善し悪し

小西真由

小説

4,373文字

阿波しらさぎ賞落選作品です。二人の女子高生が美術館を回る話です。

本物は偽物を見ても、すごいとしか言わない。

偽物は偽物を毛嫌いする。同族嫌悪そのもの。

嘘が集結した空間の中ではくしゃみが止まらない。ピノキオのように嘘つきですよと自ら言ってしまっているみたいだ。

「本物」の横顔は真剣そのもので、興味深そうに絵を眺めている。時折、感嘆の声が漏れ聞こえてくる。

贋作だとわかっていて楽しめるはずがない。こんなんだから私は「偽物」。

「本物」と肩を並べているはずなのに、実のところではかなり差をつけられてしまっている。

私と友達を渋々やってくれているのではないかと不安になった時に限って、「本物」が「本物」の笑顔を向けてくる。そうして私は自分の未熟さを思い知るのである。

「本物」は美しい。「偽物」は汚い。あんたといると私が無様に映るのだとは死んでも言えない。言ったら私が罪悪感に一生苦しめられることになるから。それほどにあんたは美しい。

絵の中の男が今にも裁きを下そうとしている。私も裁かれる。罪状は善人を装ったこと。

善人の真横で微笑んだのがいけなかったのだ。

「本物」はふいに肩を揺らして笑った。

「あれ見て。変な顔」

「ほのかもできそうだよ」

「できないできない」

折れ曲がっていた制服の襟がぱたんと閉じた。善人は形状記憶という特殊な素材でできており、すぐに真っ直ぐに戻る。

「本物」はずんずんと次へと進んでいく。

見ているだけで気持ち良くなる行動力を彼女は私にも分けてくれた。ボランティアクラブに誘ってくれた時、私は彼女が眩しくて仕方がなかった。

ボランティアをしていると、胃の辺りがぼうぼうと燃えていることに気付いた。

おじいさんに話しかけている時やゴミ拾いの時、車いすを押している時でさえ、常に「本物」を目で追っていた。

善人が人と接するときに心の底から笑えているのかどうかをどうしても知りたかった。

善人を鏡のようには使えないと理解しつつも、やめられなかった。

こんなことをしておいて、私が偽善者でないと誰が言えようか。

しかし、そんな不誠実極まりないことをしていても本人及び周囲が気付く気配は全くない。先生には、取り組む姿勢が素晴らしかったとやや大袈裟に褒められた。それを横で聞いていた「本物」も納得という様子で頷いていた。

私にはもったいない言葉で、「本物」にやるべき言葉を私なんかに消費していいのかと思ってしまった。

すっかり重圧になって、次に活動があった時にどう動こうか迷っている。

いついかなる場合であっても、善人は善人を振りかざす。ごく自然にやってのけているのに、その時だけ周囲が霞む。

美しい笑顔が私の心の中に沁み込んでいく。

絵画の中の微笑は果たして本物だろうか。絵画自体は偽物でも、湛えた笑みは信用できるものだろうか。

私の笑顔は?

「本物」っぽく笑えているのだろうか。

頬が引きつり、歯茎が唇に張り付き、目は完全に開かれている。それを私は笑顔と言っているのだ。

ふいに絵の中の目が気になりだした。無数の目。

目の中に私は映らないのに、確かに命が吹き込まれている。

「偽物」が「偽物」を捉えて放さない。私はもうじき、絵の中に取り込まれてしまう。「偽物」の中だったら、呼吸はしやすいのだろうか。

「ゆい、ゆい、」

「本物」が私と絵の間で手をひらひらとさせている。

「やっと気づいた。遅れちゃうからさ」

順路を示す矢印を指差しながら私をうまく誘導する。

私が何を考えてたかも聞かない。

自分に自信があるから束縛しなくて済む。自信ができたら真っ先にここから離れるのに。

関節という関節ががちがちと音を立てて固まる。

これ以上、善人と並んで先に進むことはできない。

一歩踏み出すと、矢印が無数に増えて、私を取り囲んだ。帰ることも先へ行くことも許されない。

矢印の先を向けられて、咄嗟に腕を振り回したが、矢印は物ともせず近づいてくる。

アリスを捕まえようとするトランプの兵士みたいなそんなメルヘンな物ではない。

「本物」の打ち鳴らす手拍子はもう聞こえない。

私は矢印に刺されて絵の中の住人にされてしまうのだ。善悪とかそんなの関係のない世界へ飛ばされるのだ。

足の裏が床に張り付いた。覚悟を決めて目をつむる。

「何してんの、ゆい。早くご飯食べなきゃ」

目を開けると、いつの間にか矢印はいなくなり、代わりに簡素な長テーブルと沢山の椅子が現れた。

「お昼の時間、一時間もないんだって。先生もオウボウだよね」

「絵画は? 矢印は?」

「何? 聞こえない」

「本物」は声を張って私の口元に耳を寄せる。

それを無視して、お弁当を広げた。

私たちと全く同じ服を着たのっぺらぼうのマネキンたちがはしゃいでいる。

みんな、声がどんどん大きくなっている。この中で喋る元気はない。

「本物」は構ってほしそうに、ちらちらとこちらを窺ってくる。

見ないでくれ。あんたのその目だけで私は味覚がなくなる。

砂になった米を噛みしめる。彩り豊かな石をお茶で飲み下す。お弁当の隅に溜まった水に殺された虫を残してお弁当を包み直す。

「食べないの。この後も予定詰まってるよ」

校外学習のしおりと書かれた紙の束を恭しくめくる。

「知ってるよ。私も持ってるもん」

今度はちゃんと聞こえたのか、返事ができないように冷凍食品のハンバーグを口に詰めだした。

あんたの善人さが原因なのであって、あんたは悪くないというのを言ってやろうかとも思ったが、やめておいた。

「本物」と一緒にいる時間が嫌いというわけではない。むしろ大好きだ。ただ、「本物」に接している自分が好きになれないのだ。

用を足しにふらふらと立ち上がっただけなのに先生にどこに行くんだと詰め寄られた。

担任とは本当に折が合わない。なぜか一言話しただけで目を付けられた。

担任にはどうやら、善人と偽善者を見分ける力があるらしかった。私の目からすれば、その線引きはとても正しい。一般人からすれば、贔屓でしかないようだが、善人を優遇するのは当然のことだと私は思う。善人は嫉妬の対象だ。秀才よりもスポーツマンよりも偉い。出来損ないの大人たちは自分が手に入れられなかった善人という面を羨ましく思いながらも、善人を特別扱いする。

この通り、偽善者には居場所がない。誰からも愛されないのに、自分の愛は配り続けなければ、やってけない。悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい。

善人になるためだけに産まれてきたのに、私はなれないことが決定している。

善人だという理由で表彰することをやめればいいのに。

不平等だから偽善者が生きづらそうにしている。

全人類が人間への興味をなくしましょうっていう法律が欲しいです、今すぐに。

絵と絵の間をパチンコ玉のように弾かれつつ、なるべく善人から距離を取る。

「ねぇ、君さ、絵の横に立って数枚写真を撮らせてくれないか。ここ絵だけじゃ撮れないの知らなくてさ」

髭面のおじさんが焦った様子で話しかけてくる。

何かあった時とか嫌な想像はしたくないので、引き受ける。写真送っての言葉も添えて。

「ピースとかなしで、立っとくだけでいいから」

シャッターを切る音に一瞬で包まれる。

足がとてもだるかったのにカメラの前に立つと、ふわりと宙に浮いた。

手の形についたスカートのしわを伸ばす仕草をすると、いいねと言ってくれた。たった三文字で私の中の何かが満たされた。

善人だとかそんなのがすっぽり抜け落ちた。

夢中でレンズを見つめた。

壁に手をつくように絵画に触れた。ざらざらしていて焦がれるような、懐かしいような独特の感情が渦を巻いた。

唾が湧いてきたのでそこら中に吐きまくった。臭かった。

もう矢印は向かってこない気がした。むしろ矢印を自分のように愛せる自信すらでてきた。

絵画の中の人間たちが私を見て次々と顔をしかめていくのが面白かった。

絵ではだめなのだ。写真じゃないと。

ずるずると落ちそうになる腰を支えていると、座ってと言われた。スカート越しにじんわりと無機質な硬さと冷たさが伝わってくる。ひっつめにしていた髪をほどいて膝に垂らす。

通りすがりの目や監視の目はほとんど気にならない。

これほど自分本位になるのはいつぶりだろう。自分をいいように見せているのには変わりないのに普段より呼吸がしやすい。

私は写真に納まるのが好きだったのか。

歯車がやっと噛み合って回りだした。

ようやく私は私の人生を生きられそうだ。枠の中に入って落ち着くなんてちゃんちゃらおかしいけれど、人間そんなもんである。

立ち上がる際にスカートの裾を踏んで転んでしまい、仰向けに寝た体勢になった。

おじさんは急いで近づいてきて、シャッターを切る速度を速めた。この体勢がはまったようだった。もはや床と私しか映っていない。それでもおじさんも私も満足している。生きているという感じがする。

制服のしわが効果的な陰影に一役買っていることだろう。

この私が人の役に立っている。相手の気持ちを一切顧みず、私のしたいようにして、人に喜ばれている。それのなんたる快楽か。

おじさんの息遣いに耳を澄ます。

清濁ばかり気にしていたけれど、こんなことでよかったのかと少々拍子抜けした。

おじさんが私を人として好きかどうかもどうでもよくなってきた。私はこれから、私と私を攻撃してくる者だけを信用していくことに決めた。

おじさんは私の身体の上に立ったまま跨ってきた。私の顔を真上から見下ろすような形で数枚撮った。撮った物をすぐさま確認して鼻で笑った。勝ったと思った。

スカートをひるがえしたり、ボタンに手をかけるふりをしたけれど、それはあまりぴんと来ないようで、ポーズを変えるまでカメラを構えもしなかった。

私の笑顔はその時だけ「本物」になれた。

偽物の絵たちが私に嫉妬して、睨んでくる。気持ちいい。

これこそ、「本物」の専売特許。

おじさんは満足したのか、私を起こしてレンズに蓋をした。

ぽかんと口を開けている私のスカートのポケットに千円を丸めて入れて去ってった。

また偽善者に逆戻り。おとなしく贋作の海を漂っていると、肩を叩かれた。

「探したよ。荷物も置いてどこいたの」

「本物」登場。私にはやっぱりあんたが美しく見えるよ。

「ねぇ。なんか飲み物いらない? 奢ったげる」

「急だなぁ。今はいらない」

しばしの沈黙。

お互いにお互いを思いやって、目に止まった一枚の絵を静観する。

裸の男女が果樹の前で立っている。

男女はアダムとイヴで、この後イヴは嘘をついて二人して楽園を追い出されるのだと「本物」が教えてくれた。

何でそんなことを知っているのか聞けなかった。この中に「本物」はいないことだけは言える。

「本物」は私の視界から消えていた。けれど、私はまだ「本物」に繋がれたままでいる。「本物」はそれを知っている。

「本物」は煌々と光を放ちながら、やっぱり甘い物飲みたくなっちゃったと言って、腕を絡めてきた。

彼女の歩くリズムにわざと合わないように歩いたのは言うまでもない。

2019年8月20日公開

© 2019 小西真由

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