生け花の真実

三枝麻衣

小説

2,694文字

先日、募集があったときに応募しようと思ってたら出遅れちゃいました。短い推理小説です。

 その部屋の前に来た時、甘い匂いが私の鼻腔を霞めた。しかし私の関心はその匂いよりも、内装に向いていた。
 吊り下がった電灯の笠が、犬小屋のように狭苦しい部屋を仄かに照らしている。煤だらけの天井、黴だらけの壁、禿げた畳…隅に置かれた箪笥は長く使われていないようで、上部には埃が綿になって積もっている。今時珍しい、昭和の和室を再現したような一室だ。
 部屋の中央、畳の上に散乱している本の山は、この部屋のかつての主、紺野葛西という為人を知るには十分なものだ。山にあるうちの幾つかは、表紙に赤黒い血痕が付着している上、葛西の遺体は本に埋もれていた。
 葛西は純文学の日本作家、所謂「本の虫」である。両親の離婚によって日本人の母と共に、アメリカから日本に戻ってきた帰国子女で、呉服屋の娘であった母は徹頭徹尾、死ぬまで和を貫いたそうだ。これは噂程度にしか知らぬが、大和撫子であった母の影響から、葛西は今時の女をひどく嫌っていたらしく、生涯独身を貫かざるを得なかったという。
 生涯独身であるから、遺体の身元引受人は両親か縁戚かとなるわけだが、残念なことに両親は既に他界、縁戚も拒否している為に無縁仏となりそうだ。
 血痕の残る山に両手を合わせてから、私はその山を崩さぬよう、大きく跨いで移動した。山から東側には竹の床板があり、置かれた青磁の壺には金木犀が生けてあった。部屋の前から仄かに漂っていたのは、この金木犀の芳香だったようだ。天に向かって三又に伸びている細枝の先に、小さな橙色の花が点々と咲いている。開いていない蕾もいくつかあることから、この枝は生けたばかりなのだろう。
 試しに中心部をそっと持ち上げてみると、私の読み通り水はそれほど汚れていないし、切り口も浸透していない。
「あの」
 丹念に調べていると、後方から声がかかった。遠慮がちな調子に振り返ると、エプロン姿の女性が、眉を寄せて不安そうにこちらを覗いている。葛西のお抱え女中として勤めている、牧野紗枝だ。年は五十くらいのはずだったが、顔に刻み込まれた皺から、七十の老婆にも見えた。
「何でしょう、お紗枝さん。」
 葛西に呼ばれていたらしい愛称で呼ぶと、紗枝はおずおずと尋ねてくる。
「その…警察の方からは、お手を触れぬようにと…。」
「ご心配なく…私、個人で稼ぐ探偵と言えど、その警察から許可を頂いているもので。
 それより…」
 紗枝の問いに答えると、私は向き直った。
「…お紗枝さん、自首をなさってはいかがですか。」
 正面切った私に、紗枝は唖然とした顔で瞬きを繰り返している。突拍子もなく言い出した私の言葉を、飲み込めていないのだろう。
 私は事態を整理しながら、紗枝に言う。
「あなたは二日前、兵庫に発ったという話を、担当の警察官から聞きました。
 三年前に亡くなられたお兄様の、命日だそうですね。
 葛西氏は、今時珍しい純日本人ですから、冠婚葬祭といった行事を非常に重んじていたことでしょう。
 休みを貰ったあなたは、兵庫に行って墓参りをし…そして、二日後の今日、午後六時二十五分に帰ってきた。」
「それが、何か…?」
「そこなのです。」
 問いかけた紗枝の言葉に、私は強調する。
「二日後の今日、午後六時二十五分、あなたはまだここ東京に戻ってきたばかりだと言った。
 警察からの連絡で葛西氏の死を知ったのは、昨日の午後八時三十七分…新幹線の中だった。
 せっかくの帰省、故郷でゆっくりしようと思ったが警察から連絡があり、慌てて帰ってきたと。
 しかしそれは、有り得ないのです。」
 そこで言葉を切って、私は先程、戻した金木犀を指さした。いまいち飲み込めていないのか、紗枝は怪訝な顔で私を見つめている。
「この金木犀…すぐ、水に差したばかりでしょう?」
「え?」
 驚いた紗枝に、私は床板から壺ごと持ち上げて、手近な床に置くとそこへ手招いた。何も確認しないまま犯人扱いは嫌なのか、紗枝は踏み入ることに抵抗がある素振りを見せながら、そろそろと歩み寄ってくる。
 手招いた近くまで来たのを確認し「御覧なさい」と言って、私は壺から金木犀を抓み上げた。水滴が垂れる枝と、滴が落ちる壺の水中を見遣りながら言う。
「すぐにわかりましたよ。
 お紗枝さん…ここに金木犀なんて、最初からなかったんですよ。」
「どういうことです?」
「近所の人が発見し、警察が入ってから、ここは立ち入り禁止だった。
 ですがどういうことか、この水はそれほど汚れていない。
 それに、ほら…この枝の切り口を見てください、さほど湿っていないでしょう。」
「あ、そ、それは…」
「お紗枝さん、あなた先程、私に『警察の方からはお手を触れぬようにと』…そう仰いましたね。
 でもこの壺のお水、樹皮も浮かんでいなければ、気泡もそれほどついていません。
 事件から間もなく警察が立ち入らないよう監視している中で、花のお水を変えるなんて真似はそうそう出来ませんよ。」
 …言い切って紗枝の方を見ると、彼女は私が持つ金木犀を凝視していた。その驚愕した顔は「何故」と問いたげに、一点を見つめたままだ。何を言おうとしているのか、魚のように唇を上下に動かしている。
 上手い嘘でも考えているのだろうか、それとも――考えながら、私は言葉を選び、慎重に話しかける。
「私自身、花には疎いのですが…母が趣味でいつも、花を生けていましたからね。
 女子が欲しかったと漏らしつつ、いつも私に言うのですよ。
 『お花も生きているからね、呼吸をしているのよ、だから花を生けると気泡が出来るし、皮がめくれて浮かぶのよ。』
 あと、こうも言っていましたよ。
 『花を生ける時、切り口はね、斜めに切るのが基本なの。』
 どうです、この金木犀…真っ直ぐに切られていますね、お紗枝さん。」
 …私が言い終えると同時に、紗枝は崩れ落ちた。顔を覆うと、大粒の涙を流して咽び泣く。
 甘い芳香を発する金木犀の水滴は、もう垂れてこない。乾く前に壺へ差し、元の位置に戻すと、私はその場を後にした。

 その後、紗枝は紺野葛西殺人容疑で逮捕、憔悴しきった様子で警察に連行されていった。供述によると、紗枝の兄はかつて葛西に弟子入りし、金銭的な援助を受けていたが、腕を認められぬまま自殺。紗枝は兄の借金を返済する目的で葛西に仕えたが、ろくすっぽ読まずに放り出されていた兄の原稿を発見し、復讐する為に墓参りと見せかけて殺害したのだと言う。
 紗枝の涙ながらの供述が報道されると、不憫に思った視聴者から出版社に、続々と発刊希望の声が届いた。出版不況と呼ばれる昨今では珍しい現象だ。
 そうして死後三年を経過したものの、回収された紗枝の兄の原稿は多数の編集者の手に渡り、志半ばで倒れた作家の遺作として出版されていった。

2019年1月24日公開

© 2019 三枝麻衣

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サスペンス 私小説

"生け花の真実"へのコメント 3

  • 投稿者 | 2019-01-29 09:31

    はじめまして探偵さん、あっ、失礼、三枝さん。
    読者の幸楽堂と申します。
    わたし、ミステリーは好きで、洋風より和風の作品を好むので、この「生け花の真実」は雰囲気がよかったです。ただ、わたし、ちょっとアホなもので、よくわからなかったので教えて下さい。
    わたし、ミステリーを読んでいると、なんでこれで犯人がギブアップしちゃうの!もっとねばればいいのに…、とか思うことが時々ありまして、今回の紗枝さんの場合も、自分ならまだ頑張れるのではなかろうか…警察が物証を挙げてくるまでは自白はしないのではないかな…紗枝さん、人殺しなのに弱いなあ…などと感じてしまったのです。
    探偵さんが暴いてみせたのは、要するに紗枝さんのアリバイですか?葛西さんの死亡推定時刻は何日の何時かは書かれてありませんが、昨日の午後八時三十七分以前であることはわかります。
    紗枝さんは兵庫から午後六時二十五分に東京に戻ってきた…。葛西さんを殺して兵庫に行って東京に帰ってくるまでの時間ですね、これがどうかという問題ですが、これってそもそもアリバイになっているのでしょうか?
    金木犀なんて、現場には最初からなかった…、これは紗枝さんの偽装工作だという設定ですよね?わたしアホなので、この金木犀がどういう意味を持つのかがわからないのです。なんか誤解してますかね?アホなので御遠慮なく指摘して下さい。
    以上、よろしくお願い致します。

  • 投稿者 | 2019-01-29 11:06

    幸楽堂さん、はじめまして。
    コメントと、作品をお読み頂きありがとうございます。
    あまり使い慣れていない機能なので、そのままお返事差し上げても良いのかもわかっておりませんが…。

    実は死因や凶器、犯行の経緯等、推理小説に必須な要素であるこれらを、あまり深く練らずに
    ただ生け花を使って何かしたいという勢いのみで書いてしまいました。
    私の力が尽きてこのような作品になりましたが、陳謝だけでは無責任というもの
    生け花だけでも説明させてやってください。

    生け花に必要な剣山は私の見落としで描写を失念しました。申し訳ありません。
    生け花は金木犀でなくても良かったのです。
    作中にあるように、生け花は少ない力でも切れるよう
    また水分を吸って長持ちさせるよう、枝(花によっては茎)を斜めに切って生けるのは基本の形です。
    ところが紗枝さんは生け花の素人である為、その基本中の基本を忘れてしまいました。
    また枝は切り口から水分を吸って生きる為、水に浸けて暫く放置しておくと
    水中に気泡が出来て、それが瓶の側面に付着するのです。
    更に手入れせず放置しておくと、ふやけた枝(茎)は湿り、水と共に腐敗して
    独特な臭気を発したり、黒くなってしまいます。

    さて、ここからですが…紗枝さんは葛西氏の死亡時にはいないことになっています。
    死亡推定時刻は幸楽堂様の仰る通りですが、紗枝さんはその時間には戻っていないことになっています。
    かと言って紗枝さん以外にはどなたも雇っていませんし、葛西氏は
    昭和時代の男性を表したようなお人柄で生け花などは好まないでしょう。
    紗枝さん以外にお花の水は変えられないと仮定すると
    二十四時間以上経っている生け花の水は、放置されて少なからず独特な臭気を発したり、枝(茎)が湿って色が変わっていたり
    壺の中に気泡が出来ていたりするはずなのですが、そのいずれも見られませんでした。

    生けてからあまり時間が経っていない=紗枝さんは警察が立ち入る前の死亡推定時刻か、それ以前から殺害現場にいたのでは?

    また新横浜駅から兵庫までは、およそ三時間から四時間、行って帰るだけなら一日で十分帰ってこれます。
    さて紗枝さんは何故こんなことをしたのか…?

    ということでございました。

    著者
  • 投稿者 | 2019-01-29 21:34

    探偵さん、あっ、また間違えた、すみません三枝さん、御返答頂きありがとうございました。アホなわたしの読み取り不足で、新横というのもわかりませんでした。そして、生け花の知識を推理小説に活用しようとの御意図はよくわかります。あの松本清張さんが、東京駅で13番線プラットフォームから15番線プラットフォームが見えるのは、1日の中でわずか4分間しかないということに気が付き、これを作品に活用しようとされたことを想起しました。天才的な作品はこのような発見から生まれてくるものです。アホなわたしは、金木犀の生け花が紗枝さんのアリバイ工作とかではなく、葛西さんへの愛情の表現といった意味があるならとても素敵だなと思ったのです。そんなことをしなければ完全犯罪で自分が捕まることはなかったものを、殺した相手への一抹の情による行為が命取りになった…な~んて結末はドラマチックですよね。そんな感じで、御作品「生け花の真実」はとてもロマンチックな感じもする素敵なショートミステリーだと思います。わたしは宮部みゆきさんなどが好きですが、これからもわたしはアホはアホなりに、三枝さんのミステリーの創作にも期待し注目しております。

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