かりんは不思議な友人だった。
彼女は大学の児童ボランティアサークルの同級生だった。僕が彼女と出会ったのは大学に入学してすぐの新歓合宿だった。彼女はPerfumeののっちみたいなルックスで、自己紹介の際「伏見千春です。かりんって言います」と名乗った。伏見千春なのになぜかりんと言うのか、誰かがすぐに聞いたはずだが、その名前の由来についてはもう忘れてしまった。彼女の所属する教育学科の中では、彼女のことを本名よりも「かりん」という名前で覚えている人の方が多かった。そしてそのほとんど全ての人が、僕と同様に、なぜ彼女が「かりん」と名乗っているのかを忘れていた。
僕たちは週に一度、大学の近くの公園で小学生とドッジボールをしたり、鬼ごっこをしたり、花摘みをして遊んだ。晴れた日曜日には、遠くの広い公園へハイキングに行った。夏にはキャンプを、冬にはクリスマス会をした。子どもたちと遊ぶことも楽しかったが、学生同士でカラオケやボウリングに行ったり、安い居酒屋で飲んだり、小旅行に行ったりするのも楽しかった。
かりんは小学校からこの大学の附属女子校に通っていた。公園活動後にサークルの同期でサイゼリアへ行った時なんかは、「えっ、ピザって安くても2000円くらいはするんじゃないの?」とひどく驚いていた。アルバイト代の工面に四苦八苦していた男子は皆、その発言に驚かされた。でも、かりんはそういう育ちを鼻にかける態度を取ったことはなかった。むしろかなり人懐っこい性格で、何にでも好奇心を抱いてしまう一面があった。「私つけ麺って食べたことないから、美味しいところがあったら連れて行ってよ」とか、「今度行けるメンバーで大学野球観に行かない?」といったメールが時折来た。サークル棟で男子が缶けりをする時も、女子で唯一参加していたのがかりんだった。
彼女には、絵の才能があった。当時の僕は全くと言っていいほど絵に興味がなかったが、僕は彼女の絵が好きだった。子どもたちも、かりんが描くうさぎの絵が好きだった。昼食の時間になると、彼女は部室で弁当を食べながら、その頃行った展覧会の感想をよく話していた。一度話し始めると3限の開始時間ぎりぎりまで止まらなくなってしまうことから、僕たちはかりんの独演会を「2.5限 入門美術史」と呼んでいた。それなのに、「重信くんの専攻してる井原西鶴って、富士山の浮世絵とか描いてる人だったっけ?」と言っていたこともあった。
今思えば、その頃の僕はひどく不完全だった。もちろん今でも不完全だが、その時は今以上にひどく不完全だった。人との接し方も、僕自身のアイデンティティも、何を信じて生きていけばよいのかも、今以上に理解していなかった。おそらくかりんもそうだったのかもしれない。だが、かりんと接していると、ただただ自分の不完全さが許されているような感覚があった。もしかしたら、互いに不完全だったからこそ、僕たちは打ち解けられたのかもしれなかった。
かりんと過ごした日々の中で、特に印象深い一日がある。その日は大学4年生の秋だった。彼女は都内の小学校で教師になることが決まっていて、僕は大学院に残ることが決まっていた。その日の前日の夜、かりんから突然
「シゲくんごめん 明日の4限空いてる?キャッチボールの練習したいんだけど、相手してくれないかな」
というメールが来た。今思えば、教育学科の彼女が、なぜキャッチボールの練習など必要だったのだろうと思う。でも、そういうメールを送ってくること自体が、いかにもかりんらしかった。
大学の近くには小さな公園があり、そこにはフェンスで囲われたキャッチボールコートがあった。都内のターミナル駅から歩いて10分もかからない場所で、周りは高層マンションに囲まれていた。キャッチボールコートは静かで、誰もいなかった。考えてみれば、確かに平日の15時にキャッチボールをする大人なんていないし、小学生もまだ授業を受けている時間だった。フェンスの中で、黒猫が仰向けに寝転がっていた。僕たちがキャッチボールコートに入ると、突然強い風が吹いて、赤く染まった欅の葉が一斉にキャッチボールコート一面に降り注いだ。落葉は午後の陽射しを浴びて、一枚一枚強く輝いていた。かりんは黒髪を揺らしながら、風の中の葉を掴もうとした。だが、たくさんの落葉は不規則にたどたどしく落ち、彼女の小さな手をすり抜けていった。
僕はグローブをはめて、かりんにボールを渡した。彼女は素手でそれを受け取った。そして、右手でボールを持っているのに、振りかぶりながら左足を軸足にして、右足を上げた。そしてハンドボール選手のように、投げ終わった後大きく体勢を崩した。僕がグローブを構えた場所からボールは大きくそれて、緑のフェンスに当たった。
「かりん、上げる足が逆だよ」
「こう?」
「違う、こう」
「こう?」
「違うよ」
「えっ、こう?」
彼女のフォームは操り人形のようにひどくバラバラだった。
「ひどい。ひどすぎるよ」
「ねえ、笑いすぎ」
さっきまで寝転がっていた黒猫が、日なたで大きなあくびをしていた。
「アルバイトまでまだ時間があるから、もうちょっといい?」
その時彼女は、新宿のワインバルでアルバイトをしていた。日陰が伸びて、もうボールも見えなくなっていたし、彼女の投球フォームも最初と比べればかなりましになった。僕らは、誰もいない公園の、二つしかないブランコにそれぞれ座った。ブランコは随分と低くて、僕は上手く漕ぐことができなかった。
「あのさ、モネっているじゃん。睡蓮とか積みわらとか描いてる人」
彼女は唐突に、絵の話を始めた。
「そのモネがね、睡蓮の浮かんでる池を、橋の上から眺めている写真が残っているの。私、この間上野の美術館でそれ見たの。睡蓮の池って実際どうなってると思う? あのね、モネが描いてる池そのまんまなの。なんかさ、モネの睡蓮の絵って、ピントの合ってない写真って感じじゃない? 実際の池はね、それを画質の良いカメラでくっきりと撮り直したような感じなの。要はね、モネは視力の落ちた目で見たままの池を、そのまま描いてただけなのよ。なんて言うのかな、私思うんだけど、実際の池がどんな池なのかってどうでもいいことなんじゃないかって思うの。いちばん大切なことって、モネの眼にその池がどう映っていたかなのかなって、私は思うの」
ブランコをゆっくりこぎながら、かりんは言った。その時の僕は、彼女が何を言っているのかよくわからなかった。僕はその話を聞きながら、古びたブランコを立ち漕ぎしていた。
……たったそれだけの一日だ。何か特別なことが起きた訳でもなかった。だが、それは僕の大学生活の中でかけがえのない、良き日であった。この瞬間に出会うために大学に入ったのだ、と思えるような一日だった。
それから僕たちは大学を卒業した。彼女はしばらく都内で教師をしていたが、やがて遠く離れた寒い街へと引っ越していった。
先日、僕は久しぶりに大学のある街を訪れた。あれからもう10年が経とうとしていた。ちょうどあの日と同じ晩秋だった。キャンパスにはクリスマスツリーの灯りがまばゆく光っていた。
その日の夜、僕は夢を見た。それは新緑の季節の夢だった。木漏れ日の柔らかい午後、僕とかりんはあのフェンスの中にいた。かりんは日差しを浴びる若緑の葉を掴もうとしていた。その姿はまるでダンスを踊っているかのようだった。相変わらず彼女はぎこちないフォームで、僕のグローブめがけてボールを投げた。そのボールは僕の頭上を遥かに越えて、フェンスの外へ消えてしまった。
「ねえ、ダリ好き? 私この間ダリの絵見たの。そのせいでね、カマンベールとロブスターで、ワインが飲みたくなっちゃった。ガラって知ってる? ダリの奥さん。この人すっごく面白いんだよ。あのね、ガラが死んだ後ピカソはね、あ間違えたダリはね、」とかりんが言った時、夢の中で僕たちは笑い合った。目が覚めてから涙がこぼれ落ちるほど、それはどうしようもなく美しい夢だった。
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