デイジーズライトハンド 第4回

デイジーズライトハンド(第4話)

多宇加世

小説

3,595文字

走っている最中、思ったのは、松の葉をいっぱい集めれば、そこに鳥が卵を産まないだろうかということ。やってみる価値はありそう。
最終回です。
全4回

跋文

あ。君はもうすぐ目を覚ます。それに。

それに、ああ、うん。いま来たね。妹が。

 だってほら、ノックの

 

「右手」

 

枝を秒針に見立てて置いた。木漏れ日と小石の文字盤。木々に囲まれて、陽が射しているところと影のところに、数字が浮かばないかと地面にぐっと目を凝らしたけれど、なんにも見ることはできなかった。空から見たら、ここに女の子がいるなんてきっとわからないんだ。そう思ったらからあたしは、空の上の誰かに気付いてほしくって……、それとも、その誰かに負けないように……、声に出して左手の木の葉の腕時計のねじを巻く。でも大声を出す必要はない。声を届かせるためには、隔たる距離やその声の大きさや、内容はきっと関係ない。だからあたしはぼそぼそと、でも誰かが聞いているんだと自分に言い聞かせながら、ゆっくり、いーち、にーい、さーん。本当はここで一人大きな声を出すのが少し怖かったのもある。誰かの飼ってる怪物の眠りを覚ましてしまって、連れ去られるか食べられちゃうかしそうだったから。あたしの右手はお母さんのお腹に置いて来ちゃったんだってお父さんがいってたよ。どうやったら取りに戻れるの? 戻れないんだよ。もう一度、いーち、にーい、さーん、……いまは三時です。海の方へ歩いて出れば、カモメはいるかもしれませんが、この林の木々のどこにも鳩はいません。なので家の時計のように、時間が来ても鳥は飛びださず、鳴き声も聞こえません。怪物さん、あたしの右手は置いて来ちゃったから、ないから美味しくないよ。あたしは、さっきうまく積んだばかりの塔を崩して、小石を松の幹に三度ぶつけられるまで息をしないことにして、たくさん投げつけてから、くるりと回ったあとで、お兄ちゃんの竹とんぼに対抗して、紙飛行機を切り株の上で折ってやろうとしたけれど、切り株は苔だらけで折り紙が濡れてしまって、どうでもよくなって、ついでに今作ったばかりの葉っぱの腕時計も捨てて走り出した。

走っている最中、思ったのは、松の葉をいっぱい集めれば、そこに鳥が卵を産まないだろうかということ。やってみる価値はありそう。いま、針のような葉を集めておけば、明日には卵が入っているかも。それを観察するんだ。そう、絵をかいたり。でもそれも多分やらない。今日も明日もこれからはそんなことしてる場合じゃないのだ。ここの松は全部、昔の偉い人が植えたんだって誰かに聞いた。それがなんで偉いんだろう。海から砂が来るとかいっていたような気もする。それを防ぐためともいってなかったか。家の花壇にだって、あたしだって花を植えたから、偉いといわれてもいいのに。ちくちく、ちくちくする松の葉は、つやつやと光って、きれいだ。立ち止まって、今度は松ぼっくりを五回命中するまで、息を止めて幹に投げてみようか。ううん、もうこのまま病院に戻ろう。今日はお母さんがしばらく住んでいる病院に連れてこられた。松林の奥に、白い病院が見えた。

看護婦さんが笑って、お腹を指さした。自慢の白衣を見せたいのかな。お母さんのお腹はどうなったろう? そのことについてかな? 看護婦さんがまだお腹を指さしている。ぎくっとしたけれど、ああ、あたしのお腹のことか。見てみると松の葉が服についていた。恥ずかしくなったから、意地でも取らないことにした。走る。

「あらあら」

看護婦さんが後ろのほうでそう笑う。

お母さんの部屋まで階段をのぼる。踊り場の鏡で止まって、髪をさっととかしていると、やっぱり腕時計は捨てなきゃよかったかなと思う。お母さんに見せたかったな。もういいや。お腹についていた松の葉を手に取り、壁と鏡のわずかな隙間にねじ込んでやった。あらあら、あらあら、なんなの。鏡の下に『お静かに』と貼紙があったので、あたしは余白に爪で『しなくていいよ』と書いた。お母さんの部屋へ向かう。ちょっと会ってなかっただけなのに、なんだか恥ずかしい感じがしたから、わざと走って部屋に飛び込むことに決めた。お母さんは、窓の外をベッドの上から見ているところだったけど、すぐに振り返ってあたしを見て笑顔になった。

「あら、お出ましね」

「お母さん、見つけたっ」

あたしは恥ずかしさを隠すために、わざとそんな子供じみたことをいってみた。

「あら、一人? 春馬はそこに隠れてるのかしら?」

ううん。いない。

自分が見られているのが恥ずかしくて、でも嬉しくて顔があつくなる。

でも、遊んでばかりでここにいないお兄ちゃんのことを聞いたので、ここにちゃんといるあたしは少し寂しくなったけれど、気にしなかった。なんてったって、お母さんに久しぶりに会えたから。

「ねえヒナちゃん、春馬とお父さんと一緒じゃないの?」

「いない。お兄ちゃん、竹とんぼ追いかけて、松の奥に行っちゃった。お父さんは知らない。」

砂浜のほうに行ったのかもしれない。

「そう、じゃあ先に会おうか?」

何に?

「何にって、ヒナ、なにとぼけてるのよ」

赤ちゃん、どこ?

あたしは部屋中を見まわした。

「何言ってるの、おかしな子ね。お母さんの隣のベッドにいるでしょう?  さあさ」……

 

正直、あたしは赤ちゃんがこんなだとは思わなかった。赤ちゃんはもっとこう、産まれた時からハイハイとかして、部屋中を動き回るものだと本気で思っていた。動物園のシマウマの赤ちゃんを見た時は、お母さんのシマウマのお腹の下にもぐりこんだり、飛び跳ねたりしていたものだから。だからあたしはてっきり、今日産まれた赤ちゃんも、お母さんのベッドの下とかに隠れているのだと思っていた。お母さんにいわれなければ、本気で膝をついて下のほうを覗き込むところだった。

「どう、初めて見る赤ちゃんは」

お母さんは元気そうでよかった。病院は具合の悪い人が行くのだから、不安だったのだ。

「うん」

「かわいいでしょう?」

「寝てるの?」

そういいながら、あたしは赤ちゃんの両手を見る。両方ともある。

「そう。あ、起きそう」

「うん」

「ねえ、ヒナちゃん、ヒナギクちゃん。デイジーちゃん」

お母さんが笑って、歌うようにいう。

「うん」

「あなた、さっきから『うん』ばかりね。赤ちゃん、かわいくないの?」

お母さんはいつもよりよく喋ったし、元気だ。赤ちゃんがお腹からいなくなったから元気になったのかな。赤ちゃんはかわいいのか、よくわからない。でもきっとかわいいんだ。

「ううん、かわいい。……ねえ、デイジーってなあに?」

「雛菊のことをデイジーっていうのよ。だからあなたはデイジーちゃん。あなたの秘密のお名前よ」

「ふうん」

「ねえ、赤ちゃんの名前のほうも、ヒナにこっそり先に教えようか? こっちは秘密の名前でなくて本当の名前。実はまだお父さんにも相談してないけれど、私が決めて、その案を通しちゃおうと思ってるの」

「ききたい!」

「あなたたち三人のイニシャルはみなHに揃えたのよ。……うん、失礼しました、難しい言葉だね。イニシャルっていうのは、ほら、そうだ。あのリンゴの表に書いてあったでしょう、ABCの。あのお歌に出てくるH。あなたたち三人兄妹の名前はそれぞれ春馬、それからあなたは?」

「ヒナ」

「そうね。……ヒナは何歳ですか?」

「四歳」

「じゃあもうお姉ちゃんだ。弟も産まれたし、本当にお姉ちゃんだ」

「うん」

「そして芳太」

「芳太?」

「ヒナお姉ちゃんの弟の名前は芳太。ねえ、ヒナちゃん。優しく指を一本、芳太の手のひらに当ててごらん」

「え、いや。こわい」

それにあたしの手は汚れてるかもしれない。

「怖いことなんてあるもんですか、ほら、ほうら」

赤ちゃんの手に触れる。あたしの左手の指を赤ちゃんが握る。

「あっ! 握ってる。赤ちゃん、じゃなくて、芳太があたしの指握ってるよ!」

「芳太、お姉ちゃんよ。ヒナちゃんですよ」

「うわあ、すごい。芳太、芳太、もっと強く握って!  あたし、じゃなかった、お姉ちゃんの指を握って!」

「デイジーお姉ちゃんはいいお姉ちゃんになりますか?」

「うん。なります!」

「芳太を守ってやれますか?」

「やれます!」

「お姉ちゃんらしく、きちんと色々なこと、芳太の知らないことを教えてあげられますか?」

「教えます!」

お母さんが笑った。

「そうそう、いい感じです」

「あたし、いっぱい頑張るからね! お姉ちゃんだから!」

「頑張れー、ヒナちゃん! 芳太、よかったね。素敵なお姉ちゃんがいるんだもんね」

あたしはそのあとで何回も、たくさんの芳太にしてあげたいことを口に出して、そのたびに「ぜんぶ教えます!」といっていたらしい。でもしまいにはなぜだか涙が出てきて止まらなくなった。泣き顔は芳太に見られないように。お母さんの陰に隠れて、少しのあいだ、あたしは泣いたらしい。でも赤ちゃんが起きたらあたしも教えてほしいことがある、と思っていた。あたしの右手がお腹にあったのを見たかどうか。どんな手だったか。

 

 

2019年5月15日公開

作品集『デイジーズライトハンド』最終話 (全4話)

© 2019 多宇加世

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