第6章

根津權現裏(第7話)

焚書刊行会

小説

2,975文字

芝公園にて凍死体で発見されるという最期をむかえた「破滅型の私小説作家」藤澤淸造の代表的長編の電子化テキスト

 そとてみると、あまはもうあがっていた。わたしよこちようけて、おおどおりへてみると、ひとつはあめったせいからでもあろうが、りようがわのそこもここも、みなみせをしまっていた。そして、とおりにはにもあきよるらしいせいじやくさと、あいしゆうさとがただよいながれていた。わたしおもわずひだりひとえりをかきあわせた。そして、っとそらあおいでみると、そらは一めんうすずみながしたようにくもっていた。
 とおりはことわるまでもなく、時雨しぐれためれていたが、それへりようがわけんとうはんしやして、まるできんでいしやくどうでもしたように、それがにもうつくしくりかがやいていた。うえわたしはとぼとぼと、それこそしよひつじのようなあしりであるいてくると、しっとりとれたつちきふるしたわたしこまそこいついてくるのだ。それがあいわたしみようさびしいあんかんじをさせてきた。そして、それまではわすれたようになっていたしよくよくが、一どきときおこってきた。どうに、一だんえしたが、わたしからだかんじられてきた。それがやがて、宿しゆくしつたいするろうしてきた。わたしおもわず、かるあたまゆうってみたが、しかし、さびしいあんおもいは、すこしもうすらぎはしなかった。
 わたししばらくすると、ああ、そうだ。そこしやもんのところへている、たいずしべていこうとおもった。そうおもうと、こんていてくれればいがと、そればかりをねんじながらわらだなちかくへくると、げいひとあるいていった。はじめは、わたしこうほうからあるいてきたのだが、それがもうわたしいぬいてさきへいくのだ。
 すると、むこうのほうからまたわかげいか、ひだりつまって、ひとわかおとこつれってくるのにった。おとこうのは、ちやのソフトをかぶって、インバネスをまとった、ちゆうにくちゆうぜいおとこだったが、ふたなにいままでのはなしのつづきでもしているのだろう。ぴたりとりそって、しきりとなにごえささやきあってくるのだ。それらをにすると、わたしはまた、それでなくともげんえきっているむねへ、こおりでもてられたようになってきた。わたしにはひとりそればかりでなく、なかべてのものとうものは、みなわたしせつけているようにおもわれてきた。またもわたしは、しみじみとかねしくなってきた。かねさえあれば、わたしいまからあたりまちいへいって、ひとわかおんなって、あたたかゆめむすぶであろう。しよくよくだってそうだ。まちいへいったうえで、ぶんこのむものをとおして、十二ぶんしよくよく滿たすこともよう。ただないのは、ぶんまずしいからだとおもうと、もうあるりよくさえもなくなってしまった。そして、わたしときせっとうしくはごうとうはたらものしんおもいみた。わたしだけには、それがはっきりわかるようにおもえた。うちにもう、あらしたれたぎゆう(※かたつむり)のようなあしりであるいてきたわたしも、しやもんそばへきていた。
 をあけてみると、だんまいているはずすしかげかたちもなかった。おでんでもとおもってまわしたが、これもやはりどうようだった。わたしは、さわるとひやりとするほどあかられているぐちを、ひとうえからおさえてみて、きたくなってきた。どうに、一だんくうふくおぼえてたまらなくなってきた。ためしにあっているのだとえばそれまでだが、しかし、それにしても、あまりにかなしいためしだからだ。
 ときふと、わたしむねひとおんなかげうつってきた。それは四がつばかりまえに、れてしまったとえばていさいいが、ほんとうむこうのほうから姿すがたかくしてしまったのだが、おんなのことがこころうかんできた。おんなは、せんぞくちようめいしゆ(※ばいしゆんてのさか)にいたのだが、わたしがそれとんでいたかんはとえば、それはそんなにながくはなかった。せいぜいながくてふたつきぐらいのものだった。しかしあいだに、わたしたちしようがいしてかわるまい、かわらないとかたやくそくもした。わたしおんなゆえに、あるときともだちあざむいて、りてきたほんしちっていったこともあった。またじんせんぱいうようなところへは、それぞれにもっともらしいこうじつもうけていって、くらかずつかのしやっきんもしたものだ。うちおんなは、わたしへはじんことわりもなしに、もうゆくれずになってしまったのだ。わたしがあるよるおんないにいって、それとったときには、わたしかつらないほどのさびしさかなしさ、またいきどおりをかんじた。わたししばらく、んだもののようになって、じっとしていたのをおぼえている。ときおんなが、ぐうぜんわたしむねかえってきたのだ。そしてはなしだが、れてからのかんが、わたしおんなたいする、べてのあっかんあらいさってくれたもののようになって、あとのこっているのは、みなこいしい、なつかしいおんなことちばかりなのだ。
 おんなかならずしも、わたしあいをつかしてれたものではあるまい。には、うにわれないじようがあって、わたしから姿すがたしてしまったのだろう。わたしはそうもおもってみた。ろんこれは、こいうしなって、さびしさにおとこが、いっときけおしみからうぬれだとえばそうもえるが、とにかくわたしは、にもそうしんじたかった。そうおもえばおもほど、またわたしには、どうかしていまおんないたくなってきた。あのおんなが、きつづいてわたしおなかんけいいでいてくれたら、わたしこころは、どんなまずしいなかにも、どんなにはなやかだったかれない。なるほどの一めんには、またくにもかれないような、あいつうはあっただろうが、しかし、それもこれも、あいおんななるがゆえに、わたしげんざいそうぞうしているよりももっとかんされて、一めんにははなはるにもたとえたいような、うれしさよろこばしさがあったに相違ちがいない。だがしかし、それもこれも、みないまになると、おもうてかえらぬとおゆめになってしまったのだ。
 わすれもしないわたしは、おんなのところへかよっているあいだは、おんなほうねつじようとが、ともしてくればくるほどわたしはそれをよろこびたのしみながらも、また一めんおそれかなしんだものだ。とうのは、とうちやくてんけつてんどうせいであって、とうわたしには、とてもそううことは、ないそうだんだったからだ。──ぶんのみか、おんなせいかつをもしようしていくとうような、そんなはたらきが、とうわたしにはなかったからだ。だからわたしは、ひたすらむねけておんなせっきんしてくるのをたいぼうしながらも、どうこころうちでは、おんなわたしからとおざかっていくのを、どんなにねつぼうしていたかれない。そして、それがぶんがんどおりにっていくのをみると、こんふんおうのうとにかねばならなかったのだ。おもえばわたしには、べてのあいに、わたしまずしさがをだして、こそぎことをあやまってしまうのだ。
 わたしおんなんでいるあいだに、わたしきまったゆうきようがいしようしたかねはとえば、それはあとにもまえにもたった一、かのおんなわたし宿やどへやってきたときに、いっしよにくゆうはんべにいったときはらった、三えんぐらいのものにぎなかった。だからてんからえば、いまったところで、わたしは、おんなたいしてうらみつらみなどは、ただのひとことだってわれたではないのだ。それにつけても、つうこんみがたいものは、ぶんのうさだ、びんぼうさだ。こうなればもうかたがない。わたしえいきゆうのこるなつかしいおんなおもかげむねきしめて、さびしいしたいあかすよりほかはない。
 あらしのようなおときこえてきた。はっとおもってみると、それはいいばしほうからきたでんしやおとだった。わたしにか、さかもおりつくして、でんしやどおりのちかくへきていたのだ。もなくわたしは、へくる駿するだいきのでんしやのりこんだ。

2020年9月20日公開 (初出 日本図書出版 大正11年発行 単行本

作品集『根津權現裏』第7話 (全60話)

© 2020 焚書刊行会

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