世界その他自分を壊した罪について

短編集【キミノフォビア】(第12話)

倉椅

小説

5,057文字

世界の壊し方と自分の壊し方を探して歩く男の話。食人注意。わらしべ長者はお好きですか、わたしは大好きです。

 世界が壊れるのを見たかった。でも僕のワガママで壊れるほど世界は脆くなさそうだ。代わりに自分を壊す事にした。僕の体を構成する細胞たち、その中にひとつくらい僕に似た奴がいるだろう。僕の代わりに彼の夢を!

 ざっと、それだけの事だ。

 さて僕はどうやったら壊れるのだろう? 手首を切るのが好きな少女がいたので話を聞いてみる事にした。少女は煙草を持った手で机に肘をつき、やや気怠げに笑いつつ左手の袖をめくった。無数の切り傷がそこに刻まれていた。

「この細い線が最初の一本。怯えながらそっと切り込んだの。こっちの太いやつは決意のあの日。なぜって聞かれても答えられない」

 少女は言った。僕は不思議に思ってこう尋ねた。

「なぜ自分に痛みを与えるの? 同じ刃物で、同じ力で、嫌いな誰かを切り刻めば良いのに。君は優しいのかな」

 僕の問いかけに少女は俯いて「んー」と唸った。子供に難しい事を説明するような悩み方。少女は答えた。

「そんな難しい話じゃ無いんだ。あれこれ考えたのは最初の一本だけ。何かが分かる気がしたのかもね」

 少女はやや憂鬱な顔で手首のバーコードを撫でた。その傷を疎ましく思っているような顔だ。少なくとも誇らしげには思っていない。ちょうど太った奴が自分の腹の肉をつまんでみるのと同じ表情だった。少女は傷の意味について答えるのを諦め、代わりにこう教えてくれた。

「あんた、自分を壊すんだって言ったね」

「そう。本当は世界を壊したいけど、壊れそうに無いから自分で我慢するんだ」

「あんたの壊すがどうゆう意味か知らないけど、私は壊れたくてやったんじゃないから。風呂場でやったり、静脈に注射針を刺してみたり、ほんのちょびっと心は壊れたのかもね。ほら、これあげるよ。これなら壊れるかも」

 少女は僕に一冊の本を渡した。哲学書だった。

 僕は哲学書を読んでみた。この世に生まれてやがて死ぬ、たったそれだけの約束の中、あれやこれやと疑問を抱いた先人達の言葉が記されていた。

 たとえば。もしも君の目の前で愛する人が首をちょん切られたとする。君は愛する人の首と胴体、どっちに駆け寄り、どっちを抱き上げ、泣くだろう? たぶん首の方だ。首を放っておいて胴体を抱きしめる人は稀だろう。つまり君は首から上に基づいて愛する人を認識しているのだ――とか。では正面と背後で裂けるチーズみたいに別れたらどうする、やっぱり顔がある方をその人と思うだろう……とか、だいたいそんな話だ。

 僕は百年も前に死んだ哲学者の言葉で、僕の信じていた良識が壊れる音を聞いた。当たり前と信じていた世界がいかに曖昧なルールで成り立っているのかを知った。でも読了後、どうやら僕は壊れていなかったし世界も壊れていない。少女には感謝したが、この方法ではダメみたいだ。僕は哲学書に名前のあった、とある高名な学者を尋ねた。

 世界が壊れるのを見たいけど、自分には世界を壊す力が無いので、せめて自分を壊す事にした。そう話すと高名な学者は笑ってみせた。

「世界を壊したい? なら君の目には世界が完成して見えるのだね。羨ましい事だ。私は違う。この世界はどこまでも不完全で、拙い。我々学術家に崩壊を望むヒマなんて無いよ。作るのに忙しくてね」

 難しくて何を言ってるのかさっぱり分からなかった。僕はしばらく考えてから、こう聞いてみた。

「でも先生、見たくありませんか? 倫理や常識が壊れる音を聞き、蟻塚みたいに突っ立っているビルが倒れるのを見て、家族や友人が唖然としている顔を見たくありませんか?」

 僕の問いかけに、学者は顔をしかめた。

「どうやら君は病気のようだね。残念だけど力になれない。ほら、これをあげよう」

 高名な学者は僕に小さな袋を渡した。袋の中には心を修復する薬が入っていた。

 僕はさっそく薬を飲んでみた。薬が胃液に溶け、血管を伝って脳に到達した瞬間、世界が壊れるのを見たいという気持ちも自分を壊したいという気持ちも薄れていった。強制的に湧き上がる優しさが思考回路をぶつ切りにして、まるで平和な歌で洗脳されているように愛と慈しみが胸に溢れた。

 嫌だ、嫌だ、気持ち悪い。夢が消えてしまう事を恐れた僕は必死に薬の作用に抗った。一晩寝ずに耐え忍んでいたら、やがていつもの僕が帰って来た。なんてモノを呑ませるんだ……僕は学者に腹が立った。

 もう頼る手だてが無くなったので、僕は血迷って宗教者を尋ねた。全知全能の神ならば、僕がどうすれば良いか知っているはずだ。

 世界を壊したいけど壊せないので自分を壊す事にした。そう話すと宗教者は深い理解を込めて二三度頷いてみせた。

「神が作り賜うたこの世界を壊すのは大罪です。神の子たるあなた自身を傷つけるのも同じく大罪です。神の懐に抱かれてみなさい。そうすれば答えが見えて来るかもしれません」

 僕は宗教者の言葉に従って、そのまま修行僧になった。禁欲と自己批判の彼方、大いなる神の御心に触れ、僕の疑問はさらに深まってしまった。ある日、僕はもう一度宗教者と話した。僕はこう言った。

「神の偉大なる愛に触れました。神の作り賜うた世界に畏敬の念を覚えました。しかし僕の気持ちは変わりません。どうか教えて下さい。僕はどうやったら壊れるのですか」

 僕の言葉に宗教者は呆れたようなため息を返した。そしてこう言った。

「困った人ですね。主曰く〝或いは生まれて来ない方がその方の為に良かった〟。よろしい、これをさし上げます」

 宗教者は僧衣の懐から鍵を取り出し、僕に渡した。埃と手あかでくすんだ深紅の鍵。

「これは何ですか?」

 僕は尋ねた。宗教者はこう答えた。

「地獄の門を開く鍵です。あなたは地獄に行きなさい。世界が壊れる事を望んだ者、自分を壊した者、それぞれどのような場所に送られるのか、その目でしっかりと見ておいでなさい」

 僕は宗教者の教えに従い、その鍵で地獄の門を開けた。地獄は血を沸騰させる熱気と死臭に満ちている以外は、何の変哲も無い荒れ地だった。僕は地獄を彷徨い歩き、やがて罪人に出会った。彼は真っ赤に焼けた鎖で四肢を封じられ、毎昼夜続く拷問のためにたくさんの傷を負っていた。その疲れ切った目が僕を見た。

「生きた奴を見るのは久しぶりだ。何か探し物かい?」

 吐血にまみれて渇きつつある唇を動かし、罪人は問うた。

「世界が壊れる事を望んだ者、あるいは自分を壊した者が、どのような場所に送られるのかを見に来ました」

 僕は答えた。罪人は鎖を鳴らして体勢を直しつつ、こう質問を重ねた。

「そんなものを見てどうするんだ?」

 僕は罪人に事の顛末を説明した。僕が世界の損壊を望んだ事、それが困難なのでせめて自分を壊そうとしている事、そして宗教者の教えで、そのような人間がどうなるのかを見学しに来た事。罪人は嘲るように鼻を鳴らした。

「周りを見なよ。ここは地獄のど真ん中だ。あっちで犬に内臓を貪られてるのは親殺し。盗人たちは煮えたぎった血と膿の池で百億年も溺れ続けている。好きなの選んで仲間に入れてもらえよ。お前なんかすぐに壊れるさ」

 僕は少し考え込んでから、罪人に尋ね直した。

「それで世界が壊れる事を望んだ者は、どの辺りにいるのですか? 自分を壊した者達は?」

「そこまでは知らねえよ。獄卒どもに聞いてみな」

「ごくそつ?」

「地獄の鬼だ。頭に角が生えてて、爆笑しながら罪人たちをいじめたり喰ったりしてるハッピーな奴らだ」

「分かりました。ご丁寧にどうも」

 僕はまたしばらく地獄を散策してみた。荒野を風鳴りのように響く絶叫。鼻をつく死臭。鉄と鉄がぶつかる音。ある時、笑い声が耳に届いた。豪胆な笑声を辿って歩くと鬼がいた。鬼は一組の若い男女を追いかけ回している。男の方がふと勇気か諦観の導きを受け、女を庇うため鬼に突進して行った。鬼は剣を構えて男を迎え撃った。濡れた布を叩くような音がして、斬首を受けた男の頭部が転がった。女が悲鳴をあげて男の頭部に駆け寄った。本にあった通りだ。

「あの……お取り込み中、失礼します」

 僕は鬼に声をかけた。鬼は今まさに女を捕獲し、その衣服を引き千切り、鎖で足を括って逆さ吊りにしている所だった。

「なんだお前は。いま忙しいんだ」

 鬼が何か言ったが、女の裏返った絶叫に掻き消されて良く聞こえなかった。

「失礼、もう一度よろしいですか?」

「い、そ、が、し、い! 忙しいって言ったんだ!」

 鬼は怒鳴りながら、女の腹にナイフを突き立てた。喉に降りて来た血液のため、女の絶叫は溺れるように泡立ち、細くなり、やがて消えた。

「ああ……申し訳ない。では少し待っています」

 僕は繁る事も枯れる事も忘れた樹木みたいに突っ立って、鬼の作業を眺めていた。鬼は女のへそからみぞおちまで真っ直ぐに腹を裂き、内臓を搔き出し、手早く女を解体していった。切り取った肉を皿に盛りつけ、あぐらをかいてそれを喰い始めた。

「よし良いぞ、なんだ?」

 鬼は女の肉をかじりつつ言った。箸を使っていたが、教養を感じるずいぶんと端正な持ち方だった。

「じつは見学に来たのです。世界が壊れる事を望んだ者、あるいは自分を壊した者は、どこで罰を受けていますか?」

「世界が壊れる事を望んだ者? そんな奴、ここにはいないよ。世界を壊したっていうなら随分重い罰を受けるだろうけど、望むだけなら勝手だ。俺だって壊れてほしいよ、こんな世界。毎日忙しくてイヤになる。お前、メシはもう喰ったか?」

 鬼は咀嚼しつつ、ただし咀嚼音が立たぬように充分気を遣いながら答えた。そして吊り下がった女の乳房をナイフで切り取って、皿に盛りつけ、僕に差し出した。

「ほら喰えよ。人間のオスはコレが好きなんだろ? けっこう多いぜ、こいつのやつ」

 皿の上ではんぺんかプリンみたいに揺れてみせた乳房。僕はどうしようか迷ったけど、気分を害したら悪いので皿を受け取った。

「ありがとうございます、ではせっかくなので頂きます」

「うん。それで自分を壊した奴の件だが。悪いが俺は罪人がどんな罪でここにいるかなんて知らないよ」

「そうですか、じゃあ分かりっこ無いですね……ん、これ結構おいしいですね。知らなかった」

「だろ? お前も女を捕まえるときはそこが多いやつにしな。耳も喰うか、うまいぞ」

 鬼と僕はしばらく談笑した。この場所で永遠に続く責め苦について。永遠にほど近い時間の末、この鬼や罪人達がやがて辿り着く場所について。そして鎖に吊られた女の肉がすっかり平らげられた頃、鬼は膨れ上がった腹を撫でつつ立ち上がった。鬼は閻魔の印を切り、まじないらしい幾つかの言葉を唱えた。地獄に吹く高温の風が渦を巻き、女の亡骸を包んだ。間もなく肉体ばかりか服まで元通りになって女が蘇生した。女は何も覚えていないらしくきょとんとした顔で僕と鬼を見た。

「あ、あれ? 元に戻った?」

 僕は目の前で起きた事に思わず驚きの声を上げた。僕の胃袋にこの女の一部が入っているのに?

 驚いているうちに、鬼は首無しの男も生き返らせた。

「そりゃそうさ。こうやって何度も繰り返すんだ。あんまり地獄の事を知らないんだな?」

「は、はあ……初めて来たもので……」

 鬼はナイフを取った。それを見て女が悲鳴を上げ、逃げ出した。鬼は手慣れた動作で……何百億回と繰り返された、じつに手慣れた動作で……女を捕まえた。

 僕はがっかりした。なら地獄で人間は壊れないじゃないか。僕は鬼に礼を言ってその場を後にした。来た道を辿り地獄を出た。

 地獄から戻ると、もう一度宗教者に会った。適当な事を述べて僕に無駄足を踏ませた宗教者に腹が立っていた。

「嘘吐き! つるっぱげのお祈りマニア! お前なんかこれでも読んでろ。神様なんていないって百年も前の学者が言ってるぞ!」

 僕は宗教者に哲学書を投げつけた。その足で高名な学者の所に行った。

「お前も嘘吐きだ! へんな物飲ませやがって。お前に比べたら地獄の鬼の方がよっぽどもてなし上手だぞ。その難しい本を閉じて、お前はご馳走の仕方を学んで来い!」

 僕は高名な学者に地獄の門の鍵を投げつけた。最後に手首を切るのが好きな少女の所に行った。

 方々歩き回ったけど何も得られなかった事を少女に話した。

 少女は笑った。

「そりゃ大変だったねえ。疲れたでしょ」

「へとへとだよ。夢なんて叶わないんだね。あ、そうだ。君にはこれをあげよう」

 僕は少女に心を修復する薬をあげた。代わりに、もしも少女が死んだら胸を食べても良いという約束を取り付けた。

 何も壊れなかったな、と思いながら家に帰った。

 

 

 

 

 

【世界その他自分を壊した罪について:おしまい】

2020年5月22日公開

作品集『短編集【キミノフォビア】』最新話 (全12話)

© 2020 倉椅

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