星のお茶会

藤井龍一郎

小説

3,047文字

そもそも、そんな言葉があったのかどうかさえ、ぼくには思い出すことができませんでした。

辺りは真暗で、鉄製の重そうな扉だけがまるで自ら光を放っているかのようにぼんやりと浮かんでいました。

ぼくと月は目配せをして扉の前に立ちました。

月は不安そうな顔でぼくの服の袖を掴んでいました。

両手で扉を押すと見た目に反してそれは驚くほど軽く、音もなく開きました。

触れただけでひとりでに開いたような気さえしました。

部屋のなかに入ると視界がぱっと明るくなりました。

照明が灯いたのかと思い見上げるとそこに天井はなく、彼方から白っぽいあたたかな光が降りそそいでいました。

部屋に余計な装飾はなく、白いクロスのかかった大きな長テーブルが中央に鎮座していました。

椅子は八脚用意されていました。

まだそのすべてが空席でした。

ぼくらは扉から最も遠いところに並んで座りました。

気がつくとぼくらの前にはそれぞれ湯気の立つ紅茶の入ったカップが置かれていました。

まわりを見ても誰もいませんでした。

いったい誰が淹れてくれたのだろう、と不思議に思いながらも香りに誘われて一口飲んでみました。

その紅茶はぼくの好きなブレックファーストアールグレイでした。

いまが何時なのか、ぼくには思い出すことができませんでした。

マルコポーロ、月が小さな声で云いました。

 

 

扉が音もなく開きました。

部屋に入ってきたのは火星でした。

「やあ、きみたちがいちばんだったか」火星はぼくらの顔を見るなり云いました。

「なかなか誰も来ないから、場所を間違えたのかなって、月と話していたところだよ」

「確かに、きみたちがいなかったらおれもそう思ったかもしれないな。だってあまりに殺風景で不気味だ」

「慣れると居心地いいよ。光があたたかくて気持ちいいんだ。何処からともなく紅茶があらわれて、おかわりまでしてくれる」

「へえ、おもしろいな」

火星はテーブルを挟んでぼくらの向かいの席に座りました。

「最後に会ったのはいつだっけ」

「さあ、どうだったかなあ。つい最近会ったような気もするし、ずいぶん長いあいだ会っていなかったような気もする。あるいはぼくらはずっと会っていたのかもしれない」

火星の前にもいつのまにか紅茶の入ったカップが置かれていました。

「ジエルか。趣味がいいね」

「ぼくのはブレックファーストアールグレイだった。月のはマルコポーロ」

「云わずとも好みの紅茶を出してくれるのか。気が利くね。きみの云うとおり、確かに居心地がいい。あたたかいし、とても静かだ。外の音も聞こえない。おれの足音に気づいた?」

「いや、まったく聞こえなかったよ。扉が開いた時も。あんなに重そうな扉なのに」

「すごく軽かった」

「うん」

「みんなまだかな。いまは何時だろう」

「わからない」

「昼かな。夜かな」

「わからない」

そもそも、そんな言葉があったのかどうかさえ、ぼくには思い出すことができませんでした。

「そういえばきみは月を連れてきたのか。だったらおれもあいつらを連れてきてやればよかったな」

 

 

扉が音もなく開きました。

部屋に入ってきたのは金星でした。

「あら、わたしがいちばんかと思ったのに結構いるじゃない」

「と云ってもきみで三組目だよ」

「元気にしてた?」金星は月のやわらかい髪を撫ぜながら云いました。

月は笑顔でこくこくと何度も肯きました。

「いいもの飲んでるじゃない。わたしにも淹れてよ」

「席につけばいいのさ。そうしたら勝手に淹れてくれる」

「どういうこと?」

「まあいいから」

金星は納得がいかない様子でしたが、火星に云われるまま月の隣に座りました。

「ふたりとも変わらないわね」金星がぼくと火星を交互に見ながら云いました。

「そうかなあ。おれはともかく、彼はずいぶん変わったと思うよ」と火星。

「そう? なにも変わってないように見えるわ。変わったとしても、わたしは気にしないけれど」

「そうだね。そうかもしれない。その方がいいな」

「ところでわたしたち、きょうはなんの集まりなわけ?」

「なんだ、そんなことも知らないのか」

「教えてよ。わたし、気づいたらあそこにいたの。あの扉の前に。なぜかわからないけれど、きょうはみんなで集まるんだって」

「それがおれたちにもわからないんだ。我々はそんなことも知らないで、しかしこうやって集まっているのさ」

「そうよね、そうなのよね。きょうみんなで集まるのは間違いないのよ。でも、なぜだったかしら……」

金星はそれきり黙ってしまいました。

せっかくの紅茶にも手をつけませんでした。

あれは彼女の好きなカサブランカなのだろうか、とぼくは思いました。

 

 

扉が音もなく開きました。

部屋に入ってきたのは木星でした。

彼女の紅茶はウエディングでした。

 

 

扉が音もなく開きました。

部屋に入ってきたのは海王星でした。

彼の紅茶はシャンデルナゴールでした。

 

 

扉が音もなく開きました。

部屋に入ってきたのは土星でした。

彼女の紅茶はマニョリアでした。

 

 

扉が音もなく開きました。

部屋に入ってきたのは天王星でした。

彼の紅茶はニル・ルージュでした。

 

 

扉が音もなく開きました。

部屋に入ってきたのは水星でした。

彼の紅茶はリュシュカでした。

 

 

「まさか自分が最後だとは思わなかった。結構早く来たつもりだったのに」紅茶を一口飲んでから水星が云いました。

「みんな同じこと云ってる。誰も集合時間なんて憶えてやしないのに」

「うん、そうなんだ。自分も憶えてない。でも行かなくちゃって思った。いや思ったのかな。それもよくわからないや」

「でも、みんなここに集まった。約束をしていたのか、偶然に集まったのかわからないけれど、みんなここにいる。こうしてお茶会をしている。きっとそういう時なんだ、いまは」

「そうかな。そうかもしれないね」

「ぼくは満足だよ。こうやっておいしい紅茶が飲めて、みんなとお喋りができる。幸せだ」

「うん。そうだね」

いつのまにかテーブルの上には紅茶だけでなく、ケーキやクッキーがたくさん並んでいました。

ぼくらは思いおもいに食べて、飲んで、そしてお喋りしました。

ぼくは自分が少し眠くなっていることに気づきました。

そんなにぎやかな微睡のなかで、突然、扉がノックされました。

小さな音でした。

ぼく以外は誰も気づいていないようでした。

また扉がノックされました。

今度は少し音が大きくなりました。

やはり誰も気づいていないようでした。

「ねえ、誰かが来たよ」ぼくは云いました。

「誰かって誰だい。おれたちはここにいるじゃないか」

 

そうでした。

 

ぼくらはここにいるのでした。

席はすべて埋まっていました。

ぼくは月を連れてきてしまったせいで、誰かの席を奪ってしまったのだろうかと思いました。

けれど、この場にぼくらは九人いるのでした。

部屋に入った時、椅子は八脚しかなかったはずでした。

それに気づいた途端、ぼくはたまらなく悲しくなって、涙が溢れてきました。

ぼくは声をあげて泣きました。

月が頭を優しく撫ぜてくれました。

ぼくは月の小さな胸に顔をうずめて、すべての涙が枯れるまで、ずっとずっと、泣き続けました。

2018年10月15日公開

© 2018 藤井龍一郎

読み終えたらレビューしてください

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


この作品にはまだレビューがありません。ぜひレビューを残してください。

破滅チャートとは

この機能は廃止予定です。

タグ

この投稿にはまだ誰もタグをつけていません。ぜひ最初のタグをつけてください!

タグをつける

タグ付け機能は会員限定です。ログインまたは新規登録をしてください。

作者がつけたタグ

純文学

"星のお茶会"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る