生体武器と冷たい刃(コールド・エッジ)

佐藤相平

小説

20,924文字

第8回金魚屋新人賞最終候補作品

 

 

 

パソコン上では女子高生くらいの外見の美少女たちが、小学三年生くらいの知能の会話をしている。妻の妊娠中に不倫をした俳優の棒演技をネタにしたまとめを見終わると、次は台湾野球のかわいいチアリーダーのまとめを開いた。胸を揺らしながら踊っている動画に軽く勃起した。後でオナニーのネタに使えそうだから、ページをブックマークした。アニメはエンディングに入った。

僕はいつものように、ノートパソコンでアニメを流しながら、スマホで2ちゃんねるのまとめサイトを見ていた。

新しい蛍光灯にしたばかりで明るすぎる天井の照明は消している。カーテンの隙間から入る外光と液晶画面の放つ光が薄暗い部屋の中をぼんやりと照らす。アニメが終わると、暗くなった画面が僕の気の抜けた顔を映したから、慌ててページを閉じた。

まだ四時四十三分。座りつかれたしブックオフにでも行こうか。

外は春の風が生暖かい。高速道路沿いを進み、駅へ続く長い下り坂にさしかかると、前方に光丘高校の制服の集団が見えた。僕は思わず横道に入った。

野球部のヤツらだった。女子も二人いた。弱いくせに甲子園に行くとかほざいて毎日遅くまで練習していたはずなのに、最近は早く帰るのをたまに見かける。何かあったのか。まあ、僕が気にしてもしょうがない。努力の無意味さに気づいたのだとしたらいいことじゃないか。

 

たいていの光丘高校の生徒には批判精神がない。先生や世間からの期待を疑いもせずに受け入れる、筋金入りの優等生が集まっている。荒れた中学の優等生だった僕は、入学してすぐに、家から近いという理由だけで光丘を選んだことを後悔した。

一年生は入学した次の週から体育祭の応援練習が強制だと知ったのは、初日のホームルームの時だった。五月半ばの本番まで平日は毎日朝練と放課後練があるらしい。面倒だから最初の三日間をサボったら、練習を仕切る二年生有志の応援係とやらに呼び出された。キレられるのかと思いきや、優等生らしい「クラスの結束」やら「学校の伝統」を持ち出したご高説を拝聴することになった。

仕方なく練習に出た僕は驚いた。他のクラスメートたちはこの応援練習をバカらしいとは思っていないらしい。練習前には「ダルい」とか話していたヤツでさえ、練習がはじまると全力で声を出し、体を動かす。こんな練習は適度にサボって、適当に流して、本番は上手くごまかせば十分だろという同志は見つからない。それどころか、みなさんはヤル気のない僕にイラついている様子だ。僕は仕方なく、頑張っている感を出すように心がけることにした。中学時代は苦手だった、あらゆる行事でふざけていた不良たちのことが懐かしくなった。

 

今考えれば些細な出来事だけど、それでも光丘には馴染めないという確信が持てた。

そして、その確信の通りだった。

今日も授業で先生の質問に対してクラスの半分ものヤツが手を挙げた時にはめまいがしそうになった。通っていた中学では先生の質問には誰も答えないというのが基本だった。たまに答えてあげていた僕はそれだけでマジメ扱いされた。もちろん内申点狙いだった。その程度の優等生でも後ろめたさがあった。光丘のヤツらは自分が「清く正しい高校生」であることに嫌気がしないのか。

だけど、荒れた高校には馴染めなかっただろうし、学校からドロップアウトする勇気もない。だから適当に学校生活をやり過ごすと、さっさと家に帰り、ネットで時間を潰している。

 

僕はため息をついた。自分のつまらない高校生活を思い返している間、手に持った『ワールドトリガー』の十五巻は同じページを開いたままだった。ページを進めると、「トリオン体」という戦闘用の体の腕を切り落とされたキャラクターが、その腕を囮にして敵を倒した。

黒江氷花(ひょうか)のことを思い出した。

一年五組だった僕は、同じ青組の一年六組と応援練習をしていた。六組に一人だけ、ほとんど練習に参加せず、本番に出なかった女子がいた。右腕の手首から先がなかった。それを理由に参加を断っていたらしい。「私が入ったら、動きが揃わなくなりますよ」。謝るというよりむしろ挑むような態度だった。攻撃的な鋭い目が周りの視線をはじいていた。他の応援係があきらめた後も、熱心に説得していた応援係が一人だけいたみたいだけど、最後まで折れなかった。

光丘にもあんな子がいるんだと感動した。

教室移動の度に六組の教室をチラリとのぞく気持ち悪いことを繰り返して名前を知った。凛々しい横顔に圧倒され、話しかけることなんてできなかった。他のヤツらもそう思っているのか、黒江には仲のいい友達はいないみたいだった。調子に乗った野球部員達だけが黒江にしつこく絡んでいたけれど、面倒くさそうに受け流していた。アイツらも黒江を狙っていたんだろう。軽い誘いを相手にしない黒江は信頼できるなと思った。ますます惹かれた。

黒江は教室では一人で本を読んでいることが多かった。僕と同じだ。親近感も湧いた。通りかかった時にちょうど、黒江がいつも使っているネイビーのブックカバーを片手で器用に付け替えていたことがあった。七月の強い日差しが教室を照らす中、涼しい顔をしていた。細長い指の動きに見とれていると、黒江からはじめて見つめ返された。僕は慌てて目を逸らした。

黒江にバレるのが怖くなって、夏休み明けからは教室をのぞくのは止めることにした。今はたまに廊下ですれ違った時にだけ、その姿を眺めている。

 

今日はなんだかマンガに集中できない。気分転換にラノベを読もう。小説コーナーに向かおうとすると、途中にある単行本コーナーの狭い通路を、二人の男と本が高く積まれた三つのカゴがふさいでいた。

鼻ピアスをして髪をツーブロックにした男と、金髪の男は、機械でバーコードを読み取り転売できそうな本を次々とカゴに放り込んでいく。鼻ピアスの男は陽気な店内BGMに合わせて足でリズムを取っている。転売禁止の張り紙はしてあるけれど、二人とも背が高くガタイもいいからか、店員は注意しようとしない。他の客は仕方なく通路を迂回している。

僕は無性にムカついたから、カゴにわざと足をぶつけながら、強引に二人の後ろを通った。本が崩れて床に落ちたから軽く謝ったけれど、拾いはせずに歩き続ける。

スカッとした気分になった。自分は正しいことをしたとさえ思った。だけど舌打ちが聞こえると急に怖くなり、ラノベは見ずに店の外へ出た。

余計なことしなきゃよかった。早く帰ろう。

坂を上りはじめようとすると、誰かにいきなり肩を強く掴まれた。倒れそうになりながら振り向くとモヒカン頭の男がいた。あの二人の仲間だという直感がした。二人よりも大きく、黒い竹刀入れを担ぎ、左手のスマホで誰かと話している。「こいつかな」。独り言のようにつぶやくと、僕に向かって「ちょっと待ってね」とニコやかに言った。目は笑っていない。振りほどこうとすると、肩を掴む力がさらに強くなった。結構痛い。

自動ドアが開いた。中からさっきの金髪の男が出てきた。

「ああ、そいつ」

モヒカンはうなずくと、僕の両脇に腕を入れた。逃れようとすると金髪が両足を持ち上げた。運悪く周りには誰もいない。僕はカカシのような形で運ばれ、ブックオフと雑居ビルの間の通路に投げ込まれた。頭が室外機を囲む金網にぶつかった。一瞬後に背中が地面に叩きつけられる。思わず声が出る。金網が振動する音が聞こえる。痛みで動けないでいると、モヒカンが僕の胸を足で踏みつけ、取り出した竹刀を振り上げた。僕はとっさに頭を両腕で守ろうとした。

「と、思うじゃん」

モヒカンは竹刀を横にして、僕の首元に押し当てた。叩かれると思っていたから、ちょっと調子抜けした。すぐに呼吸ができないことに気づいた。もちろん、声なんて出せない。あがこうとすると、モヒカンは竹刀を押さえたまま、両足で器用に僕の両腕を踏みつけた。下半身は金髪に押さえられているらしい。身動きができない。

「うちの剣道部伝統のお仕置き。ちゃんと反省してね」

意識が少し遠くなってきた。でも、カゴを蹴られたくらいで殺されはしないだろ。お仕置きならもう十分じゃないか。僕は目を閉じ、動きを止め、意識を失ったフリをすることにした。すぐに終わってくれるはずだ。

 

心の中で三十秒は数えた。耐えきれなくなって目を開いた。モヒカンは笑っている。本当にヤバイ。強引に呼吸しようとすると、ノドの奥から泡のようなものが出てきた。さすがに止めてくれるだろう思ったら、「まだまだこれから」という声が聞こえてきた。涙が出てきた。体が酸素を求め、口から泡とゲロが混ざったような液体が流れる。最後の力を振り絞り右腕を動かすと、足の押さえが振りほどけた。

「まだそんな元気があるんだ」

モヒカンはフライトジャケットに隠していたアーミーナイフを素早く取り出し、僕の手の平に突き刺した。痛いような気がした。もうよくわからない。中学時代に、不良にも二つのタイプがあることを学んだ。大多数の最低限の常識はあるタイプと、少数の絶対に関わっちゃいけないタイプ。コイツらは後者だったらしい。

「コンちゃんに電話しといて。処理しちゃおう」

声が遠くから聞こえる。視界が暗くなってきた。

なんとなく聞こえる会話によると、コイツらは僕を殺す気らしい。お仕置きじゃなかったのかよ。頭がおかしいんじゃないか。あんな些細なことで人を殺すなんて。わけのわからない死に方だ。

でも、楽しくない人生だったし、きっとこれからも楽しくない人生が待っているはずだ。

それなら、まあいいか。

僕はあきらめて、目を閉じた。

 

突然、死にたくないという気持ちが湧いてきて、悟った気持ちは吹き飛んだ。

死にたくない。死にたくない。こんな死に方はイヤだ。

まだ生きたい。

思いに応えるように声が聞こえてきた。すぐ近くからだ。

声は代償を求めている。何かはわからない。でも、迷える余裕はない。

僕はその声を受け入れた。

 

軽くなった。

空気がいきなりノドを通り、肺に入ってきて、むせてしまいそうになった。

息が吸える。

ゆっくりと呼吸をしながら目を開けると、まだ視界が暗いけれど、体の上にモヒカンがいないことはわかった。

視界が揺れ、ヒドイ耳鳴りがする。まだ頭まで酸素が届いていないみたいだ。

金髪が立ち上がり、叫び声を出しながら僕の頭を蹴った。こめかみの辺りをかすっただけだった。次は脇腹を蹴られたけれど、あまり力が入っていない。少し様子がおかしい。僕の足に躓きながら、逃げるように通路の出口へ向かった金髪は、突然しゃがみ何かを持ち上げた。都合よくコンクリートブロックが転がっていたらしい。金髪は狂ったように笑い出した。そして、僕の胸を踏みつけると、両手でブロックを振り上げた。

まだ体に力が入らず、逃げることはできない。だけど、ナイフが刺さっていたはずの右手にだけ不思議な疼きを感じる。右手を持ち上げると、銀色の爪のようなものが伸び、金髪の体を握りつぶした。

ほっとした瞬間に、持ち主を失ったブロックが落ちてきた。

 

少し気を失っていたらしい。

ゆっくりと、ふらつきながら立ち上がると、体の色々な場所に痛みを感じた。

周りを見ると、金髪の男を殺してしまったはずなのに、血の跡はなく、体が無くなっている。そういえば、竹刀やナイフもない。コンクリートブロックだけが転がっている。どういうことだ。

もしかして、呼吸を止められ意識を失ってからは夢を見ていたのかもしれない。アイツらは気絶した僕を見て満足して去ったんだと、自分を納得させようとした。

右手が疼いた。さっきと同じ感覚だ。

力を入れると、五本の指がそれぞれ銀色の鋭い鉤爪に変化した。一本の長さは三十センチくらい。左手の人差し指で弾くと硬く、短い音がした。金属のはずなのに重さは感じない。軽く振るとその瞬間だけ爪がさらに伸びた。

試しに爪の先で左手の甲をなぞってみると、皮膚を鋭く切り、思っていた以上の血が流れ、鈍い痛みがした。慌てて力を抜くと元の自分の手に戻った。だけど、左手の痛み、右手の疼きは消えない。

いや、それだけじゃない。右手にはもっと生々しい感覚も残っている。肉を切り、骨を砕く感触。間違いなく、二人を握り殺した時のものだった。

 

 

 

仲間が帰らないことを怪しんだ鼻ピアスが探しに来るかもしれない。急いでここから離れよう。どうしてかはわからないけれど、二人の体と所有物は消えてしまった。証拠はない。すぐには殺したとバレないはずだ。

周りに人がいないことを確認してから通りに出た。顔や服は汚れ、頭や手に傷があるけれど、薄暗くなってきているから目立ちはしないはずだ。それでも、坂の途中の公園にちょうど誰もいなかったから、顔と傷口を洗っておいた。

真っすぐに家に帰った方がいいとは思った。でも、なんだか落ち着かない。高台に寄っていこう。

坂を上り切ると、高速道路の上にかかった歩道橋を渡り、森の中に入る細い上り坂に進む。日没間近の弱い光が、木の枝やまばらな葉に遮られ、地面にまだら模様をつくっている。頂上が近づくにつれて、傾斜が急になっていく。

だんだんと視界が開け、雑音が聞こえてきた。前方には高速道路が二本絡まり、自動車やトラックが赤、黄、オレンジのライトを点けながら走る光景が広がっている。この時間帯は交通量が多いから、光の流れは少し滞っている。高速道路の交わる奥にはラブホテルが立ち並び、看板や花火型のオブジェが点滅している。

細い道を通る必要がある上に、みんなが好む風景が見られるわけじゃないから、この高台にはほとんど人が来ない。だから僕は一人で落ち着きたい時によく訪れている。

少し休んでから帰ろう。一つだけ設置された、塗装のほとんど剥げ、木の板のささくれたベンチに僕は座った。ため息をつき目を閉じると、少し前まで生暖たかった風が涼しくなったことを感じた。

興奮が収まるのにつれて、自分が殺した二人について考えずにはいられなくなった。

アイツらのことを大切に思い、死んだことを悲しむ人がいるはずだ。そう思うと罪悪感が湧いた。もう遺体と犯人の捜索が始まっているかもしれない。どこかに目撃者がいて、すぐに僕が犯人だと特定されてしまう予感がした。さっさと自首した方が逃げ回るよりいいかもしれない。でも二人殺した死刑じゃないか。いや、あれは正当防衛だった。殺らなかったら殺られていた。だけど上手く力をコントロールできていたら殺さずに済んだんじゃないか。

僕は右手の人差し指だけに力を入れてみた。すると、人差し指だけが硬化し、鉤爪になった。ある程度は僕が金属になる範囲をコントロールできるみたいだ。

 

と思っていたら、勝手に鉤爪が五本伸び、ベンチの端を掴んだ。そして、異常な力でベンチを押したから、僕はベンチの外へ投げ出されてしまった。

木が割れる音がして、木片が頬に当たった。

僕の力が暴走して、ベンチを壊してしまったのかと思った。ところが、立ち上がりながら振り向くと、真っ二つになったベンチの間に、グレーのスーツを着た猫背の男が立っていた。ズボンの膝から下は破け、脛は鈍く光り、刃のようになっている。

「外してしまいましたか」

猫背の男は軽くジャンプしただけで五メートルは飛び上がり、高台の入り口付近に着地した。脛の金属のおかげか脚力が強化されているみたいだ。僕と同じ境遇なのか。一瞬だけ親近感を持ってしまったけれど、さっきは明らかに僕を狙っていた。逃げないと。入り口には男がいて、ぶつぶつと何かをつぶやいている。高速道路に続く斜面は急すぎるし隠れ場所がない。森に入ろう。僕は鉤爪を使ってフェンスを飛び越えた。

森の中は傾斜が緩やかで、木の根に躓かないようにだけ気を付けていれば、それほど歩きづらくない。下っていけば住宅街に出たはずだ。猫背の男は僕のことを目で追っていたけれど、ついては来なかった。

 

真っすぐ下りていたつもりが流されていたらしく、森を抜けると公園のような場所に出た。テニスコート三面分くらいの面積に砂場しかなく、隅には鉄骨が積んである。途中で建設計画が中止されたみたいだ。周りは森に囲まれ、正面にある出入口の先には、ブロック塀からトタン屋根にまで蔦が生えた家がある。あの屋根には見覚えがある。通学路の途中でいつも一瞬だけ見えていた。それなら迷わずに帰れそうだ。体は少し休みたがっているけれど、早くここから離れないと。さっきの男がまた襲ってくるかもしれない。

それにしても、あの男は何者だったんだろう。警察ではないし、殺した二人の仲間でもなさそうだった。物語のお約束的には、僕が手に入れた謎の力の使用を取り締まる監視者ってところかな。

そんな妄想をしながら公園の半ばまで歩いたところで、彼女が公園の中に入ってきた。

白い肌。冷たく鋭い目。サイドポニーにした黒い髪。手首から先がない右腕。

信じられない。

黒江氷花だ。

制服の真っ黒なスカートを履き、ブレザーは羽織らず、ロイヤルブルーのセーターの袖を少し捲っている。学校帰りみたいだけど、いつものアークテリクスのリュックは背負わず、ローファーではなくプーマの白いスニーカーを履いている。

「こんな人気のない場所に自分から来てくれるなんて親切ね」

僕の目の前に来た黒江は右腕を振り上げた。その瞬間に、手首の先から青く半透明な物質が伸び、小剣のような形になった。長さは五十センチメートルくらい、幅は五センチメートルくらいで、パラフィルムのように薄い。

黒江が右腕を振り下ろす。僕はこのまま切られてしまってもいいなと思った。もう疲れた。だけど、そんな気持ちとは関係なく右手の鉤爪が後方に動き、僕は倒れながらも刃をかわした。ほっとする暇もなく、すぐに追撃の刃が突き出される。腰を強く打ったせいで動けない。今度こそダメだと思っていると、鉤爪が伸び地面を捉え、体を強引に持ち上げてくれたおかげで、紙一重の差で刃を避けることができた。

黒江の舌打ちが聞こえた。

刃はかわしたけれど今度は頭を打った。僕の鉤爪は「生きたい」という気持ちで手に入れたからか、危機回避には優れているみたいだ。だけどこの場を乗り切れたとしても、いつまた猫背の男に襲われるか分からない。他の敵も出てくるかもしれない。それなら黒江に殺される方がいいじゃないか。

さらなる追撃に対して動こうとする右手を僕は押さえつけた。僕があきらめたことを察したのか、黒江は右腕を高く振り上げた。夕日と混じり、刃が紫色に光る。美しい黒江の美しい武器で殺されることに僕は満足した。

 

刃が僕に届く寸前で、黒江が突然後ろにジャンプした。次の瞬間に黒江がいた位置を黒い影が通り抜け、砂ぼこりが舞い上がった。襲撃に失敗した影の主は高く飛び上がり、僕たちから少し離れた位置に着地した。

さっきの猫背の男だった。

「いつも私からコソコソと逃げているのに。死ぬ覚悟ができたの?」

「覚悟が必要なのはあなたの方ですよ、冷たい刃(コールド・エッジ)」

改めて猫背を見てみると、薄暗くても分かるくらいワイシャツが汚れ、ズボンだけでなくジャケットもボロボロになっている。顔色は悪く、黒いシミがあり、足の金属は少し錆びがある。

「こちらは適合者が二人。いくらあなたでも」

猫背は左足を引き、背中をさらに丸め、スタンディングスタートをするような体勢で黒江に対した。黒江は猫背の方を向きながら、僕のことも注意している。

「まとめて処理できるチャンスね。でも、そもそも彼はあなたなんかと協力するかしら」

二人の視線が僕へ向いた。

「あ、あの。状況がわからないんで説明してくれませんか」

「あなたは私と同じように生体武器の適合者になったのですよ。私たちは仲間です。彼女は冷たい刃。適合者を殺すのが仕事です。どちらと協力するべきか分かりますよね」

「じゃあ、さっきはどうして僕を襲ったんですか」

猫背は「へえっ」とマヌケた声を出し、右手で頭を叩くと、またぶつぶつと独り言をはじめた。コイツちょっと頭がおかしいのかもしれない。

「黒江さんからは何かある」と言った後で、僕はしまったと思った。話したこともないのに名前を知っているのを怪しまれるかもしれない。

黒江は「別に」と言い、青い剣を構えた。「どうせ殺すんだから説明なんて無駄でしょ」。冷たい声が凛々しさを際立たせる。

「それならあなたと組んだ方が良さそうですね」

僕は視線を一瞬だけ黒江に向けてから、猫背に近づいた。猫背は喜び、醜く笑った。黒江は表情を変ず、僕たちの動きを見つめている。

「分かってくれましたか。ええ、どうしましょう。あなたの生体武器は、殺傷力はありそうだけどリーチが短い。私の生体武器には機動力がある。私が上手く追い込んで、あなたとの近接戦に持ち込みます。倒した後、体は半分ずつ食べましょう」

猫背は早口で話し終えると、黒江に対して構え直した。そして、跳びかかろうとした瞬間に、僕は鉤爪を伸ばし猫背の左足を掴んだ。唖然とした顔がこちらへ向く。僕はその顔から目を逸らし、脛を握りつぶしながら、猫背を黒江の足元に投げた。

転がる猫背に黒江は刃を振り下ろし、体を胴体で真っ二つにした。切れ味があまりにも鋭かったので、断面はすぐに離れず、右足の生体武器が独立して動こうとした瞬間にずれはじめ、血が黒江の足元を濡らした。

 

生体武器には適合者とは独立した生命が宿っているらしく、右足はまだ刃を動かし、もがいている。黒江が切り刻むと、やっと右足の動きも完全に止まった。すると胴体の断面部分から灰色の煙のようなものが出始め、発生する範囲が広がり、体中を煙が包んだ。黒江のスカートについた血からも煙が出ている。

風が吹き、煙が流れると、地面に合った猫背の男の体はなくなっていた。着ていたスーツやワイシャツもない。血に染まったはずの黒江のスニーカーも白に戻っている。

「やったね」と呼びかけると、黒江が青い剣を出したまま僕に向かってきた。

「ちょっと待ってよ。協力してあげたのに」

「必要なかった」。そう言った後で、黒江は突然立ち止まってくれた。「でも、どうして私を助けたの。冷たい刃の役割は聞いたでしょ」

「君に好かれたいからだよ」なんてまだ言えない。下心を出すのはもっと仲を深めてからだ。

「黒江さんの方がさっきの男より強そうだったから」

「まあ、正しい判断ね」

「もしよければ、これからも黒江さんに協力したいんだ。生体武器の適合者だっけ、そういう人を倒すために戦っているんだよね。一人よりも二人の方がいいでしょ」

「おもしろい提案だけど」。黒江は剣を下ろしかけ、また構え直した。「あなたも適合者で、しかもさっき人を殺しているでしょ」

僕は慌ててさっきの出来事を少しだけ自分に都合よく説明した。黒江も正当防衛だったということは分かってくれたみたいだ。

「でも、どうして僕が人を殺したって知ってたの」

「強引な記憶の消去による軋みが聞こえたから」

「そうなんだ」と言いつつも納得できないでいる僕を見て、黒江は面倒くさそうにため息をついた。

「生体武器に喰われた人は存在自体が世界から抹消されるの。所有物、公的な記録が無くなり、普通の人の記憶からは消えてしまう」

「完全に?」

「だいたいは。だけど、断片的な記憶や、記憶が欠落したことによる違和感が残ってしまうことはあるわ」

どうやら僕の殺しが罪に問われることはなさそうだ。少し安心してしまう。

「あんまり違和感が大きいと混乱が世界を一時的に軋ませてしまうの。あなたが二人目に殺した男が分かりやすいわ。目の前で仲間が殺された光景が焼きついているのに、その仲間についての記憶が無理やり消されたら、矛盾が処理し切れないでしょ。適合者や私は軋みの発生場所も感じ取れる。だから中村も襲ってきたんだと思う」

黒江は右腕を下ろし、「中村っていうのはさっき殺した適合者ね」と付け加えた。そして剣を消した。

僕はまだ話を受け入れられずに戸惑っている一方で、退屈な日常を変えるチャンスがきたんじゃないかと期待も膨らんだ。

「いろいろと説明してくれたってことは、僕を殺すのは止めてくれたんだよね」

「一時的に。どうしても殺したいヤツがいるから協力してほしいの。いい?」

「もちろん」という僕の大きな声に、黒江は少し戸惑った顔をした。

「ありがとう。でも、そいつを片付けたら、今度こそあなたを殺すわ」

毅然とした目が僕の目を向いた。僕は興奮を抑え、落ち着いた顔をつくり、頷いた。

 

黒江は公園の入り口にリュックやローファー、ブレザーを置いていた。

「黒江さんの冷たい刃ってのも生体武器?」

「違う」。強い声だった。「対生体武器専用で、普通の人は傷つけない」

僕は慌てて「ごめん」と謝った。

黒江はローファーを片手で器用にナイキの袋に入れ、リュックにしまう。スニーカーのまま帰ることにしたらしい。靴を履き替える姿、靴下の中で動く足の指を見たかったから残念だ。

「中村はどうして僕を襲ってきたの。同じ適合者なのに」

「だからこそね。生体武器は人の体を喰らうごとに力を増すの。特に適合者を取り込んだ場合は持っていた武器の力も加わって一気に強化される」と、黒江はブレザーについた埃を払いながら言った。

「そっか。でも僕への襲撃が一度失敗したらすぐにあきらめて、次は黒江さんを狙って、僕に仲間になるように誘って。行動が一貫してなかったね」

「アイツは近接戦が苦手で跳躍力しか取り柄が無いから、不意打ちに賭けるしかないの。それと、最近は追われる不安で精神を病んでいたのも原因かもね」

黒江はブレザーに腕を通すと、僕へ顔を向けた。

「教えておいてあげるけど、私は近隣にいる適合者の居場所がだいたい感じ取れるの。だから、あなたも逃げたり隠れたりしても無駄よ」

「協力するんだからそんなことしないよ」

「そう」。そっけなく言うと黒江は大きなリュックを背負った。「中村は逃げ足が早くて面倒だったから。市内を次々に移動して」

「もっと遠くに逃げればよかったのに。そんなことも思いつかないくらい疲れていたのかな」

「離婚した妻に引き取られた娘がこの街にいて、離れたくなかったみたい」

風が吹き、黒江のサイドポニーが揺れた。寒気がした。だけど、中村を憐れんでいる場合じゃない。自分のこれからを考えないと。

 

黒江が歩き出した。僕は勇気を出し、少し後をついていくことにした。「来ないで」とかか言われるんじゃないかと心配したけれど、黒江はチラリと僕を見ただけだった。

隣ではない。少し距離がある。それでも今、僕はずっと憧れていた黒江と一緒に歩いている。誰かに、できれば同じクラスのヤツに見てほしかったけれど、夜の住宅街に人の姿はない。

「協力って、具体的には何をすればいいの」

「気にしなくても向こうからあなたに接触してくるはずよ。そうだ」。黒江は立ち止まり、「連絡先を交換しておきましょう」と言いながらスマホを取り出した。

黒江のLINEのアイコンは野球のボールを抱えて丸まっている白猫だった。クールな雰囲気とのギャップがかわいくて、僕はニヤケてしまいそうになる。

「竹内聡一。やっぱり。見覚えがあるとは思っていたんだけど、光丘生でしょ」

まさか黒江が僕のことを知っていてくれたなんて。僕は喜びで飛び上がってしまいそうになった。「そうだよ、二年三組。黒江さんは確か一組だよね」。そして、出席番号は八番。新学年になったばかりだけどちゃんと把握している。

「人違いじゃなくてよかった」。黒江はスマホをしまい、「これなら上手くいく」とつぶやくと、また歩き出した。

通学路と合流する交差点が見えてきた。完全下校時刻は過ぎているけれど、部活終わりの生徒はまだいるはずだ。ところが黒江は「私、コンビニに寄っていくから。続きはLINEで」と言い、交差点の手前にあるローソンに入ってしまった。僕はただ後姿を見送った。

通学路にはいると、予想通り運動部のヤツらが数人いた。私服姿の自分がなんだか恥ずかしくて、僕は脇道に入った。

しばらく歩いてから、適当に買う物をでっちあげて、僕もコンビニについていけばよかったんだと気づき、後悔した。生体武器についても、黒江についても、聞きたいことはたくさんある。でも、「続きはLINEで」ってことは、チャンスはまだまだあるはずだ。

家に帰り、LINEを開き、親と企業の公式アカウントだけだった友達欄に「黒江氷花」という名前が表示されるのを見たら、またニヤニヤしてしまった。「これからよろしく」というメッセージを送るだけで指が震える。「よろしく」ってなんだ、もっと気の利いたセリフがあっただろとか反省していると、「敵の情報については明日伝える」という返事がきた。「わかった これから一緒に頑張ろう」と送ったら、既読がつかなかった。もう寝ちゃったのかな。焦らなくても明日、明後日は休みだ。じっくりと話せる。

 

右手の生体武器のコントロールに自信はない。今日は左手だけでオナニーをしよう。

女戦士物のエロゲーを使おうとしたけれど、しっくりこない。そこで黒江に似た女性の画像や動画を探すことにした。細くて、色白で、一番大事なのはクールな雰囲気だ。

いくつかの画像や動画をストックし、オナニープランを練っていると、左手の人差し指に疼きを感じた。力を入れると人差し指が硬化し、ナイフのような形になった。右手より黒っぽい。中村の左足を取り込んだせいかもしれない。

力を抜くと指は元に戻った。それでも僕は萎えてしまった。しごいている最中に人差し指が硬化したらと思うと、怖くなる。

僕はオナニーを断念して布団に入った。だけど、ムラムラして眠れない。

試しに左手の人差し指以外の四本の指でしごいてみる。あまり気持ちよくない。やめようかなと考えながら集めた画像を眺めていると、嫌そうな顔で亀頭に触れる女性が目に入った。次の瞬間に、黒江が見下すような目で、ぎこちなく手コキをしてくれている姿が鮮明に浮かんだ。ブックカバーをつけかえる、細い指の動きを思い出す。

ペニスが硬くなり、すぐに射精することができた。

 

 

 

白川葉月は光丘のスクールカーストの頂点にいる。

地味なブスが多いと他校からは言われているらしい光丘では例外的なおしゃれで華やかな美人。去年の夏休み明けに転校してきて、十月の文化祭のミスコンでいきなり優勝。約半年の間に十人以上の男子から告白され、芸能事務所からスカウトされたこともあり、今はサッカー部のエースの平田って三年生と付き合っている。と、接点がない僕がこのくらいのことは知っているくらい、学内では目立つ存在だ。もちろん黒江ほどではないし、遊んでそうだなとは思うけれど、僕だって正直気になってはいた。

そんな白川が昇降口で僕に話しかけてくれた。

「ねえ、竹内聡一くんだよね」

あざとくない程度に首を傾げると、明るく染め、緩く巻いた髪が揺れた。自分の一番かわいく見える角度を計算しているんだなとか思うけれど、やっぱりかわいい。

「ごめんね、急に話しかけて。わたし、四組の白川葉月っていうんだけど、知らないよね」

「名前くらいは」

「本当に? うれしい」と、白川は心の底から喜んでいそうな笑顔で言った。何も知らなければもう好きになっていたかもしれない。

「実はわたし密かに聡一くんに注目していたんだよね。本をたくさん読んでいて、クールで知的な雰囲気だなって。できれば仲良くなりたいな」

ラノベばっかり読んでいるぼっちにそんな褒め方があるんだと感心する。

「今日これから時間空いてるかな。一緒に駅前に行こうよ」

「ごめん、今日は用事があるから」

「ちょっとスタバに寄ってくだけだよ」

僕が断ると、白川は本当に残念そうな顔をした。心が揺れたけれど、僕はなんとか持ちこたえた。

「じゃあ、LINEとか教えてくれるかな」

同じクラスの安田と高橋が、テニスバッグを担ぎ、通り過ぎていく。見ろよ。オレはみんなのアイドル白川さんと連絡先を交換しているんだぞ。と、一瞬だけ誇らしい気持ちになる。次の瞬間にむなしくなる。

白川のアイコンは友達とディズニーランドで取った写真だった。

「ありがとう。これからよろしくね」

白川は微笑み、手を小さく振りながら去っていく。天使みたいだ。

ボーっとしていた僕は、背後にあるトイレの出入り口横の鏡に、自分のニヤけたニキビ面が映っていることに気づき、現実に戻った。

 

「予想通りね」

僕の報告を聞き、黒江はそう言うと、こちらを向いた。

「明日の放課後、ここで仕留める。誘ってくれる」

僕たちは、一緒に中村と戦った公園の近くにある、小さな廃工場にいた。黒江が用意した決戦の舞台で、学校から遠くないけれど、人が来ることもなさそうだ。

「誘うって。どうやって」

「とっておきの場所があるから紹介したいとかで十分よ」

僕は工場内を見まわした。広さは学校の教室と同じくらいで、汚れた窓から入る光は弱く、全体的に薄暗い。窓際には机が雑に並び、錆び切ったミシンが二台だけ置いてある。撤去時に部屋中の机を寄せたらしく、机が元々あった位置に足の跡がまだ残っている。

「入るのを嫌がったりしないわ。向こうにとっても都合がいい場所でしょ」

「知り合った次の日にデートに誘うの。怪しまれるでしょ」

「あなたを勘違いして舞い上がったバカだと思うだけよ。絶対に乗ってくる」

スマホは取り出したけれど、まだ決心がつかない僕に、黒江は少しイラついた声で言った。「私たちが組んでいることを知られたら白川には絶対に勝てない。気づかれる前に戦うしかないの」

 

生体武器に取りつかれるのは僕や中村みたいな暗い人間だと勝手に思い込んでいたから、白川葉月が適合者だと知った時には少し驚いた。「どうして今まで放っておいたの」と聞くと、「確実に倒せる自信がなかったから」という返事がきた。転校してきた時にはかなりの人数を食べていたらしい。

「一個上の新村って野球部のキャプテンも喰われたの

背が高くて野球に熱心で、だけど成績もよくて

学内では結構有名人だったから

なんとなくおぼえてない?」

まったく思い出せない。

「平田とはアイツにしては長く付き合っているけど

そのうち食べるはずよ」

黒江はメッセージに絵文字やスタンプを使わない。

「男に色仕掛けをして

二人きりになったら殺すのが手口

軋みも発生しにくい」

力が強いせいか、白川は他の適合者の居場所を黒江と同じくらい正確に感知できるらしい。

「二か月前にも新しい適合者が生まれたんだけど、

私より先に接触して、その日のうちに食べているわ」

「中村のことも追いかけていたし、

あなたにも間違いなく声をかけてくる」

 

「今日はごめん

明日なら大丈夫なんだけど、放課後空いてるかな?

秘密の場所を紹介したいんだ」

恥ずかしくなる誘いだけど白川はあっさりと乗ってくれた。学校一の美少女とのデートが決まったのに全然うれしくない。

黒江は大きく息を吐くと、「明日はお願い。流れはLINEで確認しましょう」とだけ言って帰ろうとする。

「ちょっと待って。二人で協力して戦うのに連携の確認とかしなくていいの」

「あなたは白川を誘い出すのが役目。あとは私が一撃目で決められるかどうかの勝負だから。もし不意打ちで決まらなかった場合も、あなたは白川の攻撃を止めさえしてくれればいいわ。自分で倒そうとしないでね」

黒江は僕の目を見て、「とどめは私が刺す」と力強く言った。戦士の覚悟みたいなものを感じる。かっこいい。黒江をますます好きになってしまう。

一方で、黒江が僕を信頼してなくて、囮としか考えていないこともよく分かった。昨日、一昨日も、必要最小限の情報しか教えてくれず、黒江のプライベートについての質問をすると流されるか無視された。

まあいいさ。僕が明日の戦闘で活躍すれば評価も上がる。そうすればパートナーとして認めてもらえるはずだ。クールなヒロインが自分にだけ心を開いてくれる理想の展開を僕は妄想した。

 

工場を出ようと錆びたドアを開けた黒江が、動きを止めた。

「どうしたの」

僕が近づこうとすると、黒江は「来ないで」というように手の平をこちらに向けた。そして、ゆっくりとドアを閉めながら、外へ出た。

ちょっと間をおいて、僕もドアをゆっくりと開けた。しゃがむ黒江の先に茶色い猫がいた。僕に気づいた猫は一歩後ずさり、警戒する動きをしたけれど、逃げないでくれた。

猫が短く鳴いた。黒江は優しい目で猫を見つめている。猫もじっと黒江を見ている。猫が逃げないように、僕も息を殺してじっとする。そして、右斜め後ろから黒江をガン見する。黒江は髪を左側で束ねているから横顔がよく見える。さっきまでの緊張感のある顔もいいけれど、少し気の抜けた顔も最高にかわいい。

風が吹き、工場のシャッターが揺れた。猫は長い鳴き声を出すと、森の中に行ってしまった。

立ち上がった黒江はまだ幸せそうな顔をしている。

「猫、好きだよね」

「まあ」

「じゃあ、猫カフェとか行くの?」

続けて「駅前にもできたでしょ。白川を倒したら行こうよ」と誘うつもりでいたら、黒江の大きなため息が聞こえた。顔もいつもの冷たい表情に戻っている。

「あんな猫の虐待施設に行くわけないでしょ。劣悪な環境で猫を飼育している店が多いし、そもそも猫にとって不特定多数の客と長時間にわたって接触すること自体がかなりのストレスになるのよ。経営者は猫を商売道具としか考えていないわ。予防接種も受けさせず、病気が蔓延しても営業を続け、たくさんの猫が死んでしまった店がニュースになったでしょ。ああいう店に通う無知な人は本当の猫好きにとっての敵よ」

黒江の怒りに僕は戸惑った。「もしかして、行ったことあるの」と聞かれたので、首を大きく振りながら「行ったことないよ」と答えた。「これからも絶対に行かない」

「そう」と冷たくつぶやくと、「じゃあ、明日はよろしく」と言って、黒江は歩き出した。ついていくか。でも黒江を怒らせてしまったから止めた方がいいか。迷っている間に黒江の姿は見えなくなってしまった。

結局、僕は一人で帰った。

 

家に着くころには、黒江が怒りを向けていたのは猫カフェの経営者や常連客で、僕ではなかったんじゃないかと冷静になることができた。「家で猫を飼っているの」とか「動物の保護に興味があるの」とか、話の続け方はたくさんあったじゃないか。

僕は切り替えて、白川との思い出に耽ることにした。僕の力が弱いせいか、適合者という雰囲気は感じなかった。とにかくかわいかった。

白川みたいなAV女優を大手メーカーの専属女優紹介ページで探してみると、そっくりな人を見つけた。しゃべり方も似ている。今日はこの子を使って抜こうか。でも、明日戦うのにそんなことしない方がいいか。いや、むしろ抜いておいた方が落ち着いて戦えるか。

やっぱり止めよう。僕にとって大切なのは黒江だ。白川に余計な思い入れは持っちゃいけない。体力を温存するためにも今日は我慢しよう。

スリープさせたパソコンに、いつものように気の抜けた僕の顔が映った。緊張感が全くない自分に気づき、あきれてしまった。

 

 

 

「今日は暑いね」

白川は立ち止まり、ブレザーを脱いだ。ワイシャツにブラジャーの形が浮き出て、細いのに胸が大きいことがよくわかる。二次元のキャラクターみたいな体型だ。

「持つよ」

「ありがとう。優しいんだね」

白川の笑顔に僕はニヤけてしまう。

ブレザーには白川の匂いと体温が残っている。勃起してしまった僕は、それを白川のブレザーを使って隠そうとした。ところがブレザーが触れたことで、もっと大きく硬くなってしまった。今すぐ草むらに入って、ブレザーを頭に被りながらオナニーをしたい気分だ。やっぱり昨日の夜に抜いておくべきだった。

「わたしも聡一くんみたいに紳士的な彼氏が欲しいな」

「べ、別に紳士的じゃないよ。それに白川さんならもっといい彼氏がつくれるでしょ」

「そんなことないんだけどな」と白川は沈んだ声で言った。

平田と上手くいっていないのかなとか考えてしまった後で、そもそも全てが僕を食べるための演技だということを思い出し、少し萎えた。

 

公園の前を通りすぎると、工場が見えてきた。

「あそこだよ」

「へー。わたし意外と廃墟とか好きだからドキドキする」と言いながら僕を見上げてきた顔はもちろんかわいい。

敷地を囲う緑色のフェンスは全体的に塗装が剥げていて、穴が開いたり、大きく傾いたり、空き缶が差し込まれたりしている。建物の周りに錆び切ったミシンや裁断機のような機械が転がり、窓にはガムテープが×字に貼られた跡がある。

それでも白川は特に警戒する様子はなく、楽しそうにしながら建物に入ってくれた。

天気がいいせいか内部は昨日より明るく、床に落ちた針や糸くずが見える。そして蒸し暑い。比較的汚れていない机にリュックを置き、ブレザーを白川に返すと、僕は学ランを脱いだ。白川は僕の置いた横にスクールバックやブレザーを並べると、手で顔を扇ぎながら「窓、開けよっか」と言った。

「そう、だね」

僕は迷いながら答えた。逃げられやすくなるから開けない方がいいはずだ。だけど、反対する理由は見つからない。黒江からは窓のことは何も言われなかった。こういうところに打ち合わせの甘さを感じる。

「でも、止めた方がいいかな。古いから壊れたりしたら危ないしね」

ほっとしていると、白川はシャツの袖を捲り、第二ボタンを開けた。

「暑いでしょ。聡一くんも開けたら」

白川の右手が僕の第二ボタンへ伸びる。なんだか目がエロい、気がする。

このまま身を委ねてしまいたいけど、食べられるわけにはいかない。黒江はどこにいるんだ。僕の目線でバレるかもしれないからと、隠れる場所さえ教えてくれなかった。それでも思わずキョロキョロしてしまう。

「緊張してるの。かわいい」

よかった。モテない男の挙動不審だと思ってくれたみたいだ。「ボタンくらい自分で外すよ」と言いながら僕は後ずさり、窓の向かいにある棚に近づいた。光はここまで届かず、棚に残る布の色が黒なのか濃紺なのかわからない。

「でもさ、こんなとこに誘ったってことは聡一くん、期待してたんでしょ」

白川はもう一つボタンを外した。淡いピンクのブラジャー、そして胸の谷間が見える。「隠さなくていいよ。わたしも同じ気持ちだから」

白川は妖しく微笑んだ。ゆっくりと僕に近づくのに合わせて胸が揺れる。

僕の抵抗する気持ちは簡単に溶けてしまった。

食べられたっていいじゃないか。むしろ食べられてしまいたい。

「じゃあ、聡一くんのこといただいちゃうね」

僕に抱きつこうとする白川の両腕が大鎌に変化した。

 

足元を何かが通り抜けた。次の瞬間、青い光が白川の体を切り裂き、血が飛び散った。舌打ちが聞こえた。白川がとっさに体を捻ったので、切れたのは左肩だった。

黒江は棚の下段に隠れていたらしい。

黒江が再び切りつけようとすると、白川のお尻の辺りから金属の鱗で覆われた尻尾が伸びた。細長い尻尾の先も、腕と同じように、黒光りする鋭い大鎌になっている。白川は尻尾を黒江へ振った。黒江が鎌を切り落とすと、鎌はすぐに再生した。

僕も加勢しようとすると、白川の右腕が伸び、鎌が振り下ろされた。僕はそれを右手の生体武器でなんとか受け止める。

「二人が組んでいたなんて予想外。氷花ちゃんはどんなことをして聡一くんを仲間にしたのかな」。白川は口の端についた血を舌先で舐めた。「新村さんにも同じことをしてあげればよかったのに」

「あんたなんかと一緒にしないで」

黒江は尻尾を切り落とし、殺気に満ちた目で白川に迫った。

「惜しかったね。でも、不意打ちで決められなかった時点で勝負はついてるよ」

白川の尻から尻尾がもう二本生えた。切られた尻尾もすぐに再生して、三本で黒江を襲う。黒江は耐えきれず、白川から少し離れた。切り落とされた尻尾は蛇のようにクネクネとまだ動いている。

 

いつでも倒せると思われているのか、白川は近くにいる僕を後回しにして、黒江に攻撃を集中させている。確かに僕は鎌を押さえるので精一杯だ。甘く考えていた。不意打ちで片腕を落としてもこんなに強いなんて。戦いが長引けば白川は出血で動けなくなるんじゃないかと期待していたけれど、血はすぐ止まり、痛がりさえしていない。適合者の体は普通の人とは違うんだなと改めて思う。

黒江は防戦一方で、息が上がり、汗をかいている。少しずつ細かい切り傷も増えている。なんとかしないと。僕は焦りながら、ここで黒江を助けられたら一気に信頼されるなとも考えていた。もしかしたら、好きになってくれるかもしれない。こんな状況でも不純な自分にあきれてしまうけれど、アイデアは思いついた。

黒江の足が止まってしまった。傷の痛みや疲れのせいか右腕を振る動きも鈍い。リスクがある策だけど、迷っている場合じゃない。黒江のためだ。

白川が黒江に集中していることを確認すると、僕は左手の人差し指を硬化させ、自分の右手首を切り落とした。生体武器は自分の体は食べてくれないらしい。激しい痛みがして血が湧き出る。でも動けないほどじゃない。やっぱり僕も適合者なんだ。そんなことを考えながら、僕は白川の前に飛び出した。僕の動きに気づいた白川は右腕を使おうとしたけれど、鎌は僕の右手が握りしめ続けている。

僕は左指で白川の首を掻き切った。傷は深いけれど、白川はまだ倒れない。尻尾を僕に振ろうとする。僕は首の血を吸い鎌のように成長した左手を白川の体に振り落とした。

背後から「待って」という黒江の声が聞こえた気がした。

 

気づくと白川の体は消えていた。僕の生体武器が食べてしまったみたいだ。

僕は見事に強敵を倒し、ヒロインを助けることができた。自分が物語の主人公に思えて誇らしい。

「やったよ」

黒江に近づこうとすると、左手の鎌が急に後方に振れ、僕は尻もちをついた。僕が立っていた場所を冷たいが通り過ぎるのが見えた。

「ちょっと待って。どういうこと」

「白川を倒すまでの約束でしょ。もうあなたは敵よ」

黒江はまた切りつけてきたけれど、疲れで動きにキレがない。生体武器に助けられなくても避けることができる。

「これからも協力しようよ」

「もうこの街にいる適合者はあなただけよ」

「新しい適合者が生まれるかもしれないよね」

「一人で倒せる」と叫びながら振った刃を僕がかわすと、黒江は倒れてしまった。

「大丈夫?」

僕が手の無い右腕を差し出すと、黒江はそれを切りつけようとする。僕は慌てて腕を引っこめた。

「ヒドイよ。自分で言うのは恥ずかしいけれど、僕がいなきゃ白川を倒せなかったよね。それなのに感謝するどころか殺そうとするなんて」

「わかってないのね」。黒江はゆっくりと立ち上がった。「とどめは私が刺さなきゃいけなかったの。今のあなたは白川以上の化け物よ」

 

体中が疼いていた。

全身に力を入れると、左手から大鎌が三本伸びた。尻からは金属の鱗で覆われた尻尾が一本生え、尻尾の先は大鎌になっている。白川に生えていた物とそっくりだ。尻尾は僕の意思に従い動き、勢いよく振ると鎌が風を切る音がした。両足の指はそれぞれが鉤爪に変化し、靴を突き破り、床をしっかりと捉えている。中村のように高く飛び上がることだってできるはずだ。

全身に生体武器をまとった僕の姿を見て、黒江は怯えた顔を一瞬した。すぐに凛々しい顔をつくったけれど、冷たい刃を構えたまま、向かってこない。

「こんな姿になっちゃたけどさ、黒江の力になりたいんだ。いいかな」

僕は右腕を差し出した。傷口はもう塞がり、血は止まっている。

「どうして私を殺さないの。今なら簡単でしょ」

黒江の目が真っすぐに僕の目を見ている。僕だけを見ている。思い描いてきたシチュエーションとは違うけれど、今しかない。勇気を出そう。

「君のことが好きだからだよ」

少しの沈黙の後、「はあ」という黒江のあきれたような、困惑したような声が聞こえた。

「ずっと黒江に憧れていたんだ。体育祭の応援練習の時から密かに。正直、生体武器のおかげで仲良くなれてうれしかった。黒江を食べる気なんてない。これからも黒江と一緒に戦いたいんだ。それで」

「最低ね」。黒江は僕を睨みつけた。「今なら断れないと思ったんでしょ。卑怯者」

おかしい。

こんな展開はおかしい。

「誤解だよ。本当に君のことが好きなんだ」と、僕は涙が出そうになるのをこらえながら叫んだ。「だから体を捨てる覚悟だってできたのに」

「黙れ」

白川に見せた以上の殺意に満ちた、だけど泣きそうな顔を黒江はしている。どうしてそんな顔をするんだ。やめてくれよ。

叫びながら向かってきた黒江の体を僕の生体武器が貫いた。

 

 

 

スマホを見るとまだ五時前だった。外は明るく、工場内は生暖かい。

一人になった後、僕は異常な疲れを感じ、床で寝てしまった。起きた時には勃起していた。自分にあきれた。

家に帰ろうかと思ったけれど、右手は床に転がり、ズボンや靴に穴が開いている。どうしたらいいのか分からず、立ったままボーっとする。

僕のリュックと学ランの隣にあった白川のブレザーとバッグは無くなっている。学ランに匂いが移っていないかと嗅いでみたけれど、甘さは感じなかった。

学ランを置き、僕は白川の匂い、姿、体温を脳内で再構成した。ペニスはさらに硬くなった。すごくムラムラする。

僕はズボンと下着を下ろし、左手でオナニーをはじめた。

手が突然硬化することなんてもう怖くなかった。ふと、こんな場所でオナニーをするなんて僕は頭がおかしくなったんじゃないかと思い、萎えかけた。だけど、こんな化け物になってしまったんだからどうでもいいなと持ち直した。

十分に硬くなったところで、僕は尻尾を生やし、体の前へもってきた。改めて見ても白川の物とそっくりだ。僕は慎重に尻尾をペニスに巻きつけ、ゆっくりと動かしはじめた。白川が小悪魔的にちょっとあきれた顔でしごいてくれている姿が鮮明に浮かぶ。「聡一くん、こんなのが気持ちいいんだ。変態さんだね」。鱗に刺激され、僕のペニスは見たことがないくらい硬く、大きくなった。

右腕の先が疼いた。手首を切り落とした断面の辺り。力を入れると青い光が伸びた。

冷たい刃だった。

憧れだった美しい剣が、黒江と同じ場所から出現した。奇跡だと思った。試しに床に転がる自分の右手を切ってみると、鉤爪は抵抗なく切断され、青白い煙を出しながら消えてしまった。

僕はおそるおそる、剣の平らな面を亀頭の先に当てた。思わず声が出てしまった。冷たい刃は本当に冷たかった。もう一度当てると、亀頭は刺激で腫れたように大きくなった。

僕は尻尾の動きを激しくし、冷たい刃に向かって射精した。

間違いなく人生で一番気持ちのいいオナニーだった。青く透明な刃に僕のドロドロとした精子がたくさんついている。黒江にぶっかけたみたいだなと思った。

余韻に浸っていると、冷たい刃にかかった精子が張り付かずに表面を流れ、床や脱ぎかけたズボンに落ちていくことに気づいた。透明さを取り戻した刃に、僕の気の抜けた口元が映る。

何をやっているんだオレは。

きっと、こんな気持ち悪い人間なのが見抜かれて黒江にも嫌われたんだ。

僕はため息をついた。だけど、ペニスはまだ勃起している。

おさまるのを待ち、下着とズボンを履くまでの時間も耐えられそうにない。それに、下半身が丸出しで精子を垂らした今の姿が自分の最期にはふさわしい気がする。

僕は冷たい刃を自分の首へ振った。

2020年8月1日公開

© 2020 佐藤相平

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