空の日

短編集【キミノフォビア】(第11話)

倉椅

小説

5,922文字

子供の頃、私の家には「空の日」という記念日があった。疲れたら空でも眺めましょう、けっこうそれだけで楽になるよマジだよって話。

 かつて少女だった私の思い出。子供の頃、私の家には「空の日」という記念日があった。

 母が天国とやらに行ったのは、私が七歳の時だった。それはとても幸せな場所で、母は楽しく暮らしていて、ずっと未来に私もそこに行くのだと教わった。寂しく思った。「私がいなくても母は構わないんだ」といじけた。

 それ以来、父が空の話をするようになった。子供のうちに空を見ておけ、あるいは「青空をたくさん見ると将来幸せになれる」。私はそう躾けられて育った。今思い出すと奇妙な、空にまつわる我が家の教育。空の日はその象徴だった。

 空の日は月に一度の祝日だ。空の日が来ると学校を休む。大抵は夕食が済んだ頃、父がぽつりとこう言う。

「明日、空の日だから」

 背を向けて、私の方を見もせず無愛想に言う。小さい頃はこの言葉に飛び跳ねて喜んだ。嬉しいに決まっている。夜中に突然明日は休みと決まるのだから。それに空の日は普通の休日じゃない。父がずっと遊んでくれて、おいしい物を食べられる。母が亡くなって以来、誕生日もクリスマスもやらなくなった我が家において、空の日は唯一特別な日だった。

 空の日の朝、私は早起きをする。季節にも因るが、それは朝焼けがまだ蒼い時間だ。ベッドを降りて、私はリビングに向かう。珈琲の香りの中、父が「空の日ノート」というぼろぼろのツバメノートを広げつつ、ラジオの天気予報を聞いている。もうすっかり出発の準備が整ったその後ろ姿。私が一番に思い出す父の記憶だ。

 父が出発と言わない限り、空の日は始まらない。仄暗い早朝の事もあれば、もうすっかり明るくなった六時や七時という事もある。一度十一時になってしまった時はとても残念に思った。それでも私は早朝に起き出し、出かける支度をする。いつもより丁寧に身繕いし、一番お気に入りの装いをして、百点満点の自分を作る。それがルールだ。準備を終えてリビングに戻ると、おめかしした私を父が写真に撮ってくれる。写真の裏に「×年×月、空の日」と記録されて、これはアルバムに入る。

 そして私はじっと待つ。最高の身なりでソファーに座って、父が出発と言うのを待つ。今日なにを食べようか、父に何をしてもらおうか。「空の日」が始まる事に胸が際限なく高鳴り、無意識に足をばたつかせている。この間、父はずっとラジオの天気予報を聞いている。多くの場合は一時間もしないうちに、父が「よし、行こうか」と言って立ち上がる。私は喜びで弾けるみたいにソファーを降りて、父の後に続く。玄関の扉が開かれ、やや冷たい朝の空気が頬を撫でる。未だ暗がりを保つ街の上、空が過渡期の淡い赤に輝いている。太陽の復活を祝すような朝焼けは、私にとって希望そのものの色彩だった。私と父は車に乗り込む。ラジオの天気予報に基づき、一番空が綺麗な場所へ、一番空が綺麗な時刻に辿り着けるよう、車は走り出す。こうして空の日――〝空を鑑賞する記念日〟が始まる。

 大抵は一時間か二時間のドライブになる。車中では今日私が買って欲しい物について話しているか、私に起きた良い事を話しているか。とにかく今日の父は何を言っても褒めてくれるし、私の願いは何でも叶う。目に映る全て、何もかも私が楽しむために存在しているみたいな気分だ。

 やがて目的地に着く。それは自然が豊かで、やや高台にある場所が多い。しばらくの間、私達はそこで空を眺める。視覚で栄養を取る生物のように、青を、白を、灰を、赤を、緑を、果てなく眺望する。これは儀式みたいなものだ。

 父が「よし、行こうか」と言う。家を出る時と同じ言葉。私達は車に戻り、また走り出す。ここからは帰り道だ。帰り道、私は液状化するほど甘やかされる。まずは一番食べたい物。それが高価な料理であれ、大人にはさっぱり価値の分からない駄菓子であれ、なぜだか子供心に気に入ってしまったさびれたフードコートのうどんであれ、好きな店で好きなものを食べさせてもらえる。クリームソーダを二つ頼もうが、おまけが欲しいだけのスナック菓子で満腹になろうが、この日は無罪だ。おなかを満たしたら買い物だ。父と二人、私が欲しいものを買うために街を巡る。後部座席にプレゼント箱を積んだら次はアクティビティ。ゲームセンターでも、映画館でも、何でも良い。私がしたい事をしたいだけさせてもらえる。父と二人、公園で真剣全力のかくれんぼをしたって良い。大人が本気になって遊んでくれる。思い出して欲しい、これが子供にとってどんなに素晴らしい出来事か? 立ち上がれないほど笑って、一日が全部良い事に染まって――やがて空が出発の頃に良く似た蒼さに閉じられた頃、私は家に帰る。楽しい日の終わりは憂鬱だ。けれど空の日にはルールがある。悲しみを持ち込まないのは「楽しむ事」と同じくらい基本原則だ。他にも友達を連れて来てはいけないとか、十七歳になったらおしまいというルールもある。

 完全無欠の一日を終え、私はパジャマに着替える。今も体をふわふわさせているような楽しさの中、今日はトイレさえ怖くないと思いながら眠りに落ちる。空の日はこうして終わる。

 これがおよそ十年間続いた、我が家の変わった祝日「空の日」だ。それは父の手で抜かり無く仕組まれた最高の一日。それでも数えてみれば、私が嬉しくて飛び跳ねてた期間はせいぜい半分くらいだ。残りの半分、私は父と出かけるのが少し苦手になり始めた少女として空の日を送った。自分でも知らぬ間に、私は少しずつ大人になっていた。誰しもそうであるように、もう父とは手を繋いで歩かなくなった。中学生にもなれば、あんなに楽しみだった空の日さえ敬遠の気持ちが湧くようになった。私の世界観は変わり始めていた。孤独に、悲劇的に、そして残酷に。

 小賢しくなった私は、我が家に母がいない事の原因を父に見出すようになった。一つの人格を持ちつつある私は、空の日を面倒に思い始めていた。私にとって完璧な一日を、もう父の手では作り上げる事が出来なくなっていた。

 そして「自分の悩みなんて一つとして父が理解できない」と確信していた十七歳、父を車に残してひとりで買い物をするのが空の日の当たり前になった頃。幼いあの日は想像も出来なかった瞬間がやってきた。ひとつ、十七歳になったらおしまい。父から空の日の終わりが告げられた時、私は大して何も思わなかった。親と出かける行事が無くなる事よりも、自分が「十七歳」というものになった事が驚きだった。

 やがて父が亡くなり、私は本当のひとりぼっちになった。幸い自立し終えた頃合いだったので生きるには困らなかった。人並みに苦労し、人並みの欲を持ちながら、私は生きた。退屈な仕事だけど三年勤めて居心地も良くなって来た。恋愛ってものをどこで拾ったら良いか分からない日々だが、気楽に笑える友人は一握りいる。倹約はつきまとうがたまには帰り道に衝動買いも出来る。問題は何も無い。この頼りない足で何とか当たり前の人生を歩いている。

 でも何故だろう? 時々、苦しくなるのだ。街の片隅、歩行者信号の赤に立ち止まる。行き交う車の残像、ひしめく大勢の人々。早歩きしたせいで縒れたブラウスと首元の会社指定リボンを直しつつ、私はどこも見ていない目でどこかを見ている。アスファルトの灰色が脳に染み込んで来るような気分になりながら、横断信号の青い許可を待つ。何があったわけでも無い。それなのに何故か胸が痛くなる。何かを哀れんで。何かを悔やんで。そして疑問が浮かぶ。なぜ私は。なぜ私の。なぜ私が……。最後に「もう何度も考えた事じゃないか」と諦観に満ちた言葉で思考を停止させる。そんな時、ふいに心が渇く。遣る瀬ない気持ちがふと父を思い出させる。出発の朝、ノートを開いて天気予報を聞いている父。あの準備万端の背中。

 いろいろと心苦しい事が続いたある日、私は前の夜から眠れぬまま朝を迎えた。私の神経にホコリみたく鬱積したものが、心をざわつかせて睡眠を奪ってしまった。まだ出勤まで三時間もあるのに、もう魂が限界を叫んでいる。

 私はふと思い立って父の遺品を改めた。その中からボロボロのツバメノートを引っ張り出した。表紙には業務的な字で「空の日ノート」と書かれている。中には日付や数値の列が書き込まれている。知らぬ者が見れば設備か何かの記録表だと思いそうな色気の無さ。妻を亡くして以来、すっかり仕事のためだけに生きる無口な男になってしまった父の機械みたいに精緻な文字。記録されているのはいくつかの街の気温や湿度、風速などだ。時々、気象と雲の量の関係や、空模様における綺麗な青と白の割合について考察が書いてある。そして月に一度、ある日付に赤丸がされている。これが空の日だ。

 最終ページに父の長いメモ書きを見つけた。日付は私がほんの幼い頃のものだ。

 要するに……ある男がいた。彼は当たり前に生きて、当たり前の大人になり、そして当たり前のように傷ついた。疲れ果てたある日、晴れた青空をぼんやり眺めた。すると自分でも不思議に思うほどあっけなく、生きる気力が蘇って来た。大人の男だなんて一端を気取っても、人間は綺麗な空ひとつでこんなに心が癒えるのだと笑えた。

 男はやがて父になり、子を持った。そして妻を亡くした。この時、男はついに嫌になった。小さく儚い自分たちが必死に毎日積み上げて来たものを、まるで飲み残しの茶を捨てるような気軽さで打ち砕き、しれっと流れ続ける「運命」という奴。「人生」とか呼ばれてる奴。以前から気に入らなかったコイツと、男はついに絶交を決意した。だが困った事に娘が一人いる。へらへらしているけど、この小娘だってやがて自分と同じように苦しみ、痛み、嘆くのだ。

 孤独に。悲劇的に。そして残酷に。

「自死を決意した日、なぜだかそれが許せなくなった。けど生きてかなきゃならない。この小娘も歩き続けなきゃならない。自分を隠して、自分を諦めて、自分を励ましながら。無邪気であり続ける事さえ許されずに。なんてふざけた話だろう。でも残念ながら受け入れるしか無い。俺には世界を変えるどころか、この小娘の人生から不幸を取り除く事さえ出来やしない。だったら父親として教えられる事なんて、嫌なことの忘れ方くらいじゃないか」

 ノートの最後、そう結ばれて終わった父の文章。それが日記だったのか父なりの遺言だったのか、私にも分からない。同じページに束になって挟まっていたのは、着飾って上機嫌な幼い私の写真。つまらない事ばかり起こるが、どうやら不幸な日ばかりじゃないという証拠たち。

 私はふと俯いて、七歳の夜を思い出した。朝が来たら母に会うため病院に行くはずだった。寝ぼけ眼に覚えているのは、リビングの扉から漏れる照明。それに電話を受けている父の声。まともに聞こえた言葉はたった一つだけ。父が言った……「とても残念です」。

 次に私は十四歳の頃を思い出した。空の日が嫌いになってきた頃。私は知っていた。自分でもそれを考えないようにしていたけど、確かに気付いていた。少しずつ母に似てくる私を、父がもう真っ直ぐ見ようとはしなかった事。

 ……知っていた。父さんも痛かったんだ。

 最後に私は、十七歳のある日を思い出した。空の日で学校を休んだ午後。私はいつものように一人で車を降りた。父は何も言わず一握りの金をくれた。私は一人、気乗りしない安売りに参加しているみたいな顔で、駅前の街に放たれた。適当に店を巡った末、今日は別に欲しいものが無かったのでお金をそのままポケットにしまった。

 車に戻ると、父が「めしはどうする?」と尋ねて来た。私は「今日はいいや」と答えた。これもすでに恒例だった。食事なら学校帰りに友達と出来るからだ。父はごく事務的に「そうか」と言って、車を発進させた。帰り道をしばらくなぞった所で、父がぽつりとこう言った。

「十七歳になったから、空の日は今日で終わりだ」

 後部座席で携帯電話をいじっていた私は、ふと手を止め、顔を上げた。しばし自分が十七歳とやらになった事を驚いた後、私は「ふーん」と無難な相づちを返した。そこからしばらく沈黙が続いた。やがて父がこう尋ねた。

「楽しかったか?」

 いつもと変わらない父の声だった。なにも特別な事は無かった。けれど何故だか私は厳かな気持ちを味わった。楽しかったか、その短い質問が示す対象は、およそ十年間続いた空の日すべての時間だったからだ。興味を失った自分にとってさえ、それは軽視してはならないものだった。数秒の逡巡を経て、十七歳の少女は決意した。そしてごくさりげなく、でもひどく久しぶりに、父に笑った。

「うん、楽しかったよ」

 嘘じゃなかった。

 今になれば分かる。空の日に悲しみを持ち込まないのは、素晴らしい空と嫌な記憶を決して接続させないためだ。

 友達を連れてきちゃいけないのも大人になれば簡単な話だ。あの頃に最高の相棒として選んだであろう友人のうち、一体何人が手元に残っている? 十七歳に終わったのは――きっと、私にとって父が異物になってしまう時を、彼自身が数えてあったからだ。空の日は月に一度の祝日なんかじゃ無い。毎日があの日のために存在していたんだ。

 挟まれていた写真から一枚だけを抜き取って、私は「空の日ノート」を遺品の中に戻した。たくさんの写真のうち、私が選んだのは唯一空の日が始まる前に撮影されたものだった。他のどの写真とも違い、そこには三人の人物が写されていた。小さな女の子、まだ二十代だろう若き日の父、そして今の私と良く似た女性。三人は幸せそうだった。

 空の日と名付けられた私と父にだけ訪れる休日。父が遺した幸せに生きる小さなコツ。命綱にしては随分と脆弱だが、それでも私は父の壮大な洗脳を受けて、青空を見れば人並み以上には幸福と安堵を感じられる。もう少し大人になればきっと、この幸福の奥底に父の遠回しな「愛」とやらを実感できるようになるはずだ。

 過ぎる一日一日の平均点は年々下落の一途を辿る。ごく稀に感謝と笑顔の大切さを思い出し、今日を大切に生きようと決意する。それでも一日の終わりまで、その気分を台無しにされず過ごす事はほとんど不可能だ。毎分毎秒つまらない事ばかり起こる。何も難しい話じゃない、どうやら世界はそのように設計されていて、私はこの調子で歩き続けるしか無い。理不尽と言えば理不尽な話だ……でも、「まあ大丈夫だろう」という気がした。

 私は適当な食事を摂り、熱いシャワーを浴びた。珈琲を飲みながら、久しぶりにゆっくり空を眺めた。間もなく時間がやってきた。

「よし、行こうか」と心の中で呟いて、私は家を出た。

 

 

 

 

 

【空の日:おしまい】

2020年5月22日公開

作品集『短編集【キミノフォビア】』第11話 (全12話)

© 2020 倉椅

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