ぐるぐる回転、小鳥の死

髙橋拓也

小説

3,934文字

刹那的練習小説

熱風が体に纏わりついて離れない日、耳がぼわ~んとなり、頭がむぅっとしたまま高い高いバナナの木に飛び移った。木は揺れ、撓り、私を振り落とそうとしたが、そうはさせぬときつく抱きしめた。

 

ここからはすべてが見える。私の真向かいには一軒のハウスがあって、その南国風のヴェランダが堂々とこちらに向かってウィンクしている。その宙に浮かんだヴェランダにはいつも洗濯物が干されて揺れているのだが、今日は風があまりにも強いせいか物干し竿がヒマそうにしている。・・・あっ! 誰か出て来た! ききききききー!

 

 

ひかりはヴェランダに飛び込んだ。サンダルも履かずに出て行った。温泉のようにむわっとした熱気が彼女を苦しめた。彼女は太陽を睨んだ。握り拳を高々と突き上げて、そのすべての元凶めがけて唾を飛ばした。わたしがキモチワルクなるのはこの太陽のせいだ。すべてこいつがイケないのだ。彼女は手摺に足を掛けると、そこに曲芸師のようにバランスをとって立った。そしてふうっと深呼吸すると、ふんわりと羽毛のようにカラダが浮かび上がった。そして空を飛んだ。自由自在に三角形、六角形、八角形。円を描き、上昇し、下降し、雲の上で夢を見た。すでに太陽に対する憎しみは消え、暑さから受ける至極の心地よさだけが彼女を包んだ。だが、そこに一羽の小鳥がやって来た。ひかりはそれを片手で捕まえると、ぐちゃぷちゃりと握り潰してしまった。そしてそれを喰った。喰い終わった時、彼女は手鏡を見つめて笑った。これで紅を塗る必要はなくなったわい、とブタのように笑った。

 

 

はるかは眠っていた。もう昼下がりだというのに眠っていた。半ば夢を感じながら、半ばうつつに懐かしさを覚えながら。カサカサと音がする。何だろう? おばけ? 夢の世界の住人をこっちへ連れて来てしまったのかしら。

カサカサ。カサカサカサ。ききききききー。
ぷうっ、チン! タンダンタンダトンダン・・・。

 

それは一匹のゴキブリであった。猫のように寝転がっているはるかのすぐ横をうろうろしていたのである。はるかは見つめた、ゴキブリを。彼あるいは彼女は顔にくっついた二本の細い触角を別々の方向へ動かしていた。それはカメレオンの目のように自由自在にあらぬ方向へ動かせるようだった。そのTV局のアンテナを見つめていると何だか楽しくなってきた。はるかは手のひらをピンとまっすぐに伸ばすと、カメレオンが舌でハエを捕るようにしてゴキブリを叩いた。ゴキブリは踏みつけられた花のように平らになって、腹から茶色い鮪の酒盗のようなものが出ていた。そして触角だけがふわりふわりと動き、自分がまだ生きていることを自分自身に訴えかけていた。はるかはそのお煎餅みたいな物体を摘まみ上げるとそれを鼻の先へ近づけた。アンモニアのような酸っぱい匂いがゴキブリの体内から溢れていた。彼女はそれを唇に触れさせてみた。冷たい体液がひび割れた唇に染みた。彼女はそれを口に含んだ。熱い唾液が虫を包む。微量の消化酵素が体を徐々に溶かしてゆく。はるかは飴を転がすように虫を口内で転がした。ゴキブリは舌の上で回転して、ぐるぐる回った。ぐるぐるぐるぐる回転し、気が付いたら石のように硬い歯で噛まれていた。その象牙の歯はゴキブリを嚙み砕くと一息に飲み込んだ。ぐちゃぐちゃになった虫が喉を伝って流れていった。これから先もっと面白いことが起きる、とはるかは思った。わたしの胃の中に落ちたゴキブリは強力な胃酸によって溶かされ、その成分がわたしの血液と混ざり、ついにゴキブリはわたしと一体化するのだ! わたしはゴキブリを喰うことによってゴキブリとセックスをしたのだ! ゴキブリと一体化してゴキブリの子供を生むのだ!

はるかは歯の間の詰まりを爪で取り出した。見るとそれは先ほど平らげた虫の足であった。唾液によって足はきらきら光っていた。彼女はそれをまた口の中へほうり込むと、にやりと笑って、少し膨らんだお腹をさすった。

 

 

私は急に怖くなった。すぐにバナナの木から下りて、何処か遠くへ旅に出ようと思った。しかしそうはいかなかった。私はいきなり首根っこを掴まれたのでびくりとした。振り向くと小鳥を殺した女が私を軽く持ち上げて宙を飛んでいた。女は薄気味悪い笑みを浮かべた。その歪んだ唇にはまだべっとりと小鳥の真っ赤な血が貼りついていた。

 

私は部屋の中へほうり込まれた。そこではゴキブリ女が敷布団の上で女座りをしたまま腹をさすっていた。ゴキブリは虚ろな目で哀れな私を見やると小鳥に言った。

 

「どうしたの? それ。」
「そこで見つけたんだ。ヴェランダの前の木であんたを見ていた所をな、捕まえてやったんだよ。」

小鳥女はふんと自慢気に鼻を鳴らして言った。
「わたしを? 見てた?」
「そうだよ。あんたを見てたんだよ。」女はにやりと笑った。
「わたしを見てた。わたしを・・・ふふふふふふふ。」

 

ゴキブリ女は不気味に笑うと目を大きく見開いた。そして私の許へ躙り寄ると、私を抱きかかえ、強く抱きしめた。それは不思議と嫌な感覚ではなかった。それは幼い頃、母に抱きしめられた時のような、嬉しくとも少し悲しいような気分であった。あの何の前触れもない抱擁。私を愛するが故にというよりも、母が母自身を愛するが故の抱擁。あの時の無限の愛情は幼い私に向かっていたのではなく、疲れ果てた母その人に向けられていたのである。そんな幼い日の記憶が私の耳をふさいでいった。

 

私はつい微睡んでうとうとしてしまっていた。私はこのままこの女の自分勝手な愛に溺れて、その造花畑のような愛の世界で死んでしまおうかと思った。私はそんな世界の中で夢か現かわからぬまま、いつの間にか射精してしまっていた。気づいた時には私の液体は女の腕や胸の辺りに四方八方に散らばっていた。私はすぐに謝ろうとした。だが、彼女の目を見た時、その考えが如何に馬鹿げいるかがはっきりとした。
彼女の目は金色に輝いていた。もし仏陀というものが存在するならばそれはまさに仏陀の目に違いなかった。その目の中には森羅万象が輝き、うねり、風を成していた。嵐は悠然と輝きを保ち、海はこの世を破壊するほど荒れていた。蝗の群れは危機を脱するために縦横無尽に飛び去ってゆき、狼は諦めの遠吠えを上げ、芋虫は振り落とされまいと必死に葉っぱにしがみついていた。そして鬼神が修羅の面を浮かべて、世界を真っ二つに切り裂いてしまった。

 

はっとそこで目が覚めた。気が付くと私の目の前の女は笑っていた。目尻が裂かれてそこから血がほとばしっている。目玉が飛び出るほど見開いて、笑っていた。そこで私は首を絞められていることに気づいた。頭がどこにあるのかも分からない。私の全身の血液は脳の行方を失っていて、首の下でうろちょろ時間を潰していた。あまりにも多くの血がそこに集まったので茄子の漬け物のように淡紫に染まっていた。私はまたもや射精した。だがもはや気にしなかった。白液は私から離れると勢いよく女の顔に当たった。目にも入ったようだった。しかし女は力を緩めず、尚も首を捻り続けた。白い液の膜を透かして、血走った目玉が笑っていた。一声、二声、小さな喘ぎを口許に浮かべて、よだれを蜘蛛の糸のように垂らして、私は死んで行った。私は私が死んだのか、それとも宇宙が死んだのか、見当がつかなかった。

 

 

「おい。死んだぜ、この猿。いつまでそうやってんだよ。早く喰っちまおうぜ。」

 

ひかりはしびれを切らしてそう言った。しかし、そう言われた方の女は、その声が耳に入っていないのか、くたびれた猿の死骸の上に覆い被さったまま身動き一つしなかった。

風に風鈴が揺れた。その音は氷の部屋に閉じ込められた時のように涼しかった。はるかは急に彼女の全身を包んでいた温泉のような熱から冷めたようで、つうっと立ち上がると台所へと向かった。そしてすぐまた帰って来ると、手にしていた包丁を床で寝ている猿の腹目がけてすとんと突き刺した。ステンレスの塊りは夏の陽を受けて輝き、その光をはるかの顔へ浴びせかけた。彼女の面の精液に光が当たる。すると不思議なことにそれが虹色に光った。

 

虹色の顔じゃ!

 

ひかりははるかの面を見てそう言った。はるかはそれを聞くとまた不気味ににやりと笑って言った。

 

「そうよ。虹色の顔。これがわたしたちの子供。夏の陽ざしと包丁と精液とが創り上げたわたしたちの子供。そしてこれに嫉妬してお腹の中のゴキブリの赤ちゃんが動くの。ほら、ねぇ聞いて。動いてる。あっ、蹴った。蹴ったわよ。赤ちゃんが蹴った。うふふふふ。ふふふふふふふ。」

 

ひかりは太陽を見つめた。部屋の中から眺める太陽は安全で慰めを手伝ってくれた。群れを成したムクドリが太陽の前を掠め過ぎていった。小鳥たちの鳴き声はこの空間を包んで大きく広げ、一つの抽象と化させた。ひかりはぐうっと伸びをすると大きな欠伸をした。目に涙が溢れて来たがそれを流れるままにさせておき、虚ろなまなざしで太陽を見つめ続けた。

彼女の腹では小鳥が歌っていたし、はるかの腹にはゴキブリの子供が生きていた。そしてその面には虹色の子供が無邪気に笑っていた。それでいい。それでいいのだ。これが、これこそが彼女たちの生きる糧なのであった。

 

ぐるぐる回転、小鳥の死。

 

女はそうやって、いやそうすることでしか生きることができないのだ。

 

終了

 

2018年6月30日

2019年10月30日公開

© 2019 髙橋拓也

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