Happiness Is A Warm Gun

湯之元

小説

3,145文字

平凡な男・寺尾純次は、ある朝駆け込んだトイレでトカレフを拾う。

※他所に投稿しようとした作品をこちらで発表。そのため文字数制限の名残で簡略化された・性急な展開になっております。

 おれは、寺尾純次という名前をもつ、特徴に乏しく、何も非凡なところのない二十五歳。
 ある朝。通勤中、腹痛に襲われたおれは、最寄り公園の公衆便所に駆け込んだ。個室でウウと苦しんでいると、誰か便所に入ってきた。奇妙なことに、コツコツと足音を立てて便所内を歩き回っているだけで、用を足す気配はない。やがて、ゴトリと何か床に置く音がしたあと、気配はスッと消えた。
 すっきりしたおれは、個室から出ると、誰かが置いていったモノを見て驚愕した。
 それは、妖しく黒光りするトカレフだった。
 冗談だろ。ここは日本、便所に拳銃を落としていくなんて正気の沙汰じゃない。トカレフに触れてみる。撃ちたてのように熱い。まるで血がかよった獣だ。
 おれは混乱してきた。吐き気さえする。なぜなら、常識として速やかに警察に通報するべきなのに、トカレフに触れたおれの心は、それを拒否し、この銃を所有したいという欲望に囚われてしまったからだ。
 公衆便所から出たおれは、新宿のビル街を堂々と歩く。懐に、ずっしりとした・確かな存在感を持った、生温かい獣を感じながら。すれ違う人々が、ミジンコのように感じられる。なんて心地好いんだろう。銃は、あくびのとまらない日常に、ピリッとした緊張感と全能感を与えてくれる。別人になったかのような錯覚。
 だが不思議なことに、「こいつで一発ぶっぱなしてみよう、適当な標的を見つけて」という考えには至らなかった。おれの心は、ただ落ち着いた高揚と野蛮な自信を必要とし求めていただけで、実際的な暴力の道具としてトカレフを認めてはいなかった。
「寺尾くん、今日、飲みいかない?」
 同僚の篠原杏里に誘われた。さして親しくもなかったが、嫌いではなかった。
「寺尾くん、ちょっと変わったよね? なんだかテキパキしてきたし、今日だって、先方にはっきり意見伝えてたよね」
「ちょっと出逢いがあってさ。自分に自信がつくようになったんだ」
「え、彼女? どんなひと?」
「いや女性じゃない。なんというか、まあ……猫だよ」
「あ、そう。よかった……」
 帰り道、自然とキスした。彼女の体温と、全てが順調な現実に酔う。だが、幸福をくれる源が、非合法的な、ほとんど不条理な力だなんて、けっきょく夢と変わらない。
 それから半年がたち、日々の生活に確かな実感が伴ってきた。不思議と警察に暴かれることもなかった。生温かい獣の恩恵を享受しつつも、ある違和感がめばえるようになってきた。
 獣が、餓えている。温かみが少しずつ失われてきている。どうやら、おれはこの温かみを海綿のように吸いとって幸福を得ていたらしい。おれが幸福になればなるほど、トカレフは冷たくなっていくわけだ。
 この獣を元気にしてやりたいと思った、弱った猫を看病する気持ちで。どうすれば温かみを取り戻せるのか。簡単に思い付くのは、一発ぶっぱなして、熱を取り戻すというひどく単純な方法だ。とにかく銃弾を発射すれば、獣は確実に回復するだろう。
 しかし、大きな問題がある。何に向けてぶっぱなすべきか。郊外の廃屋で、壁に向かって一発ぶっぱなそうか。味気ない。街中で無差別にぶっぱなすか。リスクが高すぎる。極悪人に対して天誅を加えるとか。はっ、ガラじゃない。
 そんなある日、篠原は突然おれにいった。
「寺尾くん、懐の猫を見せて」
 おれは巧妙にとぼけたが、篠原は追及してくる。
「寺尾くん、いつも懐に怖いもの隠してるでしょう。そういうの、わかるんだよ」
「見て、どうする気なんだ」
「警察には言わないよ。信じてるから。でも、いつまでも持っていないほうがいいと思うな。だって、普通じゃない」
「普通じゃない? そりゃどういうことだよ」
「寺尾くん確かにかっこよくなったし、好きなんだけど、それはまともな感覚じゃないの。うまく説明できないんだけど、ごめん、寺尾くんは普通じゃない」
 おれは机の上にゴトリと冷えた銃を置いた。
 その夜は大げんかだった。結局、捨てろという彼女の剣幕に押されて、「猫」を手放すことにした。甘いなおれも!
 例の公衆便所に捨てようと決めた。そこには、男がいた。理屈抜きで、ここにトカレフを置いたのはこいつだと感じた。どこかで見た顔だが、思いだせない。まあ、どこにでもいる顔だ。無性にこいつを撃ちたくなったが、抑える。
「銃の使い心地はどうだ」
「まだ一度も撃ってない。でも、どうしておれにくれた?」
「おれが置いて、おまえが拾っただけ。そのトカレフは、持ち主に偽りの幸福を与える。一度手にしたら、なかなか手放せない」
「ふん。ところで、銃が冷えちまったんだが」
「冷えたんじゃない。完全な凶器への進化だ。生温かい銃なんか、凶器にならない。冷徹な・無機質な暴力、それが本物の凶器だ。おれも今更気づいた」
「難しいな。なんにせよ、おれの手には余る」
「理解しなくていい。おれの手にも余っていた、生温かい銃なんて。でも、そいつはすっかり冷えたようだ。返せ」
「ちょうど手放したいと思ってたところだ」
 おれは男に銃を渡した。昏い眼光。こいつ、何なんだ?
「銃から離れて、憑き物がとれたような感じがしないか?」
「さっきまであんたを撃ちたいと思っていたのが、ウソみたいだ。まるで、心の奥から欲望が湧いてくるようだった」
「実際、ウソだよ。おれの銃がそうさせたんだ。でもな、一度撃ったらずっと繰り返すハメになるぜ」
 男は口をゆがめた。これ以上、関わらない方がいいな。
 連続銃乱射事件のニュースが巷をにぎわせていた。犯人いまだ捕まらず。マジか。おれには関係ないけど。それどころじゃない。何故か仕事も上手くいかず、篠原とも疎遠になって……つまり、なにもかも元に戻った。いや、かつての高揚を知っている分、以前よりひどい生の実感。
 それでも、急に腹が痛くなって、最寄りの便所に駆け込むときなんか、どうしても淡い期待を抱いてしまうのは、あの獣のずっしりとした・確かな存在感と、幸福な生温かさが頭から離れず、恋しさは日増しに募るからだ。
 もう一度あのトカレフを手にしたなら、二度と手放すつもりはない。何度冷えたって、その度に温めてやる。それがおれの幸せなんだから。
 三年後、おれとトカレフは感動の再会を果たした。あの公衆便所だった。おれがふらふらと便所へ入ると、生温かいトカレフが飼い主を待っていたんだ。それまでに色々あって、もうその時には、おれは天涯孤独なプー太郎だった。だから余計に胸が熱くなった。
 おれは便所から飛び出し、目の前の誰もいないちびっこ広場で滅茶滅茶に撃った。今の生温さじゃ物足りない。おれのトカレフ、もっと、熱くなれ。あれ、不思議だ。弾が一向に無くならない。無限に撃てるような気がする。そこらの遊具に穴が開く。へへ、無限の弾も、ぜんぶ、ぜんぶ撃ち尽くしてやる。誰かの悲鳴が聞こえた。通行人に見られたか。安心しな、おれは人を撃つ気はない。ただ、銃を温めたいだけだ。幸せの為に。ま、せいぜい流れ弾に気をつけな。でもあの悲鳴、篠原杏里の声にそっくりだ。そんなはずはねえ、たしか誰かと結婚して、どこかで幸せにやってるはず。彼女なりに。知るか。でもまじいな、通報されたら。さすがに警官と銃撃戦、てのは熱すぎんだろ。熱すぎて、こっちが燃え尽きちまう。燃え尽きるにゃあ、まだまだ早い……。
 おれは便所に駆け込んだ。誰かが個室でうなっていて、少し躊躇したが、思い切ってトカレフを床に捨てた。外に出ると、何事もなかったかのように静かな世界。まるで時間が巻き戻ったかのよう。ああ、すっきりした。おれはもう、生まれ変わったんだ。何もかもやり直せる。
 誰だよ普通じゃないなんて言ったやつは。おれは特徴に乏しく、何も非凡なところのない二十五歳。名前は……ん、思い出せないが、いいか。どっかに置いて来ちまったよ!

2019年8月18日公開

© 2019 湯之元

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