幻覚性クラゲ少女と壊れ太くん

倉椅

小説

23,061文字

奇行の多い女の子と家に居場所が無い「僕」が冒険するお話。
ネグレクト、六年生と一年生、それから廃遊園地。あと高いところ。
ワクワクもしくはフワフワしていただければ大成功!
モヤモヤでも…まあ合格としましょう、今回は。

 ミコさんと初めて会ったのは小学校に上がって間もなくの頃だ。新一年生が入学してからしばらくは地域で集団登校するのが校則だった。ミコさんは僕と同じ班の六年生だった。やや困りの曲線を持つ眉と微笑んだ口、当時すでに母性を備え尽くしていた瞳。怒った顔を想像できないのは、あの頃からずっと同じだ。

 ミコさんが班に参加したのは集団登校が始まって数日後だった。しばらく学校を休んでいたらしい。ミコさんは不思議な子だった。平和な笑みとウサギの世話が好きそうな大人しさを備えたこの少女は、まるで危険と禁止に恋をしてるみたいだった。登校行列の最後尾を歩くミコさんは、目を離すとたちまち姿を消した。見れば水路の欄干を綱渡りみたいに歩いていたり、野良猫を追跡してあらぬ方角に向かったり。春の陽射しみたいな笑みのまま、あたかも花畑で踊るように禁止地帯を行く。班長を任されている六年生の男子は新入生よりむしろミコさんの挙動にうんざりし、最後にはミコさんが列の先頭をとぼとぼ歩かされていた。無謀と穏やかさという遥かに乖離した二つを、彼女は併せ持っていた。背き合う個性が「橋の手すりを歩いている笑顔の少女」という幻覚めいた光景を生む。僕には彼女が違う世界からやってきた妖精みたいに見えた。

 僕はこの数日で口をきけるようになっていた「六年生のお兄さん」に、あの人は誰かと聞いてみた。名前を知るのはこの時だ。

「あれ? あれ、ミコ。あんま学校来ないんだ」

「ふーん」

 何故かは聞かなかった。

 奇行を踏みしだいて歩く、彼女は起きながらに夢を見てるような子だった。集団行動がとことん苦手で、同級生からも厄介者扱いされていたが、僕はそんなミコさんのまとう空気に強く惹かれた。それは自由で、新しい湯で満たした午後の風呂場みたいに優しい。奇妙だがのんびりしていて、まるでクラゲを眺めているような気分だ。ミコさんを見てると幸せだった。

 母は僕が物も言えない時分に父親と別れた。酷い男だったと母は言う。家に帰らず、日付が変わるまでパチンコ屋で遊び呆けていた。給料なんかほとんど家庭に入れてくれなかったから、母は僕を人に預けて昼間の飲み屋で働く毎日だった。これじゃ一人で育ててるのと変わらないと思っていた矢先、父親が逮捕された。母もそれなりにやんちゃな少女時代を過ごしたと聞いているがギャンブルには疎くて、最初はなんの事か分からなかった。母は後になって、僕にこう言った。

「あたしもバカだよね。今の日本に、毎日日付が変わるまでやってるパチンコ屋なんて無いんだってさ」

 父親が通ってたのは違法な賭博店だった。雑居ビルの一角で二十年も前に規制されたスロット台を並べ、通常より高レートで営業される闇賭博。めったに来ない大当たりを楽しんでいる最中に警察のガサを受けて父は捕まった。前科付けてまもなく帰ってきたが、夫として最初で最後の仕事は離婚届に判を押すことだった。たった一年の結婚生活だった。

 それから数年、いろんな男が母と僕のアパートに居着き、やがて去って行った。それぞれが問題の多い男だったと聞く。酒癖、借金、女性関係、盗み癖のある男もいた。そして僕が拙いながらも言葉を発せられるようになった頃、母はどこからか捕まえてきた警察官と交際を始めた。機動隊の巡査だ。今までの男と違ってまともに稼いでくるし、やたら飲んだり打ったりする男でもなかったので、うまくゴール出来れば母はおよそハッピーエンドだ。当時の幼い僕からすれば、別に何が変わる訳でもない。他の男も今回の「彼氏さん」も、理由は違えど気に入らなきゃ僕を殴った。

 たとえばある男。その一ヶ月ほどアパートに居座っていたそいつは夜更けに泥酔して現れ、何の迷いも無く僕と母に「ただいま」と言った。ベッドで寝ている僕の所までやってきて、何か包装紙にくるまれた箱を差し出した。

「プレゼント買ってきたよ」

 その男の酒と煙草を煮込んだみたいな匂い。僕はこう言われたらすぐに起き上がって大喜びし、彼のプレゼントを受け取らなきゃいけない。眠くてムニャムニャしてると男は激昴し、暴力を振るうのだ。一度襟首を掴んで放り投げられた時がある。放置してあったグラスの上に落下して、僕の背中には今でも縫い傷が残っている。

 警察官の彼氏さんの場合は「さんすう」だ。彼は時々僕を風呂に誘った。打ち解けようとしてるのが分かったから、僕も楽しそうにしていた。アパートの狭い風呂でも、彼氏さんとまだ保育園の僕なら充分一緒に入れた。向かい合って湯船に使っている時、彼氏さんがこう言った。

「算数おしえてあげるよ」

 一から十まで数えてみるよう言われた。僕は数えられなかった。同い年の子で数えられる子も沢山いただろうけど、僕は出来なかった。何度か繰り返し間違えた。彼は「違う違う、さっき言ったでしょー?」とか言って笑ってた。笑ってたので面白がってると思っていた。僕もへらへらして、もう一度間違えた。急に彼氏さんの顔から笑みが消えた。その手が僕の頭に伸びて、僕はそのまま湯船に沈められた。僕はパニックになって大暴れしたが、階段の手すりみたいに動かない腕から逃げられなかった。やがて彼が僕を引きずりあげた。呼吸器に侵入した水のために僕は激しくむせこんだ。酸欠でチカチカする意識の中、彼が「もっかい数えてみろ」とか何とか言ってた気がする。僕はとにかく浴室から逃げ出した。「彼氏さん」は追って来なかった。

 当時、大人の男とはそうゆう生き物なのだと理解していた。つまり脳の中に時限爆弾みたいなものが仕込まれていて、状況や自分の意志とは関係なく定期的に発狂する生物。笑ってたり怒り出したり、それは空模様みたいに不確かなもので、もしも被害を受けたら雨に濡れたとでも思って諦めるしか無い。具体的な言葉として想起することは出来なくても、幼い僕の中には確かにそんなイメージがあった。純粋だったからだ。

 要するにどの男も僕との付き合い方に葛藤していた。どこまで綺麗事で塗り隠しても、僕の存在なんて恋人の浮気写真みたいなものだ。僕に罪は無いからと笑顔で受け入れていこうとしたって、ある一瞬にオスの本能がぎらついた目を光らせる。すなわち「他の血統を噛み殺せ」だ。とくに警察官の彼は真剣に母を愛しており、結婚も望んでいた。だから母を愛せば愛すほど、僕のことを邪魔に思うようになったのだ。そりゃそうだ、せっかく付き合いたての楽しい時分、恋人同士として行ける場所から子連れじゃダメな場所は全て除外される。ラブホテルも行けないから、母を抱きたきゃ僕が寝るのを待つしかない。当時二人はまだ三十そこらだ。子供の気持ち云々より以前に、若い二人にとってそれは苦痛だったろう。醜悪ではあるけど現実だ。それを許せない者は天使か偽善者だろう。天使ならば腐敗し切ったあのアパートに降り立って幼い僕を救ってくれ。偽善者ならばその調子で値打ちも付かない正義に腰振ってどうか幸せに死んでゆけ。

 つまりそうゆう事だ。誰しもそうであるに同じく、僕の人生も平坦だ。上がりもしなきゃ下がりもしない。母が何かを変えてくれる事は期待できなかった。僕が誰かに引っぱたかれるのを見えないフリするような事は無かったが、せいぜい「やり過ぎだ」と金切り声をあげるくらいだ。母からすれば僕は再婚候補に対する弱味みたいなものだったし、母もまた自分自身の「ハッピーエンド」を守る為に必死だったのだ。何かが悪くなったとすればむしろそっちの方だ。母は僕を愛してくれていたと信じている。でも彼氏さんとの再婚がリアリティを帯びるにつれ、母が僕を見る目が変わったのに気付いていた。母が時々、タバコをふかしながら遠い目で僕を見ている。子供の成長を噛み締めるような表情だけど、それより随分とメランコリックな……母は僕がいなかった場合の未来を想像しているのだ。想像するのは悪いことじゃない。いつだって。どんな事だって。

2021年3月30日公開

© 2021 倉椅

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