまずいが、やっこさんもやっこさんだなあ。」
きっしたとでもうんだろう。」
 わたしたちあいかえりみてわらった。そして、わたしもなくなかはしからてきた。わたしみちみちあるきながらおかのことをかんがえてみた。しかしわたしには、どうしてもそれを、のまましんずるにはなれなかった。わたしはそれを、なにかのちがいだろうとおもった。またおかために、そうあってくれるようにともおもった。
 宿やどかえってくると、わたしかいちゆうのノートをりだして、これからあせながしにせんとうへでもってこようかとおもっているところへ、ひよっこりおかがやってきた。わたしかれかおをみると、ぐとのことをいてみたのだ。はなおかは、
うそだ。うそだ」とばかりで、てんでもんだいにしないのだ。それをわたしが、ぜんゆうからっついて、きだしてやったのだ。
うそなもんか。うえにもきみは、ぞんぜぬらぬとうならかたがない。ごうもんにかけるがそれでもなおきみは、ぞんぜぬらぬでしとおそうとうのかい。」
 しまいにわたしすこしじれったくなってきたので、じようだんはんぶんにこうったりした。
きみからいてきたんだい。そんなことを……」
 こんおかは、どころもんだいにしした。わたしときたしかしんしようてしまった。とうのは、これがぜんぜんげんのことなら、にもそんなことをもんだいにするひつようがないからだ。だがわたしは、もういっすすんで、それをかれくちとおして、たしかめたいとおもったので、
だれからくものか。ぼくふさつぼねから、かにいてきたのよ。」とってやった。
 だがかれは、それでもなおように、それをみとめようとはしないのだ。それをわたしは、なおいつめしてきだすと、かれかたがないとおもったのだろう。たとえば、ふくろれ、はこれ、さいしきにくるんで、しかくしていたしきれたように、
「なあに、二三きゃいかないんだ。」とって、とうとうどろいてしまった。しかし流石さすがかれときは、ちようさかずきふたみっつもくちにしたように、こころかおめていた。
 よくじつのことだ。
 わたしうえしよかんってきたのだが、かえるとぐに、きんじよせんとうけていった。かえりにわたしは、ふとおかのところへってみるになったので、さかをのぼっていった。
 おかさかうえの、ひだりよこちようにいたのだ。かどからひだりがわげんうちがそれだった。わたしはいっていくと、かおじみじよちゆうてきた。
おかくん、いますか。」
 わたしがこううと、じよちゆうは、
「はあ。」とったが、ぐと、「ちょっとおちくださいまし。」とって、おくほうへとえていった。
 わたしは、じよちゆうった、「はあ。」とかんどうが、なにになってきた。それとうのは、ついぞいままでに、ただの一だって、わたしたせて、たしたことなどはなかったからだ。そうおもうとまた、あっせられたすきからしだすような調ちようでもって、「はあ。」とったかんどうになってきた。すると、じよちゆうかえってきて、
「どうぞ、おあがりくださいまし。」とって、こころあたまをさげたりした。くちもとにはしようしようでもないいっしゅしようただよっていた。わたしはなんだろう。どうしたんだろうとおもいながら、ろうとおって、おかまえにきたときだった。なかにいたうちひとが、あしおとあらげだしていくのが、はっきりわたしみみについてきた。とどうに、わたしこころおんなかげうつってきた。わたしは、
「ああ、あのおんなだなあ。」とおもった。そうおもいながら、わたししようけると、おかわたしほうかおけて、
「おい、おい、くんだよ。おい、ておいでよ。」とって、おおきなこえをしたものだ。
「どうしたんだい。じやになるなら、ぼくかえってもいぜ。」
 わたしはこうって、ぬぐいせっけんばこをくるんだのをかたったまま、ったっていた。
「なあに、いんだよ。」
 おかはこうってから、
「おい、らないひとじゃあるまいし、なにかくれるにはあたらないじゃないか。ておいでよ。」とって、こんりつけるようなものいをした。
 それから、またわたしに、
「まあ、すわりたまえ。」とって、にあったとんきよせてくれたりした。
 ると、ばこぼんざらは、しきしますいがらでもってまっている。ばこぼんそばには、べさしのしおせんべいらかっていた。わたしとんこしをおろすと、つくえうえをやりながら、
「『ぶんがく』がいていたら、ちょっとしてくんないか。」とったものだ。ほんとうは、そんなこころにもないようなどたのむよりは、おもしやにくでもれんぱつして、すこしはかれはらなかを、えぐってやろうかともおもったが、しかし、ときばかりは、流石さすがわたしにも、そういたずらなかった。なんだかわたしには、りにもぶんゆうじんが、じようじんあいびきしているのぞんで、そううことをえてするのは、あいたいしてはもとより、ぶんしんたいしても、ずべきことだとおもったからだ。だからわたしは、つくえうえをやるとちように「ぶんがく」がっていたから、わざわざそれをりにでもきたようにって、ばつをあわしたのだ。
「ああ、いとも、っていきたまえ。いてるんだから。」
 おかは、にんげんがんぜんきつけられたさきにおどろきながらも、なおこころちのどうようしかくすときにするようなつきでもって、わたしほうをみながら、にもこころよしようだくしてくれた。とちようへ、おんなはいってきた。るとそれは、わたしちよっかくどおふさだった。
 ふさは、はいってきてすわると、
らっしゃいまし。せんしつれいいたしました。」とって、おちるようにあたまをさげた。そして、こんはあげたあたま、いやあたまではない、かおこころけてしまった。ようにはわしらわれたすずめのようなところがあった。わたしはそれをときには、いじらしくなった。わたしかるていとうしてそれをけて、かのじよぬすみみたときにはきたくなってきた。しつぶされたようなはなかたちたたきつけられて、れあがったようなかんこつ、それに、おどろくほどこうみように、蜥蜴とかげくちしたようなくちつきとをていると、わたしには、つぶらなかのじょふたつから、あのたきのように、なみだながれないのがおもわれてならなかった。
 それに、しいのはこしらえだ。──しろあらあさつなぎをいた浴衣ゆかたて、おびは、こんのメリンスへ、はくたんはなめだしたのへ、くろじゆあわしたものなのだ。わたしはかのじょかおと、ことそくはつったかみと、浴衣ゆかたとのたいしようにしたときには、まさにびんさつしてやりたくなった。わたしは、なおこうおんなにも、おとここいするねつじようゆうされているのかとおもうと、じんせいにくじんせいしゆうあくさがおもわれてならなかった。で、わたしぐにようとおもった。するとおかが、
「おってきたのかい。」とって、わたしほうをみたが、せんと、わたしちあがろうとおもって、ふさていたを、ぶんほうきもどそうとするのとが、ぐうぜんでぱったりくわすことになった。ときまたわたしは、たまらなくなってきた。とうのは、かれふたつは、げゆくいたのそれをるようなふうなのだ。なんのことはない。かれおくそこたたまれているこころひようじようは、とっぷうけて、いまにもちぎれそうにかいてんする、あのふうしやのようにどうようしているのだ。で、わたしは、
「ああ、ぼくはいってると、あとからはいってきた、もんもんろうが、ひとなにぶしを、くりかえくりかえりやがるんで、すっかりまいっちゃった。なにしろ、これじようまずいのがあったら、おみみからないとったふうなんだからなあ。」と、ついつかぬことをってしまった。そして、いよいよかえろうとおもった。
 なにぶしのことなども、なかじよううそなのだ。だがわたしときしきしてそうちようをしなければならないようにおもわれた。それからまたわたしは、しずかうつして、ふさほうた。ふさは、さびしく、あんそうにしていた。たとえば、おかしたつみまえに、ちゆうしんからのざんをして、さいせんこくつもののようなふうがあった。そして、かかるあいに、にんげんだれでも、かならしんぶつむかってとうするものだとするなら、かのじよもやはりそれにれず、あいかのじよしんぶつたるおかほうむかって、ひたすらすくいをもとめているらしかった。それはわたしが、そうしてかのじよそそいでいるときに、かのじよは、かのじよせんを、おかほうそそいでいるのをたからだ。それはおもいししたからするように、しくは、かくしのすきからでも、えてそうするようなふうだった。だからわたしは、ときやにわちあがって、いきなりかれふたはだにしたうえふさめているちゆうおびでもって、かたかたしばりあげてやりたくなった。そして、わたしこまったをあげて、からとおわたすことのうえほうてみた。すると、すみのようなうえもりが、いくつか、しくはいく十、いくひやくかのとうかげから、しずかよるっていこうとしていた。それがおかまえったっている、三ぼんしいえだとおして、なかゆめのようにわたしうつってきた。それにはなっていたかんはとえば、ほんのわずかだったけれど、それをているうちに、わたしむねへ、あいあいせきばくせきばくが、あらしのようになってあつまってきた。わたしときあきらかにふたたいしてしっかんじた。もうおんなようぼうきようようかんなどはもんだいではなかった。とにかくいっおんなたましいと、にくたいべてをゆだねられているおかのことをおもうと、あさましいはなしだが、えんえんたるしっほのおが、わたしこころかこんで、えさかってくるのをおぼえた。わたしはもうなにかんがえるひまもなく、げかえろうとおもった。するとおかが、
きみは、今日きよう宿やどにいたのかい。」といかけた。
「ああ、おひるから、またしよかんへいってきたんだ。」
 わたしはこううとどうちあがって、つくえうえの「ぶんがく」をりあげた。そして、
「じゃ、これをりてくよ。」とうと、
いじゃないか。はなしていきたまえな。」とって、おかきとめてくれた。だがわたしは、
こんともだちがやってくるやくそくになってるんだ。しつけいするよ。」とまたで、わたしまかせのうそってしまった。
「じゃ、ぼくしつけいするよ。」
 これはおかだ。
「そいじゃ、めんくださいまし。」
 これはふさだ。
 わたしは、
めん。」と、ふさほうあいさつして、のところへてきて、あしせたときに、またはっきりとわたしむねへ、わたしかげえてしまうと、ふたはいきなりあいようして、ちっそくするまでくちづけをしているのがかんじられてきた。
 わたしは、こうけて、おもてときには、それでもほっとした。だがしかし、さびしさ、かなしさにかこまれて、あえいでいるわたしこころは、なかなかになぐさめられなかった。わたしちゆうになって、あるすくぬしいもとめた。するとへ、さきおもかげよみがえってきた。ちゆうすくぬしいもとめていたわたしは、またちゆうになって、さきおもかげきいだききいだきしてきしめた。だがしかし、それももなく、ゆめのようにわたしからえていってしまった。わたしのはずみをって、こんふたつでもって、ぶんむねしつぶすようにきしめていると、おともなく、そらからってきたようにおりてきたエレベーターが、わたしこころまえへきてとまってしまった。そして、わたしくずれるはいのようにしてそれへきのせると、ぐまたしたほうむかってうごきだした。わたしはそれとづくと、はっとしてぶんかえったが、しかしエレベーターは、ずんずんおともなく、したしたへとおりていくのだ。

2020年9月28日公開 (初出 日本図書出版 大正11年発行 単行本

作品集『根津權現裏』第15話 (全60話)

© 2020 焚書刊行会

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