越境

応募作品

一希 零

小説

3,925文字

合評会2019年9月「地元」参加作。25

1.物語の断片を記された紙屑はやがて雪となり、下方に浮かぶ小さな島に降り積もっていった。僕はそんな光景を眺めながら、雪に纏わる物語を紡いでゆく。少しずつ、ゆっくりと。雪に纏わる物語の断片は、僕の手で破かれ丸められ、放物線を描いて宙を浮かび、そして雪となる。しんしんと、雪が降っている。下方に浮かぶ小さな島一面、真っさらなコピー用紙のように、白だけが存在する。

 

2.降り積もった雪は、やがて太陽の光を浴びて、溶けてゆく。透明な水になり、地肌を舐めるよう、平らな大地を風に煽られ流れてゆく。自由意志を持った生命体のように、雪解け水は海に注ぐ。物語の断片は雪になり水になり、やがて海になる。海水は蒸発し、天に昇る。ある時、僕は閃く。着想は海からやってくる。かつての物語の断片を掬いあげるように、海からやってきた想像の断片を掻き集め、練り上げ、僕はペンを握った左手を動かす。コピー用紙に文字を綴る。物語の断片が生まれる。

 

3.そしてまた、雪が降る。幾度となく繰り返される。

 

4.物語を綴り始めて、どれくらいの時間が経過しただろう。一年かもしれないし、百年かもしれないし、あるいは千年かもしれない。気がつけば、下方に浮かぶ島は大きく姿を変えていた。そこには色とりどりの建物があり、道があり、たくさんの人々が暮らしていた。いくつもの街が出来ていた。僕は物語を綴るのをしばらくやめて、下方の島を観察することにした。

 

5.彼は新幹線に乗っていた。暖房の効いている車内にもかかわらず、厚手のPコートに身を包んでいた。幼児の投げるボールのような視線を窓の外へ投げていた。新幹線は長いトンネルを走っていた。彼はトンネルの中の新幹線の中にいた。それは島の中であり、大きな島のほんの一部にも満たないくらいの、とある場所だった。いつまでも、どこまでも、険しい山々を掘り進めるように走る新幹線の姿を、遥か高い場所から見下ろすように思い浮かべた。彼は少しだけ、目を瞑った。けれど次の瞬間、彼はまるで瓶のコルクを思い切り抜くように目を開いた。

 

6.世界が開けた。光が、世界の向こう側からこちら側へ溢れ出していた。窓の外は一面の田の上に降り積もった雪が広がっていた。暗く黒いトンネルの外には、目を逸らしたくなるくらいに、白銀が昼間の底を染めていた。隣の座席に座る老人の左手につけられた銀色の腕時計の文字盤に光が反射し、窓に白い太陽を浮かべていた。幾度となく進路を変え進みゆく光線の果てを彼は想像すると、一時間後には到着する最終駅の存在を思い出した。

 

7.彼は小さく溜息をついた。山のあちら側からこちら側へ。今暮らす場所から、かつて暮らした場所へ。彼はもう一度、今度は大きく溜息をついた。隣に座る老人の身体が揺れ、窓に浮かぶ白い太陽が消失した。老人は体勢を傾けながら眠っていた。

 

8.新幹線は減速し、やがて動きを止めた。終点の駅に着いた。

 

9.帰ってきたのではない、と彼は強く思った。彼にとっての帰る場所は、既に別の所にあった。「来る」から「行く」へ。ここは彼にとって「帰る国」ではなく、「行く国」へとなっていた。駅を出ると、街は幾分変化を遂げていた。繰り返される季節は、されど、たった一度きりの時間として今彼の目の前を過ぎ去ってゆく。また新しい時間が訪れる。

 

10.彼は呟く。「只今」と。

 

11.改修工事が中途半端な形で進められている駅構内を、彼は一人歩いていた。Pコートのポケットに手を突っ込み、肘を曲げ、猫背気味に歩いていた。天井のスピーカーからわざとらしく方言を使用した音声が降ってきた。音は彼の肩の上に降り積もり、彼はますます背を丸めた。とうとう俯き、彼の視界は赤茶色のレンガの舗道と自らの足だけが映された。

 

12.視界の赤茶色から白色へ転ずる。歩くと、さり、さり、と音が鳴る。細やかな氷の粒を優しく砕きながら、彼は背を丸めたまま首だけで上を見る。

 

13.雲。

 

14.それはまるで、教室の掃除ロッカーの中でぐちゃぐちゃになっている雑巾のような色をしていた。水を含んだのはもう随分前だというのに、未だに絞ったら水が出る。黒く濁った水だ。永遠に乾くことはない。故郷の雲が唯一、雑巾と異なるのは、純白の結晶を降らせることだった。美しいものが美しいものを生むとは限らない。その逆も然りである。他方で、燻んだ埃のような雲から落ちてくる純白の結晶を、果たして本当に美しいものと言えるのだろうか、とも思った。

 

15.家は、彼にとって何一つ不満のない場所だった。故郷に帰り、彼は改めてそう感じた。心と肉体の隙間を、母の笑顔と父の料理が優しく満たしてくれた。幸せだ、と彼は素直に感じた。彼は普段よりも、たくさん喋った。これほど人と触れ合うのは久しぶりのことだった。自分のあるべき姿を突きつけられているように感じた。

 

16.悪くなかった。むしろ、心地よく感じていた。けれど彼は知っていた。父も母も、親子であろうと、例え血が繋がっていようと、結局は他人でしかないということを。

 

17.いずれ、遅かれ早かれ、彼は自分の両親から離れる必要があった。そのことに、彼は生まれて十数年経った頃に自覚した。ぴたりとくっついていた磁石と磁石が、ある時くるりと翻り離れてゆくように、「僕らは離れてしまうだろう」と。彼はそれを強く望んでいた。両親はそうでなかったかもしれない。けれど、彼は父にはなれないし、母にもなれない。彼は彼であり、彼は彼でしかない。

 

18.彼は両親に対し、ある意味で他の誰よりも隔絶を感じていた。彼は両親以外の誰とも、両親以上に親しくなることができなかった。最も近しい他人。そんな存在と近くに居続けることは、彼を一層の孤独の沼に導くだけだ。美しい雪の下に、安定した大地が常にあるとは限らない。深い大きな穴に蓋をするよう降り積もる雪もある。

 

19.故郷と彼の間には、大きな山々があった。彼のあるべき場所は山の向こうにある。

 

20.「海の向こうには行くな」と、父は彼に言った。

「危険な場所なの。拉致されるに違いない。乱暴されても、警察も見て見ぬ振りしているって」と、母は彼に言った。

リビングのテレビ画面は海の向こうの国の様子を映し出していた。まるでその映像がその国の全てを表しているかのような内容だった。

「洗脳みたいなものだ。嘘の教育を受けている」

「何かあってからじゃ遅いの」

夕食の際、ふと彼は海の向こう側へ旅行をしたい、と口にしたのだった。それは彼にとって、ありふれた会話の種のひとつに過ぎなかった。

「そんなことない。それに、こちら側と変わらないよ。良くも悪くもさ」

両親の言葉に対し、彼は中途半端に反論をした。それが聞き入られることはなかった。彼の声は彼の耳元に煩わしくこびりつき、全てを取っ払うかのように首を上下左右に振った。長い前髪が目元を覆った。視界に黒く細い斜線がいくつも走っていた。耳元にはいつまでも彼自身の声が滞留し続けた。

 

21.彼はゆく。大きく険しい山の、向こう側へ。

 

22.両親はとても寂しそうな表情を浮かべていた。彼は困惑が顔に出ないように努めて、何にも気づいていないような素振りをしながら、手を振った。またね。また帰ってくるから。そう言って、振り返ることなく、彼はPコートのポケットに両手を突っ込んだまま、俯き歩き続けた。道に散らばる雪はぐしゃぐしゃに溶け出して、アスフォルトと排気ガスと土と埃とが入り混じり、頭上に浮かぶ灰色の雲のような色になっていた。彼は歩いた。やがて駅に着き、目的の新幹線に乗車した。隣には誰も座っていなかった。夜になっていた。トンネルを抜けようが、窓の外には暗い世界が漂っていた。新幹線はやがて最終駅に辿り着く。駅構内を歩き、どこまでも歩き続け、地下の階段を登ってゆく。薄暗く、湿った空気を搔き分けるようにして。階段を登りきった先は、優しい光を凝集して反射する金色の月が浮かんでいた。長いトンネルの先に純白の世界が広がったあの瞬間を、彼は思い出した。フラッシュバックする記憶と知覚の限りを超える光量に、一度目を瞑り再び開けると、僕はまた、空高くに浮かぶ「その場所」に一人立っていた。夢の中を走り続けた後のような感覚が身体に充満していた。

 

23.僕は思わず下方へ目を向ける。暗い夜。分厚い雲が世界の底をぎっしりと覆っていた。それから僕は頭の中で彼の国でのことを思い出していた。とても遠くに感じられたそれは、本当はすぐ側にあった。僕はたった一人だけれど、大切なものをいくらか持っていた。故郷はただ、僕の中にのみある。そのことに気がつくために、彼には然るべき時間と、ある程度の距離が必要だったのだ。あちら側の世界を、僕は「越後」と名付けた。

 

24.風が吹く。簾のように垂れていた前髪がふわりと持ち上がり、視界を遮る斜線が取り払われる。見えない透明な壁を軽やかに躱すようにして、くるくると、ひらひらと、行く方向を踊るように変えながら、風は進み続ける。あちらから、こちらへ。そしてまたどこかへ。ある時ふと消えたと思った次の瞬間、どこかでまた、風は生まれる。灰色の雲の隙間にも、白銀の大地の肌にも、風は吹く。

 

25.僕はここにいる。あるいは、いたるところに僕はいるだろう。僕は再び、物語を綴り始める。幾度となく繰り返される。

2019年8月20日公開

© 2019 一希 零

これはの応募作品です。
他の作品ともどもレビューお願いします。

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


3.5 (13件の評価)

破滅チャートとは

この機能は廃止予定です。

タグ

この投稿にはまだ誰もタグをつけていません。ぜひ最初のタグをつけてください!

タグをつける

タグ付け機能は会員限定です。ログインまたは新規登録をしてください。

作者がつけたタグ

---

"越境"へのコメント 13

  • 投稿者 | 2019-09-24 20:15

    断章でもあり、ポエムでもあり。形式面でのいわゆる「小説らしさ」の越境を図った作品として読んだ。『雪国』のオマージュだとわかったけれども、雪は本作で重要なモティーフなので、もっとオリジナルな風景が見たいなとも思った。

  • 投稿者 | 2019-09-25 11:02

    読んでいる間、詩情が白い結晶になって降りてきました。寒々とした空気が不思議と気持ちよかったです。

  • 投稿者 | 2019-09-25 22:32

    詩もいけるんだなと思いました。
    最初の物語を綴る人物から循環するイメージで読みました。なんだかんだでとても愛情深い家庭で育ったのではないかと、そういう感じが溢れていると思います。

  • 投稿者 | 2019-09-26 02:34

    なぜだかイタロ・カルヴィーノを思わせた。断章と雪のせいだろうか。もっと「越境」したものも読んでみたいと思った。

  • 投稿者 | 2019-09-27 18:58

    「越後」の隣に生まれた者なので、雪融け水が大地を潤して海に至り、蒸発して雲となり雪を降らせて、の水の循環が内面化しておりまして、とてもとても心地よく読みました。
    「故郷」が「行く国」となったことも、改修工事が進む駅の様子も、まったく我が事として読みました。
    これは感覚的な問題であり好き嫌いの問題でもありで、言葉では言い表せないのですが、この若い作者と何かを確かに共有していることを実感して嬉しくなったことでした。

  • 投稿者 | 2019-09-28 00:38

    22がよかった。でももう少し都会と地元の対比をはっきりさせるともっとよかったかもしれない。

  • 投稿者 | 2019-09-28 02:41

    確かな筆力で叙述された幻想的な世界観に圧倒されました。私にはこんな綺麗な文章は書けないなあ、と。同時に、浅学の私には作品の軸となるものがハラハラと舞う雪に隠れてしまってうまく評価できないとも思いました。

  • 投稿者 | 2019-09-28 20:00

    めちゃくちゃうまい。12から13いいですね。

  • 投稿者 | 2019-09-29 02:10

    短い文章のところがとても好きです。

  • 編集者 | 2019-09-29 14:39

    1.帰省だろうか。まさに故郷だろう。

    2.新潟ではないが、俺も新幹線で雪の降る北国岩手に帰省することがあるので、一種共感を感じつつ読む。

    3.「下方の島を観察することにした。」他様々な描写から、作者は恐らく日本神話の登場人物であることが推察される。さらに、その次にはいきなり新幹線に乗っている、つまり無賃乗車している描写が見られる。それは良いが、神様ならもうちょっと良い国づくりをして欲しい。そこら中に石油を出せ。あと皇居をアジア一のショッピングモールに建て替えろ。

    4.両親との最後に埋まらない溝の描写が身に迫る。「海の向こう側」とこちら側が分かれているのではない。「こちら側」にも向こう側がある。作者の言う通り、みんな良くも悪くも変わらないである。

    5.いい話だなあ。

  • 編集長 | 2019-09-30 10:42

    雪国の故郷で幸せな生活を送ったのだろうことが伝わってきた。その含羞が談笑形式か。「物語を綴る私」というのがあまり自明ではないので、そこを説明するといいかも。

  • 投稿者 | 2019-09-30 12:27

    同じ甲信越勢として新幹線で帰れていいなと思いました。新しい技法を模索している感じで好感がもてる。

  • 投稿者 | 2019-09-30 13:42

    小説というより詩に近い様な印象を受けました。
    詩を読むにしろ物語に近い散文を好んで読む自分としては全くの門外漢ですが、生物地球化学的な水循環のイメージを、小さい視点と大きい視点に分けてうまく描けているところがとってもよかったです。モチーフのイメージをうまく膨らませられてるなぁ、と。実は今自分が書いている長編のモチーフも水循環なので困りました。あまりいいものを書かれると困ります。
    個人的には言葉の響きというか組み立てが、読者の頭の中に結ぶイメージに先行してしまっている感じがしないでもないような気がしたような気がするので、個人的には以下の様な気がしたというのはつまり美しい言葉の響きよりも文章から具体的に立ち上がってくるものに、より注意を払ってもいいのかなと個人的には思ったような気がしました。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る