第9章

根津權現裏(第10話)

焚書刊行会

小説

1,937文字

芝公園にて凍死体で発見されるという最期をむかえた「破滅型の私小説作家」藤澤淸造の代表的長編の電子化テキスト

 わたしがようやく宿やど辿たどりついて、やぶじやすぼめると、たてつけわるがらを、なかやけにたたきしめて、ったときには、それでもかすかながら、いっしゅあんさをおぼえた。とどうに、あめのしぶきにうるんでいるひとすそのあたりがになった。で、かさてかけて、っかけのやぶれかかっているスリッパをっかけて、いたじきへあがると、ひだりちやから、
「おかえりなさいまし。」とって、めずらしく宿やどおかみむかえてくれた。ところで、こころも、いしのようにかたむすぼれているわたしは、それにはこたえもせずに、とおりぬけようとすると、しようあいだから、しどけない姿すがたをみせていたおかみが、
「さっき、おかさんてかたが、おえになりましたが……」とうのだ。
「ああ、そう。」
 わたしは、それをふかにもとめずに、こうなまへんをして、ぶんほうきかけると、
「そして、おかえりになったら、これをおあげしていただきたいって、これをいていらっしゃいました。」とって、一ようはくさししたから、わたしかえって、それをうけると、おかみっかけて、
そとにおれがおふたいらっしゃいました。」とって、ちょっといきをついて、「おひとはおひげをはやしたかたで、いまひとは、ふとったかたでした。」と、わずがたりをしてかしてくれた。わたしはそれをくと、れとうのはだれだろうとおもった。
ふとったおとこ。」
 こういながらわたしは、しよっこう(※ワットでんきゆう)のでんかげで、すかしながらかききにそそいだ。それには、
とくろうぼういたそうろうぐに、くだされたくそうろう。」とえんぴつはしりがきしたよこへ、「おかさくろう。」としてあった。わたしがそれをみおわると、ちようおかみは、
「なんとかおっしゃったようでしたが……」とうそれがれるところだった。わたしは、
ごろきたんです。ほどまえでしたか。」とっていてみたが、ときわたしこえが、おそろしいものまえにでも、たされているときのように、ふるえていたのは、ぶんにもはっきりかんじられた。
「さあ、あなたがおけになると、もなくでした……」とおかみうのが、にものなさそうな調ちようなのだ。こうして、いたのではわからないが、くにおかやまだとかうだけあって、かにへんなまりがあった。それがにもゆっくりと、しのすようなふううのだから、それがあいいたわたしあおってきた。で、わたしあぶなで、おかみとばしてやろうかともおもったが、どうわたしには、
「やっこさん、とうとうやっつけたなあ。」とおもうと、もうおかが、せんけつってはかんじがあらわれない。わたしには、どすぐろい、すみのようなしおにまみれて、あのちまえのおもいきりひらき、にきびのあとかたまっているほおしんけいひきっつらして、たおれているかれにざまが、はっきりえてきた。とおもうと、わたしはもうかれあやつられてでもいるように、ばこからつまかわ(※つまさきカバーきのはきもの)とうのもばかりで、もゆるく、うえに、ぶんあしくせとして、へんゆがめてきへらした、これもきりとはのみのふるあしつまみだすと、それへあしっこんで、かたいしざきからりてきたかさつかむと、おかみほうへはくちかずにそとてしまった。
 まったく、一まいはんんだときの、わたしおどろきとうものはなかった。それはわたしにはそれまでにかつかんじたことのないおどろきだった。
 わたしかつて、ははとくでんぽうったことがある。だがときおどろきも、ときのそれにくらべると、ものかずではなかった。なにしろときは、いくつきまえから、わたしははびようしていることをしようしていたうえに、ちようわたしころいんしよくにさえわれて、あわれにもするのをたねばならないようなおちいっていたさきだっただけに、まことにもうわけのないはなしだが、わたしはそうあるようにとおもって、ちゆうしんひそかははなるものをがんぼうしていたのだ。とうのは、一ほうにするがさいわたしとうりをさしめられていたあねのところへけつけていって、りよをはじめごくせいかつしようまで、いっさいあねつことにしようとかんがえがあったからだ。──とうわたしははは、きようにただひとりをして、みずからかせいできていたのだ。だからときわたしは、おどろきはあっても一めんにはそれが、わたしためにはすくぬしともなってくれるかんけいじようかえってよろこびのほうさきっていたくらいのものだ。だからいまときおどろきにちかいものをもとめると、それはいまから四がつばかりまえにあったごとで、さきゆくめいになったことをったせつくらいのものだった。じつわたしは、ときほかなんにもかんがえずに、ちゆうかれのいる宿しゆくしていそいだものだ。せいさんおうか、それともしゆうあくおうか、とにかくかれがいのある宿しゆくしてわたしは、びっこきながらいっしんきをいそいだのだ。

2020年9月23日公開 (初出 日本図書出版 大正11年発行 単行本

作品集『根津權現裏』第10話 (全45話)

© 2020 焚書刊行会

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