おさしみ IN THE DREAM

伊藤卍ノ輔

小説

2,804文字

すごく久しぶりに書き上げることができました。ありがとうございます。

しおと離婚の話をした夜、おいしい魚の夢を見た。木目のぼんやりした舟盛りの器にのっかっていた。きれいな白身はほんのりピンクで光っていた。つまんだ割り箸の先っぽにしっかりした弾力を感じる。醤油につけると銀色の脂がさっと広がる。口に入れた。うま味で舌の付け根がきゅうとなった。こりこりしてほんのり甘い。顔をあげて、うまいねぇと言った。しおは味わうように慎重にもぐもぐしながら、何度も頷いた。そこで目が覚めた。
ふたりで区役所に行って離婚届を書いた。科学博物館やプラネタリウム、なんとかクリニックなんかが入る複合施設の最上階だった。よく晴れて街がきれいに見渡せた。
「うわー、ノンキな夢」しおは笑った。
「おれはいつかあのおさしみを食べる」
「どうでもいいから、その決意」
「しおは夢見なかったの?」
「わたしは爆睡してた」
「そっちのほうがよっぽどノンキじゃねーか」
ふたりとも笑った。本籍地を間違えて書き直した。途中で訂正印でもよかったことに気づいてふたりして悔しがった。
提出しおえるとお昼近かった。
「何食う、おひる」
「くら寿司」即答した。
「しゅうちゃん絶対夢にひっぱられてるよね」図星だった。
「あと、びっくらぽんやりたい」言いながら、車をくら寿司の方向に走らせる。
「ほんとさぁ、離婚してもやることなんにも変わってないじゃん」
「しおは昨日、あんなに泣いてたのにね」
「勘違いしないでほしい、しゅうちゃんから先に泣いてたから」
「いや、うそつけ!」どっちにしろ、ふたりで泣いた。

しおは別の男の人と暮らし始めた。おれは同じ職場の佐々木さんを食事に誘った。佐々木さんは休憩中にアイスを食べる。その場所がなくてよく喫煙所に行く。おれは煙草を吸うからよくかち合った。
「さっきはすみませんでした」申し訳なさそうに佐々木さんが切り出した。「離婚なさったの知らなくて」
「ぜんぜん、ぜんぜん」煙を吸い込んだところで勢いよく答えたからむせた。
ほんの少し沈黙ができた。
「佐々木さん、今度ごはんでも行きませんか」
「えっ」
「仕事終わりでも」
「あっ、ハイ」
連絡先だけ交換してその日は終わった。
帰りの電車で、佐々木さんと生きることを想像してみた。繰り返し想像した。気がつくとしおとの生活の思い出にすり替わってたりして、最初からやり直したりした。窓の外を過ぎるビルや家の輪郭は夜に沈んで見えなかった。家の灯りや街灯だけが宙に浮いたようにぎらぎら光っていた。

休みが合わないうちにコロナがきた。三ヶ月くらい間をおいてようやく食事に行けた。蒸し暑かった。日が長くなって仕事終わりでも夜になりきっていなかった。銀座は碁盤状になっているから並木通りは東西を見渡せる。綺麗に並んだビルの間のずうっと先で、空が橙色から濃紺にグラデーションしていた。
「なんか食べたいものありますか、なんでも」
「あっ、なんでもいいですよ」
「牛丼とかでもいいんですか」
「えっ、本気ですか」
「いや、大丈夫です。冗談です」
佐々木さんはふふふと笑った。おれはなんだか冷や汗をかいた。
「刺身好きですか」
「あ、いいですね、好きです」
外堀通りと平行して走る高速道路を、新橋方面に辿っていった。鮮魚がウリの居酒屋があったからそこにした。
店の中は薄暗かった。入ってすぐにテーブルが並んでいて、奥の間仕切りから座敷席が見える。あぐらのサラリーマンがこっちをチラっと見た。なんだかバツが悪かった。席に通された。
「ビールにしますか」佐々木さんがメニューに手を伸ばしながら言った。
「じゃあ、ビールで」ハイボールが飲みたかったけど我慢した。
ビールで乾杯して、お刺身を待つ間仕事の話をした。佐々木さんは最近ちょっとした責任者になったばっかりで不安がっていた。一緒に働く人たちを尊重するのが一番大切だみたいな話をした。あと佐々木さんはドラマが好きでそんな話もした。竹内涼真を知らないと言って驚かれた。
出てきた鯛の刺身は美味しそうだった。白いふっくらした身に甘そうな脂がのっていた。たしかに美味しい刺身だった。
「美味しいですね」
「美味しいです」
でも夢で味わったときの感動はなかった。だけどきっとそういうものだなとも思った。なんこつ唐揚げのほうが美味しかった。
会話は途切れがちだった。途中意味もなくツマを食べたりした。魚の血みたいなので湿ってて美味しくなかった。

次の日は佐々木さんは休みで、その次はおれが休みだった。その次の日に煙草を吸ってると佐々木さんが来た。他に人はいなかった。意味もなく気まずいような気がした。
話すキッカケがわからなかった。佐々木さんも同じみたいだった。しばらくおれはすぱすぱやって、佐々木さんも黙ってアイスを食べていた。
「小林さんって、まだ奥さんのこと好きですよね」
不意に佐々木さんが言った。おれは え と声を出してなにもいえなくなった。少ししてやっと「なんでですか」と言った。
「なんとなく」と笑ってるような笑ってないような顔で言って、またアイスを囓った。下の方がとろっと溶けて、棒をゆっくり伝っていく。「この間話したとき、なんとなく思っただけです」白い重たそうな液体が、佐々木さんの指にぶつかって滲んだ。
おれはなにも言わなかった。ただぎっくりして、どきどきしていた。
好きといって、そういうのはもうわからなかった。ただしおと離れるのはどうしても無理な気がしていた。思い返してみれば、離婚の話をして泣いた夜からそうだった気がする。しおもそんな気持ちだったんじゃないかと勝手に思う。
「わかりません」
正直に言った。佐々木さんはゆっくりと何回か頷いて、アイスを食べきってから出た。俺は四本目の煙草を吸い始めて、いい加減肺が苦しくなった。
不誠実なことをしたろうかと思った。傷つけたろうか。傷つけないまでも、自分勝手すぎただろうか。
ヤニでまだらに黄色くなった壁を見ながら、しばらくそこでぼんやりしていた。

一週間後にしおとメシを食べに行く話になって、ブロンコビリーに行った。サラダバーは沖縄フェアで、沖縄そば風パスタが美味しくておかわりした。
「そういえばいいの、一緒に暮らしてる人」
何気ないようにきいた。 んー? としおは白々しい声を出して少し黙った。
「なんか、付き合ってるとかじゃないよ」
「そうなんだ」それ以上はきかなかった。
出てきたステーキは柔らかくて美味しかった。
「うまいねぇ」
しおは何回も頷いた。いつもブロンコビリーにきたときはこんなやりとりをする。
「そういえば、お刺身はもういいの」
「刺身?」とききながら思い出して「MY FAVORITE おさしみ IN THE DREAMのこと?」
「ハァ?」
お腹の筋肉が熱くなるほど笑った。しおは呆れていた。
「あれはもういいよ」
まだ少しひぃひぃしながら言った。
「いいって?」
「見つからなかったけど、もういい」
「ま、夢だからねー」
「そういうことです」というわけでもなかったけど、そういうことにした。

2020年9月23日公開

© 2020 伊藤卍ノ輔

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