宇宙開発が始まって、もう500年の時が流れた。
創成期は月に人間が降り立っただけで世界中がその偉業に沸き上がったもので、その次にはISSと言うちっぽけな宇宙ステーションが夜空を通り過ぎるのを、人々は地上から眺めて宇宙に思いをはせていたと聞く。
しかし科学が進んだ今、宇宙への旅立ちはそんなロマンなど全くと言っていいほど無い。
いや、一部の科学者だけは、そのようなロマンを未だに持ち続けているかも知れないが、少なくとも我々のような運航会社に勤める技術者にとっては、それまで生きて来た人生の全てを宇宙に捧げるだけのことに過ぎない。
技術の進歩で、より光速を遥かに超えたワープ航法が確立され、信じられないような速さで宇宙空間を移動できるようになったのは良いが、その分宇宙船は遠くまで行くようになった。
そして僕たちが行く今回の宇宙における約2年の任務では、長時間のワープ航法が使用されるため光の速度を超えた僕たちにとっての2年の時の流れは、地球時間に換算すると実に100年以上もの時が経つことになる。
つまり今回の任務のあと次に僕が地球に降り立った時には、お父さんやお母さんはおろか兄弟をはじめ、地球で僕と過ごした記憶を持つ人たちは既にこの世に居ないことになってしまう。
20代半ばの年齢で、まるで孤児のよう……。
家族や友人知人との最後の別れを惜しみ、それから月面に築かれた基地から飛び立ったのは2ヶ月前。
僕たちの目的地は銀河の遥か彼方にある地球型惑星QB-111、通称ポラリスでの資源回収。既に我々より1年前にこの惑星に達した無人資源探査船のロボットが調査発掘を開始していて、僕たちの民間輸送船が、人類初の本格的な資源回収に向かっていると言うわけだ。
「シュン、私たちも、もうそろそろ準備に入りましょう」
ハミルが、少し甘い笑顔を見せて僕に促す。
中東系の目鼻立ちのハッキリした顔と華奢な体つきの彼女は、時々年下にさえ思えるが実際には2歳年上、細身ながら出る所はちゃんと出ているゴージャスなプロポーションは、まさに現代に現れたクレオパトラのよう。
おまけに僕のような技術者ではなく、僕よりも何倍も給料の多い科学者であるばかりか、この地球で最難関のイースト大学を飛び級して入学して、そのうえ優秀な成績で卒業している才女。
こんな頭脳明晰な美女が、一生を棒に振るような宇宙探査の任務に就くなんて、いくら考えても謎としか言いようがない。
ハミルに促され、最新式の羊水タイプの睡眠カプセルに入る。
この新しい睡眠カプセルは、胎児と同じ原理で、尚且つ酸素濃度と必要な栄養素を含んだ羊水の中に浸かる事で内蔵の清浄作用や美容効果もあり、ハミルのような女性隊員には人気抜群で既に美容エステにも用いられている技術を進化させたものだ。
従来のコールドスリープと比べて“解凍”に要する時間の手間もなく、解凍後に稀に起こる軽い脳梗塞をはじめ頭痛やだるさという後遺症も起きなくて、覚醒するまでの速度と覚醒後に起こる体調面のリスクが断然軽減されている。
ただコールドスリープに劣る点は、最大でも1年ほどの期間しか連続使用が出来ない所。コールドスリープの方は最大で100年以上使用できるので、この宇宙船も緊急脱出用カプセルには、こちらが標準装備されている。
しかし何度試してもこのドロドロの液体の中に入るのだけは馴染めないし、人間が液体の中に入って呼吸するという仕組みは、ある種恐怖さえ覚える。
「さあ、力を抜いて。中に浸かると直ぐに眠れるわよ」
たしかに入水時には睡眠導入剤の成分が多めに含まれているから、直ぐに眠りについてしまうが、何が起こるか分からないこの宇宙空間を漂う船内で眠りにつくことさえ臆病な僕にとっては躊躇われる原因のひとつなのだ。
ハミルに励まされて、羊水に浸かると案の定直ぐに意識は薄れ、僕は眠りについた。
暗い、闇の世界。
僕は他の人より、睡眠導入剤が効きやすいタイプで、眠りが深い。
けれどもこうして眠っていても船内の重要な状況は脳波通信で知らされ、まるで夢を見ているように船内の状況を把握できるようになっている。そして危険が迫ると起こされる。
それはまるで夢の最後に目が覚める状況に似ている。
今回の睡眠はこの一回だけで、延べ時間は7440時間。
その間特に睡眠中に入って来るような情報はなく、僕はリラックスしたまま眠り続けた。
僕と同じ班の6名は二人ずつペアになって、船内の別々の箇所で、このようにして眠る。
それは、万が一の事態に備え、リスクを分散させるため。
僕たちの班が睡眠カプセルで寝ている間は、残りの班が船内の点検などに当たり、その他に出発時からコールドスリープで眠り続けている宇宙軍の22名の兵士がいて、合計34名の人が同じ宇宙の旅をする。
眠りについて何時間……いや何日、何カ月たったのだろう。暗い闇の世界が突然瓦礫のように崩れ、光が射した。
通常の目覚めとは違うことは直ぐに分かった。
ハミルの声が僕を呼ぶ。
「シュン! 起きて!」
目を開けると、既に船内着に着替えているハミルが覆いかぶさるように僕を揺らし、僕の頭の上にある制御パネルの操作をしていた。
目を開けた僕の顔の前にあるのは、彼女の豊かな胸。
ほんのりと甘く温かい香りがする。
制御パネルの操作をするたびに、その豊かな胸が揺れて僕は目の行き場を失う。
「どうした?」
「分からないわ。でも緊急事態だって事は確かよ。さあ早くコクピットに行きましょう!」
「チョッと待ってくれ。シャワーを浴びないと体がヌルヌルして気持ちが悪い」
「分かったわ、シャワーを浴びたら直ぐに来て!」
確かに羊水タイプは緊急時には、この様に迅速に対応できるが、このヌメヌメと体にまとわりつく液体だけは勘弁願いたい。僕はシャワーを浴びながら腕に付けたタイマーを見た。眠りについてから9ヶ月、そろそろ惑星ポラリスに到着する頃だ。
しかし、どうして僕の脳波通信は何も知らせてはくれなかったのだろう?
シャワーを浴び、濡れた髪のまま、とりあえずガウンを纏いコクピットに入った。
「すみません。遅れました」
もう他の班員も集まって、コクピットには大勢の人が居るものだと思って、中に入って驚いた。
それは、僕の予想とは全く異なった状況だったから。
ここに居るはずの隊員が誰も居なくて、広いコクピットの中には今入って来た僕と、その僕を起こして先に入ったハミルの二人だけだった。
「他の隊員も起こさなければ!」
コクピットにいるはずの違う班員が何故居ないのかは分からなかったけれど、同じ班のあと4人も起こさないといけないと思って言った。
「私たちの他に、もう誰も居ないわ。見て」
監視モニターに映し出された2つの睡眠室は空っぽだった。
「だったら、宇宙軍を起こそう!」
「それも駄目……」
続いて見せてくれたモニターに映し出された宇宙軍の待機室も、もぬけの殻。
「じゃあ皆は何処に? 探さないと……」
僕が喋り終わる前に、ハミルは船内の生体反応モニターを映し出した。
それにはコクピットに、二つの生体反応があるだけだった。
「僕たち以外の人たちは、いったい何処へ?」
ハミルは僕に船体の異常個所を表示するモニターを見るように促した。
「なぜ?!」
そこには2基あるはずの緊急脱出カプセルが、2基とも消滅している図があった。
それに燃料も半分以上が消滅していた。
「僕たちが寝ている間に、一体何が……」
「分からない」
「記録を見よう!」
――しかし、記録は何者かによって全て消されていた。
「帰還プログラムに変更して、地球に戻ろう!」
「無理よ。私は帰還プログラムの変更作業はやったことがないし、もし手伝えたとしても二人だけではプログラムの変更と各種調整作業に1週間は掛かるはず。それよりもっとも重大な事は、この位置からだと太陽系まで燃料が持たないわ」
宇宙航海用のモニターを見ると、既に惑星ポラリスまで1カ月ほどの位置まで来ていた。
確かにハミルの言うように、漏れて少なくなった燃料では太陽系に着くよりも前に燃料は切れてしまう。燃料が切れれば、もうワープも使えないし姿勢制御も出来なくなる。それでも小型で頑丈に作られている脱出カプセルなら地球から常時発進されている誘導電波に乗ってなんとか帰還できるけれど、大型のこの船では姿勢制御が出来なくなるとコースを逸脱する可能性も非常に高くなるから地球はもとより太陽系にさえ向かうことは困難となるだろう。
まさに、絶望的な状況。
「私たちだけでも、任務を全うするしかないわね。ひょっとしたら先に調査を始めている無人探査船に燃料が残っているかも知れないし、惑星ポラリスの地下資源の中に燃料を精製できるような資源があるかも知れないわ」
そのハミルの声は、いつもの優しく可憐な声ではなく、決意をした者だけがもつ凛と張り詰めた艶があった。
僕はハミルに励まされて、それに従うことにした。
船内の調査に追いまくられているうちに、やがて宇宙船はスローダウンして、窓から惑星ポラリスが肉眼で見えるようになってきた。
それは、子供の頃に教科書で見た昔の地球のように、緑の森と青い海で覆われて宝石のように青く輝いていた。
着陸軌道に入る宇宙船から窓の外を見つめる僕の肩に、ハミルの柔らかい手が置かれる。
「ここで、救助を待つしかないわね」
「うん」
しかし僕たちが送った救難信号を受けて、直ぐに救助隊が月基地から発進したとしても、この惑星に居る僕たちは100年近くその到着を待つことになる。
残った燃料を全て費やして睡眠カプセルで寝て過ごしたとしても、持つかどうか……。
僕は、技術者だから惑星の環境などの情報は詳しくは知らないが、それを知る権限を持っている科学者のハミルが“ここで救助を待つ”と言う楽観的な見方をするのであれば、きっと人間が不自由なく暮らせる星なのだろう。
でも、何故他の隊員は消えてしまったのか……。
ハミルは過ぎた事だと割り切っているみたいだけど、僕にはいつまでも付き纏う疑問。
肩に置かれた柔らかい華奢な手をそっと掴み、それを椅子の背もたれに移して席を立つ。
「どこへ行くの?」
少し散歩をしてくると伝えると、もう直ぐ着陸態勢に入るから早めにコクピットに戻って来るように言われたが、なぜ皆が居なくなってしまったのか気になって船内に何か手掛かりがないか歩き回った。
皆が消えてしまったあの日から、ハミルと一緒に何度も調べ周ってはいたものの、この日も何も手掛かりは見つからない。
まるで僕たちを忘れてしまったかのように、彼らは消えたまま。
もう諦めるしかない。
そう思ったとき、急にある事を思い出した。
それは、各部屋、各通路に設置されている監視カメラ。
確かにコックピットから、集中管理用システムで調べたときには全ての監視カメラが故障していて、蓄積されているはずのデーターも消滅していた。
しかし何らかの事故で宇宙船が致命的なダメージを受けシステム全体が破壊されたとしても、船内で何が起こったのか分析できるように監視カメラには各個体別に内蔵されたICチップが付いている。
そのICチップのデーターは、中央のシステムからは消去できない。
消去するためには、設置されている一個一個を設置面から外し更にケースを分解して、中に仕込まれたICチップを取り出すほかはない。
しかも監視カメラは、その性格上ワザと外しにくい作りになっていて、なれた技術者でも1台外すのに二時間以上掛かる。
そして、このクラスの宇宙船だと、その数は10万台以上。
もしも、逃げ出した32人が総出でその作業を行ったとして、一日にひとり10台の監視カメラからICチップを取り外すことが出来たとしても約1年近く掛かってしまう。勿論カメラからICチップを取り出さなくて、カメラごと宇宙に廃棄すればもう少し早く処理できるだろう。しかし、監視カメラは今まだここに無傷のまま残されている。
倉庫から脚立を持ち出して、天井の板を外す。
宇宙空間を長時間航行する宇宙船には、骨の劣化を防ぐため重力負荷装置が付いているので高い所で作業をするには、旧世紀に発明されたこの脚立が必要となる。
もっとも何らかの原因で航行に支障が出て数十年単位で救助を待つ必要が出た場合は、この重力負荷装置を解除してコールドスリープで救助を待つことになるのだが、いまこれを切ることは出来ないしハミルにこの作業が知れてしまうのもマズイ。
……でも、何故ハミルに知れるのがマズイのだろう?
ハミルと協力して調査すれば、作業は半分になるのに、自分の行動ながらなにかが引っかかる。
その何かとは、可能性の問題。
僕以外に、船に残っているのはハミルだけ。
そして僕を起こしたのもハミル。
その時、ハミルは既に船内着に着替えていた。
“まさか……”
僕は、僕自身が考えた仮説の一つを、このカメラが排除してくれることを願っていた。
カメラを外し、そして分解して、中からICチップを取り出す。
そして、それを解析するためPCにセットした。
直ぐに読み取り中の表示が出て、それから……!?
モニターに表示された画面は意外な物だった。
『このファイルを表示できません』
何度も試したが画面表示は変わらない。
違う方法で試してみても『このファイルを表示できません』から
『フォーマットが違います』
『プログラムのインストールが必要です』
『プログラムがありません』
『プログラムの一部が破損しています』と拒否られるだけで、画像が表示されない。
しかしICチップに中には確かに80ゼタのデーターが記録されていることになっている。
(※ゼタは10の21乗。ちなみにテラは10の12乗です)
“有り得ない!”
ICチップのケースは、放射線や磁力など全ての外的要因からデーターを守るため、特殊な加工が施されている。
だからもし、このデーターが読めないとするならば、原因はひとつ。
そう、宇宙船全体のPC環境を変更すること。
そして変更前のデーターを消去してしまえば、この船内にいる限り永遠にICチップのデーターは開けない。つまり、完全犯罪。
犯人は僕たちが……いや、僕がこのICチップの解析を行うことに対して先回りして対処しているということになる。
そして考えられる犯人像は2つ。
僕らを置いて船から脱出した連中と、もうひとつは船内に留(とど)まっているもの。
“いったい何のために……”
急に恐ろしくなり、僕はICチップを抜いたまま、カメラを元に戻してコクピットに戻った。
「長いお散歩ね」
なにかの作業をしていたハミルが、モニターから目を離し僕を見て笑った。
時計を見ると、僕が散歩に行くと言ってから既に3時間が過ぎていた。
地上なら何の不思議もないけれど、長距離用の宇宙貨物船とは言え船内着のまま行動できる範囲は限られているから、さすがに3時間は長い。
けれどもハミルは何の理由も僕に聞かなかったし、僕もハミルに何も言い訳はしない。
他人のプライベートに軽々しく立ち入らないのは、この様な長距離任務に携わるものが当然のように身に着けなければいけない、いわば“おきて” それはイザコザの原因を排除する目的もあるが、いざという時に人に左右されない冷静な判断をするために必要不可欠な能力。
「なにをしているの?」
僕はハミルの見ていたモニターを覗き込んだ。
それは、さっきまで僕が見ていたものと同じで、画面の中央に『プログラムの一部が破損しています』と書かれてあった。
「……これは?」
「うん。少し気になって監視カメラにセットしてあるICチップの解析をしていたんだけど……」
「駄目なの?」
「そうね」
ハミルは、PCからICチップを取り出しながら言った。
“なんだ、ハミルも気になっていたんだ”
そう思うと、なんだか少しホッとした。
どうやらハミルも自分を置き去りにした犯人が、僕か逃げだした仲間たちなのかと勘繰っていたらしい。そうなると、犯人は逃げ出した仲間たちと言う事になる。
「さあ、もう少しで惑星の軌道に入るから、着陸プログラムを確認しよう」
「そうね」
気持ちの軽くなった僕は、ハミルと一緒にプログラムを確認し、着陸の準備に入る。
二人きりで少し忙しくなるが、ハミルとなら問題なく船を無事大気圏に突入させて指定された着陸地点に降りられるだろう。
それから数時間は、余計な事は考えず、ただ無事に船を着陸させる事だけに神経を集中させた。
“もっとも、僕たちを置いて行った彼らが何故監視カメラの解析まで邪魔をしたのかなんて、今となっては左程気にもならなくなっていた。
そしていよいよ大気圏突入。
大昔は、これが一番厄介とされていた。
突入角度がホンノ少し浅いと、大気の抵抗に弾き飛ばされてしまうし、深いと突入後に大気との摩擦熱と抵抗で船体がバラバラになる。
しかし現代では、昔とは考えられないくらい深い角度で突入するのが当たり前になっている。しかも巨大な母船のまま。
船体の強度が遥かに強くなっていることはもちろんのことだが、宇宙からの突入速度を減速させるだけの強力な逆噴射エンジンのパワーと、固体水素を急激に気化させて船体重量を軽くできるようになったことがそれを実現させた。
大気圏に入ったあとは飛行船のようにゆっくりと、目的地まで船を運ぶだけ。
船窓から見える景色は青く輝く海と緑の大地、そして所々に白い雲が漂う、まるで昔の地球そのもの。
その中に緑色の森が切り開かれて、むき出しの赤茶色の地面と灰色のコンクリートが広がる大地が見えた。
それは、この星に付けられた最初の傷。
そしてこのロボットたちが作ってくれた灰色のコンクリートの上に、僕たちは船を降ろした。
「気圧980hp、気温27℃、湿度70%、酸素濃度22%、窒素76%、二酸化炭素――」
ハミルが、事前に送られてきたデーターと、いま現地で入手した大気成分とが正確に合っているかチェックしている。大気成分のチェックのあとは、その中に含まれるバクテリアや細菌類のチェック。有害性の有無にかかわらず、ここで事前サンプルに無いものが発見された場合は研究と、薬などの開発のために船外活動に入るまで数日から数週間ほどの時間を要する。
ハミルが環境関係のチェックをしている間に、僕は船体のチェックをする。
広い船内で、ふたり別々の作業。
本来ならスタッフ総出でやるはずの作業だった。
エンジンや燃料のエネルギー関係から、船内大気発生器や排泄物処理加工機などの生活関連の装置まで多種多様。とても、ひとりでは手が回らないから毎日遅くまで作業していて、もうクタクタだ。
唯一の救いはハミルと一緒に、展望室から夕焼けを見ながら食べる夕食。
こんな美人と一緒に、しかも僕が密かに思いを寄せている人を独占できるなんて夢みたい。しかもこんな綺麗な景色を見ながら。
毎日……それだけが心のよりどころだった。
「あら、どうしたの? 今日は、いやに無口ね」
「いや、なっ、なにも」
「船内の点検状況はどう?」
「特に、何も問題ないから退屈。そっちは?」
「私の方は好い感じよ。この星は、出発する前から環境が地球に似ていたのは知っていたけれど、調べれば調べるほど地球に似ているの。それも今の地球ではなくて、まだ人類が生まれる前の自然の豊かだった頃の」
「じゃあ船外活動は、宇宙服無しで!?」
「そうね、それが出来ればベストだけど、まだ感染症とかの調査が全て完了していないから何とも言えないけれど、可能性は大きいと思うわ」
あとは先に着陸している宇宙船に、地球に帰れるだけの燃料が残っているかどうかと、地下資源の中から燃料を精製する物質があるかどうか。
この調査が終わったあとは結構大きな報酬が見込まれているから、ここでハミルとの仲を深めて、地球に帰還次第轟沈覚悟でハミルに求婚しようと思っている。
その日、僕はエンジン内部のメンテナンスをしていた。
全ての燃料と電気系のバルブやスイッチをOFFにして長時間エンジン内に籠る地味な作業。万が一燃料漏れがあった場合、微かな静電気でも爆発の恐れがあるため、通信機器も使えない。
いつもは離れて作業していても、船内通信で言葉のやり取りをしていたのに、今日はそれも出来ない。なんだか詰らない一日。
作業に夢中になり、昼休憩もすっかり時間が遅れてしまった。
エンジン内部から出て、機関室で珈琲を飲みながら、とりあえずハミルに連絡してみるが通じない。
屹度、作業に熱中しているのだろう。
休憩を終え、船外着に着替えて、午後からはメインブーストをはじめとする噴射装置の点検に入る。
ここは最も外気に近い箇所。
よっぽどのことがない限り内部に外気が入ることはないが、いちばん薄い箇所は僅か1ミリにも満たない軽合金だけが外気との壁を作っているから、船外着の着用は必須だ。
何の異常もないまま作業が半ばを過ぎた辺りで、ブーストの先端部に居たとき外で動いているロボットの音が聞こえて来た。最初は何気に聞いていた音。
しかし途中から明らかにロボットのものではない、足音が混ざっている事に気が付いた。
ロボットは歩く時に地面を確実に捉えるため垂直に降ろす。
しかも滅多に急いだりはしないから、土を踏む音は一定の間隔が保たれている。
その中に走ったり歩いたり、時には小刻みに止まったり、すり足をしたりするテンポの違う足音が混じっていた。
原住民?
それとも、この惑星に住む他の動物?
急に心臓の鼓動が早くなる。
着陸して今まで、船外探査用の動体感知センサーには何も反応していなかった。
もしかしたら、ハミルと僕が船外活動に移ったときに脅威になるかも知れない。
僕は工具箱からアウタードリルを取り出して、インナーに透明樹脂をセットした。
このドリルは船内から捲れ上がった外板を止める作業に使われるもので、外板を止める時にはインナーにワイヤーリベットと呼ばれる結束用器具を取り付け、外部の様子を確認するときは透明樹脂を使う。内部の空気を外に出さず、外気も入れない作業に使われる工具。
ドリルで外板に小さな穴をあけ、そこから樹脂を出して引き抜くと、魚眼レンズが出来上がる。
本来なら、これに専用のスコープを取り付けてモニターに映すのだが、今それは持っていなかったので肉眼で見る事になる。
だけど船外活動用の宇宙帽を被っているので、距離が離れていて明りが見えるだけで何も見えない。規則を破ることになるが、船外活動の安全のために確認しておきたかったので僕は宇宙帽を外して魚眼レンズに顔を近づけた。
確かにロボットの間を何者かが駆け回っている。
しかし距離が離れすぎているため、その実体が何者なのか分からない。
分かるのは白色と言う事と、体格が良いということ、それに二足歩行しているということだけ。
奴はロボットを友達と思っているのか、あるいは敵だと思っているのか分からないが、ひとつひとつのロボットの前で数分間止まって何かコミュニケーションを取ろうとしているように見えた。
そして、その姿はやがてロボットたちを乗せて来た宇宙船の中に消えた。
これは一大事だ。
二足歩行しているモノが、知的生物かどうかは分からないが、見えた限り手は二本あった。これが宇宙船内に入ったりしたら何が起こるか分からない。
僕は警告をするために壁を叩いた。
地球と同じ環境なら、この距離でも充分音は聞こえるだろう。
奴が知的生物であろうが野生の獣であろうが、耳が聞こえるのなら音には気が付くはず。
耳は音楽を聴くために授けられた器官ではない。身の安全を確保するための器官。
だから音が聞こえたなら、何らかの異常に気が付いて屹度逃げ出すはず。
とりあえずハミルに報告して、対策を考えなければ!
脱いでいた宇宙帽を被り直し、狭いブースト加圧室から、燃料供給用パイプを這いながら通り抜けて加速装置を抜け、無菌シャワー室で10分間シャワーを浴びたあと、船外更衣室で服を脱ぎ、また5分エアシャワーを浴びて漸く機械室に辿り着いた。
ここから走って、いくつかのフロアと階段を抜けて、もう一度エアシャワーを浴びてからようやく休憩室に付いた。船体の90パーセントを動力関連施設が占めるから居住区に戻るのも容易じゃない。
直ぐにハミルに連絡したが、まだ出ない。
とりあえず指令室に居るはずだから行ってみよう。
通路を走っていると、ハミルも向こうから走って来ていた。
「ハミル大変だ!」
「私も!」
いったい何があったのだろう。長い距離を走って来た僕は汗だくだったが、ハミルもまた同じように汗をかいていた。
「どうしたんだ!?」
「何か居た!」
「居たって何が!?」
「何か分からない」
「色や特徴は?!」
「……」
気が動転しているのか、珍しくハミルは要領を得ない。
「白くて、人間くらいの大きさで、もっと横幅の大きいものか?!」
「そう。それ! なんでシュンが知っているの!?」
「俺も見たんだ。ブースト室の先端で作業していた時に足音が聞こえたから、外を覗いて見たら、そいつが先に到着していた宇宙船に入って行くところを」
「どうやって見たの?ハッキリと確認できたの?」
「いや、アウタードリルで穴をあけて樹脂レンズ越しに肉眼で見たから、ハッキリとは見えていないが僕も確かに見た」
「記録は取った?」
「いや記録装置は持っていなかった」
「そう……」
ガッカリしたのか、それまでテンションの高かったハミルの口調が急に静かになった気がした。
「そうだ、外部監視モニターの記録で確認してみよう!」
「駄目よ、丁度メンテナンスを始めた所で、モニターの電源は落としていたの、ごめんなさい」
「ちくしょう!なんて間が悪いんだ!」
「ごめんなさい」
勢いで、強く言ってしまいハミルを傷つけてしまった。
「僕の方こそゴメン……」
「いえ、いいの。悪いのは私だから……」
それから数日間、僕たちの間には気まずい空気が流れた。
お互いの作業もほぼ終わり、僕のほうは装置による自動メンテナンスモードにシステムを切り替え、すべての機械室を無酸素状態にすることで金属類の酸化と火災を防ぎ、少しでも長く使えるようにした。
ここに来てから天気のいい日が続いていたが、その日初めて雨が降った。
ゲリラ豪雨の様な強い雨。
雨の上がった夕方には、地球で見るのと同じ夕焼けと虹を見る事が出来た。
「夕焼けと虹が同時に見えるなんて素晴らしいわね!」
あの日以来、塞いでいたハミルが今日は上機嫌。
「ああ綺麗だ」
夕焼け以上に、明るく振る舞うハミルが綺麗だと思った。
「今日は朗報があるのよ」
夕食後に二人で久し振りにカクテルを飲みながら夜景を見ていた時、ハミルが言った。
「なに?」
「明日から船外活動が出来ます♪」
「そりゃあ凄い! この緑豊かな自然を直に外で見れるんだね」
ハミルの言葉に僕もワクワクした。
次の日、僕たちは船の外に出た。
ハミルは船外着なしでも大丈夫だと言ったが、あの白いヤツの事もあったので、とりあえず安全のために着用して銃も持って出た。
未知の世界への第一歩は僕が踏み、ハミルは指令室で僕のサポートをしてくれる。
本当は一緒に出たかったけれど、二人しかいないので、安全が十分確認できるまで当分はおあずけ。
宇宙帽のスクリーンに映し出される青い点は動体感知器の信号。
それがチャンと肉眼で見ているロボットと重なる。
赤色に表示される生体感知器は作動していない。
僕は地面を見て悔しがった。
もしも昨日、雨が降らなければ、あの白い奴の足跡を見つけられたはず。
いつ奴が襲って来るとも限らないので、青と赤のスクリーン表示に注意しながら、先着した宇宙船に向かった。
僕の目的は、この宇宙船の状態確認。
一応遠隔通信で、大体の状況は把握できたが、それが全て正解とは限らない。
僕たちの宇宙船よりたった1年先にここに付いただけだけど、この宇宙船は実に50年以上もここに放置されていることになるのだから。
リモコンでハッチを開き中に入る。
エアシャワーを浴びたあと、船外着を脱いで、船内の居住区に入った。
居住区と言っても無人ロボット探査船だから、ごく簡単なもの。
コックピットも打ち上げ前に、その準備をする作業者が使うもので、簡素な作りになっている。
ここで僕は、各項目が通信で得た情報と相違ないかを先ず確認してから、機械室に入り実物の確認をした。
残念ながら燃料はキチンと片道分だけ入れられていた様で、残っているのは200年分の発電用に使うだけの僅かなもので、これを全部頂いたとしても地球に帰るだけの量には遠く及ばない。
もう部品取りにしか使う道がないので、殆どの機能を僕たちの船に送り、セーフモードにすることにした。
しかし僕の目的はこれだけではない。
この船は打ち上げ後、誰も入った事がないはずだから、僕には試したいことがあった。
それは監視カメラの映像。
もちろん、こいつのじゃなくて、それは僕のポケットにある。
そう。
僕の宇宙船で何があったのか全て記録してあるチップ。
宇宙船のコンピューターシステムには2種類ある。
安全のために外部から遠隔操作できるものと、外部からの信号を受け付けないもの。
つまり打ち上げられてから誰も入ったことのない船内だから、信号を受け付けない方のシステムを使えば監視カメラの映像は確実に見える。
僕はチップを差し込んだ。
ゴクリと自然に生唾を飲んでいた。
そして画面に集中する。
『このファイルを表示できません』
映し出された文字を見て驚いた。
“なぜ!?”
何度試しても同じだった。
理解不能。
ひょっとしたら、このICチップが不良とも考えられる。
そう思って、コクピットにある監視カメラを分解して、コンピューターに読ませてみた。
しかし映し出された文字は同じ。
『このファイルを表示できません』
これはいったいどういうことだ!?
俺たちの宇宙船にはハミルと僕だけのはず。
そして僕たちは、宇宙船から一歩も外へ出ていない。
「シュン。何かあった?予定の時間より随分すぎているけれど」
ハミルから無線が入った。
僕は、この事は伏せておこうと思い、何でもないと答えて船を出た。
意味が分からない事を考えながら歩いていた。
全くノイローゼになりそうな気分。
その時、不穏な影に気が付いた。
それは、あの時見た白い奴!
咄嗟に銃のセーフモードを解除して、威嚇のために地面に向けて一発撃った。
“ズドン!”
しかし奴は微動だにしない……。
「シュン何があったの!!」
ハミルの悲鳴にも似た声が届く。
「奴が居た!」
「奴?」
「そう、あの白い奴」
「まさか……」
僕はハミルと連絡を取りながら、奴との間を詰めて行く。
そして知った。
白い奴の正体を……。
宇宙船に戻ったとき確認した。
やはり間違いない。
白い奴の正体は俺自身が宇宙船に映ったもの。
そして船外着置き場には、少しだけ位置のズレた船外着がもうひとつあった。
僕は確信した。
「ハミルちょっといい?展望室に来てくれないか」
「いいわよ」
ハミルと僕は展望室に上がった。
「カクテルでも作りましょうか?」
「いや、ミネラルウォーターでいい」
ハミルはミネラルウォーターのボトルを僕に投げ、僕はキャップを開けてそれを飲んだ。
「どうも、いま君にカクテルを作ってもらう気分にはなれないんでね」
「そう。それは残念ね……で、なんの用?」
ハミルはいつになく、そっけない冷たい声で聞いてきた。
「さっき僕は、この前見た白い奴と出会ったよ」
「そう」
「驚かないのかい?」
「もちろん驚いてはいるわ。で、正体は分かったの?」
「僕さ」
「貴方が?」
「そう。今回の白い奴は船外着を着た僕自身が、機体の一部に映ったものだった」
「じゃあ前回のも?」
「まさか、前回の奴は、ハミル。君自身だ」
「まさか」
「僕はあの時、白い奴が向こうの船内に入るのを見て壁を叩いた。船外着は音も増幅されるので離れていても充分気が付いたはず。そして君は目的の用事を済ませて走って船に戻った」
「シュン、それはおかしいよ。音が聞こえたなら私なら直ぐに引き返すわ」
「それが、そんなに慌てる事も無いんだ。僕が居たのはブースト加圧室の先端だから、通信が可能な居住区迄戻るには約500メートルもの距離を移動しなければならない。その中には狭いパイプの中を這って通る場所もあるし、一番時間が掛かるのは無菌シャワー室で10分、エアシャワー室で5分の時間が掛かる事。これは非常信号ボタンを押さない限り解除されないし、ボタンを押せば宇宙船内外にサイレンが響き渡る。だから君は僕が居住区へ到達する時間の数分前まで作業時間が取れるんだ」
「まあ、面白い推理ね。でも第三者と言う可能性は?」
「それはない」
「どうして?」
「僕は慌ててコクピットにいるハミルに知らせようと走った。そしてハミル、君もまた、僕に知らせようと走って来た。お互いがお互いを気づかった行動。しかし、本当にそうだろうか? 僕は機械室を出て一番に君に連絡した。何故でなかった?」
「手元に通信機が無かったから。音声をOFFにしていたから気付かなかった」
「なるほど。そしてハミルが出ないから、僕は走った。君はどうした?」
「知っているでしょ。私もシュンのことが気になって走ったわ」
「そう、君は走って来てくれた。コクピットの管内通信も使わなかったし、生体センサーで僕が無事であることも確認せずにね。それに一番重要なのは、もしも第三者が居たなら、コクピットを占拠される最悪の事態も考えずに行動した」
「好きだったら当たり前じゃない」
「ありがとう。でも君は走らなくてはならなかったんだ」
「どういう事かしら?」
「つまり作業を終えて、慌てて宇宙船に戻ってきた君は、自分が汗だくである事を隠さなければいけなくなった。温度管理されているコクピットでデーター関係の作業をしている人間が汗でびっしょりって言うのはおかしいからね」
「……」
「もしも証拠が要るのなら、船外着を未だ着て居ないはずの君のDNAが付いた船外着を証拠として提出しようか? 昨日の雨で外の足跡は消えたけれど、慌てて中に入ったから靴底にはまだ砂が付いているんじゃないか?」
「さすが、思っていた以上に頭が良いのね」
ハミルがフッと溜息をついて笑う。
「君ほどではない。何故こんなことをした! 他の奴らは何処に行った?」
「帰ってもらったわ。強制的にね」
「どうして……」
「さあ。貴方と二人で居たかった。これじゃあ駄目かしら?」
こんな事がなかったなら、僕は今のハミルの言葉に有頂天になっていただろう。
しかし、今となっては、ただ切ないだけ。
「駄目に決まっているだろう!」
激しく言ったせいか、僕は少しよろめいた。
「そっか……失敗しちゃったな。ねえ宇宙に出て思ったんだけど、光速を越えるとドンドン時間は進むけれど、その時間を過去には戻せないの?」
「残念だけど、過去には……戻せない」
何だか急に気分が悪くなってきた。
「そうね。確かに時間は過去には戻せないわ。でもね、過去自体は幾らでも変えることができるのよ、知っていた?」
「ハ、ハミル。ミネラルウォーターに最初から何か仕込んでいたな……」
苦しむ僕のことなど意にも返さない素振りで、ハミルは話を続ける。
「過去を変えられるのは、人間だけが持つ超能力。そしてそれは誰でも持っている能力なの。例えばシュン。君は航海の途中で私に起こされなかったことにしよう。寝ている間にここに着いた。しかし船は着陸に失敗して私と君以外は全員死亡。どう? これなら私を愛すことが出来るでしょ?」
「そんな虫のいい話……」
「誰でも持っているのよ。嫌な過去を消してしまい、都合いい過去に置き換える能力を。例えば田舎で同級生からその容姿の醜さから虐めにあっていた子が、大人になって整形手術をして美人になって、田舎では人気者だった嘘を言う。自分自身への嘘ならそれを信じ続ければ、いつか本当のことになる。勿論この例えと私は関係ないけれどね」
「どうして、こんなことを……」
「だって、シュンったら全然私の事振り向いてくれないんだもの。そりゃあ私は天下のイースト大学を飛び級して卒業した天才娘よ。でも中身は普通の女の子と何も変わらないの。恋人にする相手は天才でもなければマッチョマンでもない、少しはにかみ屋さんで優しい人。それだけでいいの」
「そんなことを、しなくても……ぼ、僕は……僕はき、君のこと……」
そこで僕の意識は途切れた。
僕がこんなにハミルの事を好きだったのに、どうしてハミルはそんなことを思ったのだろう?
僕が何も言わなかったから?
好きだと言う気持ちを抱いていると言うだけでも僕には、おこがましいとさえ思っていたのに……。
真っ暗な時間の底に吸い込まれて行く、もう何も考えられなくなる。
そしてもう何も思い出せない。
僕はもう死ぬのか……。
記憶の途切れた僕にハミルが囁く。
「いつまでも私を好きでいて頂戴」と。
黒い世界の奥から、一点の光が差し、それが徐々に広がって行く。
誰かが僕を呼んでいる気がして、耳を傾ける。
遠くでハミルの声が僕を呼ぶ。
「シュン! 起きて!」
目を開けると、既に船内着に着替えているハミルが僕に覆いかぶさるように僕を揺らしていた。
目を開けた僕の顔の前にあるのは、彼女の豊かな胸。
ほんのりと甘く温かい香りがする。
「ここは何所?」
「惑星QB-111ポラリスよ!」
芝生の上に横たわる僕。
「ふ、船は!?」
慌てて飛び起きると、そこには焼けて微かに骨組みだけが残っている宇宙船の残骸が二つ。
「着陸に失敗したの」
「他の皆は?!」
ハミルは首を横に振って悲しい顔をして言った。
「私とシュンの二人だけ。残念だけど」
「僕はどうして?」
「あなたは、睡眠装置から目覚めなかったの。それで私と二人で医務室に居て、そこに居た二人だけが助かったの」
「そうか……」
「でも大丈夫。この惑星は太古の地球と環境が似ているの。川の水は綺麗でそのまま飲めるし、木には様々な果物、それに海には魚もいるわ」
ハミルは僕を勇気づけるためだろうか、楽しそうに話してくれた。
その姿を見て僕は、たった二人だけ生き残ったもう一人がハミルで良かったと心からそう思った。
僕は実を言うと、この仕事が終わって地球に帰ったとき、思い切ってハミルに告白するつもりでいた。どうせお互いに身寄りも無くなった孤児同然。駄目で元々、これ以上失うものは何もないから。
「歩ける?」
「あっ、うん。大丈夫みたいだ」
ハミルの細い手が伸ばされて、僕の手を掴む。
その手をつないだまま、お花畑のような所を歩き、砂浜の広がる海辺に出た。
さざ波が寄せては返す静かなエメラルドグリーンの海。
その向こうに広がる、はてしなく透き通った青い空。
ぽっかりと浮かぶ白い雲。
海に足をつけていたハミルが、僕に水を掛けた。
僕も海に入って逃げるハミルに水を掛ける。
二人しかいない星で戯れる。
ハミルの服が濡れて、艶めかしいボディーラインを浮き出させる。
そのまま手を伸ばしハミルを抱き寄せて、その唇を奪う。
よろめくハミルを抱き寄せたまま、砂浜に寝転がり、長く熱い抱擁をいつまでも繰り返す。
何度か砂の上を転がっているとき、太もも付近でチクッとした痛みを感じた。
何だろうと思って手を伸ばすと、それはポケットの中に入っていたICチップ。
なんのICチップだろうと不思議そうに見つめていると、ハミルも興味深そうにそれをみて「要るの?」と聞いた。
「さあね。こんなものに何の用もないさ」
そう言って海に投げると、さざ波が、恐る恐る手を伸ばすようにさらって行った。
僕の首に腕を巻き付けたハミルが、僕の瞳の奥まで覗き込むような透き通る目をして言った。
「私たち、アダムとイブになるしかないようね……」
僕は返事の代わりにハミルの首筋に顔を埋め、いたるところにキスの雨を降らせた。
確かにこの惑星QB-111ポラリスは、アダムとイブの住む楽園と言うのには相応しい。
「太陽は、どこだろう?」
「今は昼間だから見えないけれど、ズット向こう。ちょうど南の方角にあるわ」
ハミルが青い空を指さす。
あの遠い彼方に、僕たちが帰るべきだった地球がある。
青い空の向こうに輝いているはずの太陽。
そして、その太陽の周りを永遠に周り続ける地球。
船に何があったのかは分からない。
どうして医務室に居た僕たち二人だけが無傷でここに居るのか、何故出発して直ぐに羊水に浸かっていた僕のズボンのポケットにICチップが入っていたのか、謎な事がある。
人間の歴史は、その謎を解明するための好奇心に支配されてきた。
宇宙の謎、生命の謎、進化の謎……。
謎にはロマンがある。
ロマンには様々な夢があり、人と人を繋ぐ。
なのに、どうして僕たち人間は、謎を謎のまま置いておかないのだろう。
謎を解き明かした先にあるものは、結果でしかない。
結果には、ロマンの入り込む余地はない。
いくら科学が進んでも、人の心は、分かりはしない。
僕がハミルの気持ちに気付かなかったように、ハミルもまた僕の気持ちに気付かなかった。
僕がフラれるのを覚悟の上で古典的な告白と言う手段を選ぼうとしていたのに対して、ハミルは科学者らしく僕を獲得するために障害となり得る問題点を排除していった。
しかし僕は、ハミルが仕掛けたその謎に気付き、種明かしまでしてしまう。
なんと愚かな……。
愚かなのは僕の方。
思いを寄せていたハミルと、この星でふたりボッチなんて願ってもないチャンスだったのに。
あのあと、ハミルは僕に睡眠薬入りの飲料を飲ませた。
その後は、おそらく脳波通信機を利用して僕の記憶を書き換えようと……つまり現実を夢に換えてしまおうとしたに違いない。
だけどハミルは、一つだけ見落としたことがある。
それは僕が子供の頃に事故に遭って手術をした事。
僕はその事故のせいで脳の海馬の一部に損傷がる。
知っての通り海馬は脳の記憶を司る部位。
海馬に損傷を受けた僕には記憶のバックアップを脳に送るためにICチップが埋め込まれていて、たとえ脳科学的に記憶を消されたとしても、数時間も経てばチップから定期的に送られてくる記憶によって直ぐに蘇るのだ。
だからハミルのしたことは全て覚えている。
賢いハミルが計画したことだから、途中で無理やり帰還させられたクルーたちは無事に地球に着いた事だろう。
おそらく帰還カプセルのICチップには、宇宙船に起きた偽の重大事故の情報が書き込まれているに違いない。
つまり、犠牲者はハミルと僕の2人きり。
死んだ事になった僕たちを想ってくれる人たちは、屹度夜空を見上げてこの星を見つめてくれることだろう。
そして僕たちも、夜空に輝く小さな太陽を見つめる。
「家を作らなければいけないね」
隣で寝転んでいるハミルの手を取って言った。
「一緒に作りましょう。私たちの子供のために好い家を」
ハミルは、その豊かな胸を僕の胸に押し付けるように覆い被さって来てキスをした。
「沢山産んでくれるか?」
「産まないと、人類が滅んじゃうもの。だからシュンも頑張ってね」
「ああ」
僕もキスを返し、二人は繋がった。
一戦を終えた僕たちは、夜空のかなたにある太陽と言う名の星をいつまでも見上げていた。
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