番にはまるねじ

小西真由

小説

3,256文字

純文学です。
掌編ですのですぐ読めます。
家族、友人、恋人でもない男女の物語を味わってください。

男が両手に女を置いて坂を上り始めた。

月光浴しに行こうと男がうそぶいたのだ。

三人は繋いだ手を胸の高さで固定した。

坂は右に湾曲していて、自然と身体が傾く。

女二人は浴衣から生足が覗いているのに、男はジーパンだったので、二人ともずるいと密かに思っていた。

左の女がふいに頬を掻きたくなったが、男の手はびくともしない。それどころか、力は強くなる一方。

男は女同士で見つめ合うことさえ、許さなかった。女が馴れ合うのは気色悪いことだと思っていたからだ。

月が家の影に隠れた。光が漏れる。満月の為せる業だ。そもそも、満月でなかったら坂に上ってもいないし、三人で並んで手も繋いでいない。

男はちろりと割れた唇を舐めた。

道が細くなったので、強制的に右の女が歩道から降ろされた。男は女のつむじを凝視した。うなじなどには興味がない。つむじこそ、男のロマンなのだとうっとりしたが、手がふさがっているので押せなかった。

電信柱にぶつかりそうになる度に一列になった。腕がねじれた。それを数回繰り返した。

アスファルトの欠片が女の足裏で転がる。男が止まる気配はない。土踏まずのところまでくると気持ち良くなってきて、男の歩調にまた合わせられるようになった。

人も車も通らない。家々が浅く呼吸している。

コンクリートの壁に開いた無数の穴はどす黒い。どこにつながっているのか、何のためにあるのか、見当もつかないような穴。苔むして変な臭いがしそうである。

家の窓も穴のように空洞だ。窓という名の住人の目が三人を監視している。窓の内側で何が行われているのか知れたものではない。

電線が揺れた。電線が切れれでもしたら、この縁も切れるのに。右側が更に低くなった。

途切れそうで途切れない坂。絡み出す指。刈り上げられた木々がざわつく。人間ではない気配が増えていくようだった。

烏さえ寝ているというのに、人間は坂に用がある。その中でも男の坂に対する執着は凄まじかった。

男は願掛けのために時たま、坂を上っていた。叶えたい願いによって坂を変えていた。上るのは決まって深夜。一人で五寸釘でも打つかのような顔を作り、願いを念仏のように唱えながら上る。

男がその話を得意げにいつも話すので二人とも知ってはいたが、まさかそれに付き合わされるとは思ってもみなかった。

余程その願いを成就させたいらしく、男の目は血走っている。

蛍光灯の光はまばらではあったが、歩くのには不自由なかった。

辺りに男の鼻息交じりの祈祷が木霊し始めた。何を言っているのか隣にいても分からない。もはや言葉ですらないのではと疑うほど、出鱈目に聞こえた。

坂の折り目が見えた。折り目の向こうに家と木が一つずつ生えている。

男は木に照準を定めて、小走りした。両側はついていけないという風に後れを取る。男が両手を振り回すと、指先がじんじんと痛み、黄色く変色してくる。

髪と浴衣はすっかり崩れ、足の親指と人差し指の間は熱い。

頑張れのがの字も出ないような温まりきっていない関係。お互いの汗で手がより吸い付く。

木の前に整列した。オレンジの実が枝の先に数個ついている。虫食いもなく美しいオレンジ。風が吹いて枝葉が家の窓を小突く。

「褒美をあげなきゃな」

男の口角に溜まった泡が噴き出す。

男はやっと手を開放した。右の女は手の感触があるかどうか確かめる。左の女は頬を存分に掻く。男がすっぽりと抜けても女は男を見る。

一番低い枝を掴んでぐいっとしならせた。一番先に実がついている。

女が声を出す前に男はオレンジをもぎ取ってしまった。

「犯罪、ですよ」

男はいいから、いいからと言いながら、払う動作をした。

左の女は口をあんぐりと開けて見ているだけ。そう言えば、この子はこういう子だったなと右の女はふいに思った。

右の女はみぎわ、左の女はさゆと男から呼ばれていた。

みぎわが浴衣を着付けに行った時、男は不在で、狭い部屋に二人きりになった。さゆはベッドの上で足を抱えて座っている。まるで、海に囲まれた無人島に一人で漂着したようだった。

床には分厚い地層が出来上がっている。何を熟成しているんだろうと思って、よれよれのTシャツをめくると、案外米一粒だけだったりする。

みぎわは恋人でもない男の部屋に週に一度、掃除しに来ていたので、その光景は普通だった。

さゆもそういう女の存在には慣れていた。

掃除係、洗濯係、ご飯係と三人の女が分担していた時もあったが、今はみぎわ一人である。

上司権限で自分の部屋の掃除をしろと言われた時、正直みぎわはあほかと心の中で呟いたものだが、この生活はみぎわを豊かにしていると言っても、過言ではなかった。

男の部屋で家事をすると、何だか落ち着く自分がいるのである。自分の家の家事ではそうはならない。人間二人分の世話をするのはみぎわの趣味と化していた。

上司の顔をした男と接するときでさえ、あの部屋をどうしてやろうと考えるようになった。

家具の配置を変えてみたらどうかとか、いっそ服をどっさり捨ててやろうかとか、掃除用具をそれとなく増やしてみるだとか、いろんなことを想像すると意外に楽しくなってくる。

完全な他人だからこそできることである。みぎわは恋人や友人、ましてや家族には生まれない感情が溢れてくるのを実感していた。

足の踏み場のない地面を爪先で弾いてく。かさこそと虫の死骸や爪や髪の毛などが出てくる。掃除機本体が置けるように物をどけると、それだけで部屋の雰囲気が明るくなった。

着付けをするのに、掃除をせねばならんとはおかしな話である。

みぎわは掃除をしながらそれとなく、さゆの気配を掴み、それから目を向ける。急に目を合わせたりすると、さゆが怯えてしまうのである。小動物を手懐けるような気持ちでさゆとの距離をじりじりと詰める。

さゆは徐々に姿を現す床が面白いのか、じっと見つめたまましきりに頭を掻いている。白い粉がベッドに降りかかる。

じっじっじっがっがっがっ。皮膚を引っ掻く音が響く。

目は光を帯び出したのに、頭からはフケが出ている。それだけで女の魅力は半減だ。

耳に蝿の羽がぶつかる。

どれ、見せてごらんとみぎわは思い切ってさゆに詰め寄ってみた。

最初は目を泳がせたものの、すんなりと頭を差し出した。さゆの頭からふわっとシャンプーと酸っぱい臭いが漂ってきた。お風呂に入ったのいつ、と聞きたくなったが、ぐっと堪えた。

細い毛に脂が乗って滑りのいい髪をかき分けた。

黒髪にびっしりとフケが張り付いている。皮膚はぺたりとした生成り色をしており、所々に赤い膨らみがある。

上、後ろ、横と順にかき分けていく。猿の毛づくろいみたいだとみぎわは思った。さゆがぷくっと鼻を鳴らしたので、きっと彼女も同じようなことを思ったのだろう。

男には見られたくない毛づくろいをしばらく続けた。これでフケが治まるわけでもないが、さゆはどうしてだか満足げだった。

男はオレンジを目の粗いジーパンの太腿に擦りつけた。そんなんで消毒はされない。それにオレンジは皮を剥くもんだから意味がない。みぎわは男を内心馬鹿にした。

さゆを見なくとも、さゆの考えていることがみぎわには手に取るようにわかった。さゆは男を尊敬していた。傍目からはおかしなことを男がしていても、彼女だけは男に拍手を送った。

男は肉厚の皮をそのままに齧りついた。当然ながら、強靭な歯でも皮には敵わなかった。結局は手で一部の皮をこじ開けてそこから蜜をじゅるじゅると吸い出した。口から果汁が数滴落ちる。女を交互に見ながらひとしきり堪能し、オレンジをさゆに差し出した。さゆは男の手から蜜を啜った。男よりも細い音を出し、同じように果汁を滴らせる。皮の端から果汁が溢れ出て、男の手を伝った。さゆは素早く男の手を丹念に舐め始めた。さゆは男と視線を絡めながら、舌を這わせる。

みぎわは二人の様子にうんざりしたが、見るのを止められなかった。

男がさゆの頭を撫でると、さゆは舌を引っ込めた。

男は今度、みぎわに皮を剥いた反対側を差し出した。暗闇に浮かぶオレンジははつらつとしていて無傷のようであった。

2019年4月14日公開

© 2019 小西真由

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