月と夜空の狂詩曲(6)

月と夜空の狂詩曲(第6話)

中野真

小説

3,223文字

これはとても個人的な手紙であり、彼自身の告白、または懺悔であるのかもしれません。

十月二十日

 

 人間はどう生きるべきなのでしょうか?昔の哲学者が言うには、人間は苦痛と退屈の間を絶えず振動しているに過ぎないそうです。貧乏すぎると苦痛に蝕まれますし、裕福すぎると退屈に苛まれます。そしてそのどちらも人間を死の衝動に導くものだそうです。過ぎたるは及ばざるが如し。何でも中庸が一番幸せなのでしょうか。しかし安定した精神というものは、結局死と似たようなものではないですか?僕は先の見通しの良い生活よりも何が起こるかわからない未知の生活の方がより良いと感じるのです。退屈は死に似ているのに対して、苦痛は生に似ているのだから。それでも普通人間は退屈を目指そうとするわけです。それが一般的に善とされているから。それは正しいのでしょうか?人間は死にたいのでしょうか?死のような生よりも、生のような死の方がまだマシではないですか?人間の想像力、創造力を掻き立てるのは安定ではなく振動、そしてその振動の軌跡だと僕は思うのです。誰かと同じような生を望んで、いったい何になるのでしょう。もちろん、そのありきたりな幸せを得るためには、それなりの苦労が必要だということも知っていますし、僕にはそれすらできなかったのですが。

 幸せとは何なのでしょうか。君のまなざし、君の言葉、その仕草ひとつひとつに僕は幸せを感じたことを覚えています。僕にとっては君こそが幸せでした。君が僕の言葉を好きだと言ってくれた日。僕の夢を応援すると言ってくれた日。君と交わした言葉の数々。そして約束。新人小説賞を受賞したら、授賞式で再会しようと君は言ってくれました。僕はその日渡した手紙に、僕らの物語はここで終わる、これからの君の物語を知ることができないのは悲しいが、僕はその物語が幸せに続いていくことを願うと書きました。けれどあの日、君がそんな約束をくれて、そんな夢をくれたことで、僕らの物語は今もまだ続いています。ありがとう。

 僕は最後の手紙に、君と出会うことのできた偶然に感謝すると書きました。けれど君は最後の日、僕らが出会ったのは偶然ではなく、運命なんだと言ってくれました。僕は思わず笑いました。君はいつも僕の先を行く。だから僕も、まっすぐ君のところまで行きたいと思うのです。

 愛してる。嘘だと思いますか?ねえ、僕は君を愛しているんです。そんなに何度も言うと嘘っぽく聞こえますか?けれどこの言葉はそれくらいですり減ったりする弱い言葉ではないと僕は思います。愛してる。君と共に生きたい。君の全てが欲しい。その代わり僕の全てを君に捧げます。

 君を想って小説を書いています。そうすると、日に日に君のことを愛するようになるのです。僕はただ再発見しているだけなのかもしれません。僕が何かを創り出しているのではなく、そこにあるものをどれだけ元のカタチのまま掘り出せるのか。しかもそれはカタチのないもので。小説を書くというのはそんな行為のような気がしてきました。そこにあるんです。何もかもが。夢も、愛も、幸せも。けれど僕らはそれをそのまま掘り出すことができない。疑い、欺き、一部だけを見て、壊してみたり、投げ捨ててみたりしていることに気がつかない。同じ時間、同じ空の下で、君を想い生きている。それだけでいいはずなのに。それだけでいいはずがないのです。求めることで、この想いは不純になるのでしょうか。歪み、弱り、薄まってしまうのでしょうか。わからない。でも、だからこそ、不完全で、不安定で、歪んでいるからこそ、僕らは他人を愛せるのかもしれません。全てを得られないからこそ、誰かを求めるのかもしれません。

 この世界は素晴らしい。そして言葉はその素晴らしい世界の一部でしかない。その一部で、その一部以上のものを表そうというのが小説なのかもしれませんね。宇宙はどんどん広がっている。だからどこまででも行ける切符を持っていても、宇宙の果てにはたどり着けない。でも君はそこにいる。僕はいつか君にたどり着く。君が僕の夢を引いて生きてくれるから、僕は君のところまで行けるのです。それからどうなるかは、神様のお楽しみ。僕は君に感謝しています。僕を僕にしてくれてありがとう。そうか、僕はもう君から貰っているんだ。夢を、愛を、幸せを。僕は君に何を与えられただろう。ごめんね。愛してる。どうすれば千年後に残る小説を書けるだろう。どうすれば時の淘汰に打ち勝てるのだろう。その答えの一つに、ある作家が、生き続ければいいと言っていました。書き続ける限り、忘れられない。例えば、死後に発表する小説を生前にいくつも作っておく。そして時とともに順番に公開すれば、まるでその作家が死後も生き続けているように装うことができる。もちろんそれは有限になるけれど、死んで終わりよりも遠くまで言葉を運ぶことができるのは確かだと思いました。つまり、忘れないためには、忘れられないためには、生き続ければいい。僕が君への想いを過去にしないためには、何度でも君に恋をすればいいということ。永遠なんて嘘っぱちなんだから、僕は今日君に恋をして、明日また新たに君に恋をする。そうやって生き続ければ、僕は君をどこまででも胸に抱いて生きていられる。生まれ変わった、わけじゃないんだ。けれど僕らは変わる。世界は変わる。この世は無常。だからこそ、何度でも君に恋をする。そんな動的平衡の中にこの想いを置けば、それはいつか僕の体の一部になるだろう。想いのカケラは入れ替わり流れ続けるが、その恋はずっとそこに生き続ける。

 そんなことに意味があるのだろうか。人間の報酬系の価値判断は指数関数的ではなく、極端な双曲線を描くらしい。目の前のものほど価値を高く見積もり、遠くにあるものほど価値は変わらなくなる。つまり、一年後に貰える二千円よりも今貰える千円を選ぶ。けれど君との距離は未知数X。何故なら全ては僕の幻想の中にあるから。ねえ、僕はおかしいのでしょうか?あのね、君のことが大好きなんだ。理由はもうわからない。一目惚れだったと思う。それから、たくさんの偶然があった。恋って、偶然に大きく左右されると思う。それを人は「勘違い」って呼ぶけれど、例えば僕は「運命」って言ってもいいと思うんだ。そして、僕は君に救われている。君を見つけた時の僕は、愛していた人に、この世界で一番信頼していた人に裏切られた直後だった。もう誰も信じられないと思った。生きる意味を失った。誰かのために生きることは間違っていることだとはっきり感じた。だから僕は僕のために君を愛している。君は君のために生きてください。僕らはみんなそれぞれ孤独だ。自分以外はみんな他人。家族ですら。自分の生は自分にしか生きられない。どれだけ近くにいても、離れ離れなんだ。だから、どれだけ離れていても、そんなに問題ではないとも言える。双曲線的に。空や、光、子供の笑顔。美しいものを見る時、僕は君を傍に感じる。人間はみんな自分の小説家で、毎日それぞれの世界を心の中で綴っている。君は今日、どんな言葉を綴ったのだろう。君の物語が読みたい。そして、僕の物語を読んで欲しい。物語はそこに書いてあるもの以上を示す力を持っているから、そうすれば君は、僕の言葉以上に、僕の想いを知ることができる。言葉では届かないところまで、物語に乗って、二人で旅が出来たら素敵だと思うんだ。

 半分の月が空に上る。もう半分は、きっと君のところにあるのだろう。二つを合わせ、どこの扉を開こうか。白い光は糸のよう。夢で君に会えたなら、うつつで君に恋をする。あの半月に乗って、二人でどこまでいけるだろう。宇宙の果てで、君に愛を誓いたい。君が笑ってくれるなら、僕は兎になろうと思う。月から手を差し出せば、君は掴んでくれるかな。耳の方がいい?

 

 

十月二十一日

 

 空が見たい。僕は今、ただそれだけを願っています。心配しないで。愛してる。

 

2019年8月13日公開

作品集『月と夜空の狂詩曲』第6話 (全8話)

© 2019 中野真

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