滅びの子

短編集【キミノフォビア】(第1話)

倉椅

小説

3,095文字

自殺しようと古い神社に詣でた「僕」は不気味な胎児を拾った。
生きようとしている胎児を、僕は育ててみる事にした

 男はその日、近所の古い神社を詣でた。年末の書き入れ時だと言うのに、せまい境内は全くの無人だ。

 鬱蒼とした参道を社まで進むと、腐りつつある賽銭受の隣に小さなダンボール箱が置いてあった。

 男が中を覗くと布切れにくるまれた小さな生物が見えた。生物は哺乳類の胎児に似ていた。本来母体の中で眠っているべき段階の、まだ犬なのか猫なのか、或いは人なのかさえ分からない両生類めいた最初期の胎児だ。

 胎児をくるむボロ布には真っ赤な神代文字がびっしり書き込まれていた。死んだ細胞の黄色に変色しつつある赤。それが血文字だとすぐに分かった。箱にはその他に手紙が入っていた。男は箱に手を突っ込んで、その手紙を取った。

 風と振動を感じて箱の中の胎児が少しだけ痙攣してみせた。手紙曰く――。

〝神様、この子を殺して下さい。この子は滅びの子です〟。

 男はしばらくその手紙を眺めた後、また箱の中を見た。血文字の布にくるまれ、時々震えてみせたり、目を動かしたりするその生物。何かの胎児。男は別に驚かなかった。「こんな日だから、こんなものを見たりもするか」と思うだけだった。

 男は胎児の入ったダンボール箱を拾い上げた。そして持っていた縄を――首吊りのために持って来た縄を捨てた。

 除夜の鐘の一突き目が今鳴った。男が迎えぬはずだった新しい年がそこまで来ていた。

 生きようとしている胎児を、男は育てることにした。自宅に帰り、ダンボール箱を寝室の隅に置く。

 先月死んでしまった愛犬の居場所だった。

 冷蔵庫を漁ってエサになりそうな物を何種類か見繕った。肉も野菜も牛乳も受け付けなかったが、水は飲んだ。死んだ愛犬の遺物であるドッグフードも食べた。食事をするなら育ちもするだろうと男は思った。

 実際、胎児は瞬く間に成長した。一週後には箱いっぱいの大きさになり毛も生えた。その頃には外見から、どうやらこれが人間の子だと分かった。

 二ヶ月もした頃には二本足で立つようになった。半年後にはごく幼い少女の呈を成した。保育園にでも通わせるべきかと考えたが、悩んでいるうちに小学生くらいに育ってしまったのでやめた。言葉は発しなかったが笑いもすれば泣きもした。第二次性症候が現れるくらいの外見に育った頃、そこでぴたりと成長が止んだ。

 ある日、居間でルービックキューブをいじっている「少女」の姿を男は眺めていた。ふと窓の外に目をやると雪が降っていた。じきに年末だ。男は自分が一年生き延びた事を思った。

 少女は相変わらず口を利けなかったが、男の言う事を犬猫以上には理解していた。公園で遊ばせてみたら勝手に友達も作ったので、まあいいかと男は思った。

 ある日、少女の頭部に異変を見つけた。彼女の黒髪をかき分けて覗いているそれは明らかに角だった。かつて箱の中の胎児がそうであったように、角も瞬く間に育ち、程なく鬼の面と変わらぬ長さに至った。

 その頃には犬歯も伸び、口を閉じていても牙の先が見える程度になった。背中を気にしているので服をめくってみたら、肉を裂いて黒い物が湧いていた。

 ――羽だった。

 男は気付いた。少女の成長は止まってなどいない。角に気付いてからひと月もせぬうちに、少女は今度こそ「完成」した。ねじれた角、吸血でもしそうな鋭い牙、カラスのように黒い翼。少女の姿はゴシック建築の雨どいを支えている悪魔そのものだった。

 そうして外見が完成した頃、少女の体質にも大きな変化が起きた。男は「外見だけの事なら別に良いや」と相変わらず少女を公園で遊ばせていた。彼女は学校にも行っていないし、他に気晴らしが無かったからだ。ある日、彼女をかまってくれる近所の子供らのうち、一人の少年が彼女に足をひっかけた。戯れのつもりだったが思いのほか勢い付いて、彼女は派手に転んだ。その少年が「やってしまった」と悪戯な笑顔を消した。

 謝罪の声をかけ、手を貸そうと少年が近付く。それと同時に、彼女は泣き出した。

 男が「あらら」と思ってベンチを立った次の瞬間、彼女の泣き声より数段大きな悲鳴が公園の空気を振るわせた。男の視界に飛び込んで来たのは火炎だった。転んだ彼女に寄って来た子供のうち、ある一人の服が燃えていた。男は慌ててその少年の服を剥ぎ取り、火を消した。

 少女が泣くと火が熾る。男が確信したのは数日後、何かの折りに少女を叱ったら男の服が同じように燃えた時だった。男も驚いたが少女も驚いていた。

 何度か同じ事を繰り返した後、少女は泣くのをやめた。鋭い牙で自分の舌を咬み、涙をこらえるようになった。

 ある日、少女は男にダンボール箱を差し出して来た。見覚えのあるぼろぼろのダンボール箱、その中に神代文字が血染められた布。申し訳なさそうに俯く少女を見て、男はその箱の意味を察した。だから「ここにいて良いよ」と少女に言った。少女は牙を覗かせて笑った。安心したようだった。

 角が生えてから半年経ち、家中の物に焦げ跡が付いた頃。男はふと疲れを感じた。当然だろう。自分の人生でさえ乗りこなせず首を括ろうと思っていた彼が、今は少女ひとり抱えている。男はあてど無い散歩の帰り、あの胎児を拾った神社に寄った。草取りもされていない境内。石畳の上で木漏れ日が揺れていた。賽銭箱のそば、風雨に晒されて朽ちつつあるのは、あの日男が首吊りに使おうと思った縄だった。拝殿の隅に座り込んで、男は煙草をふかした。その時、ふと何者かの視線を感じた。

 気配を感じた方向に視線を流す。昼間でも薄暗い境内の隅、石灯籠の影に隠れるようにしてひとりの女が立っていた。白衣に緋袴という巫女らしき装束をした女だった。手入れの成されていない雑然と乱れた長髪の隙間から、引ん剝いてやや気違いめいた目が男を見ていた。男と目が合うと女は口を開いた。

「だから殺してって書いたのに。自分のせいだよ」

 笑っているような泣いているような、細かに震える声だった。男はしばらく考えてから女に質問を投げた。

「お前が捨てたのか、あの子」

 煙草のけむり。男の質問が終わるか終わらぬかの間に、女は狛犬みたいに歯を剥き出して「あれは滅びの子だ」とか「今すぐ殺してしまえ」とか叫んだ。運命を惨劇の方角へと狂わせる咒物、神に忌まれたものの女王、少女パンドラ……女は黒板に爪を立てるみたいな声で、あの箱入り胎児が何たるかを喚き散らした。

 どこぞの新興宗教に参加しているこの女が、何者かへの天罰を願って儀式をした末、手違いで孕んでしまったのがあの少女だったらしい。女の絶叫を噛み砕いてそこまで理解した所で、男は煙草を踏み消した。「じゃあお前にも責任があるじゃないか」と思ったが、それは口に出さなかった。代わりにこう言った。

「しらねーよ、バカ女。彼氏でも作って抱いてもらえ」

 まだ喚いている女を背にし、男は神社を出た。家に帰って玄関を抜ける。居間の方で何かが光っていた。小刻みな爆発音と共に壁を照らすそれが火炎だと男はすぐに分かった。居間を覗くと床に座り込んだ少女の背が見えた。少女が泣きじゃくっているのだと、震える肩と時折体から発せられる炎ですぐに分かった。

 少女は物入れから引っ張り出して来たらしいペンチで、自分の角を折ろうとしていた。頑張っていたけど、見たところ人間様の道具でどうにかなる角では無かった。

 バカだな、と男は思った。少女に対する感想か、或いは自分に対するものだったか、男自身でさえ定かに出来ない。

 男が帰ったのに気付いて少女は後ろを振り返った。涙で顔をぐしゃぐしゃにした少女を男は抱きしめた。角の生えた頭を撫で、「大丈夫だよ」と言った。

 炎が止んだ。

 

 

 

 

【滅びの子:おしまい】

2020年5月18日公開

作品集『短編集【キミノフォビア】』第1話 (全12話)

© 2020 倉椅

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