オリエド

短編集【キミノフォビア】(第9話)

倉椅

小説

3,763文字

やや愛想の足りない少女がお手紙を開けると銀河滅亡する短編小説。
キーワードは古びた手紙、銀貨、翠緑玉、ラピスラズリ、レズキス、ペーパーナイフ。
原稿用紙11枚。

 その日、少女の元に手紙が届いた。古風な封筒に入り、蝋の封印がされた手紙だった。ポストに投函すれば済むものを、配達員はわざわざ少女を呼び出して、くれぐれも手渡しにこだわった。埃まみれの薄汚い背広を着た、顔色の悪い男だった。日常見かける郵便局員とはどうも恰好が違う。胸ポケットから垂れ下がる錆び付いた細い鎖は懐中時計だろうか。帽子や肩掛け鞄に色褪せた「〒」が刺繍されていたから、どうやら郵便局の人だと分かったのだ。

「差出人が書いてないわ」

 少女が寝不足の目を不機嫌そうに細めて言った。この配達員のしつこい呼び鈴で深い眠りから引きずり上げられた。まだ午前四時か、そのくらいだ。

「あなた様のよーくご存知の人です。受け取りにサインを。それから銀貨を一枚」

 配達員はほとんど死相を思わせる深いクマの、やけに瞬きの少ない窪んだ目で少女を見ていた。そして催促するみたく一枚の用紙を突き出した。まるで強盗が脅迫の刃を向けてくるような手つきだったので、少女は思わず後退った。配達員が差し出したのは日焼けして内容がほとんど消えてしまったぼろぼろの用紙。

 少女はとりあえず言われるが儘、適当にここかしらと思う場所に記名した。

「それから銀貨を一枚」

 配達員は陰鬱な口調のまま急かすように繰り返した。

「銀貨? 何の事?」

 少女は聞き慣れぬ言葉について問い質した。配達員は、

「銀色の貨幣の事です。ご存知ありませんか?」

 と、やや失礼な調子で答えた。少女は玄関に置いてある銀の皿からひと掴みの小銭を取った。銀色をしているのは一円、五十円、百円……。少女は百円を一枚、郵便局員が突き出している手に乗せた。ちょうどスイッチを押すような手つきで彼の手の平に貨幣を置いた時、やけに小気味良い「パチ」という音がした。

 どこかで経験した事のある音……そうだ、オセロゲームだ。

「ありがとう、お嬢さん」

 配達員は帽子のつばを摘んで会釈し、ふらりと背を向けた。その時小さな声で確かにこう言った。

「これでみんな眠れる」

 少女は古めかしい封筒を眺めながら家の中に戻った。

「誰か来たの?」

 廊下を歩いていると、両親の部屋から眠たそうな質問の声が立った。母だった。少女は立ち止まり、

「郵便屋さん」

 とだけ答えた。母は一瞬沈黙し、そして、

「そう。とうとう来たのね。屋根の上で明けなさい。夜明けの街を眺めながら」

 と言った。少女はふいに涙が込み上げるのを感じた。感動的な物語について語っている時、感じるような衝動だ。しかし少女はその衝動を堪える程度には大人だし、一方で「世界に興味を寄せるほど大人では無かった」。

 少女は一度部屋に戻ると、勉強机の奥底から紙切りナイフを取り出した。柄のところに偽の宝石がついたナイフは引っ越してしまった親友からの贈り物だ。ほんの小さな頃、外国に行ってしまった親友。少女は当時、このナイフのお返しにお菓子の缶いっぱいのビー玉やアクリルの貝殻を贈った。文通のエアメールが来るたび、このナイフで封筒を開いた。親友からの手紙には必ず貝殻の絵が描かれていた。

 瑠璃色の巻貝、翠緑玉色のヒトデ。それは当然少女が贈った貝殻を意味していた。一年もせぬうちに文通は途絶えた。どちらが切ったわけでも無い、ただ或る頃から返信が遅れるようになり、往復のたびその空白が広がり、やがてどちらかが最初に返事を忘れた。それだけだ。今でも遠い地のあの子を、少女は親友だと思っている。だからこそ、少女はこの日の手紙をこのナイフで開ける事に決めたのだ。

 ふと少女は、ナイフを包んでいたのが一枚の便せんである事に気付いた。そうだ、忘れていた。あの子から届いた手紙でナイフを包み、引き出しの奥に閉まっておいたのだ。何気なく手紙の文面を視線でなぞる。

 ――言葉もおやつも、空の色さえ違うような異国。私は毎日きみを懐かしんでいます。おなじジャンパースカートを着て手をつなぎ、体育館の倉庫でキスの練習をした事を思い出します。この国では女の子同士がそのようにある事は罪だそうです。そちらの国もそうでしたっけ? そして私は今も、あの日の疑問に悩み続けています。私達はなぜ生まれ、なぜこのような形をしており、なぜ命を食らい、子を成し、同属を守るのか。分かりません。きみと唇を重ねている時、分かりそうな気がしたのに。――

 少女は部屋を出て、再び廊下に立った。

 早朝の静寂の中で耳を澄ませると、母が泣いている声が聞こえた。妹も起き出したようで、両親の部屋から声が聞こえる。――〝大丈夫、お姉ちゃんだけじゃない。私達もすぐ後を追えるから〟。少女は目を閉じて、母の泣き声に耳を傾けた。短い時間だが少女を愛し、少女に愛されてくれた家族に向けて、少女が示せるのはただ敬意だけだった。

 少女は母の言いつけ通り、屋根の上を目指した。二階廊下の奥に古びたハシゴがあり、それを登ると屋根裏部屋に行ける。屋根裏部屋の天窓を開き、そこからよじ上れば屋根の上だ。

 空はやや明るみ、もう朝はそこまで来ていた。

 見渡す街を覆う空は、彼方の方がすでに乳白色に染まりつつある。見上げると暁の水色を秘めた空に月があった。明るい空に浮かぶ時、月はなんて人工物めいて見える事だろう。早起きの鳥たちはもうさえずり初めている。

 少女は屋根の上に腰掛け、気が済むまで町を眺めた。空は少女の意識を置き去りにどんどん明るみ、いつしかパジャマの背中が暖かくなるほどの陽射しが降り注いだ。近所の家々から出勤や通学の人々が現れ始めた。ちょうど時計のネジを巻き直したがごとく、歯車がゆっくりと回り、町は動き出したのだ。

 時刻はたぶん午前七時かそこらだった。或る通行人が屋根の上の少女に気付いた。

 たぶん今朝の晴れ渡った空を眺めただろう彼は屋根の上に人間を見つけてぎょっとした後、その人物が少女その人だと気付いてさらに驚いた。通行人は後ずさり、転びかけの縺れた足取りで走り出した。過呼吸気味にこう叫ぶ。

「穢土様だ、穢土さまだ。オリエド様が手紙を開くぞ!」

 男の叫び声は付近を振るわせた。何事かと顔を出した近隣の人が、男の叫んでいる言葉の意味を理解し、それから屋根の上の少女を見つけて悲鳴を上げた。騒ぎは病巣のように広がり、やがて少女の家を取り囲む人だかりが出来た。警察車輛まで出動した。少女は無感動な目でそれを眺めた。ものすごい景色だ。普段は猫しか歩かないあんな路地にまで野次馬がいる。眼下の景色を隈無く、人間が埋め尽くしていた。誰もかも、祈るような目で少女を見ていた。全ての瞳に怯えきった、それでいて何か優しい諦観が見出された。少女はふと笑った。そして屋根の上で立ち上がったのだ。

 どお、っと悲鳴が上がった。衝動的に「やめろ!」と叫ぶ者まであった。やめろ? 一体わたしに何をやめろと言うのだ。今この場所にある状況のうち、私自身が望んだものなど何一つとして無い――。

 一つの悲鳴を境に統制を失い、ぎゃあぎゃあと喚く人の渦。

 何を取り乱しているのだろう、と少女は少し苛立った。反論もできぬほど幼い日、反論も許されぬほど唐突に、それは決まった。だからこそ少女は、その日だけは気高くあろうと決めていた。

 少女は眼下の人々に向け、いかずちのような喝を落とした。

「黙れ、人間共! いつか来るって、ママが教えてくれたでしょ? 今日来たのよ。それだけだ! くれぐれも忘れないでほしい、最初に眠るのはこの私なんだ」

 結果としてその言葉が最後だった。地球最後の言葉である。少女は片手に手紙を、片手に親友から貰ったナイフを持ち、手紙を開いた。切り裂かれた封筒から二枚の用紙。世界が終わる前に読み込めた文面は次の如く。

「お久しぶりです。お返事が遅くなり申し訳ない。私は最初から分かっていたのです。あなたが「オリエド様」に指名された時、私はすでにあなたの親友でしたから。先日、やっと答えが出ました。私達はなぜ生まれ、なぜこのような形をしているのか。全部分かりましたので、以下にその仔細を書きます。神様が書いた設計図です」

 ああ、そうだったのか。世界がここにある理由を知って、少女は笑った。

 最奥部の秘密に触れられた世界が拒絶反応を示し、終わりが実行された。

 ラピスラズリの原石が砕けるみたく、太陽光線が凍った。石化した光線の中央で光を包んだ革袋みたくなった太陽が震撼した。そして先ずは少女の肉体が消滅した。かくして厭離穢土の日は始まった。少女を中心に「破滅」は広がった。大地は金色に光り輝いて捲れ、人々を道連れに飛び散った。吹き飛んだあらゆる物質は二メートルも飛ばぬうちにゼロまで砕けた。町が砂の城みたく溶け去るのにほんの数秒しかいらなかった。少女は死んだ。少女の友人も、嫌いな奴も、両親も教師も、全て死んだ。誰が死んだかを数えられる者さえいない。今頃遠い国に行ってしまった少女の親友は、遠い国の空の上で太陽光線がラピスラズリみたく凍りついてしまったのを見ているだろう。全世界はそれを見て、本日ただいま世界が終わると悟るのだ。最後の瞬間、人々は何を思うのだろう。願わくば肩を寄せ、歌い、芸術や愛について語ってほしい。死後の世界に持って行ける御伴はそれだけだから。十五歳、少女は聖女になった。

 

 

 

 

 

【オリエド:おしまい】

2019年2月18日公開

作品集『短編集【キミノフォビア】』第9話 (全12話)

© 2019 倉椅

読み終えたらレビューしてください

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


この作品にはまだレビューがありません。ぜひレビューを残してください。

破滅チャートとは

この機能は廃止予定です。

タグ

この投稿にはまだ誰もタグをつけていません。ぜひ最初のタグをつけてください!

タグをつける

タグ付け機能は会員限定です。ログインまたは新規登録をしてください。

作者がつけたタグ

ダウナー ライトノベル 短編

"オリエド"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る