武蔵野というのは、――と昏々斎は話頭を幾らか巻き戻して続けた――その範囲は甚だ曖昧でね、時代によって、論者によって区々だけれど、僕のいう武蔵野は消去法で残った消極的な概念だから、おのずとその範囲はすごく狭くなる。僕が武蔵野を思い出したのは――思い出したというのは、ぼかぁさっきもいったけど廿代の初めに熊野のほうに移って、東京こっちに戻ってからは十二社じゅうにそうに棲んでいるから、武蔵野の実家はっくに消えたし、兎に角ずぅっと失念していたんだ、故郷をね、それも無理からぬことで、十二社だって、かつては武蔵野の典型のような風趣だったわけだけれど、いまはまったくおもかげないよ。

 

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昏々斎が早朝、出勤のため西新宿の部屋を出て半開きの目を擦ると、猥雑に櫛比しっぴする古アパートやら低層雑居ビルのあいだをかろうじて抜ける狭隘な路地の果てに朝靄が掛かって、るれば抜けるようなそらがみえると思いきや、やがてその濛々たるなかから大厦たいか高楼が巍峨ぎがとして立ち現われふたがり視野はまったく阻まれて、その圧迫感に気圧され忽ち呼吸は浅くなり、街路樹として曝しものにされた不粋なけばけばしいピンクの桜のはなびらが、収集を待つ、あるいは分別をあやまり、あるいは無視して遺棄されたままの透明の塵芥袋の上に翩々へんぺんと散らされて、ハッと吾に返る――そんなのだもの。どこに所謂「武蔵野」の風情を見出せというのだろう、すくなくともあすこは僕のいう武蔵野じゃない。だからすっかり喪失していたの。僕がそれを想起したのは、つい先日の、もう不惑を超えてからのこと、仕事の関係で、いや、あちこち輾転てんてんさせられる因果な稼業なんだけど、高井戸に勤務地が移った。とある冬の夕刻、当該建物西側の駐車場で独り立ち尽くしていた。

佇立する昏々斎の視線の彼方に、ひときわ高く聳えている曙杉メタセコイヤの影が西日を背景に浮かび上がり、その幹は真直ぐに天を衝き、すっかりはだかになった針葉樹の樹冠全体が、葉脉だけを魚の骨の如くに残して朽ち果てた大きな葉のようにみえた。
落日が何色だか知ってる? 僕にはだいだい色という固定観念があったんだけど、そのときは白かった。そして空は夕闇の気配を含んで愈々暗かったけれど、よくよく観察するとそれははなだ色なんだよ――縹色ってのは西が東をこくする、つまり凌辱した痕の色――、僕はその直立する曙杉の影を眺めていて、なんだか無性に帰りたくなってきた。もちろん帰宅したいという意味ではない、否、そら帰宅もしたいんだけどさ、外は寒いし、冬の日は怱々に暮れて侘しいし。

昏々斎は角袖かくそでの外套のたもとに両手を入れて、肩をすくめ口をへの字にして顔を歪めた。それまでとくに目立たなかった皺が目尻のあたりに忽ち集中的に浮び上がって、胡波はそれをみて地に堕ち土にまみれた桃の種の、その深い筋を、あるいは木炭の断面に刻まれた鋭い割れ目を聯想して悚然ぞっとさせられ、その如何にも爺むさい様と相俟って、そこに、この男の轗軻かんか不遇の、恐らくは相応に長かったであろう歳月を看取したような気がした。

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けれどもそのとき焦がれた帰るべき場所は自宅でなくって、一九八五年なんだ。つまり昭和六〇年の頃に明確に帰りたくなったの。その理由は判然としないけれど、きっと曙杉の姿をかつての冬に目睹したことがあったんだろうと思う。あとで知ったけど、杉並区のシンボルなんだね、だから僕が知ってるあたりにはきっとたくさんあった。

そういえば阿佐ヶ谷駅の南口広場に曙杉の大きなのがあって、それがけやき並木と相俟って独特の陰翳を周辺に齎していた。まだ南口が再整備される前に、木製のベンチが据えられていて、――映画『リング』で真田弘之が腰掛け、貞子の脚跟きゃっこんだけがみえた――好んで利用していたことを思い出した。あの頃はまだ烟艸たばこも喫したし、背凭れのあるベンチでっくりとショート・ピースを愉しんだりした。まだ世間が(具体的には都市政府が)そうすることを許したのである。今思い返すと信じられないくらい「前時代的」な営為であるが、なるほど胡波が阿佐ヶ谷にいたのは西暦でいえば前世紀末頃のことなのだから、まさしく前時代の記憶ということになるか知らん。あのとき彼女に気づかれないように、やさしく紫外線から掩翳えんえいして呉れていたのが、曙杉の巨木であった。

 

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ぼかぁ後日、その樹を目指して、休憩時間に散歩に出掛けた。車にかれそうになる程の狭い公孫樹いちょう並木の街道を西に行くと、やがて鬱蒼とした竹藪があって、それらを囲む土壁はところどころ破れて、無人の木造家屋が朽ちているのが垣間みえる。その先を左に折れると、街燈もなく夜は真っ暗であろう細い路地で、昼尚暗く、農家を過ぎると古いアパートがあってそれを囲繞する通路は砂利を敷いただけの、未舗装だ。察するところあのアパートは半世紀は経ってるね、けれどもまだ人が生活している気配がある。そんなのを更らにやり過ごしていくと、道はゆるやかな下り勾配になって突然木立がひらけ、右手は斜面の畑だ。そういえば子供の頃は周辺に畑があった。今棲んでる十二社周辺にはないよね。

土が黒々としている。収穫後なのだろう、野菜の切れっ端が落ちてるだけの不毛な風景だったけど、懐かしかった。緩慢な坂道を下り切ると道路は丁字に分岐していて、立ち止まって来たほうを振り返ると、今し方抜けてきた暗がりが相応の叢林であったことがわかって、――当初の目標だったはずの曙杉はいつのまにやら過ぎて遥か後景にあった――そこで僕はハタと想起したんだ、そうだ雑木林だ、僕が生まれ育った土地には、そういえば所々に雑木林が点在していて、特に囲いもなく、誰れでも難なく分け入ることができたんだ。そんで学校帰りなんかに、すっと誘ひ込まれるようにして這入ると、波打って頁の癒着した春本なんかがどうしてか決まって打ち棄てあって、あるいは家電や家具が野曝しになってたりする。さすがにつげ義春みたく縛り首用の縄がぶら下がってるのに遭遇でくわしたことはないけれど、仮にあってもおかしくない、つまり猥雑なんだな、武蔵野――これは僕の極私的にいう「武蔵野」だ――の雑木林はね。そして僕はほんとにまったく失念していて、不惑を超えてから高井戸で忽然と思い出したんだ、武蔵野を。そしてそれが故郷であったこと、そもそも自分にも故郷のあることを知った。その上で更らにこう思った――なる程、武蔵野も悪くないナ、ってね。

 

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昏々斎が喃々なんなんしているうちに、二人は既に雑木林に分け入っていた。地面には落葉が夥しく堆積している、という程でもなく、誰れかしら人の手が入っている気配がある。それでもやはり赤や黄色や茶のれ葉が、踏みしだく度に乾いた音を立てて、胡波はそのいかにも脆くて壊れやすいものが、あえなくついえてゆく、いうなれば無常そのものの音、それに何かを思い出しそうになって、結局それが何であるのか、しかとはわからなかった。あるいは昏々斎の弄する戯論けろんがそれをさまたげたか。

雑木林ってのは本来の自然じゃないなどと分別を逞しゅうする人もいるけれど、そのいわんとする趣意がよくわからない。近所の木立に入れば、不法投棄されたであろう二層式の白い洗濯機がたおれていたり、古いレンジが扉を開いたままに朽ち果ててそれにつたが絡まってたりしてたけれど、それもこれもすべて自然の風景ではないのかね。人間が有象無象の自然の一構成要素に過ぎないのであればその生成したものだって畢竟自然物のはずで、ただそこに正常と病変との違いがあるだけだろう。それとて相対的だけれど――。

 

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二人はやはり悠っくりと、尚も木立の奥へと進んで行く。
「見事なゼブラ柄だねぇ、」
地面に薄く、且つ隙間なく撒かれた落ち葉の鋸歯きょしを、ひとつひとつたしかめながら歩いていた胡波がその言葉に応じて顔を上げると、男は真上を向いていた。どうやら眼前の、そこそこ大きな落葉樹の容姿を愛でているようであった。なるほど、見上ぐれば天を摩すよに梢を広げるならの木の、その樹皮に刻まれた縦溝フルーティングは冬の傾いた陽を受けて愈々深く、それを「ゼブラ柄」と表現することが適切かどうかはわからねど、いわれてみればそうみえないこともなかった。楢はいつのまにやら二人を包囲するように深閑と複数立ち並んでいたが、その間隙につむじかぜのように幹をうねらせて屹立する堂々たるしでが、やはり同じような「ゼブラ柄」に樹皮はひび割れて、しかし楢に比すればその溝の色は甚だ薄かったから、それらの濃淡の落差はまったく人影のない木立のなかで絶妙なコントラストをなして、静謐はますます深かった。
胡波は最初、その木肌に「ブッシュ・ド・ノエル」を、あるいは「セコイヤチョコレート」を想起し、しばらくして昏々斎の言葉から、漸くゼブラ柄の襟の施された黒いエドワード・ジャケット(ドレイプ・ジャケット)を思い出した。ドレイプは本来パンクとは不倶戴天の関係にあったテディボーイ(テッズ、英国一九五〇年代にトライブの元祖として勃興、七〇年代に澎湃としてリヴァイヴァルし、今も尚欧州大陸を中心に存続している)が羽織った長衣であったが、その粋で無骨な意匠ゆえか仇敵であったパンクに剽窃され、特にそのサブジャンルであって、パンクとアメリカ起源のロカビリーとの習合カルチャーであるところの「サイコビリー」の界隈で鍾愛された。自身が没入することこそなかったけれど、胡波はサイコビリーも好きだったから(音楽もそうだが、殊にその外貌)、きっとどこかで目睹したのだろう。あるいはそれは、本場英国のサイコビリーの、レコードジャケットかも知れなかったが、いずれにせよそんなことは長らく失念していたことである。

 

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すっかり忘れていて突然思い出すとはいったいどういうことであろうか。元となる事実が過去にあって、それを実地に体験してから、それは記憶として保存され、姑らくは何遍か思い返されたりもしたけれど(ときには強いて銘記しようと努めたり)、軈て反芻されなくなって、そのまま脳裡奥深く死蔵したままにすっかり顧みられなくなって、もはやそれを取り出そうと検索されることすらなかったものが、あるとき何かの機縁で突然白日の下に引きり出されるということであろうか。胡波はしかしそうは考えなかった。もともと所有してあったものを見失ったのではなく、もとより架蔵してなかったものが何ものかによって、――恰かもずぅっと昔から蔵置してあったもののように偽装されて――ひそかに目録に書き入れられたということに気づいていた。そのあたりの彼女の直観というか勘というべきか、ある種の嗅覚を司る感官はまことに鋭敏であった。しかし、それが何ものによる所業なのかということについては彼女の関心の埒外で、そういう不毛・不要な穿鑿――往々にして無限背進の陥穽に落ちる――を開始しない賢さをこれまた誰れに教わるでもなく具有していたから、では意識はいったい何に向けて集中されたかといえば、その対象は「影響が及ぼされたか否か」の一点であった。つまり今までなかったはずの記憶が新たに加筆されたということは即ち過去が書き換わったということであり、そうするとそれが因子となって現在の状況へと何かしらの影響を及ぼしているだろうと、彼女は至極冷静に推測するのであった。あとはその改竄された証憑を、もっといえば誰れとも知れぬ改竄者の痕迹をみつけるだけのことである。

 

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このごつごつとした枝ぶり、ストレートに画趣えごころを掻き立てられるなぁ、これを表現するとすればやはり油になるのだろうか。ま、ぼかぁは描かないんだけれども。
すっかり落葉させて露わになった枝のがり具合、分岐の様、そして灰白色の樹皮を縦走する黒い溝が織り成す、陰陽の妙。毛細血管か末梢神経の如き樹梢は、まるで出鱈目に冬の空に向って伸びているようであり、けれども全体をみれば何か一定の秩序というか律動を有するようでもあって、それは枝々が陽光を求めて一斉に手指を伸ばすゆえであったかも知れない。いずれにせよこれらは冬であればこそ味わえるものであった。あるいは新緑に、あるいは紅葉に美しくおおわれてしまえば、却てくらまされてその本性はわからなくなる。
姑らくたたずんでいたら、あんまり見上げ過ぎるものだから二人ともくびが痛くなった。昏々斎は、「頸がつかれるネ」と呟いてうなじのあたりを抑える。ベレー帽の下の、三㍉前後の、極端に短かく刈り揃えられたために露わな頭皮、その蒼さは胡波を心游させるアイコンのひとつであって、それを認識した刹那、彼女は脱魂に成功する。スキンヘッドはその名のとおりであるが、その他ルードボーイであれ、サイコビリアンであれ、はたまた狭義のパンクであれ、凡そ広義のパンクカルチャーの影響下にあるものの多くは、その髪の一部あるいは全体を電動バリカンで(より徹底する場合には剃刀で)、きわめて短かく刈り込んでいた。胡波はそれらのシーンを放肆に往来していたから、その刈り立ての後頭あるいは側頭に手をまわしたとき触れたときの、ジャリジャリとした――仄かな痛みすら感じさせる――肉感を、皮膚感覚として掌が直截に知悉し記憶していて、それを想起することは(実際に触れる必要はない)ひとつの游魂の契機である。

なるほどこの男昏々斎とは、すくなくともひとつの時空間を共有していたことはたしかであった。いうなればこの男は、その時空の数少ない生き残りである。胡波はその場所――世で安易に九〇年代と呼ばれている西暦の前世紀末頃の、いくつかの地点――を想うたびに、何ともいわれぬ感傷に耽溺するのだった。それは彼女が特定の服飾要素に反応して、それを契機として屢々とぶらう「壺中天こちゅうてん」と、恐らくは同じであった。
つまりどういうことかといえば、彼女が心の裡に思慕する九〇年代という一つの時代は、もの凄い速力であなたに過ぎ去ったのではなくして、現に今も――「今」という表現は厳密にいえばオカシイけれど――尚、どこかに儼然として在り続ける。それは彼女の脳髄に記憶として蓄えられているということではなしに、客観的に(しかも咫尺しせきの位置に)ありありと存しているのである。彼女が特定のアイコンを手掛かりに飛んでいく先の異界とはそういう類いの場所である。九〇年代にハイティーンでパンクに染指せんしした彼女は、当時は当時で八〇年代――本邦パンクムーブメントの本格的な勃興期――の生存者の証言に目を輝かせて傾聴し、それに比すればなんて今は刺戟のすくない時代なのだろうと大袈裟に嘆じていたはずなのだが。それは悖理というべきであろうか。
彼女が九〇年代に拘わるのは、別にハイティーンに戻りたいとか、若返りたいとかいうことではない。彼女は経年の利益を冷静に認識し、無垢というか単に無知に過ぎなかった頃を美化して憧憬しているのでは断じてなかった。彼女が九〇年代を訪れたいと思う場合は、少なくとも今の、不惑を超えた時点での意識をそのまま保持して戻りたい、肉体は――微妙であるけれど、それとて別に若さのみを欣求してはいなかった。女盛りを過ぎた、皮下にもろもろの感情のおりが溜まって、その重みでいくらかたるみをつくっている肢体のデカダンス、とでもいうべきものを彼女は知っていて、ただ世が、――特にこの土地の男たちが――それを頑なに認めないだけのはなしで、まぁそれはどうでもいいことであったから、若い体に戻りたいと特別こいねがうこともない。
彼女のいう九〇年代はリアルタイムに「横」にある。だから彼女は過去を追慕しているのでなく、ただ他界に游ばんとしているのだ。

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心づけば黒い塊の男はいつのまにか樹下じゅげ蹲踞そんきょしていて、何か槁れ葉のあいだから摘み上げたと思うと、やにわに立ち上がってそれを胡波の鼻面へ、ぬっと呈した。至近に過ぎて焦点が合わず、彼女は一瞬蟲か何かと身構えておののき、あごを引いて眉をひそめて――男の不躾な挙動(本人は「無邪気な」、あるいは「少年の心」の発露によるものであるから免責されると思っている)に対するプロテストの意味もあった――確認すると、それは団栗どんぐりであった。堕ちてから相応の時間を経たのであろう、すっかり乾涸ひからび褪色した団栗が毛糸で編んだカーキ色のベレーを辛うじて被帽していて、その樗蒲チョボを摘んでぶらげていたのである。あまつさえ、「ほら、吾々と一緒」と男は吐いた。
その言葉は、明鏡止水とまではいわないが、それまで比較的振幅を緩やかに保つことができていた胡波の心の裡に風を起こし、ちいさな波を立てた。彼女は地面をみた。もっとましな団栗、どうせなら堕ちたての、まだ瑞々しい光沢のものを求めて、木の根の周辺、槁れ葉のあいだを半ば依怙地になって捜したけれど、無益なことであった。そこには脱帽してその禿頭を露わに、その上誰れかに踏まれたものか割れて中身は半ば虚ろに、あるいはすっかり脱水して白く、あるいは土に塗れてくろずんだ累々たるしかばねが、周囲にベレー帽を脱ぎ散らかして変わり果てて――本来の愛らしさゆえに一層――じっとしているのをみるだけであった。
このあいだも『手塚治虫?』って訊くもんだから、『いえ、藤子・F・不二雄へのオマージュです!』ってキッパリ回答してやったけどね、――男は懐裡ふところからマドロス・パイプ型のベープを取り出してみせた――これをくわえているのだからわかって欲しかった。

 

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下駄履きの昏々斎は更らに奥へと歩をすすめて、その様にはどこか意志的なものが看取されたから、あるいは目指すべき明確な境地がその先にあったのかも知れない。途次、象皮を思わせる腫れぼったい大きな榎の板根ばんこんが張り出してそれに往く手を阻まれ、足を止めた。
男はまだらに苔生した樹皮にそっと掌を置く。「これは――千川上水のほとりにたくさん植わってたやつかな」、そういって根元から梢までをめるように何遍か確かめた。

僕ぁときどきあのあたりに無性に行きたくなる。人生が低迷しているときは特にね。でも僕の人生はほとんどいつだって低迷しているわけだから、つまりいつだって行きたい。けれども日常の雑事に追われて却々その閑を見いだせない。それでも風与ふとしたときにぽっかりと時間ができると、僕は行くんだ。幸いそれほど遠くないからね。何のためにそうするのかっていうと、距離を確かめるために。距離がどれくらい離れているかを実感するために行くのだ。

 

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昨年のことだったか、秋の深まりつつある頃、昏々斎は自らの故地ともいうべき千川上水沿いの、ちょうど練馬区と武蔵野市とを分かつあたりを目指して吉祥寺駅で下車して、駅頭に立ちすくんだ。
色んな記憶が駅界隈の遠近おちこちに染みついているから、――トライブも、パンクも昔からろくに見掛けることのない中間色の、浮薄な街衢まち、すなわち僕らみたいなのとは凡そ相性の悪いとこだったから、とりたてていい思い出があるわけでもないが――できればそのひとつひとつを丹念に検分したいという欲求があるけれども、時間を考えると無理だ。だから僕は最初から厳密な、いうなれば苛酷な撰択を迫られる。より旧い記憶の領域を目指すというのであれば、圧倒的に僕が棲んでいたほうに近い北口ということになる――尤もそこから凡そ三㌔、徒歩で優に四〇分前後は掛かるけれど――から、僕は北口を出る。よくわからんけれど駅ビルそのものが、なんだか何時の頃からか変わってしまっているような気がする。まぁそれはどうでもいいこととして、とりあえず駅ビルを出て左見とみ右見こうみつして、どっちから行こうかな、前回、数年前に来たときはどっちから行ったっけな、などと甚だ心許ない記憶を便よすがに歩き始めるのだけど、大抵は気づかされる、「ああ結局前回と同じルートを辿っているではないか」ってね。人間の習慣というか性癖というものは恐ろしいもので、自らはまるきり自由意志の発露として針路を撰択しているイッパシの自由な一個人のつもりでいて、結局毎回同じような経路をなぞっているのだからね。幾何いくばくかの徒労を感じないでもないけれども、もうそれにも慣れてしまってせいぜい苦笑を浮べるくらい。
北口駅前の大きな商店街にはかつては屋根があって――つまりはアーケードだ――数年前に来たとき、それが綺麗さっぱり取り払われて空がみえた。子供の時分からあすこは常におおわれていて、昼尚暗かったから違和感があって別の街を訪れたような感覚に陥ったけれど、このあいだ行ったときは再び屋根が架かり空はみえなくなった。つまり元に戻った。商店街は南北に伸びて、相応の長さがあるから何本もの路地と交叉する。それらのうちどれを折れるかで、解凍される記憶が違ってくる。このあいだは「ロフト」を抜ける横道を通って、吉祥寺通りに出た。すると百貨店が往時のままにあって、僕は忽ち小学校五年くらいの頃――すなわち僕の本源が置きっ放しになってる昭和乙丑1985――を想起する。日曜日に級友と近所のバス停で待ち合わせ乗り合わせて、向った目的の場所だ。僕の小学校高学年時代は常にゲームとともにあった。ゲームってもこの頃のものからすれば想像できないくらい陳腐なもので、あんな麤末そまつなものに、子供とはいえ、よくもまぁ霊肉を捧げられたものだと感心を通り越して憐れにすら思えるけれど、兎も角その頃はファミリーコンピュータが全盛で、折しも「スーパーマリオ」が発売されて間もない頃で、百貨店の玩具売り場の階にはモニターが幾つも並べられ、すべて端末に接続されてテスト・プレイができるようになっていて、論理必然としてそこには夥しい数の子供たちが蝟集し列をなしていた。モニターは壁に嵌め込まれ、プレイヤーの眼前と、もうひとつプレイヤーの頭上高くに掲げられて、つまりは後ろで並んで順番を待つ子供たちにも先頭のものがどういうふうに捌いているか、その具合を観賞して巧拙を論評しながら待つことができるように配慮されていた。今冷静に思い返してみると、恐らくは二、三〇人くらいはいたと思うけれど、僕のアタマのなかにある「」を端的にみれば、優に百人くらいはいる。きっと事実が脚色されているんだろう。

しかし、あれらの子らが――つまり僕のゼネレーションだ――その後どうなってしまったのか、まるごと棄民世代となってしまったのかと思うと、何ともシュールだよね。

あすこに並んでいた子らは皆ステロタイプな未来を信じていた。否、厳密にいえば信じるとか信じないとかではなく、明るい未来の到来はあまりにも自明で約束されていたから、そもそも疑うということがなかった。ただ漠然と時間の経過とともに自動的に、皆々一様に就職し、結婚して、子供をもうけて、家を持つのだろうと、みんな思っていたから、その将来像には実際有り難味すらなくって、だから指折り数えて心待ちにしていたわけでもないし、いってしまえば「どうせそんなもんだろう」と、もっといえば「特別欲するわけでもないけれど、まぁどうしても呉れてやるというのであれば享受してやらんでもない」というふうですらあって、果して三十年経ったらこの有様なのだからね。
尤も、こと僕に関していうなら、たといどんな幸運な世代に生まれ堕ちたとしても、どんなに恵まれた時代に居合わせようとも、決まってそこからはみ出して、落ち零れるのが必定だから、僕個人の窮状と僕らの世代の不遇とはまったく関係なくって、時代のせいにしたくたってできやしないんだ。ただタオイストらしく「上善如水」、水は低いほうへ低いほうへと、軈て「衆人のにくむところ」へ、つまり底辺に流れ着いた、って嘯くほかない。

 

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中心街を抜けて五日市街道に遭遇すると、今度は針路を西にとって姑らく歩き、大学の欅並木を過ぎて――ここにも色々思うところがあるけれど先を急ごう――白樫しらかしの防風林をやり過ごしながら、更らに北西方向に進んで行くと、軅て懐かしい千川上水に出くわす。これは僕が小学生の頃にはただの空壕からぼりみたいになってて、用水路としてはもちろん使われてなくってただの遺構だったんだけど、ちょうど中学の終わりの頃にいきなり水流が復活して嬉しかった。でも水に親しむには少し遅かったかな。

そこに架る小さい橋を渡れば、僕が小学校から高校卒業までの、よく考えてみるとたった十年なんだけど、長い長い月日を送った集合住宅が、驚くことに未だに解体されずに群をなして閴然ひっそりたたずんでいる。隣には大きな精神病院があって鉄格子のまどが並んでいた記憶があったが、今はどうなったものか、そのときは確認してない。僕は複数ある棟のうち自分が棲んでいた建物に這入って――未だにオートロックじゃない――該当階に行ってみる。そして壁も床も全面乳白色の廊下の雰囲気や、階段の具合、特に何遍もペンキを重ね塗りしたであろう藤色の鉄製の手摺りなんかをしげしげと観察してみる。目視するだけでなく手で触って感触を確かめる。幻ではなくとりあえず肉感的には「実在」するらしいことに何ともいえぬ感慨が喚起されるのを感じつつ、それがいったいなんなのかはその場では穿鑿せずに、なるほどあのときの儘だな、と思う。経年の劣化はさほど感じられず、小・中・高と毎日のように過ぎて、ときに手を掛けたりすることもあったろうあの硬い手摺りのまんまだ、紛うことなき、あれに相違ない、と認定する。けれども、不思議なことにまったく懐かしさや愛おしさという感覚が、世のセオリー通りには湧いてきて呉れないんだな。否、厳密にいえば再会した最初の一瞬だけはそういう感情に近いものが惹起せしめられたかも知れない、けれどもすぐにそれは不粋な、重たく粘っこくて、溽熱むしあつい外気のように皮膚に纏わりついてくる「現在いま」によって上書きされてしまう。

こんなことなら――いっそなくなって呉れていればどんなにか美しかろうと思う。残酷なことだよ、思い出の事物が、その実まったく別存在のクセして恰かもあのとき、胸がつまるほど愛しい、あのときそのもののフリをして傲然とそこに存在しやがるのだから。

そうだよ、とどのつまり僕が撫でている冷たい感触の鉄柵は、もちろん偽物だ。僕が求めているものは、本物の八五年に存在するそれだ。眼前に現存するそれとはまったくの別物なのだが、しかし大変腹立たしいことに姿だけは僕が欣求してまぬものとそっくりなのだからね、やり切れないさ。

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総じて思い出の場所については、「訪れては不可ない」ということがいえるだろうと思ってる。そこにあるのは懐かしい風景なんかでなく必ずそれは似而非にてひなる何ものかなんだよ。必ずだ。だってそうだろう、世界は時間と空間との密接不離な関係性の上に構築されているところ、ある地点を特定するには、x、y、zだけでは足りず、更らにtの値を設定する必要があるのだから。そのいずれか一つがずれていればそれは同一地点とはいえず、まったく別の場所なのだから。なるほど僕が機会ある毎に訪れる懐かしい場所に酷似せる贋物は確かに僕が本当に求める場所とx、y、z軸上は一致するけれども、t軸上に於いてものすごくズレているわけで、その現実に愕然としているあいだにも僕が思慕する地点はそれこその如くに凄まじい速力でいずこかへ、不可逆的に飛び去ってしまっていて、通常の手続では二度と逢えない。それを、そんなことを知悉していながら、しかし尚も僕が性懲りもなく同じことを繰り返すのは、あるいは悖理と思われるかも知れない。けれども違うんだ、ぼかぁね、最初から距離を確かめに行ってるの、t軸で果たしてどれくらい離れているのか、そらすぐに数値化はできるけれど、じゃぁ廿年とか卅年とかの懸隔とは実際にどんなものかということを皮膚感覚として実感実証するために行くのだ。
それともうひとつ、これはある種の悲願というべきかも知らんけれど、僕にはそれが、その似而非にてひなるものがめっしていることをこいねがっているフシがある。フシがあるというのは、やはり正直に吐露するならば、思い出の場所はいつまでもあって欲しい、たとえそれが贋物であってもね、否、たった今自分でいったことと矛盾しているのは承知している。贋物でもいいから、便よすがとして遺っていて欲しいと、実は強く願っているんだ、但しそれは現地に辿り着く迄のはなしで、一旦「あった! 遺ってた!」と感激したあとに不可避的に襲ってくる虚無感、それを恐れるからやはり滅していて欲しい、そういう二律背反アンビバレントな感情のせめぎ合いに苛まれながら目的地を祇麼ひたすら目指して、そして――そう吉祥寺駅のね、南口にある井の頭線への乗り換え階段。些か大袈裟な劇場の入口みたいに巾広の、けれどもどことなく薄汚れた大階段は、そういえばまだあるんだろうか? あんな前時代的な遺物が華やかさと洗練とを売りにしている吉祥寺の、而もよりその志向の強い井の頭線への玄関口として未だに遺っているはずがあるまい。けれどもしかし、あれほどの大規模な階段を、ひっきりなしに往来する乗降客の通行をさまたげることなく工事するということが可能なのだろうか?

僕はジェイアールの駅を降りて最初に確認したんだ。いつも大抵は北口に行ってしまうから南口方面を確かめる機会がなかったけれど、あるとき風与ふと思い出した、あの最上段から扇形に広がり落ちるような大階段を登りつめたところの、改札脇のあたりで誰れかと待ち合わせたときのこと、もう相手が誰れだったのかまったく思い出せないけれど、あの殺伐としたコンクリ階段の雰囲気、当時はきっと特別な感慨もなかったろうけど、今「」として想起してみるとそれは素敵なんだ。果たしてそんなものがそのままに遺って呉れているか、どうか。

もし遺ってたら、きっとまた凄まじい幻滅が待っていて、大嫌いな――そう、端的に大嫌いだ――「現在いま」に塗りつぶされる、しかし滅していたらどうだろう、ただでさえ糢糊とした記憶、それを喚起する便よすがもすべて消えてしまって、いったいどんな姿だったのか、そもそもそんな場所が本当にあったのか、何かの思い違いではないか、それさえ覚束なくなってしまう。

滅していて欲しいけれど遺っていて欲しい、その自家撞著にほとんど気が狂いそうになりながらも、しかし答えは間もなくやってくる、昏々斎の歩みは既にせわしない多勢の奔流に呑まれて今更ら止められぬ、軅て左に折るれば否が応にでも現実は炳然と立ち現れる。

果たして――角を曲ると跡形もなかった。僕は、うん、そうだろう、そうだろうと独りで合点して戻った。実際そうあるべきであって、過去はやはり過ぎ去っていたということを実感するためには、やはり滅していて呉れたほうがいいんだ。

しかし今となってみれば僕の心象風景のなかの薄汚れた、「劇場風の大階段」、そんなものが本当にかつて実在したということを誰れが証明して呉れよう。うん、もちろん後日ネット上でも画像検索を掛けてみたよ、極めて画像のあらい、「らしきもの」が写ってるのは見つかったけれど、凡そ僕の心の裡の「」とは似ても似つかぬ――写真なんてハナからそんなものだ、それともやはり僕が間違っているのだろうか?

 

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風がなくって枝が揺れぬ。かりに吹かれたとて今更ら飛ばす葉もない。けれども落葉樹のあいだあいだには椎の巨木が、あるいは松が、また杉や樫が屹立し、さかきゆずりはがそれらの下で閴然ひっそりと、ときたま楠の、やはり巨きいのが季節の移ろいを歯牙にも掛けで繁茂し、その色濃い照葉は陽光を乱反射させていた。つまり二人が這入った森には、常緑樹もたくさんあった。それらは冬尚槁れぬ旺盛さゆえに却て不粋ですらあって、その存在は半ば無意識に黙過された。そういうディオニュソス的な生命力については、少なくとも昏々斎は、西国の、窅然ようぜんたる椿の杜で見知っていて、それを東京こっちでは求めておらず、もとよりそれは求めて得られるものでもなかった。

しかし意志的に叢林に這入って、「四顧し、傾聴し、睇視ていしし、黙想す」(国木田独歩『武蔵野』)るような機会――つまり自らを自然から捨象した上で、改めて客観的に認識する「よそよそしい」彼我分離体験――を持たなかった胡波は、紀伊半島の黒潮の恩寵を知らず、その代り夏の盛りに、街から吹き上げてくる強い風に葉裏をめくり上げさせて、白波を幾重も起滅させて已まぬ須田椎すだじいの樹冠を無心に眺めていたときの髪の乱れと、スカートのバタバタとはためく音と、そしてするすると忽ち胸のつかえのいていくような心地とを思い出す。あれはどこでのことであったか――。

軅て森は尽きて、再び槁れ芝の野が眼前にひらけた。それはさきほどよりも幾分勾配を急にして前方で登り切ると、不粋なフェンスで遮られていた。
その手前に、五メートル足らずの一本の若いくぬぎがまるで磔刑図の如くに両の手を左右に広げて、そのまま立ち槁れていた。昏々斎は、躊躇することなくそれに歩み寄ってから、立ち止まった。一葉も落ちることなく、しかもすべては赤茶け皺れて、そのまま枝々に留まっている。

胡波はその姿態に、時間が凝り固まって結晶化しているさま――つまり本相――を、「ドライフラワーみたいだな」と昏々斎が、角袖の袂に隠しれてあった手を出して、おもむろにその葉を摑んで、掌中で悠っくりと揉みしだいた、その音に漸く色身しきしん敗壊はいえするのを、聞いた

 

.

刹那、鳥の甲高くかまびすしい声と、いさかうように激しく羽搏はばたく音とが、天高く嚠朗りゅうろうと響き渡って、二人は思わず空を見上げた。
ひよどりく声の、なんとまぁ寒々しい、物悲しいこと。鳥のまさに死なんとするや、其の鳴くこと哀し、人のまさに死なんとするや、其の言うこと善し――か。
問わず語りに昏々斎がそう呟くのを聞いて、胡波は豁然かつねんと悟るところがあった。何も『論語』の成句に触発されたというのではない。そうではなく、「ひよどり」という言葉に反応したのである。

彼女は勢いよく後ろを振り返った。
するとたった今抜けてきた雑木林が勾配の下方にみえて、その先にはいつのまにやら茫漠たる夜景が広がり、電球色と白色とが絶妙な塩梅で入り混じった街の星影ほしあかりのように点綴てんていしていた。そのまばらな具合いが、そこが郊外都市であることを物語っていた。そうすると遠くに昏耗ぼんやりと浮かんでいる星漢ぎんがは畢竟駅前あたりの殷賑いんしんであろう。

 

.

 

そうだ、ここは――「鵯山ひよどりやま」だ。
胡波は、飜然と想起した。
丘の上に独り立って、落々たる夜天を見上げていた。視線を落として、眼下の、恰かも星空をそのまま天地反転させたような点々たる寂しい夜の街並みを睥睨していた。八王子の、鵯山々上で、両脚を開いて、いくらか仁王立ちの、力強い雄姿(但し脚はいくらか前後していた)で、街から吹き上げてくる冷たい夜風を一身に引き受けて現象界と対峙していた。山上か山下かはたまた雑木林のなかから、あるいは自らの体内から、そうではなく心の裡から聴こえてきたものか、ラヴェルの「ツィガーヌ」が奏されて、なるほど彼女の人生、否、心理的遍歴、もっといえばタマシイの彷徨過程は、俯瞰してみれば「ツィガーヌ」から容易に描くことができたかも知れない。つまりはわかりやすかった。そこにロマ的な旋律から直ちに想起される異国的情趣や魔魅あやかしはもちろんのこと、交々の悲㐂劇があり、突発性の激情が、渺々びょうびょうたる漂泊が、こともなげにあしらわれた穉気ちき譎詐きっさがあって、また女性々に本来的に備わっている――多くの男が決して認めようとしないところの――底抜けの奔放さがあり、更らには諧謔や道化が加わって、そして何よりもすべてを一貫して裏付ける直情、もっというならば、目的地も知らぬままなし崩し的に開始された、祇麼ひたすらなる疾走があった。
そうだ、彼女は疾走していた! いてもたってもいられなくなって、堪らず彼女はけ出していた。それはありていにいえば「発心ほっしん」であった。発心したからには論理必然的に出奔しなければならぬ。しかし出奔してどこを目指すべきかは予め措定されてはいない。後付けするなら、明師めいしを求めての行脚ということになるが、明師に遇って何をするのかといえば、印可いんかを得るのであろう。それは答えを乞食こつじきのように恵んで貰うのではなく既に自分の裡にある答えを認証して貰う行為である。そして、そのようにして飛び出す様を傍から眺むればそれは恰かも何かからのがれる所業のように、つまり「遯世とんせい」とも、あるいはもっと直截に「蒸発」ということになったかも知れない。

2019年8月10日公開

作品集『トゥー・レイト・トゥー・ダイ・ヤング』第2話 (全3話)

© 2019 東山 廿二

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