放し飼いの鳥

応募作品

谷田七重

小説

4,031文字

合評会・テーマ「善悪と金」応募作です。は?このテーマ難しすぎん?て悩んだ結果、卑近な内容になりました。

 九か月ぶりに杉野遥から届いたメッセージ、呑みにつれてけ、というたかり根性を前面に押し出した簡潔なラインを見て、尾形はまたか、と思ったのだった。
 ふざけんななんでいつも俺が奢る前提なんだよ、何いってんのいいじゃんたぶん昇給したんでしょケチんなよ、なんで勝手に昇給したことになってんだよ変わんないし、えでもまあそれにしたって目上の人と呑むのにこっちがお金出したら逆に失礼じゃん私そんなことできない(うるうる)、ちょっと待て逆に考えようとするな俺はギーヌの上司なんかじゃない、いやいや私は個人的に敬ってるんでオナシャス!
 幾度となく繰り返してきたようなくだらないやり取りをしながら、尾形はまた思った。――そうか、またか。
 とりあえず互いに都合のいい日時を決めて、スタンプを送り合い、どちらからともなくラインは途絶えた。そういえば、と尾形は写真フォルダを開き、遡っていった。去年八月のフォルダにむき出しの、修正などまったく入っていない、杉野遥の画面いっぱいの笑みがあった。去年の夏、いつもの調子で俺を誘い出してわがまま放題に呑んでいたギーヌは、端末にこんな皺くちゃの痕跡を残していったな。――ほんとうにそれは痛々しいほどにむき出しで飾りのない笑顔だった。歯並びの悪さも、目尻の皺も、化粧崩れも気にしない彼女、それでもその表情には濁りも屈託もなく、少なくともこの瞬間、俺はギーヌと楽しい時間を過ごしていたのだと思えるような、そんな自撮り写真。
 あのとき、沈黙に気まずくなった尾形がスマホをいじり出したのを取り上げて、杉野遥はインカメでこんな痕跡を残していったのだった。あいつにとってはただの思いつきのたわむれに過ぎなかっただろう、でもこんなもの勝手に残された俺の身にもなれよ、無神経な奴。ばかやろう。
 そう思いながらも、尾形は乾いた胸の奥をひたひたと水が浸してくるような潤いを感じていた。でも彼はちゃんとわかっている、その浸潤の正体が他でもない慎みだということを。きっと今回も、俺はギーヌに対して慰めの言葉をかけることも、その肩に触れることもないだろう。あいつはいつだって明るいものしか残さない、残そうとしない、だからそれを邪魔しちゃいけない、損なってはいけない。
 なんとなく、尾形は杉野遥の笑顔を画面越しにつついてみた。ミスタップだった。その笑顔は瞬時に小さくなり、他のおびただしい画像の波に飲まれていった。
 
 御徒町の改札わきに杉野遥は所在なさげに立っていたものの、尾形の姿をみとめるとぱっと表情を輝かせ、手を振ってきた。他人から見たら恋人同士みたいかもな、と思いながら尾形も小さく手を振り近づくと、久しぶり、てか相変わらず妙ちくりんな恰好してるね、と杉野遥は言った。私服にまったく自信のない尾形はうっせーよ開口一番それかよふざけんな、と返し、ふたりはいつもの古くかすかにカビの匂いのする居酒屋へ向かった。――そこはいつもわりと静かでしかも二十四時間営業、明るいうちから呑むことを何より好む杉野遥のお気に入りだった。カビの匂いすら心地いいと言う。
 生ビールをふたつ頼んだあと、杉野遥はメニューに目を落とし、えーどうしようかなあ、お刺身の盛り合わせ食べたいなあ、うーんやっぱお高めだけどまあいいや私は払わないし、などと言いながら次々オーダーを決めていく。おいおい、とかちょっと待て、とか返しながらも、尾形はうつむいた杉野遥の鎖骨の影をちらと見た。また痩せたか、と思った。まあでも相変わらずの旺盛な食欲にすこし安心した。
 呑み進めるにつれ、杉野遥は軽いお喋りをしながらも、気がつくと子どもがいじけているような表情になっているのだった。それでまあやはり、尾形が訊いてもいないのに恋愛論じみたものを語りはじめるのだった。私やっと気づいたの、愛なんてもん、結局は価値観や利害のすり合わせでしかないもん、そんなことにこの歳でやっと気づいたの、遅すぎだよね、やっぱ私ばかなんだよね、はあマジほんと無理、云々。そしてがんばって笑ってみせる。――やっと気づいた、と言うものの、尾形は同じようなことを何度となく泥酔した彼女から聞いていた。そのたびごとに、ただ相槌を打ち、そうだね、としか言えなかった。
 尾形はそっと、彼氏と別れたの? と訊いた。杉野遥は素直にこくんと頷いた。そのすぐあと、慌てたように彼女はバッグの中のハンドタオルをつかみ、トイレへと立っていった。
 ほどなくして帰ってきた杉野遥は、赤い目のまわりの化粧がよれているのにもかまわず、尾形の目の前に座り、レモンサワーをぐいっとあおり、静かにジョッキを置き、にっこりと笑った。そしてかろうじて口角を上げたままぽつりと言った。いつもごめんね、ありがと。
 ――やがてテーブルに伸ばした両腕に顔をうずめ、眠ってしまった杉野遥を眺めながら、尾形はこいつも酒に弱くなったか、と思った。前までは男でも舌を巻くくらい強かったのにな。なあ、ギーヌ。尾形は杉野遥の頭に伸ばしかけた手を引っこめて、テーブルの上に垂れているその髪の先端にそっと触れてみた。あやうく、彼女のむき出しの心に感電しそうになる、でも、俺は、――
 ねえ、と尾形は問いかける、ギーヌはいつも蓮っ葉にいろんなものを俯瞰して、いろんなことをあきらめてるみたいに話すけど、俺は知ってるよ、お前がまだ、まだ希望を捨てずにいることを。俺は知ってるよ、ギーヌが人並みはずれて愛情深いということも。お前には人を愛する、少なくとも愛そうとする才能がある、いつだってそうだ、のっけから人を疑おうとしない、まず信じて、愛そうとする。あらゆる人の愛すべき特徴を見出すことの天才と言ってもいい、でもね才能なんて自分の意思で捨て去れるものじゃない、それでギーヌは、お前はいつも最後に傷つき、傷つけられるんじゃないか? 
 ――そしていつも俺に帰ってくる。そこまで考えて、尾形は杉野遥の無防備な髪から指を離した。まさにその無防備さが、どんなに悪態をついても押し隠せない人の好さがあやうかった。こいつほんとばかなんじゃないかと思った。あと何回傷つき、傷つけられたら気がすむんだ、いつもいつも同じようなことを繰り返して、呑み代をたかる風を装って俺の元に帰ってきたかと思えばまた一瞬でどこかへ行ってしまう。……尾形だって自分でわかっている、いつか杉野遥が戻ってこなくなるのをどこかで恐れていることを。でもそれにしたって、なんでいつも傷を負ったあとなんだよ、と言いたくなるものの、それも自分でわかっている。たとえ俺が何をしようが、お前にかすり傷すらつけることはできないだろうからな。
 尾形がそんなことを思いながら目をしばたたいていると、杉野遥はむくっと頭を上げた。あれ私寝ちゃってたの? えなんで起こしてくんないの、え、でなにあんたひとりでぼけっと座ってたの、うける。てかごめんマジごめん。や、つかラーメン食べたくない? と言いながら彼女は店員を呼び、会計を頼んだ。そして伝票を見て、ごめん私こまかいのないから一万出しとく、四千円ちょうだい、と言った。
 
 あんた食べるの早すぎない? ちょっと待ってよそんなに見ないでよ、と言いながら目の前で「野菜たっぷりタンメン」を一生懸命すする杉野遥を眺めていた尾形は、そういやこいつを下の名前で呼んだことがないな、とぼんやり思った。はるか。どう呼べばいいんだ、はるかちゃん、はるちゃん、はるちん? いや、やっぱふつうに遥だな、と思ったものの、こいつの元彼たちは思い思いの呼び名でこいつを、――と思うと今さら「ギーヌ」という苗字をもじったあだ名を変えるつもりにもならなかった。たとえ変えたとして、それが何になる? 
 時たま目を上げてもう食べ終えてしまった尾形の様子をうかがうたび腹を立てたように勢いよくラーメンをすする杉野遥、その鼻の下にこまかな汗の粒が浮かんでいる。そこまでつぶさに見ておきながら、まだ尾形は揺れている。そして、いつものように思う。俺はこいつに何もしてやれない、何もできない、そう、傷つけることすらできない。……そんでまたいずれ呑み代をたかってくるようにみせかけた連絡を待つしかないんだろうか。ほんとうにみせかけだけだよお前は。小悪魔ぶって、そのくせばかみたいに律儀で正直。要するにまぬけだ。そのことにお前自身はほんとうに、ほんとうに気づいてないのか? 
 ふー、ふー、と苦しげに「野菜たっぷりタンメン」を腹の中に押し込んだ杉野遥はがぶがぶと水を飲んだ。やば、お腹いっぱいで眠い、とつぶやいた。尾形は時計を見た、十一時ちょっと過ぎ、終電にはまだ間に合う。
 よし、ギーヌ行こう、と言って伝票をつかみ立ち上がり、レジで会計した。尾形は日高屋で、他でもない日高屋で、一杯のラーメンを杉野遥に奢ったのだった。店を出てさっさと歩いて行こうとする尾形に、彼女は慌てたように、えいいよ払うよなに、えっといくらだっけ五二〇円だよね、と言いながら財布をさぐる。五二〇円、たった五二〇円。それなのに。――いいよ今日は、たまには「友達」にラーメンくらい奢ることがあってもいいじゃん、と尾形は言った。杉野遥は反射的にえっありがと、ごちそうさま、とぎこちなく言ったかと思うと、にやりといたずらっぽい笑みで、よし! これからはマジでガンガンたかってやろ! とはしゃいだように言った。
 御徒町で、山手線の逆方向に別れるふたりは、いつもどおりの、ごくシンプルな挨拶を交わした。今日もありがとね、またね、バイバイ! そう言って笑顔で手を振ると、杉野遥はいつものように振り返りもせず歩いていった。それを見送ったあと秋葉原方面への階段をひとりで上りながら尾形は、またねって、またっていつだよ、となんとなく思った、けれども階段を登りきり、向かいの池袋方面のホームを軽快に歩いていく杉野遥を遠く見て、なぜか自然と笑みがこぼれた。そして思った、うんそうだね、またね、ギーヌ。

2019年5月15日公開

© 2019 谷田七重

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