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メラヌーチア探検譚(第8話)

犀川鉄世

小説

6,104文字

長く深い眠りから目を覚ましたとき、辺りは耳を聾するほどの異音に包まれていた。数日にわたって苛烈なストレスに晒された心身は大きな悲鳴を上げ、我々はなかなか起き上がることができずにぼんやりと天井を見つめるばかりだった。

 

茫漠たる時間を過ごすうちに、周囲を埋め尽くす異音が何者かの鳴き声であることに気づいた。
我々は互いに顔を見合わせると、助走をつけて跳ね上がるようにして体を起こした。窓から外の様子を窺おうとしたが、激しい豪雨に視界を阻まれて数レーテル先の景色さえ判然としなかった。
今後の計画を煮詰めるためにメルジと相談しておきたかったが、これほどの轟音では会話さえままならないことは明白だった。手振りを交えながらメルジに今日も静養に専念したい旨を伝え、我々はふたたび深い眠りに落ちた。

 

翌日、我々は朝早く目を覚ました。前日とは一転して澄み切った静寂が辺りを包んでいた。
昨晩メルジが拵えたホウィラルのスープで空腹を満たすと、身体の底から活力が漲ってくるのを感じた。メルジによるとホウィラルはレパイルの中でも特に高い疲労回復効果が期待できるとのことだった。

 

我々はまず例の写真の所有者であるカイナを訪ねることにした。カイナの住居は集落の中心部に位置しており、その佇まいからは彼が集落における有力者であることが窺い知れた。
玄関に立って声を掛けたが、カイナは在宅していないようだった。近隣の住人に尋ねると、カイナはつい先ほど集落内にいる患者の許へ往診に行ったことがわかった。

 

住人から聞いた民家に向かう道中、前方から小柄だがどこか荘厳な雰囲気を湛えた老人が近づいてきた。老人は我々の行く手を遮るように立ちはだかると、後をついてくるように言ってふたたび歩き出した。
半ば困惑しながらも我々はその老人がカイナであることを確信し、言われるままに老人の跡を追った。

 

カイナは老人とは思えない軽やかな足取りで帰途をたどった。道中で彼はすれ違った村人たちに気さくに話しかけたが、村人たちの態度からはカイナが畏怖の対象であることが窺えた。
自宅に通された我々は応接間でカイナと相対したが、彼はなにも言わず我々の顔を交互に見つめるばかりだった。
我々はカイナの凝視に耐えかねて、集落にたどり着いた経緯と彼の自宅を訪れた目的を伝えた。するとカイナは無言で応接間を去り、間もなく小さな木箱を手に戻ってきた。
木箱の中には我々が見た例の巨大ラヌーチの写真をはじめ、石や木で作られた装飾品などウーディ族の民俗にまつわる品々が数多く収められていた。カイナに巨大ラヌーチの写真を手に入れた経路を尋ねると、例の写真は彼自身が撮影したものであることがわかった。

 

ウーディ族の血を引くカイナはベヌサという集落で生まれ育ち、例の写真を撮影した直後――およそ三十年前に母方の親族が暮らすムズに移住したとのことだった。以降、彼はウーディ族との外交役ならびに呪医として貢献し、現在では酋長にも比肩する確固たる地位を築くに至った。
巨大ラヌーチは撮影後に村人たちで分け合って食べられたが、頭蓋骨や毛皮は戦利品として長老が保管している可能性が高いという。
さらにカイナによれば、あれほど大きなラヌーチはベヌサにおいても極めて稀であるため、彼の知る限りでは例の個体に匹敵するラヌーチは以降も発見されていないとのことだった。
辞去しようとしたとき、カイナが木箱から手のひらほどの楕円形の石板を取りだした。黒光りする表面は鏡のように磨き抜かれ、両面を埋め尽くすかのように精緻な刻印が施されていた。
ベヌサの長老に石板を手渡せば、惜しみない協力と歓待を受けられるはずだ。カイナはそう言って石板を我々に託した。

 

翌朝はやく、我々はメルジを伴ってベヌサに向けて出発した。メルジは以前にもカイナと共にベヌサを訪れた経験があったため、最短かつ安全な経路を選んで我々を目的地へと案内した。我々がベヌサに到着したのはまだ陽が高い時刻だった。

ベヌサに足を踏み入れた我々は大きな違和感をおぼえた。住人たちは老若男女を問わず忙しく動き回っていたが、みな一様に沈痛な面持ちをしているように見えた。
メルジが村人のひとりにウーディ族の言葉で事情を尋ねると、今日の未明に長老がなくなったため村人総出で葬礼の準備をしていることがわかった。
メルジによると、ベヌサにおける長老の地位は女系長子継承制が敷かれており、長老の実子であるカシが次期長老の座を継ぐことは確実だという。
我々はカイナに託された石版を手渡すべく長老家を訪ねた。

 

長老の住居は集落を見渡す高台に位置していた。住居は村人たちでごった返し、人々の列は建物の外にまで及んでいた。我々は村人たちの間を縫うようにして進み、メルジの顔馴染みである長老の側近にカシへの面会を求めた。
事情を知ったカシは忙しいにもかかわらず我々を快く受け入れてくれた。我々は丁重に弔意を示し、カイナから預かった石板を差し出した。
石板をじっと見つめるカシの瞳から大粒の涙が零れた。そして泣きながら両手を挙げた――相手に最大限の敬意を表すウーディ族の所作だ。
葬儀に先駆けて歓待したいというカシの申し出を固辞して、我々はベヌサを離れた。

 

五日後、我々はふたたびベヌサに足を運んだ。前長老の葬礼を終えた集落は穏やかな雰囲気に包まれており、前回とはまるで別の集落に迷いこんでしまったかのような錯覚をおぼえた。
長老の住居を訪ねると、カシと側近たちは我々を温かく迎え入れてくれた。
カシに改めて本来の目的を伝えると、彼女はふたつ返事で最大限の助力を約束してくれた。
その夜、我々は馳走に預かると共に霊薬を浴びるように飲み、少女の瑞々しい肉体に溺れた。傍らではメルジが若者の怒張を喜々として受け入れ、あられもない嬌声を上げて快楽に身を震わせていた。我々はウーディ族の女性だけでなくメルジとも交わった。
集落総出の歓待は丸二日にわたって繰り広げられた。

 

翌日、精力を使い果たし裸のまま雑魚寝している我々の許に、カシがひとりの男性を伴って姿を現した。
カシによると、彼は例の巨大ラヌーチを捕獲した男性の孫であるとのことだった。彼は幼い頃、ラヌーチの捕獲場所に同行した経験があり、祖父亡き後も仲間らと共にたびたびその場所を訪れているという。
我々は急いで身支度を整えて、男性と共に捕獲場所に向かった。

 

男性はモゥムと名乗った。彼の先導で険しい密林を一時間ほど進んだところで、不意に一切の音が止んだ。モゥムは鋭い目配せで我々の動きを制した。彼の指示どおり息を殺して身を竦めていると遠くで胸の悪くなるような断末魔が聞こえ、間もなく密林に喧騒が戻った。
モゥムによると、この奇妙な現象はルーディの仕業だという。ルーディとは密林に棲まう盲目の妖魔であり、音を頼りにあらゆる生物をひと息に仕留めるとのことだった。先ほど耳にした悲鳴はラヌーチのものに違いなく、物音を立てたせいでルーディの餌食となった可能性が高いという。
背筋が凍るような感覚も冷めやらぬなか、我々はさらなる奥地を目指して歩を進めた。

 

さらに一時間ほど進んだところでようやく目的地に到着した。そこには直径二レーテル、深さ半レーテルほどの窪みがあった。周囲の地表は地網植物類に埋め尽くされていたにもかかわらず、その窪みの上には枯葉ひとつなく、赤褐色の土壌がくっきりと露出していた。その鮮やかさから土壌に豊富なミネラルが含まれていることが見て取れた。ラヌーチに限らず、密林で暮らすさまざまな生き物がミネラルを摂取するためこの場所に集まるのだろう。
今後の計画について助言を求めようとモゥムに目をやると、彼は空を見つめて疑わしげに鼻をひくつかせていた。
我々も数秒ほど遅れて、周囲に焦げくさい匂いが漂っていることに気づいた。周囲を見渡すと、遠く前方に煙柱が立ち昇っていた。
思わず逃げ出そうとする我々をモゥムが厳しく制した。何事かと思いモゥムの顔に目をやると、彼の口が「ルーディ」の形に動いた。耳を澄ませると、火の気配が迫っているにもかかわらず周囲は不気味なほどに静まり返っていることに気づいた。発火現象がルーディの罠であることを悟った我々は、心身を凍りつかせたまま災厄が過ぎ去るのを待った。
やがてどす黒い雨雲が密林を覆い、轟くような雨音が焦げ臭さを跡形もなく洗い流した。
我々は鬼雨に乗じてベヌサへの帰途を急いだ。篠突く雨の密林を進むことは大きな危険を伴ったが、モゥムの的確なガイドによって無事にベヌサへと帰還することができた。

 

我々がベヌサに到着した頃には雨はすっかり止み、空には真っ赤な月が浮かんでいた。
カシに宛てがわれた住居に向かって歩いていると、集落の奥から剣呑な気配が漂ってきた。我々は住居に立ち寄らず、疲弊した心身に鞭を打って騒ぎの中心部へと急いだ。

 

集落の裏手、密林に面した広場に人集りがあった。震えながら互いに抱き合う者、泣き崩れる者、呪詛めいた悲鳴を上げる者が入り混じり、混迷の様相を呈していた。
住民たちを掻き分けて前に出ると、そこには串刺しにされたふたつの遺体があった。
我々はそのふたりに見覚えがあった。先日の歓待で濃厚な情交を繰り広げた少女と年増だった。彼女らの口からは成人男性の腕ほどもある太い杭の先端が突き出し、虚ろな瞳が空を見つめていた。
状況を呑みこめずに立ち尽くしていると、年増の遺体にすがりついていた男性がその豊満な臀部にかぶりつき、肉を噛みちぎった。男は唇の端から血を垂らしながら女の肉を咀嚼すると、やがて音を立てて嚥下した。
我々は呆然と男の奇行を眺めた。いつの間にか辺りは静寂に包まれ、生々しい咀嚼音だけが響いていた。

 

しばらくして、カシがふたりの側近と共にやってきた。素早く状況を把握したらしい彼女は側近らに人払いをさせて、男をやさしく抱きしめた。
カシの胸に血塗れの顔をうずめて噎ぶ男の姿を遠巻きに眺めていると、長老宅で待つようカシの側近に耳打ちされた。
我々は足音を忍ばせ、男とカシを迂回するように長老宅に向かった。

 

予期せぬ事態に困惑しながら屋敷の中で待っていると、間もなくカシが帰宅した。カシによると亡くなったふたりは母娘であり、先の男性は彼女らの肉親だという。
カシに彼女らの遺体の異様さについて尋ねようとしたとき、メルジがカシの側近に連れられて屋敷に姿を現した。メルジは亡くなった女性らと懇意だったらしく、精悍な顔をひどく泣き腫らせていた。
カシは側近たちを下がらせると、普段より一層しわがれた声色で事の経緯を語り始めた。

 

カシによると、ベヌサではおよそ三十年前から六年に一度の周期で村人が串刺しの死体で発見されるのだという。三十年前といえば、ちょうどカイナがベヌサからムズに移住した時期にあたる。
口を開きかけたとき、カシは我々の心中を見透かしたかのように手のひらで口元を覆った――「否定」を意味するウーディ族の合図だ。
カシの話では、彼女も最前までカイナの持ち出した石版に原因を求めており、またカイナもそれを匂わせることでウーディ族との外交を有利に進めてきたが、この度の一件を機にその考えを払拭したらしい。
我々はカシの言葉に耳を傾ける中で、彼女が暗に一連の事件の発端を巨大ラヌーチの捕獲に結びつけようとしていることに気づいた。カイナの言葉が偽りでなければ、例の写真を撮影した時期は確かに事件の発端と一致する。いくら巨大とはいえラヌーチがあのような手の込んだ行動をとるとは考えにくいが、巨大ラヌーチを信奉する人物の犯行であると仮定すれば得心がいく。
カシに心当たりを尋ねると、彼女は躊躇いがちに口を開いた。密林の奥地――先ほどモゥムの案内で訪ねた巨大ラヌーチの捕獲場所よりも遥か先に、ラヌーチと人間の混血児たちが棲息しているのだという。しかし未だ彼らの姿を見た者はおらず、半ば民間伝承に類する話であるらしい。
手がかりを得るために女性らの遺体を検分したい旨をカシに申し出ると、彼女は側近のひとりを家族の許に遣わせた。数分後、側近は先ほどの男性を伴って屋敷に現れた。男性は彼が検分に立ち会うことを条件に我々の申し出を承諾してくれた。
少しでも遺体が新鮮なうちに検分を済ませるべく、我々は現場に急いだ。

 

遺体には虫がたかりはじめていた。親族の男性――後から知ったが、チェトという名であるらしい――が半狂乱で虫を追い払った。
遺体の上半身の皮膚は蒼白となり、下半身には死斑が出ていた。遺体の腕を取ってゆっくりと持ち上げると、肘がなめらかに可動した。死後硬直はまだ肘の関節に達していないようだ。杭によって口が開かれているため顎関節の硬直具合を確かめることはできなかったが、皮膚から伝わる体温などを考慮すると、おそらく死後四時間前後であると推測された。
村人たちが遺体を発見したのが今からおよそ二時間前。チェトが不運にも体調を崩したせいで昼過ぎから寝込んでおり、目を覚ましたときには既にふたりの姿はなかったという。すなわち、彼女らが殺害されたのはチェトが眠りに就いて間もない頃ということになる。
検分を終えた我々はチェトとカシに礼を述べ、メルジを連れて村人たちへの聞き込みに取り掛かった。

村人たちは我々の質問に対して、みな快く応じてくれた。遺体の第一発見者はコセンという名の若い男性だった。我々はコセンの許を訪れ、遺体発見時の状況について尋ねた。
コセンが口ごもりながら語ったところによると、彼は密林で自慰行為にいそしみ、その帰りに彼女らの遺体を見つけたのだという。詳しく訊くと、集落から数分ほど歩いたところに袋状の捕虫器をもつ植物の群生地があり、彼は普段からその捕虫器に性器を挿入して性欲を処理しているとのことだった。
コセンが自慰行為に要する時間は平均二十分前後――往復の移動時間を合わせても、空白時間はわずか三十分程度でしかない。予め遺体を串刺しにしておいた杭を地面に立てるだけで精一杯だろう。そう考えると現場に残された血痕の少なさにも説明がついた。

 

メルジとカシ、チェトを交えて今後の方針について話し合った結果、この手記をメルジに託して、我々はチェトと三人でラヌーチと人間の混血種が棲まうと噂される密林の奥地を目指すことが決まった。
ラヌーチと人間の混血種の存在を確認することができれば、巨大ラヌーチとは比べものにならない鮮烈なスクープになることは確かだ。加えて、密林の奥地には巨大ラヌーチが棲息している可能性も高い。
唯一にして最大の問題は、生きて還れる公算が万にひとつほどしかないことだ。

 

明日の朝早く、我々は密林の奥地に向けて旅立つ。
我々が戻らなくても、どうかそっとしておいてほしい。
この世界の本質は弱肉強食であり、我々は本来あるべき姿に還っただけなのだから。

2019年6月1日公開

作品集『メラヌーチア探検譚』最新話 (全8話)

© 2019 犀川鉄世

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