白い星、赤い星、赤い星や緑の星、色んな色をしてキラキラピカピカ輝く星達は、みんな仲良しのお友達。夜になると空を照らす為に身体を光らせます。
ある日お月様に呼ばれます。お月様は地上を指さしてこう言いました。
『一番光輝いた子には、人間たちの様に特別な名前を付けてあげましょう。』
どの星も張り切って、めいっぱい輝こうとするのですが、青白い色の星だけはいつもと同じように光っています。
お月様は尋ねます。
『どうして他の子と同じようにめいっぱいやらないの?』
青白い星はこう答えました。
『いつも、めいっぱいやってるから、これ以上光るのは無理よ。私はいつもめいっぱい光ってるの!』
なるほど、とお月様は言います。毎日頑張っているこの子は張り切るも何もなく、ただいつもどおり光らせているだけだったのです。
頑張り屋さんなその青白い星をお月様は大層気に入って、スピカという名前を付けてあげました。
いつだったかの遠い昔、多分幼稚園ぐらいの頃に読んだ絵本が忘れられない。今となっては本当に絵本だったのかすら定かではない程に古ぼけて遠のいた記憶は、夜の星々の話だった。
何が琴線に触れたのかはわからないけれど、物心ついた時には星座やプラネタリウムが好きで、それは今も変わらない。……どころか、少々悪化している気がしないでもない。
専門学校を卒業して暫く、修行を終えて始めたネイルサロンは『スピカ』だし、流行やベーシックなデザインもできるけれど一番得意なのはグラデーションと3Dを多用したネイルで、中でもギャラクシーネイルと呼ばれる宇宙・銀河を彷彿とさせるものでお客様に褒めていただくこともちらほら。自分のネイルも勿論、星空をモチーフにしたブルー系が多い。最早何かにとりつかれているんじゃないかと疑わしい。
「はい、これで完成です。気になる箇所はありませんか?」
トップジェル迄全ての工程を完了させたところで目の前のお客様に声をかける。時折やって来る男性のお客様で、グラデーションを中心としたネイルを気に入られ、結構な頻度で通ってくださる方。男としては細くて華奢な、けれど左の指先だけ妙に皮が厚くてごつい、不思議な手の持ち主だということは解っている。初来店時にカルテは記入していただいてるけれど、勿論プライベートでのお付き合いは無いのでどんな仕事をしているのか、どんなライフスタイルなのかがわからない。
「いつもありがとうございます。ばっちりです!」
仕上がりに納得いただけたらしく笑顔を向けられる。こうやって喜んでもらえることは、お給料にも代えがたい喜びだ。仕上げのハンドマッサージをしながら他愛ない話をする時間も、個人的には結構に気を遣うのだけど、今までのお客さんの中でもこの人は不思議と壁を感じない。寧ろ、近くにおいで、と諸手を挙げてアピールされている気さえする。
「今回はいつもに増して明るいお色を使わせてもらったんですけど、お仕事とかは大丈夫なんですか?」
フリーランス、ファッション業界、メイクアップ業界等、ネイルが許される職種もあるだろうけれど、基本的には男性はネイルサロンにこまめに通ったりはしないと思う。経験的にも、社会的にも。スーツのサラリーマンがホロやホイルで輝く紫のネイルをしている所なんて想像もつかないし、メジャーリーガー選手が『趣味はネイルアートです』だなんて聞いたことも無い。プライベートな事は本来は聞くべきではないのだろうけど、今回は赤ベースにストーンまで乗せていることを考えるとちょっと仕事が気になった。すぐに『やっぱり地味な色に直してください』と言われるのも、仕方が無いこととは言え少しだけ悲しいし。
手元のカルテをチラリと横目に見る。ごく一般的な名前の、普通の住宅街に住んでる、若い男性。そんな印象しかない。作業台の上を片付けて保湿クリームのポンプを取り出した時に返答があった。
「俺、駆け出しのバンドマンなんですよ。まだそんな、テレビとかは全然出てないんで有名人とか芸能人とか、全然そんなんじゃ無いんですけど。で、楽器触ってるときに自爪だと引っかけて割れちゃったことあって。そん時にメンバーの勧めでネイルやってもらったんですよ。で、男性OKの個人サロン転々として、スピカさんが一番落ち着くし好みだったんで……」
先の疑問の謎が解けた。指先の皮が厚いのは、楽器を触るからだったらしい。生憎テレビもあまり見ない私に彼の活躍を知る余地は無かったのだが、プロとしてお金を貰っているのならばかなりの腕前なんだろう。口先で営業用の『えーすごい』を吐き出しながらマッサージを始め、そんなことを考えていると言葉が続いた。
「初めての全国ツアーなんで、どうしても赤いネイルにしたかったんです。」
ぽつりぽつり、語られていく彼の言葉を、営業用の相槌を打ちながら聞いていた。それはまるで青春映画のような、夢と希望と、淡い恋心で作られた物語だった。
「素敵ですね、そんな思い入れのある大事な舞台のネイルがウチでよかったのかちょっと心配ですよー。」
あはは、と自嘲気味に小さく笑いを入れてお愛想。マッサージを終えて『お疲れさまでした』と声をかけようとした時に、さっきまでと表情が違うことに気が付いてびくり、とする。思わず何か失礼な事を言っただろうか、と会話内容を反芻する。
「今まで行ったネイルサロンはどこも、男性OKとかって言いながら、女性のお客さんより雑に扱われたり、こっちの希望とは違うものをサッと作って終わりだったんですよ。ココでしてもらう時って、俺でもわかるくらいいつも真剣にやってくれてたじゃないですか。今回の注文だって、技術的な事は解らないけど、赤系、マーブル、ストーン、一度にいろんなことやってもらってますし、最初から最後まで男のくせに、とか感じなかったんですよ。いつも目安時間限界まで色々やってくれて、考えてくれるのが嬉しくって。だから、絶対ツアー前に一度行かなきゃな、って思ってたんです。」
思わず、手が止まる。真剣な表情で褒められて、感謝されて、悪い気がしない人間がいるだろうか。疲れて、ささくれ立っていた心が温まるのを感じた。どんなお客様にも自分が持ちうる精一杯を、と思い続けてやってきた。その努力を認められた気がして思わず顔がにやけそうになるのを、マスクで隠すのに精いっぱいになる。
嬉しい、ありがとう。今まで何人ものお客様に感謝の言葉を戴いた。けれど、中には上っ面だけの言葉もあったし、ネットでレビューを見てみれば辛辣なコメントがあって反省したり、落ち込んだりもした。それでも懸命にやってきたのは、この仕事が好きだからだし、心から喜んでくださるお客様の温かみがあったからだ。
声をかけて一度離席、会計用のトレーに明細を載せて戻るまでの間に何度か深呼吸を挟む。営業用の表情に戻してから席に戻ると、どこまでも気の利いたお客様は既にきちんと財布を出して待ってくれていた。
「そういえばお店の名前って、お姉さんのお名前からとったんですか?」
「え?」
丁度の金額をトレーに載せていただき、レシート類を渡すと問いかけられた。思いもよらぬ質問ではあったが別に他意は無いだろう。名前はHPにも載っているし、最初に来店してくださったときに名刺も渡してあるから、名前を知っているのはおかしなことでもないし。
「スピカ、って、和名だと真珠星ですよね、確か。名刺に真珠ってあったのみて、だからかーって……すいません、なんか、思い込みで余計な事言っちゃって。」
じゃあ、またお願いします!と満面の笑みで上着を抱えて玄関を潜る彼を見送った後、スマホで調べてみる。確かに彼の名前は、本名と表記こそ変えてあるものの、大手音楽会社の新人バンドに属していて、画像やサンプル音源、ミュージックビデオも簡単に見つかった。
続けてスピカについて。なんとなくおとめ座ということと春の星だとは知っていたけれど、Wikipediaには和名の由来まで掲載されており、何の因果か、と少し笑った。
幼い頃に読んだあの絵本の結末がどうだったのかはもう覚えていない。けれど、あの本の中の常にめいっぱい輝いていたスピカに少しだけ近づけた気がした。
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