落ち葉あつめ

わに

小説

12,802文字

久しぶりに新作を書きました。わいわい。
猫が落ち葉をうまいうまい!と食べる話です。

俺ん家の近所に住んでいるおっさんは、落ち葉を集めて猫にやっている。

やっている、とは、贈り物のようにしてその辺に置いておくことではない。餌として、食わせているのである。

何年も前から、それこそ、俺が物心ついたころから、おっさんはずっと空き地や公園でせっせと落ち葉を拾い集め、色とりどりの綺麗なそれを少しちぎってから、猫を呼んで(変な笛みたいなものを吹いて呼ぶのだ)、食わせている。

猫サイドもいやいや食わされているわけではなく、かなりしっかりめにがっついている。カリカリとか、そういう、普通の餌と同じテンションで食べている。湿った葉のもさもさという音、乾燥した葉のパリパリという音、太い葉脈を食いちぎるブチっという音など、聞こえてくる音はまったくカリカリとは似つかない。もちろん何らかのおやつや、チューブ式のやわらかい贅沢な餌とも違うわけで、夜に見かけたらちょっとしたホラーかもしれない。ただ、俺は今のところ、夜におっさんを見かけたことはない。だいたい、昼間に目撃する。あとは早朝。

「ね」

姉ちゃんにおっさんと猫の話をしてみたことがあるが、全然興味がないようで、一番短い言葉で軽く同意を示しただけで、それ以来話題にのぼることはなかった。けれどそこまで興味のない姉ちゃんでさえ、同意を示すくらいには知っているということだから、やっぱりあのおっさんは近所の皆から認知されている変なおっさんということだし、猫が落ち葉を食べていることも周知の事実なのだった。

 

中学生くらいのとき、おっさんの真似をして猫に落ち葉を与えてみたことがある。

校舎の裏をまわって、真っ赤なものと真っ黄色なものを集めた。鳥の糞などで汚れていない、清潔そうなものだけ集めた。そしておっさんがよく餌やりをしている公園へ行って、おっさんが猫を集めるときに吹く変な笛は持っていないので、猫が来るまで辛抱強く待ち、ようやく集合住宅の奥からのんびりと歩いてきた猫に、ちぎった落ち葉を差し出した。

猫は、まずびっくりしたような顔でこちらを見た。なんだお前、とでも言いたそうに見える。その後、一応といった風情でふんふんと葉のにおいをかぐと、さっと背を向けて遠ざかっていった。俺は、やっぱりか、と呟いたけれど、心の中では、はあ? と思っていた。俺は小さいころからおっさんの所業を見ていたせいで、野良猫は落ち葉を食べる生き物だと思い込んでいたのである。

俺の落ち葉は食わないのかよ、というちょっとした悔しさに、そして、じゃあなんでおっさんの落ち葉は食うんだよ、という疑問に、はじめてぶちあたった。

 

「おう」

昼近くに起き出して、ほぼ何も入っていないリュックをそのまま背負って家を出た。どうせ一般教養の授業はレジュメが配られる。iPadだけ持っていけばいい。玄関を出て、高く昇った太陽の光をうざったく思いながら公園の脇にある街道に差し掛かると、ちょうど例のおっさんが落ち葉を拾っているところに出くわした。おっさんは俺の顔を見て、おう、とぶっきらぼうな挨拶をする。

「どうも」

俺も適当な挨拶を返す。小さいころからおっさんと猫を見かけるたびにじろじろと観察していたので、おっさんの側も俺のことをなんとなく認知しているのだった。すれ違う瞬間、おっさんの手元をじっと見る。おっさんの手に握られていたのは、俺が中学のころ拾い集めたものと同じような、綺麗な赤や黄色をした、やっぱり、ただの落ち葉なのだ。本当に腑に落ちない。

 

「落ち葉ってことは、秋冬限定なのかな。落ち葉ないときはどうすんの」

昼過ぎにサークル棟へ行くと望月と三木がいた。大学のキャンパスに広がる紅葉を眺めて、やきいも食べたいとか彼女と紅葉見に行きたいとかそもそも彼女欲しいみたいな話をしていたら、なんとなく出がけに会ったおっさんのことが口をついて出た。おっさんの話は姉ちゃんにするより何倍もウケて、どれくらいウケたかっていえば、望月が身を乗り出すようにして質問してきたくらい。聞かれてふと考えてみると、落ち葉の少ない春や夏におっさんをみかけることはほぼない。

「わかんね。どうすんのかな」

「おっさんまじ何者」

三木は猫が落ち葉に食いついていることより、猫に落ち葉を食わせているおっさんの存在が特にツボだったらしく、ずっと笑っている。俺が中学時代にしたことは黙っていようと思った。

そんな三木には構うことなく、望月は真剣に猫を心配していた。無理もない。彼は大学の猫サークルにも入っているのだった。構内の猫に餌をやりつつ、去勢手術を受けさせてやって増殖を防ぐという、ボランティア活動みたいなことをしているらしい。

「猫、夏場は腹減ってんじゃないの、それ」

「うーん……」

そんなことを言われても、俺だっておっさんが落ち葉をやっているときくらいしか、あんなにたくさんの猫を見ることはないのだ。死骸だって見たことはない。あのへんな笛で猫に集合をかけない限り、腹が減っているとか減っていないとかを調べる手段はない。そもそも、落ち葉を食べることで腹が満たされているのかどうかもはっきりしない。

「まあ、大丈夫なんじゃないかな。落ち葉を食べる猫のほうが珍しいわけだし」

そう言いつつ、なんだか妙に心配にもなる自分もいる。

「確かにね」

納得したような口ぶりの望月も、顔は少し曇っていた。

 

なぜ俺が、猫に落ち葉をやってみるという試みを中学に上がってから実行したのかというと、それまでは、家で猫を飼っていたからである。家に猫がいると、もちろんどこの猫も等しく猫なのだが、やはり「うちの猫」と「それ以外の猫」で明確に線引きがなされる。俺の場合、「それ以外の猫」はわりとどうでもいい存在だった。

うちの猫はでぶ猫で、ダイニングにあるローソファーで日がな一日ごろごろしている、定年後のおじいちゃんみたいな生活をしていた。右脇腹を触ると左脇腹まで波のようにぶるんと震える。もちもちというよりもにょもにょといった触り心地の、大変不健康な猫だった。その割に長生きで、平均寿命に三年足したくらいの期間、元気に暮らしていた。

うちの猫は絶対に葉っぱなんて食わない。小さいころから、おっさんと猫を見かけるたび、そう思っていた。だから飼い猫と野良猫はなにかはっきりと別個の存在で、飼い猫はカリカリを食い、野良猫は葉っぱを食う、そういうものだと思っていたのだ。だから中学に入り猫が死んでから、なんとなくさみしさに負けてやってみたというのに、ひどい結末に終わった。そういう歴史もあって、俺は姉ちゃんやほかの近所の住民よりも、あのおっさんのことが気になるのだと思う。

ただ、やはり早朝から昼間にかけて落ち葉を拾い集め、ちぎっては猫に食わせている珍妙な初老の男性に、近づいていくことはたやすくない。シンプルに怖い。おっさんが誰かと話しているところなど見たことはないし、挨拶しているのも俺くらいのものだ。

その日の帰り道、もう日もとっぷりと暮れていたが、一応公園をのぞいてみた。案の定おっさんも猫もいない。俺は足元の葉を眺めて、一番綺麗なものを拾った。濃いオレンジ色に染まったケヤキの葉。口にしてみようかと一瞬考えて、すぐにやめた。ポケットに突っこんだまま公園を出た。

 

それから数週間たった後、学食で望月に会った。学部が違うのでサークルを通してしか交流がないのに加え、先週から試験期間に入っていた。望月に関しては理系学部ということもあり、一年目から気が抜けない。おーと声をかけると、おーと同じように返ってくる。

それぞれの試験事情を少し愚痴ったあと、望月はこれからが本題だぞとでも言いたげに一呼吸おいてから、

「おっさんに話、きいてみようぜ」

と言った。

一瞬、おっさんというのが誰を指しているのか分からなかった。俺と同じ学部に三浪ののち晴れて大学一年生となった同級生がおり、そいつも同じく「おっさん」の愛称で親しまれているため、最初はそいつのことを指しているのかと思った。あれ、望月っておっさんのこと知ってたっけ、と首を傾げかけてから、窓から見えるほぼ落ちかけた紅葉のお陰で、ああ、あの「おっさん」ね、と、やっと話がつかめた。

「急におっさんとかいうから何の話かと思ったわ、猫に落ち葉あげてるおっさんか」

「ほかに誰がいるんだよ」と望月は悪態をつく。それには返事をせず、ラーメン定食についていたミニ牛丼の上の温玉を割った。

しばらくお互いに丼の中の米を掻き込むと、また望月が、俺来月の頭にはもう落ち着くんだよねレポートとかも。と切り出す。

「だからさあ、そしたらおっさんに聞いてみない。つーかあのときは面白がって聞いてたけど、猫に葉っぱ食わすってかなりやばいし」

望月は本気そのものだった。俺もいつかおっさんに、なぜおっさんの落ち葉だけ猫が食いつくのか聞いてみたいとは思っていたが、望月を連れて行くのもなんだかいい案とは思えない。彼の目には「猫がかわいそう」とくっきり書いてあったが、そういうことでもないと俺は思っていて、いや、そりゃあ、普通は落ち葉なんて食べないんだけど……。様々な思いが混ざり合い口ごもっていると、望月は勝手に話を進めてしまう。

「お前もおんなじくらいのスケジュールっしょ。来月の頭にお前の地元行こうぜ。電車で三十分とかだっけ、確か」

「んーまあそんなもん」

上の空で答えながら、心の中でやばいやばいと思う。十年以上おっさんと猫を見てきて、彼らには彼らのテリトリーというか、半プライベート空間みたいなものが形成されていることが分かっていた。

じゃ細かいことはまた連絡するわ、と自己完結した望月は、さっさとトレーを持ち上げて立ち上がり、行ってしまった。やばいやばいやばい。俺はいつのまにか「おっさんと猫」側の人間になっていた。とりあえず、望月があのテリトリーに突然来訪することだけは避けなければならない。でも、どうしようと手をこまねていてもマジの目をした望月を阻止することは不可能に思えた。

俺は考える。今月はあと二週間あった。それまでの間に、俺だけでおっさんにそれとなく聞いておけばいい。焦りは時に勇気にもなるのだった。

 

 

試験と試験の間にぽっかりと空いた日が、一日だけあった。

本当は大学の図書館にでも籠って明日の試験勉強をしたかったけれど、おっさんに話をするために自宅に残った。おっさんは毎日いるわけでもなく、いたとしてもゲリラ的にやってくるので、一時間に一回は散歩をしに出掛け、公園とその周辺を確認した。午前の間におっさんを見つけることは叶わず、試験勉強も全然集中できなかった。そして近所のファミレスで昼食をとった帰り道、普段は見かけない道端でおっさんを見つけた。

「あれ、公園いかないんすか」

俺は咄嗟に声をかける。昨日まで、なんと話しかければいいか色々と考えていたけれど、やっぱり結局はアドリブになってしまうものだ。おっさんはこちらに背を向けた状態からふっと顔だけ振り返って、おう、と言った。

「あいつら最近えり好みが激しくてな」

あいつら、というのは猫のことだろう。小さいコンビニ袋にカラカラに乾いた落ち葉が袋の半分ほど入っているのが見えた。

「そういうの、何で分かるんすか」必死さが顔に出ているのが自分でもよくわかる。焦っているが、それと同時に、少し安堵している。おっさんが「おう」以外の言葉を話しているのを初めて聞いた。

「来るか?」

それだけ言うと、おっさんはしゃきしゃきと歩き出した。いつもの公園の方角だ。

 

ヒュー、と、ヒョエー、の間くらいの不思議な音が笛から出ている。これは俺もよく聞いている音だった。猫を呼ぶ笛である。

「何でそれで猫来るんすか」指先で持てるくらいに小さい竹筒のような笛をさして尋ねてみると、いや、俺も分かんねえな、と、拍子抜けする答えが返ってきた。それでも猫は来る。雑多な景色の中から、にゅるにゅると這い出すように、どこからともなく色々な種類の猫が集まってきた。向こうのブランコで遊んでいた幼稚園児と思しき子供が、ねこだ! ねこだ! と興奮しているが、それを先生たちが一生懸命制している。おっさんは、このあたりで一番の不審者と言っても過言ではない。一番歴史のある、一番無害で、一番意味不明な不審者。

猫が二十匹ほど集まったのを確認すると、おっさんはコンビニ袋から落ち葉を数枚取り出して、横方向に一回、縦方向にも一回、手でちぎり、地面にやさしく置いた。その一挙手一投足を眺めながら、俺が中学の時にやったことと同じだよなあ、と、答え合わせをしていた。気づかぬうちに、やたらと心臓が早音を打っていた。ここからが俺と違うところだからだ。

おっさんが落ち葉から手を離したとたん、猫たちは落ち葉めがけて一斉に突撃した。カリカリやおやつをめがけていく飼い猫と全く同じ様子だ。猫たちの頭が集まっている、その上でまたおっさんは葉をちぎり、さっき置いた場所とは少し離して置いた。争奪戦にあぶれた猫たちがそちらへ猛ダッシュする。改めて、意味が分からないと思った。

あの、と、俺が遠慮がちに切り出すと、おっさんはまた葉をちぎりながら、無言でちらりとこちらを向いた。

「昔からこれ、やってますよね」

「やってんね」おっさんは素直に答えた。

「俺、真似したことあるんす」

おっさんはすぐに答えず、俺の足元に落ち葉を置いた。猫たちが寄ってくる。そして

「どうだった?」と尋ねてくる。

「シカトされましたよ。まじでおっさんすごいっす。何の力があるんすか、これ」

思わずおっさんにおっさんと言ってしまったが、おっさんは特に気にせず、俺もわかんないんだよねえ、と呟いた。

「ちっちゃーいころからこうなの。葉っぱとか、花とか、そういうのを取って地面においてやると、なんか食べるんだよねえ。で、面白半分で笛作ってみたら寄ってくるわけ。なんなんだろうねこれ」

おっさん自身にもメカニズムが分からないとは。しかも、全く分からないとは。おっさん自身もこの謎の力に困っているとでも言いたげな口調だった。

「君も同じなのかと思ったよ。声かけてきたし」そう寂し気に言うので、すみません、と謝った。

 

猫たちが徐々に持ち場へ帰っていくと、全部食べつくされたと思っていた葉は、数枚食べ残されていた。

「ほら、残ってる」

おっさんはしゃがみ込んで、残った葉をぴらぴら裏返した。

「薄い色とか、緑が残ってる部分とかは、なんか食べないんだよね。最近」

「なんででしょうね」俺もしゃがみ込んで色を確認した。確かにあえて残しているような感じがした。

二人でしばらく地面の落ち葉を眺めていた。

俺は、コーヒー飲みます?と言って立ち上がる。おっさんは、牛乳入りのやつがいいな、と言う。

 

公園の池の前まで移動して、ベンチに腰掛け濁った湖面を見ながら話をした。

おっさんによると、昔は水鳥が葉を食べたのだという。水鳥は細い雑草のような草を好むらしく、それらをちぎっては投げ入れていたらしい。何年にもわたっておっさんと水鳥の関係は続いたが、何の前触れもなくその餌やりは終わった。水鳥が草を食べなくなったのだという。ためしにとその辺の草をもぎってぱらぱらと投げ入れたが、ちょっと先で水の上を泳いでいる小さい鳥はこちらを見向きもしなかった。

「当時はまだ中学生だったからさあ、俺も。だから、ちぇって思っておしまい。君と一緒だよ」

はあ、と俺はぼんやりと返事する。今日は天気が悪い。公園全体の彩やかさが、がっくりと失われているような気がする。色も音もない平日の昼下がり。それでね、と、おっさんは続ける。案外おっさんはおしゃべりだ。

「しばらくはこういうことしてなかったの。別に今みたいにずっと暇だったわけでもないしね。だから気まぐれにその辺の草をやってみたりしたけど、どいつもこいつも全然相手してくんない」

そうしてがっかりしていた三十代のおっさんは、ある日鳩が花を食べることに気が付いた。鳩。俺は繰り返した。

「小さいころの成功体験があるから。やっぱうれしくてね。ちょっと花壇のパンジーとか失敬したこともあるけど、やっぱり罪悪感がすごいから自分で育てたりしてたよ。花。一番食いつきがいいのはツツジだったね。さすがにあれはたくさん育てられないからあんまりあげなかったけど」

なんだかすごい話を聞いている。ちょっとクラクラしてきた。甘いカフェオレをぐっと飲みほしたおっさんはコーヒー缶を手持ち無沙汰に持ち替えながら続ける。

「それで、鳩は十年くらいかなあ。また急にふっと食わなくなるの。先週まで飛びついてきてたのになあって。まるで俺のこと知らない人みたいな顔して」

「鳩と友達感覚だったってことすか」そう言うと、わるいかよ、と少し憤慨された。いや、そんなことないっす、寂しいっすよね、と、全然共感できないおっさんの思いを想像しながら先を促した。

「鳩に花をやれなくなってからは、じゃあ次はどいつだってことで色々試して、猫に紅葉した落ち葉をやるのがいいってことが分かった。それが二十年位前かな。普通の落ち葉も食わないことはないんだけど、やっぱ人気ないね」

なにが「やっぱ」なのかは分からないが、黙って先を聞いた。

「それでもう二十年くらいはこうやってる。それはお前も知ってるだろ」

「そうですね、ずっとこの公園ですよね」俺もコーヒーを飲み終わった。公園の裏の通りを救急車が忙しそうに走っていく。おっさんはゆっくり瞬きをして、また話す。

「今までで一番長い付き合いだからさあ、そろそろ食わなくなるとは思うんだよねえ。現に色の強いやつしか食わなくなってるし」

切なそうにそう語るおっさんに、俺は思い出してひとつ尋ねる。そうだそうだ、これを聞いておかないと望月を阻止できない。

「猫に葉っぱって、なんつーか、心配になりません?」

今まで感傷に浸るようにぼんやりと空を仰いでいたおっさんが、ぴくっとこちらを向いた。おっさんの世界観的にこういう質問はやっぱりまずかっただろうか。

「まあなるよ」

「なりますよね!」ほっとして声が上ずった。そうだねえ、とおっさんは今まで通りのやわらかい口調で続ける。

「いったん葉っぱ食わせると、なんか他の食いもんへの興味が薄れるみたいで。春先を過ぎるとちょっと死んじゃったりすんのよ。何も食べなくて」

これはまずい。望月の恐れていたことが起きている。紅葉シーズンを過ぎれば猫は飢えてしまうということだ。死んじゃうのは一部だよとか死んじゃった猫はきちんと処理するよとか、言い訳するように話すおっさんはどうしてだか少しかわいそうに見えるが、おっさんが撒いた種でもある。葉っぱをやらなければ防げた悲劇である可能性もあるということだ。処理という言葉も気になった。

「水鳥とか鳩に比べて猫は当たり前のように生きてはいけないからねえ、そういうバランスなんじゃないかな」また空を仰いでいるおっさんに、俺はまた尋ねる。

「例えば、ふつうに猫の餌をあげたりとかは、したことないんすか」

また、ぴくっとなる。

「ないよ。それだったら誰にでもできるし、ただの餌やりだから」

おっさんの価値基準は分からなくもない。自分だけができるという特権意識みたいなのがそうさせているのだろうか。そうだとしたら、おっさんの動物への心は、中学生の俺や、はじめて水鳥が草を食べたときのおっさんと変わらないじゃないか。

 

おっさんとは日が暮れる前に別れた。またおいでと言われたけれど、俺はちょっと複雑な気分になっていた。まずは、おっさんが意外とお喋りで気さくな人であったことに対する安堵、その次に、おっさんと動物の長い歴史に対する単純な面白さ、最後に、おっさんの動物への現実的な態度に対する疑問、そういう感じだった。

俺はおっさんに話しかけるまで、おっさんは変な人だけど全然普通の感覚を持っていて、猫にも危害は加えていないし、望月の出る幕ではない、みたいなことを言えると思っていた。実際途中までそれを確信していたし、鳩と花のあたりからは三木にも合わせて話してやりたいとかのんきなことを思っていた。なんというか、「おっさんは現代における辻褄の合うファンタジーでした!」っていって、終わるかなと思っていたのだ。

けれど実際、辻褄は微妙にあっていなくて、猫死んでんじゃん、とがっかりした。まあ前提として、葉っぱ食わせて大丈夫なの?という疑問には、まあ結果的に大丈夫みたいだということは言えそうだけれど、百パーセント安心とは言えなかった。一番がっかりしたのは、おっさんがその死について大して何も思っていなさそうなところだった。そこが俺には堪えた。猫を飼っていた俺には。

 

そんな複雑な思いを抱きながら家に帰ると、珍しく姉ちゃんが居間にいた。誰でもいいから今日の話をしたかった俺は、一番この話題に興味がなさそうな人であっても構わず話しかけた。

「姉ちゃん」声をかけると、姉ちゃんは返事をしなかったけれど、いじっていたスマホを充電ケーブルに差し込み、画面を裏にして机に置いた。

「猫に落ち葉あげるおっさんいるじゃん」

「あー」やっとこちらを向いた姉ちゃんはちょっとだけ人の話を聞く顔になった。

「あのおっさんと喋ってきた」キッチンでコップに水道水をくみながら俺はちょっと声を張る。「なんかなーって感じ」

へえ、と、姉ちゃんはいつも通りのふわっとした返事をしたあと、私も喋ったことあるよ、とさも当然のことのように言った。え、と思わず声が出て、飲み途中の水が気管に入りかけてしまい少しむせる。

「あるある。ちっちゃいころだけど。割と気さくだよね」

「なんで」

「なんでってなにが」

「なんでおっさんと喋ったんだよ」襟ぐりの濡れたパーカーにタオルを当てて吸水させながら、俺はまるで詰め寄るように言う。姉ちゃんはなんでもないことのように、大事なことを全部横取りしていく気がする。気がするだけだけれど。

なんでだっけなー、と、おそらく本当に覚えていない姉ちゃんは頭をひねる。公園で遊んでたからかなー、ほんとにちっちゃいときでさあ、と言いながら体を揺らした。

「俺は姉ちゃんのことなんておっさんから聞いてないけど」

「一回くらいしか喋ってないもん。仲いいわけじゃないし。小学校低学年とか、そんなもんよ。ぷに子飼い始めたころじゃなかったかなあ」

ぷに子とは家で飼っていたでぶ猫のことである。本当は別の名前があったのだけれど、ぷにぷにと成長しすぎて愛称はぷに子だった。と、ぷに子のことを呟いた途端、姉ちゃんが何かを思い出した。

「あ! そうそう、ぷに子飼って、猫かわいいーってなって、外にいる野良猫が不憫になっちゃったんだよね確か。それでうちのカリカリとかこっそりあげてたんだよ」

なんと。

「そしたらおっさんにおこられて。当時あの人、地域の環境委員みたいなのやっててね、猫の排泄物とか死骸とか、どんどん増える子猫とか、めっちゃ手を焼いてたらしいんだよね。お母さんにも怒られたもん。よく覚えてる」

なんと。

「だから餌をやらないでって。かわいそうなのはわかるけど、どんどん増えても仕方ないからさって。割と優しかった記憶あるわ、お母さんのほうがよっぽど怖かったし」

俺はぷに子以外の猫など眼中にはなかったが、姉ちゃんにとっては等しく可愛い猫だったということか。そして、おっさんは当時もう猫に落ち葉をやっていたのだろうか。その疑問に答えるかのように、姉ちゃんは続ける。

「かわいそうなら葉っぱをやろうって言って、おっさんが葉っぱちぎってやってたの、初めて見たのはその時かもね。あれからずっとおんなじことしててさあ、なんか私のせいかもって思うこともある。まあもうそれ二十年とか前だし気にしてないけどね」

俺は絶句した。姉ちゃんのせいかよ。

いや、でも、カリカリから落ち葉に変えたところで、猫の繁殖が抑えられるとは到底思えないけれど……。もしかして、猫が新たな「おっさんの友達」になったことで、おっさんは猫を駆除することを自らやめてしまったのだろうか。なんにせよ、おっさんの歴史に姉ちゃんが登場したこと自体が驚きだった。興味がないから気のない相槌なのかと思いきや、罪悪感からのそれだったとは。俺は落ち着くためにもう一杯水を飲んだ。

「おっさんと今日話してさ。いっこだけ引っかかったんだよね」

「うん」姉ちゃんの相槌はいつもより心がこもっている。

「落ち葉だけあげてると夏場とかに死んじゃう猫もいるらしいんだけど、あんまりそうやって死んでいく猫をかまってないっていうか。いちいち心を痛めてない感じがちょっと。自分が落ち葉ばっかあげてるせいじゃんって思ったりもした」

言いながら、自分でもちょっと分かっている。姉ちゃんが答え合わせをするように言った。

「それは環境委員だったからでしょ。むしろ生かしてることに罪悪感あるんじゃないの」

 

 

二週間が過ぎ、カレンダーをめくって次の月になった。

望月からLINEが来た。例の怪しいおっさんに、猫に枯葉をやるのはやめたほうがいいと説得しに行こう、と。俺は通話ボタンを押して、望月を呼び出す。

望月には、一通りの顛末を話した。おっさんは別に怪しい者ではなく、過去に地域の環境委員をやっていたくらい普通の人という面もあること。なんだか分からないけれど、昔から生き物に草花をやって鳥や猫が喜ぶのだということ。俺も目の前で改めて確認したが、本当に猫がうまそうに、おっさんのちぎった落ち葉を食っているということ。そして、死んでしまった猫はきちんと葬ってやっているということ。いきり立っている望月に「処理」という言葉を使うことは憚られたので少し気を使った。

「でも、その話がほんとだったとしてさあ、結局猫を生かさず殺さずしてるってことじゃないの、それ」

望月の言葉がとげとげしい。

「例えば、俺らのサークルは、去勢処理ちゃんとしてからちゃんと可愛がってるよ。もう増えないし、かわいそうじゃないし、一番いいじゃん。ていうか、うちのサークルに任せてくれればいいと思うんだよね、その猫とか」

文句ある?とでも言ってきそうなくらい語気が荒かった。話せば話すほど、火に油を注いでいるように思えた。

「環境委員だっけ。なんかそういうやつなんでしょ。それだったら俺たちに快く任せてくれるはずだと思うけどね。うん、決めたわ。明日行く。お前来なくてもいいよ。南口のほうにある池のある公園でしょ、分かるから」

ブツっという、およそスマホでは聞けないような切断音ののち通話は終わった。やばいやばいやばい。俺は再び焦る。望月があんなに不信感を募らせているとは思わなかった。言わなければよかったとあの日のことを強く後悔した。

とりあえず公園へ行ってみたが、当然のように夜のそこにおっさんはいなかった。一匹だけ見つけた猫が歩いていくのに少しついていったみたが、その先に何があるでもない。そういえば、とポケットに入れっぱなしのオレンジ色をしたケヤキの葉を細かくちぎってその猫に差し出してみるが、やっぱりつれない。

嫌な予感ばかりが頭を駆け巡りながら帰路につく途中、足元になぜかちぎられた葉がこの前よりも多く落ちていた。それに気が付いた俺は、この前のようにしゃがみ込んで、葉をぴらぴらとしてみた。

その葉は、真っ赤であった。

 

 

翌日、焦る気持ちを抑えながら公園内外をぐるぐると散歩兼偵察をしていると、なにやら聞き覚えのある声が池のほうからする。そちらのほうへ走っていけば、まさに望月が現場を取り押さえていたところだった。ああ、せめておっさんに望月のことを話しておけばよかった。そう後悔しながら駆け寄った。おっさんは寂しそうな顔をしている。

「なんですかこれ」

望月はまだ語気を荒げてはおらず、あくまで冷静に言葉を選んでいた。けれどそこに含まれている敵意のようなものは全く隠されておらず、俺でさえ少しびびった。

「猫が葉っぱを食べるっていうのは嘘だったんですね」

俺は耳を疑った。猫が葉を食べるのが嘘?

状況の読めない俺の姿に気が付いた望月が、俺にははっきりと苛立ちを込めてもう一度言った。

「おいお前、いくらなんでもひでえ嘘だよ。猫が葉っぱ食うなんてさ。お前の話がうまいから信じそうになったけど、こんな簡単な嘘すぐばれるじゃん。何がしたいわけ」

違う。おっさんの猫は食うんだよ。そう言おうとしたが、望月とおっさんの間に積もっているそれを見て、俺はなんとなく状況を察してしまった。

昨日見たものと一緒だった。それは、猫に一口も齧られていない、綺麗な葉の山だった。

つまり、昨日あたりから、急に食べなくなったのだ。

何も言えない俺に語り掛けるように、おっさんは小さい声で言う。

「いいんだ。もう三度目となるとね、けっこう諦めもつく。今回は長かったよ。二十年、結構楽しませてもらったからねえ」

まるで誰かが死んだときのような気持ちだ。大切な人がいなくなってしまったような。

きっとこの公園を歩いている人たちに協力を仰げば、ちょっと前までこのおっさんが猫に落ち葉をやっていたことは証言してもらえるだろう。けれど、だから何だというのだろう。

「望月」俺は何も期待せず言う。

「残念だったな。ほんの何日か前までは、それこそ嘘みたいだけど、食ってたんだよ。ほんと目の前で見ても奇妙だったよあれは。だからさ、嘘だなんて大声で言うなよ」

 

猫を呼ぶ笛も使い物にはならなくなっていた。ヒョエーと吹いてもそれはただ風を撫でるだけで、どこからも猫の気配はしない。猫が集まらなければ猫サークルも手の施しようがないため、望月も諦めたようだった。加えて、目をしょぼしょぼさせたおっさんには何も言えないようで、三人でしゃがみこみ、おっさんの集めた落ち葉をしばらく眺めていた。

落ち葉は綺麗だった。つやつやとして、果物のように色づいていて、確かにおいしそうと思えなくもない。だからと言って食べるかどうかはまた別の話だが。

「時期が来ると食べなくなるんだよね。前は鳩だった。彼らももう食べないのよ」

全く信じていない望月に、それでもおっさんは言った。きっと言うことしかできないのだろう。俺はおっさんのしょぼしょぼの目をじっと見つめた。

「次は何かな……」

その言葉を合図とするように、おっさんは目の前の落ち葉を両手いっぱいに抱えてゆっくりと立ち上がり、池の淵まで歩いて行った。俺たちはそれについていく。

今日も公園は曇っていた。曇っていたが、この前と違って澄んでいるような気がした。

「鯉にでもやろうか」

おっさんはそう言って両手を池のほうへ傾ける。さらさらさら、と落ちていく細かな葉が、湖面をすべるように広がっていく。色とりどりの紅葉。

葉を餌と勘違いした鯉が遠くで一度ぴちゃんと跳ねた。しかし、それきり湖面は静かな沈黙を守るばかりだった。葉は風に揺らめくように、どんどん散らばっていく。それはとても美しい景色だった。

風がやむのを待って、俺は二人に、コーヒー飲みます? と提案する。秋は終わり、息の白くなる冬が、すぐそこまでやってきていた。

2018年12月4日公開

© 2018 わに

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