もっともシンプルな河童の飼育方法

応募作品

長崎 朝

小説

5,551文字

2018年9月合評会参加作品。
「嘘だと思って読んでください」

ともすれば、誤った知識に流されがちな河童の飼育。あなたは、間違った河童の飼い方をしていないだろうか?

河童の飼育方法に、正統も異端もない。何が正しいなんて誰にもわからない。しかし、なるべく間違っていると思われる方向に進まないようにだけは、われわれの努力次第でなんとか舵をとっていけると思うのだ。

河童の飼育に関しては、すでに多くの資料が世の中に流通しているが、本編は、もっともシンプルに、いわば初心者向けに、河童の基本的な性質やその飼育全般について解説し、まとめたものである。河童飼育の入門編としてお読みいただきたい。

 

 

1 多摩川で放し飼いにする場合

 

もしあなたが河童を本気で飼おうと思っているのなら、当然ながら、何らかの形で個体を入手しなければならない。

その場合、成体にするか、卵にするのか、まあちょうどいいくらいに仔河童にするのかという選択肢がある。もちろん、おすすめは、まだ愛らしく無邪気な姿を見せて楽しませてくれる仔河童である。河童に対する愛着を持ち、なおかつ向こうのほうからも信頼を得るためには、なるべく幼体から始めるのがベストだと言われている。

それなら卵から孵化させればいいではないかと思うかもしれないが、河童の卵を孵すのには研究者でさえ音を上げるほどの手間がかかる。室温(孵卵器内の温度)は摂氏42度に保ち、20時間おきに極紫外線(通常、地上においてはシンクロトロン放射によらなければ放出されない)の照射と、完全な暗闇での安置を繰り返す。これを200日間行うのである。

だから普通は、河童の幼体から始める。

これはたいてい、ペットショップに売っている。直接川から捕獲するのは、あまりに危険が伴うし、乱獲の影響を受けて現在の日本では、天然河童にお目にかかれる機会はもうほとんどない。

河童の価格は品種によってまちまちだが、血統書付きの最高級のものだと6億円ほど値が張るものもある。よく縁日の屋台で売られているのを見かけるような、緑色の廉価版タイプは、数百円から購入可能だが、それらのほとんどは小さいまま数日で死んでしまうので、おすすめはできない。

また、長い年月に渡って、河童は愛玩用や狩猟用、鑑賞用に品種改良され、今日では実に多種多様な外見的特徴と、性格的差異を獲得するにいたっている。国際水生生物連盟には、2016年時点で、43の品種が登録されており、それ以外に未登録のものも含めると、その総数は世界中でおよそ70種におよぶと言われている。

たとえば渋谷のペットショップで販売されている、アメリカンコッカースパニエルという中型品種は、もともと狩猟用だったのが愛玩用に改変されて広まっていったもので、映画『わんわん物語』にも出演するほどの人気種となっている。歴史をたどればこれはアメリカ生まれというよりは、スパニエルという名のとおりスペインが原産で、それがヨーロッパ各地へ、それから海を渡ってアメリカへと持ち込まれたという経緯があるようだ。

性格は人懐っこく好奇心旺盛で、基本的におおらかなため、警戒心や神経質な面は少なく、遊び好き。

たとえば日本出身の柴河童はどちらかというと自立心が強くクールな性格のため、甘えることに関しては控えめだが、服従心や忠実さには定評があり、保守的かつ防衛心が強い。テリトリーに対する執着もそれなりに見せるため、コッカースパニエルとは対照的だといえる。

ペットショップで河童の幼体を入手したら、まずは名前をつけよう。ちなみに2016年において、よく日本で河童につけられた名前は、雌雄問わず、

そら/はな/こてつ/ころ/小太郎/きなこ/さくら/あずき

であると報告されている。これはあくまで参考にすぎないので、誰でも自由に愛着のわく名前をつけてやるとよい。

 

次に餌を与えてみよう。

もちろん、室内飼いであれば、市販されている河童用フードを与えれば問題はないのだが、実はここに思わぬ落とし穴が隠されている。とくに、川で放し飼いにする場合は、市販フードばかりを食べていると、遊泳の際に不可欠となる特殊な栄養素、アリカマトチンが合成されにくく、それを補うためにいちばん合理的な食餌は、最新の研究によると驚くなかれ、キュウリだというのである。そして、リポDでいうところのリポビタンゴールド、ユンケル黄帝液でいうところのユンケル黄帝ロイヤル2、あるいはスパークユンケルDXにあたる、より効果的な栄養補給メニューは、かっぱ巻きである。寿司は基本的になんでも好きだ。

 

ここまでくれば、もう簡単。あとは勝手に成長してくれるので、ある程度なら放っておいても問題ない。河童は寝たいときに寝て、飲みたいときに飲み、やりたいときにやる。ときどき風呂に入る。ときどき皿を洗う。それだけだ。

雌は孵化後、およそ2000日で排卵可能となるが、これにはかつて異論があって、実際は十数年かかるという極端な説まで存在していたのだが、現在ではほぼすべての研究が、2000日というところで一致している。

ペットショップで購入できる河童は通常、避妊・去勢手術を済ませているため、放し飼いと家飼いとを問わず、特に気にすることはないし、河童は発情したとしても別段普段と変わりなく、ほとんどの哺乳類と比べても穏やかなものだ。

ちなみに、河童の交尾は通常、雌1頭に対して雄が2頭以上で行われる。これは、受精卵の父親が誰なのか分からなくするための工夫だと言われている。このおかげで河童は、人間が選び取った愚かしい婚姻システムを回避することが可能になったのだ。

寿命については、一般的に20000日と言われている。中には長寿のもので200歳くらいまで生きた例が報告されている。

 

さて、次はいよいよ川に放流してみよう。

まず大人になった河童と連れ立って、多摩川の河川敷まで行く。スポットはたくさんあるが、おすすめは小田急線和泉多摩川駅付近の堤防だ。なぜなら、新宿からもアクセスしやすいし、川の中にもアクセスしやすい箇所があるからだ。

そこへ連れていけば、まあ普通の河童は川へ静かに入っていくだろう。川がやはり好きだから。狩猟品種の河童なら、川魚をいくらか捕まえてきてくれるに違いない。川辺に座って、河童の帰りを待つのもいいし、数日間放置したところで河童はへっちゃらなので、また気の向いたときに連れ帰れば問題ない。ただし、あまりに長く放置するのは考えものだ。自然界において、河童が自力で餌を手に入れるのは容易ではないし、キュウリを食べさせてあげなければならないから、やはり2週間以内には連れ戻すか、キュウリを与えに様子を見に行くべきである。

 

 

2 家で飼う場合

 

家河童は、当然ながら基本的性質などは放し飼い河童と同じである。しかし環境にもよるが、読書好きで文化的に育つことも多い。この章では、資料として、実際の文化的河童による創作活動、日記の執筆などを、断章形式でほんの少し紹介しようと思う。

家河童と付き合う参考になれば嬉しい。これらを読むと、多摩川に対する憧憬、野生時代へと思いを馳せる様子が伝わってくるような気がする。重要なのは、実際に川で泳いだことのない河童でも、こういう描写を想像力によって為し遂げうるという点である。

 

 

入水の心得

 

 

水に入る際に大切なことは、同意することだ。飼育者もそう言っていた。一見停滞しているように見えたとしても、水の層の下のほうは流れている。それは軽々と足もとをすくい、体をさらっていく。そこに、流れが存在するということ。逆らわず、その流れに同意し、これから起こるすべてのことを受け入れる心を持ち、身を任せる。そのとき、私の体は純粋な「物」としてあるのだ。私が沈むか浮かぶかは私の決めることではなく、川の意思が決める。水が体表を噛み、細胞たちに従順さを要求し、まずそこから熱を抜きとる……。血の気が失せ、ただの塊となって流されていく……。

豪雨などで川面が高水敷を飲み込んでいないかぎり、なだらかな最後の勾配を水中に向けて下ろしている、コンクリート製のへりを使う。そこがいわゆる岸で、岸辺の付近は淀みのように水流が曖昧になって、濁りが溜まっている。この場所では、そこからへりが川側にカーブし、人の背丈よりも高い植物が、川にせり出すように群生した一帯がある。その半島のように突き出た部分がまるごと壁になっているために、そこで水が返ってくるのだ。双方向の流れは相殺され、方向すらも失われ、水は行き場をなくす。表面上、たしかにその場にとどまり続けるかに見える水は、しかし深層では変わらず流動していた。同じ水は、二度と同じ場所にとどまり続けることはなかった。

私は、水に降りるのに使うそういう場所を、飼育者にならって〈きっかけ〉と呼んでいた。

増水の程度により、水がちょうどすれすれ高水敷を舐めることがある。そのとき、勾配は隠れ、コンクリートのへりと川面は平になって地続きのようになり、腰をかがめることなく、そのまま自然と川の中へ歩いて行ける。すぐに足の下はあやふやになり、もがくことを抑制すれば、体はすっと水に掴まれ引きずられる。その瞬間、二足歩行をする縦長の身体の、いかに不安定であることかを思い知らされる。そもそも、その姿勢を選びとった進化とは何なのか。大地に「直立する」。そのことの奇怪さを、違和感を、川が溶かし流す。私は、物として、奇怪さとして、移動していく。

 

 

 

ぬかるみに足をとられて、水際の、植物群に覆われたコンクリートの堤防の端から、流れに引きずり込まれたという感覚はあった。対岸の、いかにもさびれた風なラブホテルのネオンサインに、自分でも分からず気を奪われた。意思の届く範囲と、思ってもみない領域のあいだに、川があった。川は、あるいは私の中に深く染み入り、私の中を滔々と流れていると言ってもよかった。

――私は繰り返し川に流された。どうしてかはわからないが、咄嗟に、頭の中でそんな言葉が浮かんでいた。そう唱えると、それはひとつの事実としての強度を増した。まるで、そういう競技が存在するかのように、静かに、なるべく水音を立てないように注意して、私は川の流れの中に身を投じた。自らの意思で流れに脚を差し入れ、あとは、思いもよらぬ力に自動的に押し流された。いまにはじまったことじゃなく、思わず口を衝いて出たとおりの繰り返される現象で、周期をもち、自律的なものとしてそれはあった。

そしていま、またこうして抗いがたく川の流れに飲み込まれたらしい。土砂降りの日暮れだった。流されながら、酒のつまみにと思って買っておいた、鯖のオイル漬けの缶詰が、台所のガラス戸棚にあるのをずいぶんの間忘れていて、早く取りに行かなければという思いにとらわれていた。だが、私にはそんな戸棚はもともとないのだった。家にあるのは簡易的な、組み立て式の白のスチールラックだし、鯖のオイル漬けを食べるのは主人のほうだ。

わずかに上流に、私鉄の通る橋梁が川を跨いでいて、都心から下る急行列車が帯のようになって光りながら金属質の轟音を降らす。そういう仕掛け花火を、いつか見たことがある気がした。

 

 

――われわれのいるところには、川と、火と、鉄橋と、曖昧な向こう岸があり、そのほかにはなにもなかった。川は灰色に濁っていて、ときどき魚が水面から跳ね上がった。魚は、空中に何かを置きに来ているのだと思った。そうやって眺めていると、魚は思った以上に頻繁に跳ね上がることがわかった。ジャンプし、そこに何かを置いて、再び水中へと消えていった。その、何かを置くという行動は、誰が見ていようが見ていまいが延々と繰り返され、われわれとは無関係な自律したものとして行われていた。

魚が跳ねる。到達点に、何かを置く。そして川に潜る。魚は何かを置いている。それもまた、ひとつの完結した円環だという気がした。

 

――不意に私は雨の中にいた。雨蛙が鳴きだし、植物と、世界が濡れていった。あたりはすでに暗く、風景の細部は後退して遠ざかっていた。あらゆる境界が黒く溶けて方向性が失われかけている……。

 

 

ここまで、河童の基本的性質と、ごく初歩的な飼育方法とそれに関連した知識を書いてきた。これらは、冒頭で述べたとおり、初心者向けの入門編ともよべる、河童飼育の言ってみればほんの「さわり」にすぎない。字数も限られていたため、当初予定していた原稿のかなりの部分を不本意ながら削らざるをえなかった次第である。しかし、それについて文句を言う資格は筆者にはない。

本来、河童というものはシンプルなものではない。本作にあえてシンプルとつけたのは、ややこしくて取っつきにくい河童のイメージを、少しでも払拭してもらいたいと考えたからだ。次作では、河童の複雑さやその飼育のややこしさについて、いわば「応用編」として、もう少し詳細な解説を書いてみたいと思う。

本編を読んだ方の、河童に対するイメージがいくらかでもシンプルになったとしたら幸いである。

 

※参考文献・資料

 

・「国際獣疫事務局(OIE)」ホームページ

・「生物多様性センター(BiodiC-J)」ホームページ

・「国際畜犬連盟(FCI)」ホームページ

・ウェブサイト「みんなの犬図鑑」

2018年9月16日公開

© 2018 長崎 朝

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"もっともシンプルな河童の飼育方法"へのコメント 5

  • 投稿者 | 2018-09-21 10:17

    出題者に対してこんなことを言うのは僭越だが、テーマの扱いが浅い気がする。「嘘だと思って読んでください」というテーマが生かされている部分が河童の荒唐無稽さ以外にほとんど見当たらない(もちろんただ私が見逃しているだけという可能性も十分考えられるので、合評会当日に反論してほしい)。設定も科学小説みたいに細部まで凝っているし、文章も端正。語りにはユーモアがあって読んでいて楽しい。特に河童の書いた文章とされる引用部分には、文学らしさというジェスチャーや高尚を気取る文学に対する痛烈な批評性さえ感じられる。以上のように、作者が優れた書き手であることは一文一文からびんびん伝わってくる。でも最後に残ったのは「で?」という疑問だった。普通のフィクションとして十分に楽しめる作品であり、「嘘だと思って読んでください」とわざわざ特記する必然性に欠ける。

    表現についてはほぼ文句なしではあるものの、本文中2度使われる「たとえば」という言葉が何に対する例を示しているのかどちらの場合もよく分からなかった。

  • 投稿者 | 2018-09-21 22:14

    河童の生態について、実在する生物を語るかのように綴るのは、それらしく思わせるだけの筆力があってこそできるものだと思うので、凄い文章力だと思いました。また、嘘についてここまで大真面目に徹底して書くというのは、一体どれほどの想像力と知識が必要なのだろうとも思いました。ただ、この小説を読み、河童に対するイメージが僕の中で何か大きく変わったというわけでもなかったので、それは少し残念でした。

  • 編集者 | 2018-09-23 02:28

    ツチノコとビッグフットを捕まえて飼育崩壊させちゃって保健所から怒られたことのある俺からすると頭の下がる話だ。今度黄桜の広告の女河童を紹介してほしい。河童による「入水」「夢」の部分で水のイメージが広がるのが、水辺にあまり親しみが無い俺にはぞわっとする。
    ただ他の作品と比べると、「嘘だと思って読んでください」のもう一ひねりが欲しい、どうしても露骨に感じた。

  • 投稿者 | 2018-09-23 13:59

    なぜか「河童の川流れ」が真っ先に浮かんできましたが、読み進めているとあながち的外れでもなさそうです。流れること流されることの心地よさ、違和感、恐ろしさ。水中と陸が位相転移する不思議な語りの世界。
    河童の書いた詩のような美しい文章は本当に長崎さんらしくて、もしかしてこれを書きたくて河童の飼育を前後に付け足したのかとまで思いました。

    河童の生態については、少なからず犬と共通するものがあるのですね。どうせなら徹底的に荒唐無稽にして、洋物の河童はローレライとかオンディーヌにするとか、中国の河童は沙悟浄とか(本当は河童じゃないのですが)

    テーマについて論議になっていますが、私は嘘と思って読んで十分楽しめました。河童が卵生だったと今回初めて知りましたし、室内飼いができることも知りました。皿が乾かないのかと心配になりました。執筆する時の河童のお皿には水がなみなみと注いであるのだろうと空想しました。嘘と知っていて読者をその世界に引きずり込むのもまたフィクションの楽しみだと思います。

  • 投稿者 | 2018-09-25 02:07

    作者はなんらかの薬物常習者である可能性が極めて高いので当局への通報が善良なる市民の義務であるが私は善良ではないので彼の処遇は賢明なる目撃者諸兄に一任したい。「嘘だと思って読んでくれ」とはじめていきなり河童登場であることで、まあ嘘でしょうけれどもとなるわけだが、こうなると、できればディテールを思い切ってクッソリアルな方向に振り切ってくれるとよかったかもしれない。2000日で排卵可能であるが、これは5年と少しほど。でさらに平均寿命は54歳ほど。にもかかわらず長寿なものは200歳というのは地球生物としては整合性に欠けてしまう。2XXXという数字でもはやリアリティなど気にしないという方向に飛ばしてしまうことで、意図がふわっとしてしまう気がする。また卵生なのに哺乳類に含まれるような記述があったり、犬のままの話でしかなかったり、さて、「嘘」の軸をどこに置こうとしているのか、難しいところにテーマをもっていってしまったのではないかと、辛みを禁じ得ない。

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